昼休み、伊織との約束の時間までは美月と保健室でお昼ご飯を食べる予定だったがトイレに行っていて遅れてしまった。
「あ」
「お」
急いで保健室に入ろうと扉に手をかけようとした瞬間、扉は勝手に開き保健室から退室しようとする人と目が合った。美月と同じクラスでサッカー部の秋山君だ。手には美月が作ったチョコレートのお世話になった人用のものが握られている。
「それ、美月のだね」
私がそう言うと秋山君は保健室の扉を静かに閉めて私の正面でうつむきながら立ち止まった。
秋山君を始め、真人君から声をかけられて美月を守ろうと動いてくれた運動部の男子たちの分も美月はチョコレートを準備していたので、秋山君が持っていても不思議ではない。
でも、伊織と昼休みに約束しておきながら秋山君のことを昼休みに呼び出すようなことを美月がするとは思えない。秋山君が今保健室に来たのは別の用事があってのことだろうか。
「どうしたの? 下向いて、体調悪かったとか……」
「いや、そういうわけじゃなくて。学年末のテスト範囲とか詳しい日程とか出ただろ? あとは提出物の連絡とか授業で使ったプリントとか、そういうのを萩原さんに渡しに来たんだ」
「そういえば昨日蘭々が言ってた。秋山君がその役割をするって自分から名乗り出たって。これも蘭々が言ってたんだけど、秋山君って責任感が強いよね」
「そういうんじゃないよ……春咲さんは萩原さんと仲が良いよな?」
「もちろん」
「じゃあ萩原さんの好きな人とか誰か知ってる?」
「え?」
それは予想外のタイミングで予想外のところから飛んできた。突然のことで面食らってしまい少しの間、言葉を失ってしまった。
「大きいバッグからこのチョコを取り出すとき見えたんだ。これと同じようなチョコがいくつか入ってる中に少し大きくて少し華やかに包装されてるやつが一個だけ入ってる。それに最近すごく楽しそうっていうか、こう、こ、恋してるオーラが出てるっていうか。誰に渡すつもりなのか知ってたら教えて欲しい」
「えっと、知ってるけどどうしてそんなこと聞くの?」
答えは察している。でもそれは叶わない思いだから、なるべく詳しく話を聞いて傷つけないようにしてあげたいと思った。秋山君はあまり得意なタイプではなかったけれど美月を守ろうとしてくれた優しい人には違いないからだ。
「分かるだろ?」
「でも、聞きたい」
秋山君は照れくさそうに「しょうがないな」と呟き、思いを打ち明け始めた。
「俺サッカー部でさ、四月の末くらいに学校の周りをランニングしてたんだ。そこで下校中の一人の女子とぶつかって転ばせちゃったんだ。集団で走ってたから気づくのが遅くなって避けきれなかった。ほんとに軽くだけ謝りはしてそのままスルーしちゃったけど、見たことある顔だったなって思ったし、やっぱり気になって戻ってみたらもういなくなってた。次の日教室で顔を見たら萩原さんだって確信した」
美月と伊織の馴れ初めだ。それがあったから今の美月がある。
「怪我とかしてなかったか確認してちゃんと謝りたかったけど、萩原さんは俺の顔を見ても何も反応しなかったから多分ぶつかったのが俺だって気づいてないっぽくて、俺も勇気が出なくて声をかけられなかった。でも……」
すらすらと過去を語る秋山君の言葉が詰まる。「誰にも言うなよ」と念推されたので頷いた。
「謝りたくて、毎日ちょこちょこ見てたら気づいたんだ。萩原さんって、あんまり人と積極的に話さないし、目立たないタイプだけどすごく優しくて、その、可愛いなって。いつの間にかすごく気になるようになった。まあ謝りたい気持ちと仲良くしたい気持ちがごちゃごちゃになって結局声をかけられなかったんだけど……他に好きな奴がいるからもうフラれたようなもんだけど、どういう奴が好きなのか知りたいんだ」
「明日になれば自然と分かると思う」
「……両想いってことか」
秋山君は漏らすようにその言葉を発した。唇を噛みしめてつらそうにしている表情を見るのは私もつらい。
「まあ、ちゃんと謝ることはできて、逆にありがとうなんて感謝されちゃったしもういいや。もやもやも晴れて、きっぱり諦められそうだよ。ありがとう、明日を楽しみにしてる」
自嘲気味に笑いながらその場を去ろうとする秋山君の背中はとても寂しそうに見えた。
今までの私ならこんなことはしなかったはずだけれど、自然と口が動き、秋山君を呼び止めていた。
「私、秋山君のこと得意じゃないなって思ってた」
「追い打ちはやめてくれよ」
「ごめん、そういうつもりじゃなくて……その、でも今は仲良くなれそうって思う。私なんかに言われても嬉しくないかもだけど」
「どうして?」
「秋山君も言ってたし私が言えるようなことじゃないんだけど、美月ってあまり目立つタイプじゃないでしょ? あんなに可愛くて優しくて良い子だからモテモテでもおかしくないって思うのに実際はそんなことなくて。だから美月の可愛さに気づいた秋山君は同志だなって思うから」
「なんだそれ」
振り返った秋山君は仕方ないものを見るような目で私を見ている。
「お前、萩原さんのこと好きすぎるだろ」
「そうだよ。だから美月のことが好きな秋山君と仲良くなれそうかなって思う」
「春咲ってそういうタイプだったんだ、ちょっと意外。でもそう思ってくれるならちょうど良かった。俺さ、四月から特進クラスに行くことにしたんだ。同じクラスになるから仲良くしてくれよ」
それは初耳だ。特進クラスに進む人は一月に模試を受けることになっていたけれど確か秋山君はいなかったはず。
「先生にお願いしたらオッケーもらえたんだ。いつも一位か二位の春咲は興味ないかもしれないけど俺、学年で十位くらいなんだぜ。真人とは勉強のライバル的な感じなんだ」
「そうなんだ。でもどうして? あ、まさか美月と同じクラスになりたくて……?」
「それも一割いや二割くらいあったけど八割は違うよ。将来のことを考えたらちゃんと勉強しないとなって思ったから。うちのサッカー部は強豪だからサッカーで大学に進んだり、たまにプロになる人もいるけど俺はそういうのとは程遠い実力しかないからな。サッカーは好きだけど現実を見たら勉強をするしかないって思った」
それには少し共感できた。私は秀でた才能を持っていないし、夢中になれるようなこともない。だから勉強を頑張るしかないと思ってそれなりに頑張ってきた。
でも勉強しかない私と秋山君は少し事情が違うとも思う。
「部活はどうするの?」
「……まだ決めてないけど、今の気持ちは辞める八割、続ける二割ってところかな。体も一番小さくて細いし、このまま続けても楽しくないかもなって思ってる」
「伊織も部の中で一番体が小さいしベンチ入りもできてないけど、すごく頑張ってるよ。ほぼ毎日一番早く朝練に出てるし、部活が終わって帰ってからもランニングとか筋トレとかしたり」
せっかく夢中になれるものがあるのに手放そうとしている秋山君を見て、反射的に伊織のことを言ってしまった。
「伊織が……わざわざそんなことを言うってことはそういうことなのか」
秋山君は何かに納得したような表情を見せてから再び私に背を向けて歩き出す。
「続けるが三割くらいになったよ。ありがとう。じゃあ、四月からはよろしく」
少しずつ遠くなっていく秋山君の背中は、やっぱり少し寂しそうに見えた。
「あ」
「お」
急いで保健室に入ろうと扉に手をかけようとした瞬間、扉は勝手に開き保健室から退室しようとする人と目が合った。美月と同じクラスでサッカー部の秋山君だ。手には美月が作ったチョコレートのお世話になった人用のものが握られている。
「それ、美月のだね」
私がそう言うと秋山君は保健室の扉を静かに閉めて私の正面でうつむきながら立ち止まった。
秋山君を始め、真人君から声をかけられて美月を守ろうと動いてくれた運動部の男子たちの分も美月はチョコレートを準備していたので、秋山君が持っていても不思議ではない。
でも、伊織と昼休みに約束しておきながら秋山君のことを昼休みに呼び出すようなことを美月がするとは思えない。秋山君が今保健室に来たのは別の用事があってのことだろうか。
「どうしたの? 下向いて、体調悪かったとか……」
「いや、そういうわけじゃなくて。学年末のテスト範囲とか詳しい日程とか出ただろ? あとは提出物の連絡とか授業で使ったプリントとか、そういうのを萩原さんに渡しに来たんだ」
「そういえば昨日蘭々が言ってた。秋山君がその役割をするって自分から名乗り出たって。これも蘭々が言ってたんだけど、秋山君って責任感が強いよね」
「そういうんじゃないよ……春咲さんは萩原さんと仲が良いよな?」
「もちろん」
「じゃあ萩原さんの好きな人とか誰か知ってる?」
「え?」
それは予想外のタイミングで予想外のところから飛んできた。突然のことで面食らってしまい少しの間、言葉を失ってしまった。
「大きいバッグからこのチョコを取り出すとき見えたんだ。これと同じようなチョコがいくつか入ってる中に少し大きくて少し華やかに包装されてるやつが一個だけ入ってる。それに最近すごく楽しそうっていうか、こう、こ、恋してるオーラが出てるっていうか。誰に渡すつもりなのか知ってたら教えて欲しい」
「えっと、知ってるけどどうしてそんなこと聞くの?」
答えは察している。でもそれは叶わない思いだから、なるべく詳しく話を聞いて傷つけないようにしてあげたいと思った。秋山君はあまり得意なタイプではなかったけれど美月を守ろうとしてくれた優しい人には違いないからだ。
「分かるだろ?」
「でも、聞きたい」
秋山君は照れくさそうに「しょうがないな」と呟き、思いを打ち明け始めた。
「俺サッカー部でさ、四月の末くらいに学校の周りをランニングしてたんだ。そこで下校中の一人の女子とぶつかって転ばせちゃったんだ。集団で走ってたから気づくのが遅くなって避けきれなかった。ほんとに軽くだけ謝りはしてそのままスルーしちゃったけど、見たことある顔だったなって思ったし、やっぱり気になって戻ってみたらもういなくなってた。次の日教室で顔を見たら萩原さんだって確信した」
美月と伊織の馴れ初めだ。それがあったから今の美月がある。
「怪我とかしてなかったか確認してちゃんと謝りたかったけど、萩原さんは俺の顔を見ても何も反応しなかったから多分ぶつかったのが俺だって気づいてないっぽくて、俺も勇気が出なくて声をかけられなかった。でも……」
すらすらと過去を語る秋山君の言葉が詰まる。「誰にも言うなよ」と念推されたので頷いた。
「謝りたくて、毎日ちょこちょこ見てたら気づいたんだ。萩原さんって、あんまり人と積極的に話さないし、目立たないタイプだけどすごく優しくて、その、可愛いなって。いつの間にかすごく気になるようになった。まあ謝りたい気持ちと仲良くしたい気持ちがごちゃごちゃになって結局声をかけられなかったんだけど……他に好きな奴がいるからもうフラれたようなもんだけど、どういう奴が好きなのか知りたいんだ」
「明日になれば自然と分かると思う」
「……両想いってことか」
秋山君は漏らすようにその言葉を発した。唇を噛みしめてつらそうにしている表情を見るのは私もつらい。
「まあ、ちゃんと謝ることはできて、逆にありがとうなんて感謝されちゃったしもういいや。もやもやも晴れて、きっぱり諦められそうだよ。ありがとう、明日を楽しみにしてる」
自嘲気味に笑いながらその場を去ろうとする秋山君の背中はとても寂しそうに見えた。
今までの私ならこんなことはしなかったはずだけれど、自然と口が動き、秋山君を呼び止めていた。
「私、秋山君のこと得意じゃないなって思ってた」
「追い打ちはやめてくれよ」
「ごめん、そういうつもりじゃなくて……その、でも今は仲良くなれそうって思う。私なんかに言われても嬉しくないかもだけど」
「どうして?」
「秋山君も言ってたし私が言えるようなことじゃないんだけど、美月ってあまり目立つタイプじゃないでしょ? あんなに可愛くて優しくて良い子だからモテモテでもおかしくないって思うのに実際はそんなことなくて。だから美月の可愛さに気づいた秋山君は同志だなって思うから」
「なんだそれ」
振り返った秋山君は仕方ないものを見るような目で私を見ている。
「お前、萩原さんのこと好きすぎるだろ」
「そうだよ。だから美月のことが好きな秋山君と仲良くなれそうかなって思う」
「春咲ってそういうタイプだったんだ、ちょっと意外。でもそう思ってくれるならちょうど良かった。俺さ、四月から特進クラスに行くことにしたんだ。同じクラスになるから仲良くしてくれよ」
それは初耳だ。特進クラスに進む人は一月に模試を受けることになっていたけれど確か秋山君はいなかったはず。
「先生にお願いしたらオッケーもらえたんだ。いつも一位か二位の春咲は興味ないかもしれないけど俺、学年で十位くらいなんだぜ。真人とは勉強のライバル的な感じなんだ」
「そうなんだ。でもどうして? あ、まさか美月と同じクラスになりたくて……?」
「それも一割いや二割くらいあったけど八割は違うよ。将来のことを考えたらちゃんと勉強しないとなって思ったから。うちのサッカー部は強豪だからサッカーで大学に進んだり、たまにプロになる人もいるけど俺はそういうのとは程遠い実力しかないからな。サッカーは好きだけど現実を見たら勉強をするしかないって思った」
それには少し共感できた。私は秀でた才能を持っていないし、夢中になれるようなこともない。だから勉強を頑張るしかないと思ってそれなりに頑張ってきた。
でも勉強しかない私と秋山君は少し事情が違うとも思う。
「部活はどうするの?」
「……まだ決めてないけど、今の気持ちは辞める八割、続ける二割ってところかな。体も一番小さくて細いし、このまま続けても楽しくないかもなって思ってる」
「伊織も部の中で一番体が小さいしベンチ入りもできてないけど、すごく頑張ってるよ。ほぼ毎日一番早く朝練に出てるし、部活が終わって帰ってからもランニングとか筋トレとかしたり」
せっかく夢中になれるものがあるのに手放そうとしている秋山君を見て、反射的に伊織のことを言ってしまった。
「伊織が……わざわざそんなことを言うってことはそういうことなのか」
秋山君は何かに納得したような表情を見せてから再び私に背を向けて歩き出す。
「続けるが三割くらいになったよ。ありがとう。じゃあ、四月からはよろしく」
少しずつ遠くなっていく秋山君の背中は、やっぱり少し寂しそうに見えた。