保健室の白雪先生は今日はベッドではなくパーテーションで隠された保健室の奥の空間に私たちを通してくれた。椅子が数個とそこそこの大きさのテーブルが一つあるだけの空間はまるで自習用のスペースのようにも思えた。

「教室にいたくないならここにいていいよ。授業は欠課になっちゃうけど学校は出席扱いになるから。昨日堀ちゃんに確認してもらったら、残り全部保健室で過ごしても進級できるって」

 そう言って美月を椅子に座らせると、白雪先生は普段から使用されている出入り口近くのスペースに戻り、私たち三人に経緯を説明させた。

 話を聞いた白雪先生は大きくため息をついた。

「はあ……嫌になっちゃうよね、いじめとか。大学でいじめのこと勉強したけど、身に着いたのはいじめられた子のケアの方法だけで、根本的にいじめをなくす方法とかそもそもなぜいじめが起きるのかは分からなかったんだよね。いじめを起こさない教室の環境作りとか偉そうに講釈垂れていた教授たちも、はっきりとした答えはくれなかった。子供とのコミュニケーションが大事とか言って逃げてたけど、それって結局現場がなんとかするしかないってことなんだよね。あんたらが何十年も研究して分からないことを現場に押し付けんなって感じだよ」

 白雪先生は愚痴を言うように私たちに言葉を漏らした。その勢いは止まらない。

「まあ論理的に考えたらいじめなんてする意味ないんだから、いじめの原因は非論理的なところにあるわけで、そんなの考えたって分かるわけがないよね。堀ちゃんもクラスの生徒に話を聞いたりして頑張ってるみたいだけど、怪しい子たちが口裏合わせてうまく誤魔化してるし、いじめの現場を見ていないから決定的な証拠を掴めていないって言うし、他のクラスの子も絡んでそうだから難しいって。時間がかかればかかるほど被害者の苦しみは大きくなるっていうのが分かってるから早く解決したいんだけど、なんかうちの学校の先生たちこの件に関しては及び腰なんだよね。決定的な証拠がないって言っても怪しい子は分かってるんだから聞き取り調査とかもっとやればいいのに、なんかきな臭いっていうか強い部活の部員の子が加害者にいるかもしれないから大事にしたくないんじゃないかって思うんだよね。うちの学校って部活優先の傾向が強すぎるから、運動部の顧問の先生の発言力とか強すぎるんだよね……あ、やば、君らに話すような内容じゃなかったね、忘れて」

 白雪先生は飄々とした態度で言った。結構な爆弾発言だったようにも思えるけれどまったく焦っていない辺り気にしていないようだ。

 白雪姫というあだ名のイメージとは乖離がすさまじいが、本音を開けっぴろげに話してくれるその姿に親しみやすさを覚える。

「それって、先生たちを頼っても解決しないかもってこと?」

 蘭々が尋ねた。白雪先生は「うーん」と唸りながら腕を組み、考え込んだ。

「そんなわけないって教員としては言わないといけないんだろうけどね、本音を言うと解決しないわけではないけど、時間はかかると思う。積極的に解決しようとする先生と消極的な先生の両方がいるからね。なんていうか一枚岩になれてない感じがする。なんのために教員やってんだかって人もいるし……まあ私はここに来た子を休ませることくらいしかできないから偉そうなことは言えないんだけどね」

「難しいんだね、先生も」

「まあね、生徒に同情されてるようだと他の先生に怒られそうだけど。保健室にいると色んな子の悩みとかが舞い込んでくる割に私ができることって少ないし、どうしても受け身になっちゃうからもどかしいことが多いんだよね……ま、とりあえず美月はしばらくここに置いておくから、時間あるときは様子を見に来てあげて」


 白雪先生に言われて自分の教室に戻った私たちだったが、私は朝のホームルームが終わると体調が悪いと嘘をついて保健室へと戻った。白雪先生はまるで分っていたかのように私を出迎えて、何も聞かずに美月がいる奥のスペースに通してくれた。

「二人で大人しく自習してるんだよ。分かんないところがあっても私に聞かないで、休み時間に職員室に行くこと。高校の勉強なんて覚えてないから」

 美月は「詩織まで授業さぼることないのに」なんて言っているが私は美月を一人にしたくなかった。たとえ教室の人間が美月の存在を拒んでも私だけはそばにいたい。美月を支える、それが私の役割。だから伊織、早く加害者を捕まえて。

 一時間目の授業の間、私たちは白雪先生に言われた通り大人しく自習をしていたが当然のように捗らない。心の片隅には何か黒いものが常にあって、私の集中をかき乱す。美月も同じかそれ以上に集中できていないことはすぐに分かった。

 二時間目の授業ではもう勉強することは諦めて話をすることにした。楽しい話、やっぱり約二週間後に控えたバレンタインの話が良い。美月も割と乗り気で話してくれている。

「色々お世話になった人たちにも作って渡したいなって思ってるんだけど、どうかな?」

「そうだね、佐々木さんたちにちゃんとお礼しなきゃだもんね。桜君にも渡さなきゃ。詩織も伊織君にあげるよね?」

「え、う、うん、毎年適当に安いやつあげてたけど今年はちゃんとしたやつあげようかな」

「そうしなよ。それでどこで作る? 私の家でも大丈夫だけど詩織の家の方が良い?」

「ごめん、それは絶対無理。お父さんに見られたら面倒くさいことになる。美月の家でお願い」

 誰にあげるんだとか、自分にもくれるのかとかそわそわしながら覗き込んできたりしてやりづらくなることが容易に想像できる。一応お父さんにも作ってあげるつもりだけれど、その過程を見られるのは絶対に嫌だ。

「あーそういえば詩織のお父さん詩織のこと大好きすぎるんだもんね。じゃあ私の家で作ろっか。いつにする? 作りたいものでいつ作った方が良いとか変わるけど」

「え? そうなの? 全部前日で良いと思ってた」

「まあ、前日で問題はないんだけど。クッキーとかのバターを使ってるやつは三日くらい前が良いとか聞くし、生クリームとかフルーツを使ったやつは傷みやすいから前日の方が良いし、市販のチョコをとかして固めたやつも三日くらい前でも大丈夫だと思う。詩織はどんなの作りたい?」

「えっとなるべく難しくないのが良いかな。私経験ないし」

「じゃあ溶かして固めるだけにしようか。型とチョコを買ってきて、十二日が祝日だからそこでどうかな?」

「うん、そこが良いかも。エプロンとか用意しておかないと、中学で使ったやつどこにあったかな……」

「エプロン……あ、忘れてた」

「エプロンがどうかした?」

「部活で使うからって調理室のロッカーに置きっぱなしだったの。週一しか使ってなかったけどそろそろ洗濯しに持って帰ろうかなって思ってたんだ。最近部活に出てないからすっかり忘れてた。今日の帰りに持って帰らなきゃ」

「部活かぁ、私なんて最近どころか三学期になってから一回も行ってないや」

「文芸部だよね? 行かなくて大丈夫なの?」

「うん。行っても基本的に本を読むだけだし、たまに図書室の本の整理とかしてて、それをやるときだけ顧問の先生から声がかかるんだけど三学期は一回も声かかってないから」

「あんまり活動してないんだ。じゃあいっそ詩織も料理部入っちゃう? 一年生私しかいないけど先輩は皆優しい人しかいないし、料理部と言ってもお菓子しか作ってないけど」

「それもありかも……」

 教室には戻れそうにないけれど部活には顔を出せるようだ。この保健室以外にも学校の中に美月の居場所があるのだと思うと自分のことのように安心する。

「おーい、お嬢さんたち。甘くて楽しい話も良いけどお勉強してね。保健室で遊ばせてたなんて知れたら私が怒られちゃうから」

 パーテーションの向こうから顔を出した白雪先生にやんわりと注意をされてしまった。言葉こそ注意している内容だけれどその声色は怒っているようには聞こえない。むしろ楽しそうに話をする美月を見て安心しているようにも見える。

 それは私も同じことで、美月が笑ってくれるなら授業をさぼったかいがあったというものだ。

 次の休み時間には蘭々と大石さん、その次の休み時間には秋野さんと小畑さんが様子を見に来てくれた。彼女たちなりに今朝の犯人を聞いてみたそうだが、発見には至っていないとのことだ。

 そして伊織が加害者を捕まえたという話も、伊織自体が見つかったという話も聞こえていないらしい。

 一年二組の教室内は男女間でピリついていると秋野さんが帰り際に美月に聞こえないように教えてくれた。これまで見て見ぬふりをしていたという後ろめたさもあって今朝の出来事は先生たちに報告されていないようだ。