部屋に戻って美月に連絡しようと思ったが、スマホを持ったところで思いとどまった。きっと美月はたくさん勇気を出して伊織にお願いしたのだ。私に連絡してこないということは今頃その余韻を噛みしめているはずだ。その邪魔はしたくない。

 伊織に美月の写真を撮らせたけれど、美月にも伊織の写真を撮らせれば良かったと少しだけ後悔した。

 なんとなくベッドに横になって今度は真人君に連絡しようかと思った。今日は結局まともに会話できていないことに今頃気づいたからだ。声が聞きたかったが今頃真人君は一人で練習していると思うと電話をするのは気が引けた。

 ならばメッセージを送っておこうと思ったけれどなかなか手が動かない。

 一歩どころか何歩も前進した美月を知ってしまったし、佐々木さんのこともただの私の思い込みで何の心配もないことも分かったので私ももう少し前に進みたい。そう考えると逆にどんなメッセージを送ったら良いか分からなくなった。

 今まで無難なものしか送っていなかったのだと痛感する。

【今日は本当にお疲れさま シュートを一回も外さなくてすごくカッコ良かったです】

 無難だ。いや、カッコ良かったというのは少し進歩だろうか。もう少しハッちゃけた方が良いか、でも普段の私のままの方が良いだろうなどと考えて自分で打ち込んだ未送信のメッセージを見つめていると、ふと思い出した。

 美月は真人君に伊織の件で協力をお願いしていたはずなので途中経過を報告しておく必要があるだろう。

【美月は実は自転車に乗れないんだけど、今度伊織に乗り方を教えてもらう約束をしました 私も付き添います】

 これでいい。美月の頑張りと伊織の今後の予定を私の自転車の腕前を隠しながら伝えられたはずだ。結局無難なメッセージにしかなっていないことは気にせず、前のメッセージと連続で真人君に送信した。

 練習中なので返信は遅くなるだろうと思っていたが、思いのほか早く来た。

【ありがとう。詩織さんが見ててくれたおかげだと思う。次の大会は詩織さんがいないけど頑張ります。】

 連続でもう一通届く。

【萩原さんすごく頑張ってるね。俺も協力する約束だし二月の大会で旅館に泊まるから夜に伊織に好きなタイプとか聞いてみるよ。詩織さんも練習頑張って。】

 男子もやっぱり皆でお泊りの夜は一つの部屋に集まって恋バナとかするのだろうか。

 中学の修学旅行の夜のホテルの部屋では恋バナ大会が行われたが私は端っこで適当に相槌を打っているだけだった思い出が蘇った。参加していたかもはっきりしなかった私でもなんとなくその雰囲気は覚えている。

 すでに彼氏がいる人が醸し出す無言の優越感と余裕、好きな人が被らないように牽制し合う目線と被っていると察したら先に言ってしまおうという駆け引き。嫉妬、応援、崇拝、色々な感情が渦巻き、昼間に楽しんだテーマパークの絶叫マシンよりもスリリングな空間が出来上がっていた。

 何故かクラスの女子全員が私のいる部屋に集まっていたので逃げ出すことも出来ず、消灯時間になって先生が見回りに来るまでぴりぴりとした一触即発の恐怖の時間を過ごした。

 旅行が終わると旅行前は仲良しだった人たちが険悪になっていたり、そのとき言っていた人とは違う人を好きになっていたり、あの時間はいったいなんのためだったのかと頭を抱えた。

 まあ男子ならそんなことは起こらないだろう。

 好きな人が被っても正々堂々勝負する宣言をしたり、告白する決意をしたり、それを応援する応援団が結成されたり、普段大人しくて目立たない人が熱い思いをぶちまけたり、ちょっとだけエッチな話をしたり、そんな感じだと漫画には描いてあった。

 そして私のことも話題になるかもしれないと思うと少しだけ照れくさい。今日の試合の後に写真を撮っているところはバスケ部の人たちには見られていたし、伊織があえて初詣の時間をずらしたことを考えると初詣の件もバスケ部の人たちは知っている可能性が高い。

 真人君が私との関係をどう話すのか、帰ってきたら伊織に確認しないわけにはいかない。

 思い出から帰ってきて、メッセージの方は相変わらず無難な返信をした。

【ありがとう。真人君も練習頑張って。】

 送信してから気づいた。何故真人君は私も練習頑張ってと書いたのか。文脈的に一つしか考えられない。慌てて追加でメッセージを送信した。

【私は自転車乗れるから二人を見守ります】
【本当だよ】 

 これで大丈夫だろう。

【うん。俺もこれから練習再開します。】

 真人君のメッセージの【うん】にはどんな意味が込められているのか。どうせ伊織が余計なことまで教えたに違いないので今度仕返しをしなければ。

 真人君とのやり取りを終えると、練習を頑張る真人君や伊織に影響されて私も頑張ろうという気持ちになった。私が毎日コツコツと勉強を頑張ることができているのも真人君のおかげに他ならない。

 彼の存在が私のモチベーションになっていて、今の私は希望に満ち溢れている。心が晴れやかで、エネルギーに満ちている感覚すら覚える。

 翌日の朝、目が覚めるといつもよりも空気が冷たい気がした。

 自室のカーテンを開け、窓も開けて地面を見るとそこそこに雪が積もっているようで、私はため息をついた。

 小学四年生くらいまでは雪が積もると大はしゃぎして、うちのそれほど大きくない庭を伊織と一緒に走り回り、雪だるまを作ったり、雪合戦をして伊織に雪玉を顔面にぶつけられたりしていた。

 思えば私はぶつけられるばかりで全然伊織にぶつけることはできなかった。あの頃から運動神経の差が顕著だったのだと悲しくなったが、同時にあの頃は雪が降るとそれだけで嬉しかったことを思い出した。

 だが小学校高学年くらいからは歩きづらくなって面倒だなとしか思わなくなってしまった。

 私は男子である伊織と、伊織は女子である私とべったりしていることが恥ずかしいと感じるようになって伊織から少しだけ距離を置いたときに、無邪気な心も一緒にどこかに置いてきてしまった気がする。

 そんな無邪気な心をいまだに持っていると思われる伊織は、玄関の扉を開けたときにぎりぎり当たらないくらいの場所に、握りこぶし大の雪玉を二つ重ねただけの雪だるまを作ってから登校したようだ。

 どんな顔をして作っていたのだろうと思うと自然と笑みがこぼれて、せっかくなので私も伊織が作ったものの隣に少しだけ小さめの雪だるまを作って並べることにした。

 積もった雪を手ですくい取り、球状に固めていくと手の圧力や温度で溶けた雪が水となって手袋から染みてくる。冷たいけれどどこか懐かしい感覚で楽しくなった。

 一体作り終え、少しだけ無邪気な心を取り戻した私は伊織のものよりも二回りくらい大きな雪だるまを私の伊織と反対側の隣に、私が最初に作ったものよりもほんの少しだけ小さな雪だるまを伊織の私とは反対側の隣に作って並べた。

 手袋はびちゃびちゃになってしまったけれど不思議と嫌な気分はせず、私は手袋を外して学校に向けて歩き出した。

 雪は積もっているものの陽は出ているし気温もそこまで低くはないようだ。予報でも今日は暖かくなると言っていた。私の席は窓際で陽が当たるし、こういうときのために持ち歩いている洗濯ばさみで机の横に引っ掛けておけば手袋は乾くだろう。

 私と美月は通学路が被っているけれど朝は一緒に行く約束はしていない。仲良くなった当初は時間を合わせて一緒に行っていたがお互いに朝は忙しくて待たせたり待たされたりしていたのでいつしか約束をしないようになった。

 それでも三日に二回くらいの割合で同じタイミングになるのだが今日はいないようだ。美月に昨日の伊織との電話の件を聞くのは学校に着いてからになりそうだ。

 教室では佐々木さんと話ができるだろうか。今のクラスなんてさっさと終わって早く二年生のクラスになりたいと思っていたけれど、もう少しだけ、佐々木さんともう少しだけ仲良くなるまではこのままでいいかなと思うようになった。

「あ、忘れてた」

 いつもの癖で前髪を下ろして目を隠してしまっていたが、今日からはヘアピンで留めて目を出すことにしたのだった。佐々木さんは遠くのものや小さいものを見るときにちゃんと眼鏡をかけるだろうか。

 昨日は聞く暇がなかった真人君は、目を出した私になんと言ってくれるだろうか。

 積もった雪のせいで歩きづらい通学路ではあったけれど、私の足取りはいつもよりもずっと軽い。