「ねえ詩織さん。もう少しわがままを言ってもいいかな?」

「うん、いいよ」

 いつもより少しだけ弱気な真人君に私は初めて庇護欲のようなものを覚えた。守ってもらってばかりだったけれど、今日は守ってあげたくなる。

 電話の先にいるのは、高校バスケ界のスターで学校一の人気者という肩書きは関係ない、ただの同い年の男の子だ。

「もう少し話がしたいんだ。明日学校だけど、駄目かな?」

「まだあんまり眠くないから大丈夫だよ」

「良かった。ねえ詩織さん、そっちの天気はどう?」

 窓に取り付けているカーテンを開けて、窓も開けてみた。雪は降っていないがさすがに二月の夜だけあって冷たい空気が入り込んでくるけれど、真人君と話して少し火照った頬に当たって気持ちが良い。

 外は月明かりと街灯の光のおかげでほのかに明るい。下弦の月と呼ばれる半月と三日月の間くらいのお月様を見ていると真人君が天気を尋ねた意図が少し分かった気がする。きっと真人君は空を見上げながら電話している。

「月が綺麗に見えるよ。真人君も見える?」

「うん。旅館の周りに建物とか光を出すものが少ないからかなり綺麗に見える。不思議だよね。離れていても同じものを見ることができるって。スマホとか使えばなんでも共有することはできるんだけど、直接自分たちの目で見て、同じ光を浴びているんだと思うと嬉しくなる。同じ世界にいるんだっていう実感が湧くんだ」

 確かにスマホで写真を共有するときとは違う感覚だ。今まさに私と真人君は同じ月を見ている。

 私たちの感覚ではとても離れた場所にいるけれど、月からすれば私と真人君の距離なんてたいしたことはなくて、人間が二人寄り添ってこちらを見ているように見えるかもしれない。

「詩織さんが見ていてくれると不思議なことにシュートが全部入るんだ。だから、今こうして詩織さんの存在を近くに感じられれば明日は全部と言わずとも結構上手くいってくれるんじゃないかって思ってる」

「うん、私はずっとそばにいるよ。私の気持ちはお守りに込めておいたから。真人君なら大丈夫」

「ありがとう。明日は試合中以外はずっと握りしめておくよ。そうしたらかなり効果ありそう」

「それは嬉しいけど、皆から変だと思われないかな?」

「大丈夫。俺の気持ちはバスケ部員全員が知ってるから」

「そ、そっか」

 真人君の気持ち。それは私のことを好きだということ。不意打ち的に思い出させられて顔や胸の辺りが急激に熱くなりそうになったが、外の冷たい空気のおかげでそれは免れた。

 さすがに寒くなってきたので窓を閉めながらふと思った。真人君は私のことを好きだと言ってくれるけれど、私の気持ちを教えてとは言わない。そして付き合って欲しいとも言わない。

 ただ照れくさいだけなのか、私の言動からもう気持ちを察しているから聞く必要がないのか、こんな夜中に電話をしたりするほどの仲で実質付き合っているようなものだからわざわざ言わないのか。

 いずれにしてもバレンタインの日に私が気持ちを伝えれば私たちに関係ははっきりするはずなのでこのことに関しては今は何も聞かないでおいた。

「明日、頑張れそうだよ。詩織さんに電話して良かった。詩織さんと話していたら不安な気持ちが落ち着いたよ」

 今日は何度目だろうか。真人君に名前を呼ばれるたびに心が温かくなる。真人君の優しい声はそんな魔力を秘めている。

 そしてその声はこの会話を終わらせようという雰囲気を醸し出していた。時間を考えたら当然のことだけれど私はまだ話を続けたかった。

 どんな話でも良い。くだらない話でもとりとめのない話でも何でも良いから真人君とのこの時間を終わらせたくなかった。

 何か話題を探して頭をまわし、部屋を見渡し、窓越しに外を見た。窓を閉めて視線の角度が変わった関係で月は見づらくなっていたけれど、その存在は確認できた。

綺麗な月。美しい月。美月のことを思い出す。

「真人君、あの、お泊まりのとき男の子ってどんな話をするの?」

「え? そうだなあ、軽く試合の振り返りをしたり、好きな漫画とか音楽とかの話をしたり、風呂上りには筋肉を自慢したりする奴もいる。あ、これは皆じゃないから勘違いしないでね。それから女の子には聞かせられないような話もたまにするし、恋愛の話もするよ。試合のために来てるからさすがに徹夜したりはしないけどね」

「じゃあ、伊織の好きなタイプとか……」

「もちろん聞いたよ。約束だったからね。学校に行ったら萩原さんに直接教えてあげようと思ってたけど、詩織さんには聞いてもらった方が良いかもね」

「うん、教えて教えて」

 私は息を飲んだ。自分のことではないのに自分のことのようにドキドキしている。息が荒くなっているような気がして、深呼吸を数回して真人君の声を待った。