四時間目の自習が始まると飯島先生が蘭々を、別の先生が大石さんを呼びに来た。そして別の先生が他の女子生徒を次々に呼びに来る。
飯島先生や大石さんを呼びに来た先生は優しそうな表情をしていたけれど、他の女子生徒を呼びに来た先生は険しい顔をしていた。平気な顔で教室を出る蘭々と大石さんに対し、暗い顔で、中にはこの世の終わりのような顔で連れていかれる人もいる。
一組には表立って私に嫌がらせをする人はいなかったはずだけれど私の知らないところで悪事を働いていた人もいたようだ。
昼休みになり、ちょうど戻ってきた蘭々と大石さんに美月と二人で話したいと言って保健室に向かった。他に呼び出された人たちは戻ってこない。
蘭々の話によると空いている三年生の教室に集められて先生の監視の下でお昼ご飯を食べているそうだ。
保健室に入りパーテーションで仕切られた奥のスペースに行くとテーブルに突っ伏している美月が見えた。
「美月、大丈夫? 体調悪い? 保健室に行く?」
言ってから気がついたが保健室はここだ。美月からのツッコミはない。
私が声をかけてから少し間を置いて美月はゆっくりと顔を上げて私の方を見た。トロンとした目と半開きの口がなんだかセクシーに見える。
「大丈夫だよ。休憩はあったけどずっと話をしてたから疲れちゃっただけ」
「良かった……」
テーブルをはさんで向かい合って座り、お昼ご飯を食べながらお互いにどんなことを聞かれたのかを話した。
「え! 私が伊織君のこと好きなことも話したの?」
「う、うん。ちゃんと人間関係もはっきりさせた方が良いと思って」
「ま、まあそうだよね。私も詩織と桜君のこと話しちゃったしおあいこか。でもこれで先生公認の仲になっちゃう。困ったなぁ」
ニコニコくねくねしていて全然困ったようには見えない。美月は疲れているようだけれど、精神状態は正常のようなのでひと安心だ。
美月の方はとにかく細かく聞かれたらしい。いつどこで誰に何をされたか、思い出せることを全て思い出すように言われて今のような疲労状態になったとのことだ。
「テストで漢字とか英単語を思い出すより大変だったよ」
苦笑いしながら愚痴のように聞き取りのことを話していた美月だったがしばらくすると声のトーンが落ちて神妙な面持ちに変わった。
「ねえ詩織、私たちをいじめていた人たちってどうなるのかな?」
「いじめの加害者は基本的に退学だって聞いたよ」
「そう、だよね……」
美月はとても優しい子だ。どんなときでも自分より他人を優先して、自分がつらいときでも他人を思いやることができる。
そして私は美月の親友だ。この学校の誰よりも美月のことを見てきたし、その言動や性格を理解しているつもりだ。美月が今こうして悲しげな表情をしている理由を私は察することができた。
きっと美月は退学にさせたくないと思っている。
そして美月にとってそれはとても言い出しにくいことだ。美月をいじめていた人は私をいじめていた人と被っている可能性があって、美月の独断で先生たちに陳情することはできないと思っているだろう。
「美月はどうなって欲しいと思ってるの?」
「私は……」
少し質問の仕方が意地悪だったかもしれない。答えを察していて、それを言いづらいことも分かっているのに自由に答えさせるのはなかなかに酷なことだ。聞き方を変えるべき。
「退学して欲しいって思ってる?」
美月は肯定も否定もしない。私に気を使っているのだろう。
「美月の好きにして良いよ。私はどっちでも良いから」
私の本心では退学にして欲しい。加害者が皆いなくなり美月が二組の教室に戻れるようになって、私が真人君と、美月が伊織と堂々と仲良くできるようになって欲しい。
でも、美月の望むようにして欲しいというのも本心だ。私は美月の優しさにいつも助けられているから、その優しさによって判断されたことであれば否定するつもりはない。
「でも、理由だけは教えて欲しい。美月が考えてること、ちゃんと知りたい」
美月は一度頷いてその思いを打ち明け始めた。
「私、いじめをしていた人たちを許すことはできない。顔も見たくないし声も聞きたくない。退学になっちゃえばいいってずっと思ってた。でもね、それが現実味を帯びてくると考えちゃったの。高校を退学になったら大変だろうなって。せっかく入学して一年近く過ごしてきて、友達もできたのに学校を辞めなくちゃいけなくなるって、人生の色んなことがめちゃくちゃになっちゃうんじゃないかって思って。さっき先生に聞いたの、退学になったらどうなるんですかって。そしたら、転学できる人もいるけど中卒の肩書きのまま生きていく人もいるって」
「でもそれは、うちの学校ではいじめの加害者は退学っていうルールでやってきてるんだから仕方のないことだし、美月が気に病むようなことじゃない」
美月は悲痛なまでに優しい。この先の人生においてその優しさで損することも得することもたくさんあるのだろうなと思う。もしかしたら損することの方が多いかもしれない。
でも、その優しさでたくさんの人を救うはずだ。そんな美月の親友であることは誇らしい。だから私は美月の全てを受け入れる。
「私もそう思う。でも、できるかどうか分からないけど、もしも私が先生たちに退学にさせないで欲しいって言ったら、処分が変わるかもしれない。私の言葉一つでたくさんの人の人生が左右されてしまうかもしれないって思ったら、何もせずにはいられない」
「美月にひどいことした人のことも助けたい?」
「助けたいというより、見殺しにできない」
「二組の教室に戻れなくなるんじゃない?」
「もういいの。四月からは詩織や桜君と一緒だから、そこで頑張る」
「伊織は加害者が皆退学になることを望んでたよ?」
「……」
「ごめん。伊織を出したのは意地悪だった……良いよ。美月の考え、ちゃんと聞かせてもらえたから私は賛成。一緒に先生に言おう。伊織もきっと分かってくれるよ」
「うん、ありがとう」
そう言って微笑む美月を見ると、優しさを擬人化したら美月になるのだろうなと思う。
先生たちは受け入れてくれるだろうか。伊織は許してくれるだろうか。美月の慈悲深さが良い方向に働いてくれることを祈るばかりだ。
なんとか白雪先生に許可をもらって保健室に残り、聞き取りに来た三人の先生に対し、いじめの加害者を退学にさせないで欲しいという思いを美月と一緒に伝えた。
私も同席しようと思ったのは大事な気持ちを伝える美月をそばで支えたいという思いと、そもそも私も被害者なので美月の独断だと思わせないためだ。
その結果、生徒指導の部長の先生からは加害者の処分決定の際には考慮するという言葉をもらえた。考慮するだけで、退学は変わらない可能性もあるけれどそれはもうどうしようもない。
「私はそんなにたくさんの人の人生を背負えません」
先生たちに向けて放たれた美月の言葉は忘れられない。
美月の聞き取りはまだ終わっていないらしく私は教室に戻されることになった。
五時間目は自習ではなく英語の授業が行われていた。本来一組の英語の担当は堀先生だが、堀先生は保健室にいるので見たことがないおじさんの先生が代わりに授業を行っている。
一応簡単に事情を説明するとおじさん先生は「うん」と一言だけ言って特に反応を示さない。
私が戻ってきた後にも誰かが呼び出されたり戻ってきたりして慌ただしく人が出入りしているため、反応の薄さにも合点がいった。
普段ならおじさん先生の髪の薄さを嘲笑いそうな男子たちも、さすがに今日は静かだ。重苦しい空気が教室中に蔓延していた。
その後も授業をこなし、帰りのホームルームになっても未だに教室に戻ってこない人もいた。さらに、担任の先生が数人の女子生徒に教室に残るように言い、その他の人はすぐに教室から出るようにと厳命してホームルームは終了した。
飯島先生や大石さんを呼びに来た先生は優しそうな表情をしていたけれど、他の女子生徒を呼びに来た先生は険しい顔をしていた。平気な顔で教室を出る蘭々と大石さんに対し、暗い顔で、中にはこの世の終わりのような顔で連れていかれる人もいる。
一組には表立って私に嫌がらせをする人はいなかったはずだけれど私の知らないところで悪事を働いていた人もいたようだ。
昼休みになり、ちょうど戻ってきた蘭々と大石さんに美月と二人で話したいと言って保健室に向かった。他に呼び出された人たちは戻ってこない。
蘭々の話によると空いている三年生の教室に集められて先生の監視の下でお昼ご飯を食べているそうだ。
保健室に入りパーテーションで仕切られた奥のスペースに行くとテーブルに突っ伏している美月が見えた。
「美月、大丈夫? 体調悪い? 保健室に行く?」
言ってから気がついたが保健室はここだ。美月からのツッコミはない。
私が声をかけてから少し間を置いて美月はゆっくりと顔を上げて私の方を見た。トロンとした目と半開きの口がなんだかセクシーに見える。
「大丈夫だよ。休憩はあったけどずっと話をしてたから疲れちゃっただけ」
「良かった……」
テーブルをはさんで向かい合って座り、お昼ご飯を食べながらお互いにどんなことを聞かれたのかを話した。
「え! 私が伊織君のこと好きなことも話したの?」
「う、うん。ちゃんと人間関係もはっきりさせた方が良いと思って」
「ま、まあそうだよね。私も詩織と桜君のこと話しちゃったしおあいこか。でもこれで先生公認の仲になっちゃう。困ったなぁ」
ニコニコくねくねしていて全然困ったようには見えない。美月は疲れているようだけれど、精神状態は正常のようなのでひと安心だ。
美月の方はとにかく細かく聞かれたらしい。いつどこで誰に何をされたか、思い出せることを全て思い出すように言われて今のような疲労状態になったとのことだ。
「テストで漢字とか英単語を思い出すより大変だったよ」
苦笑いしながら愚痴のように聞き取りのことを話していた美月だったがしばらくすると声のトーンが落ちて神妙な面持ちに変わった。
「ねえ詩織、私たちをいじめていた人たちってどうなるのかな?」
「いじめの加害者は基本的に退学だって聞いたよ」
「そう、だよね……」
美月はとても優しい子だ。どんなときでも自分より他人を優先して、自分がつらいときでも他人を思いやることができる。
そして私は美月の親友だ。この学校の誰よりも美月のことを見てきたし、その言動や性格を理解しているつもりだ。美月が今こうして悲しげな表情をしている理由を私は察することができた。
きっと美月は退学にさせたくないと思っている。
そして美月にとってそれはとても言い出しにくいことだ。美月をいじめていた人は私をいじめていた人と被っている可能性があって、美月の独断で先生たちに陳情することはできないと思っているだろう。
「美月はどうなって欲しいと思ってるの?」
「私は……」
少し質問の仕方が意地悪だったかもしれない。答えを察していて、それを言いづらいことも分かっているのに自由に答えさせるのはなかなかに酷なことだ。聞き方を変えるべき。
「退学して欲しいって思ってる?」
美月は肯定も否定もしない。私に気を使っているのだろう。
「美月の好きにして良いよ。私はどっちでも良いから」
私の本心では退学にして欲しい。加害者が皆いなくなり美月が二組の教室に戻れるようになって、私が真人君と、美月が伊織と堂々と仲良くできるようになって欲しい。
でも、美月の望むようにして欲しいというのも本心だ。私は美月の優しさにいつも助けられているから、その優しさによって判断されたことであれば否定するつもりはない。
「でも、理由だけは教えて欲しい。美月が考えてること、ちゃんと知りたい」
美月は一度頷いてその思いを打ち明け始めた。
「私、いじめをしていた人たちを許すことはできない。顔も見たくないし声も聞きたくない。退学になっちゃえばいいってずっと思ってた。でもね、それが現実味を帯びてくると考えちゃったの。高校を退学になったら大変だろうなって。せっかく入学して一年近く過ごしてきて、友達もできたのに学校を辞めなくちゃいけなくなるって、人生の色んなことがめちゃくちゃになっちゃうんじゃないかって思って。さっき先生に聞いたの、退学になったらどうなるんですかって。そしたら、転学できる人もいるけど中卒の肩書きのまま生きていく人もいるって」
「でもそれは、うちの学校ではいじめの加害者は退学っていうルールでやってきてるんだから仕方のないことだし、美月が気に病むようなことじゃない」
美月は悲痛なまでに優しい。この先の人生においてその優しさで損することも得することもたくさんあるのだろうなと思う。もしかしたら損することの方が多いかもしれない。
でも、その優しさでたくさんの人を救うはずだ。そんな美月の親友であることは誇らしい。だから私は美月の全てを受け入れる。
「私もそう思う。でも、できるかどうか分からないけど、もしも私が先生たちに退学にさせないで欲しいって言ったら、処分が変わるかもしれない。私の言葉一つでたくさんの人の人生が左右されてしまうかもしれないって思ったら、何もせずにはいられない」
「美月にひどいことした人のことも助けたい?」
「助けたいというより、見殺しにできない」
「二組の教室に戻れなくなるんじゃない?」
「もういいの。四月からは詩織や桜君と一緒だから、そこで頑張る」
「伊織は加害者が皆退学になることを望んでたよ?」
「……」
「ごめん。伊織を出したのは意地悪だった……良いよ。美月の考え、ちゃんと聞かせてもらえたから私は賛成。一緒に先生に言おう。伊織もきっと分かってくれるよ」
「うん、ありがとう」
そう言って微笑む美月を見ると、優しさを擬人化したら美月になるのだろうなと思う。
先生たちは受け入れてくれるだろうか。伊織は許してくれるだろうか。美月の慈悲深さが良い方向に働いてくれることを祈るばかりだ。
なんとか白雪先生に許可をもらって保健室に残り、聞き取りに来た三人の先生に対し、いじめの加害者を退学にさせないで欲しいという思いを美月と一緒に伝えた。
私も同席しようと思ったのは大事な気持ちを伝える美月をそばで支えたいという思いと、そもそも私も被害者なので美月の独断だと思わせないためだ。
その結果、生徒指導の部長の先生からは加害者の処分決定の際には考慮するという言葉をもらえた。考慮するだけで、退学は変わらない可能性もあるけれどそれはもうどうしようもない。
「私はそんなにたくさんの人の人生を背負えません」
先生たちに向けて放たれた美月の言葉は忘れられない。
美月の聞き取りはまだ終わっていないらしく私は教室に戻されることになった。
五時間目は自習ではなく英語の授業が行われていた。本来一組の英語の担当は堀先生だが、堀先生は保健室にいるので見たことがないおじさんの先生が代わりに授業を行っている。
一応簡単に事情を説明するとおじさん先生は「うん」と一言だけ言って特に反応を示さない。
私が戻ってきた後にも誰かが呼び出されたり戻ってきたりして慌ただしく人が出入りしているため、反応の薄さにも合点がいった。
普段ならおじさん先生の髪の薄さを嘲笑いそうな男子たちも、さすがに今日は静かだ。重苦しい空気が教室中に蔓延していた。
その後も授業をこなし、帰りのホームルームになっても未だに教室に戻ってこない人もいた。さらに、担任の先生が数人の女子生徒に教室に残るように言い、その他の人はすぐに教室から出るようにと厳命してホームルームは終了した。