そんな平和な二日間でも少し心配なことがあった。美月に元気がないことだった。私が聞くと熱が少しぶり返したと言っていたがとても無理をしているように見えて心配で仕方がなかった。

 週が明けて月曜日になってもほとんど状況に変わりはない。私は皆に守られて、目立った嫌がらせを受けることもなくなっていた。

 ただ、美月だけは日に日に元気を失っているように見えた。せっかく伊織と登下校を共にしているのにほとんど話そうとせず、どこか上の空な状態が続いている。

 緊張のせいではないことは私なら一目瞭然だった。お昼ご飯もほとんど食べない。月曜日の料理部の活動にも参加しない。うつむいていることも多くなった。

 水曜日の昼休み、日常と化したバスケ部の部室に美月はお弁当自体を持って来なかった。

「美月、お弁当は?」

「あ、うん……えっと、忘れちゃって」

「一緒に購買行く?」

「そ、そんな大丈夫だよ、悪いし」

「美月さん、これ、良かったら。塩むすびの中に梅干し入ってるだけなんだけど」

 食べ盛りの伊織が部活前の栄養補給にといつもお弁当とは別に用意していたおにぎりを二つ美月に差し出した。運動部の男子高校生の胃袋を満足させるそれは美月にとっては一つでお腹がいっぱいになってしまうくらいのものだ。

「でも、これ伊織君の……」

「お腹すいてたら元気でないよ、遠慮しないで」

「俺もこれあげるよ。どうぞ」 

 真人君が差し出したのはおまんじゅう。運動の際の糖分補給にはチョコなどの洋菓子より和菓子の方が良いと言うのを昔伊織が言っていた。

「あ、ありがと……」

 私は残念ながらあげられそうな食べ物を持ち合わせていなかったが、美月にとってはちょうど良かったようだ。二人がくれた食べ物をゆっくりと、ゆっくりと、昼休みの時間をたっぷり使って食べ終えた。

「美月、大丈夫? 体調悪くない?」

「うん、平気。心配してくれてありがとね。そろそろ教室戻らないと、行こ」

 そう言って見せた美月の笑顔は、いつもの可愛らしい笑顔ではなくて、悲痛に満ちながら無理やり作られたものに見えた。

 美月は何も言わなかった。


 次の日から美月は学校に来なくなった。

 理由を聞いても体調が悪いとしか言ってくれなかったが私たちは理由をなんとなく察していた。それが確信に変わったのは一週間後の水曜日の朝、登校して一組の教室に入った私たち三人に佐々木さんが教えてくれたからだ。

 私たちを見るなり焦った様子で佐々木さんが駆け寄ってきた。今は秋野さんだけが一緒だった。

「真人君、伊織君、これ見て」

 佐々木さんがスマホの画面を二人に見せる。私も見ようと近づくと後ろから秋野さんに抱きつかれて止められてしまった。

「春咲さんはだめー」

「え、どうして?」

「知りたいー?」

「うん」

「知っても見ないって約束ねー」

「え? う、うん」

「それはねー、うちの学校の人たちがー、色んなSNSの裏垢でー、春咲さんとか、萩原さんの悪口言ってるからー。ふざけてるよねー」

 いつもののんびりした口調のまま秋野さんは怒りがこもった言葉を吐いた。

 私の悪口が書かれているというのは想像していた。でも私はもともとSNSをほとんどやらない人間だから目にすることはなかった。そして美月の悪口も書かれているのはきっと私のせいに違いない。

「私が皆に守ってもらってたから、私に嫌がらせがしづらくなって、その矛先が私と仲が良くて大人しい美月に向いたんだ。美月は私に心配かけないように黙っていて、私のせいで……」

「詩織、お前は悪くない」

 伊織の声と同時に秋野さんが私をさらに強く抱きしめた。

 今思い返せば先々週の水曜日の放課後辺りから美月の様子がおかしいことには気づいていた。SNS以外にも何かされていたのだろう。美月は決して大食いというわけではないけれど食べることは好きでいつも美味しそうにご飯を食べていたはず。

 人見知りで知らない人の前だとおどおどしてしまうが仲の良い人と一緒ならいつも元気で明るくて笑顔が素敵だった。部活の先輩たちとはうまくやれているらしく月曜日の活動を楽しみにしていた。

 その美月の異変に気づいておきながら、美月が大丈夫、平気と言うのを信じて何もしなかった。

「結局こういうのって周りが気づいて助けてやらないといけないのかもね。本人は言いたくても言えないもんなんだよ。少し強引でも行動した方が良い」

 以前聞いた日夏さんの言葉を思い出す。あれは私を励ますためか伊織に活を入れるための言葉だと思っていたけれど、今になって私に刺さった。

 真人君も伊織も佐々木さんたちも皆私のことを気にかけてくれていたから、私が気づいて行動しなければいけなかった。

 教室の外では私と一緒に真人君や伊織と共に行動することが多かったけれど、教室での美月は私にとっての佐々木さんのような存在がおらず、一人ぼっちだったのだ。

 美月に危害を加えない大人しい人もいるだろうけれど、たくさんの女子に悪意を向けられている美月を助けるなんて、火中の栗を拾うようなことをしてくれる人はいなかった。

「私、美月を助けたい」

 美月はいつも優しくて私を助けてくれた。今度は私が助ける番だ。

「詩織……お前自身の問題だって解決したわけじゃないんだぞ。それなのに……」

「でも、美月が苦しんでいるのを放っておけない」

「ここでお前が変に動いたらまた何かされるぞ。それでもいいのか?」

「それは……嫌だけど、でも……」

「だったらお前は何もするな。今まで通り俺たちに守られていればいいんだよ。俺たちが全部やる」

 なんでそんなこと言うんだ。伊織は美月のことが心配じゃないの。

「今まで守ってもらったことは感謝してる。でも私にとって美月は特別なの。美月のためならつらい思いをしたって構わない。だから私は何をしてでも美月を助ける」

「ふざけるなよ。皆がどんな思いでお前のために……」

 今にも大きな声を出しそうになった伊織がぎりぎり踏みとどまった。表情や声色から怒っているのが分かる。言葉を探しながら私を見つめる伊織の顔を見ていると私も言い返したくなってしまう。

 論理的には伊織の方が正しいのは分かっている。それでも美月を自分の手で助けたいという感情が溢れて収まりきらなくなる。感情で押し切って私が行動することを伊織に認めさせてやりたい。

「やめよう。伊織と詩織さんが言い争いをしても何も解決しないよ」

 感情的になりかけていた私を冷静で大人っぽくて優しい声が落ち着かせてくれた。

「詩織さんは萩原さんのことを大切に思っていて、伊織は詩織さんのことを大切に思っているんだよ。どっちも優しいんだよ」

 真人君は私と伊織、二人ともそれで良いと肯定してくれる。これが真人君の考え方。人の良いところを見つけて評価する加点法の見方。

「でも伊織は詩織さんが大切なら詩織さんの気持ちも尊重するべきだと思う。詩織さんも伊織や俺たちが詩織さんに傷ついて欲しくないからずっとそばにいたってことはちゃんと考えて欲しい」

 それは決して全ての悪い部分に目をつむるわけではなく、悪いところも分かった上で良いところだけを見ようとしていた。

「だからさ、ちゃんと役割を分けよう。加害者を探したり、詩織さんや萩原さんを守るのは俺たちがやる。詩織さんは萩原さんを支えてあげてよ。一番仲が良い詩織さんにしかできないよ」

 真人君の言葉に私も伊織も腑に落ちて、頷いた。

「でもどうするの? バスケ部って明日の放課後には出発しちゃうんだよね? 真人君と伊織君がいなかったらちょっときつくない?」

 佐々木さんの指摘はもっともで、真人君もしまったという表情になる。

「皆、もう少し集まって」

 伊織に何かアイディアがあるようで、他の人に聞こえないように私たちは小さな輪になった。