翌日の決勝戦、桜高校は危なげなく勝利し、二月初旬にある次の大会に駒を進めた。真人君はこの日一人で五十点以上の得点を重ね、一度もシュートを外さなかった。

 試合が終わると私は二階の観客席から一階のコートへ続く階段と通路の方へ移動して人を探した。昨日までは一番会いたくなかった人。

 でも今は、今でも少し怖いけれど、会って話をしたい。伊織や真人君のおかげでちゃんと向き合おうと思えた人。

 佐々木さんだ。彼女なら今日も来ているはずだし、スタイルの良さや昨日みたいな服装なら目立つのですぐに見つかるはずだ。そう思ってコートの出入り口に行ってみると予想通り佐々木さんがいた。

 昨日と色や素材は違うがショートパンツを履いていて長くて綺麗な足を見せびらかしている。まだコートでミーティングをしていてこれから片付けなどをするであろうバスケ部を、真人君を待っているのだろう。

 一緒に来ていた美月が私の左手を自分の右手で握ってくれた。顔を見合わせて、頷き合う。美月がいてくれれば百人力とまではいかないが私のわずかな勇気を何倍にもしてくれる。

 意を決して佐々木さんに近づき、声をかけた。

「あの、佐々木さん」

 我ながら気弱な声だなと思う。私と美月はわざわざライオンにちょっかいをかけに行く野ウサギのようで周りからは滑稽に見えたかもしれない。

 試合が終わって移動する人の足音や話し声でたくさんの音が響いていて私の小さな声は佐々木さんに聞こえなかったようだ。

 私はつい彼女の顔を横からのぞき込んでしまった。口紅とかアイラインとか化粧をしているのが分かる。でもそれは自分のもともとの素材の良さを活かすために考えられていてそれほど濃いものでもなく、美人な佐々木さん自身を際立たせている。  

 しかし、その目だけはミーティング中の真人君をまっすぐに私に向けるような冷たく威圧的な視線でとらえている。

「なんで……?」

 つい心の声を漏らしてしまった。何で今まで私に向けていたあまり気持ちの良いものではない視線を大好きな真人君にも向けているのだろう。私の声に気づいた佐々木さんがこちらを向いた。

「……春咲さん。どうしたの? そっちから声かけるなんて初めてじゃない?」

 緊張する。確かに今まで私から話しかけたことはなくて、真人君と仲良くなる前からもできるだけ避け続けていた。私に嫌な視線を向けていた人たちの中心人物だから。

 それでも私はきちんと話がしたい。確認したい。真人君に話して伊織が聞いたという、私と真人君が二人で初詣に行ったことを誰にも言わないということが本当なのか、本当ならばその意図を。

 美月と繋いでいる手に力が入る。美月は強く優しく握り返してくれた。

「あの、昨日真人君と話したこと、伊織から聞いて……私が、その、真人君と……」

 全部言い切ることができずに言葉が詰まってしまったが、佐々木さんは察してくれて、さっぱりとした口調で答えてくれた。

「誰にも言わないよ。真人君がね、春咲さんが皆に知られたくなさそうだから言わないでくれってお願いしてきたから、その通りにする。でも真人君と春咲さんがまだ付き合ってないなら、真人君の気が私に向くように私にできる最大限のことをする。問題ないよね?」

 強い人だなぁと思う。すらすらと自分の考えを相手に伝えることができて羨ましい。そこには今まで私が佐々木さんに抱いていた嫌悪感はなかった。

「……うん。ありがとう」

「いいけどさ、何で知られたくないの?真人君から誘われたんでしょ?私だったら絶対皆に自慢するのに」

「私みたいな地味で教室の端っこにいるようなのが皆の人気者の真人君と仲良くしてるなんて知られたら、何言われるか分からないし、何されるか……」

「そんなの言わせておけばいいのに」

 本当に強い人だ。私がずっとグダグダと悩んでいたことをたった一言で一蹴してしまった。

「私が気になるのは自分の好きな人からの評価だけだし、どうでもいい人がどう思っていようがどうでもいい。真人君がもし、真面目で大人しい子が好きならそういう風に変わるよ。まあそういう子が好きだってまだ確定したわけじゃないから今のところ私が好きな私でいるけど」

 そう言って佐々木さんは私の顔を見つめる。その視線に冷たさはない。

「まだ真人君から好きだって言われてないんでしょ?」

「うん」

「じゃあ私はまだ負けてない。最後まで諦めないから」

 佐々木さんは右手を差し出した。空いている右手でその手を握った。

「正々堂々、勝負だよ」

 そう言った佐々木さんの表情は、今までに私は見たことがなかった笑顔だった。心の中の色々な悪いものがすっと消えていくように私も自然と笑顔を返すことができた。

 すっかり佐々木さんに気を許した私はミーティングを終えて片付けに取り掛かり始めたバスケ部を待つ間、佐々木さんと話をすることにした。

「昨日もだけど、いつも一緒にいる大石さんたちはいないの?」

「んー? 真海(まりん)心愛(ここあ)愛楽(あいら)はね、真人君のこと好きって言ってるけどそこまで本気じゃないんだよ」

「どういうこと?」

 初詣のときの様子からして他の三人も佐々木さんと同じくらい真人君のことが好きなのかと思っていたけれど佐々木さんからすれば違うようだ。

「春咲さんも真人君のことが好きで、試合で頑張っているところを応援したいから見に来てるんでしょ? 私もそう」

「うん」

「普通はそうだと思うんだよね。他によっぽど大事な用事でもなければ好きな人が活躍するところ見に来たいのはあたりまえじゃん? しかも会場がいつも通ってる学校なんだから。でも私が試合見に行くよって言っても三人とも頑張れとかしか言わなくて一緒に行くって言わなかったんだよね。ライバル減ってよかったとか思ったけど、いざ来てみたら最大のライバルが出来ちゃったんだけどね」

 佐々木さんはまた私の顔を見つめて笑った。そして私の隣にいる美月にも目線を向ける。

「えっと、二組の……」

「あ、萩原、美月です」

 まだ少しだけ緊張気味の美月が佐々木さんの前で初めて言葉を発した。

「萩原さんもライバル?」

 声色は優しくて、表情もにこやかだけれど、こんなセリフをサラッと言える佐々木さんは本当に強いと感じる。

 美月は小動物のように体をプルプルと震わせ、目を潤ませながら首を振った。私と二人でいるときは私よりも元気で積極的でハキハキとしているので忘れていたが、基本的に美月は重度の人見知りだった。

 大好きな伊織と優しい人柄であることが分かっている上に私のために徹底的に分析した真人君は例外として、交流の少ない人が相手だといつもこうなる。

 美月が私の手をぎゅっと握ったので、私も握り返した。

「わ、私は……伊織君が好き」

「へえ」

 佐々木さんはまたもや私の顔を見つめる。

「春咲さん的にはいいの? 将来お姉ちゃんになっちゃうかもだよ?」 

 私の隣で「そんな、お姉ちゃんなんてまだ……」と美月が狼狽している。今頃美月の脳内では伊織との幸せな結婚生活が繰り広げられていることだろう。

「うん。むしろそうなって欲しい。他の人は嫌だ」

「あー伊織君狙いの子結構いたのに、妹の許可が出ないんじゃ皆脈なしかなー」

 冗談みたいにおどけて言う佐々木さん。美月もまだぎこちないけれど嬉しそうに笑っていて、私も嬉しくなった。昨日までの私は佐々木さんとこんなに穏やかな時間を過ごすことができるなんて思いもしなかった。

 見方を変えてくれた真人君と大丈夫だと保証してくれた伊織のおかげだ。

「あ、片付けも終わったみたい」

 しばらくして、冷たい視線でバスケ部の様子を見ていた佐々木さんが言った。

 もしかして佐々木さんの冷たくて威圧的な視線は不機嫌な感情を表していたり、相手に攻撃的な視線ではないのではないかと思った。ただそう見えてしまうだけなのではないか。

「……佐々木さんって、目、悪いの?」

 佐々木さんが目を丸くして私を見た。

「え? なんで分かった?」

「遠くのものを見るときとかじっと見つめるときとか、よく、なんて言うか視線が鋭くなるときがあるから……」

「え? まじ? もしかして今もやっちゃった?うわー恥ずい!」

 佐々木さんは手で両目を覆ってコートから目を背けた。

 佐々木さんは遠くのものとかを見るときに目を凝らそうとすると目つきが悪くなってしまうことは自覚していて、コンプレックスだったらしい。

「眼鏡とか、コンタクトは?」

「眼鏡は一応持ってるけど眼鏡かけた姿を見られるのが恥ずかしくて、まじでかけないと危ないとき以外はかけないようにしてる」

「じゃあコンタクトにしたら?」

「いや、無理でしょ。目に異物を入れるとか怖くて絶対無理。どんなに可愛くなるとしてもカラコンだけはしないって決めてるし」

 子どものように狼狽える佐々木さんは初めて見た。もう今さらのことだけれど佐々木さんも私たちと同じただの高校一年生なのだと実感する。

「でも目が悪いのに裸眼でいると余計に目が悪くなるって聞いたことがあるよ。眼鏡かけた方が良いよ」

 私のその発言に佐々木さんは急に復活して私の顔に自分の顔をぐっと近づけて、私の前髪に触れる。

「この前髪も、このままだと目が悪くなっちゃうんじゃないかな? 切っちゃうか、上げちゃうか、横にやってピンで留めるかした方が良いよ。昨日も言ったけど目、出した方が可愛い」

 反撃された。 

「それは私もちょっと思ってた。体育のときとか初詣のときの詩織、すごく可愛かったもん」

 追撃された。

「み、美月もそう思ってたの? でも恥ずかしいし、必要なとき以外は控えたいな……」

「でも二人とも目が見えなくなったら困るでしょ? 見えなくなったら周りの人に頼らないといけなくなって自分だけの問題じゃなくなるんだから」

 私と佐々木さん、二人そろって美月に叱られてしまった。本当にお姉ちゃんになったみたいだ。

 佐々木さんが意外と話しやすくて悪い人ではないと分かると美月の人見知りセンサーも緩まったようで、恥ずかしさをこらえて前髪をヘアピンでとめて目を出す私と丸っこいレンズの眼鏡をかける佐々木さん。二人で顔を見合わせた。

「やっぱそっちの方が可愛いよ、春咲さんは」

「佐々木さんこそ、眼鏡かけても変わらず美人だよ」

「なんだ、仲良くなったのか。良かったな」

 佐々木さんと顔を見合わせてにやにや笑い合っていると、荷物を持ってコートから出てきた伊織に声をかけられた。和やかに会話する私たちを見てどこか安心した表情で微笑んでいる。

「珍しいな、詩織が体育以外で前髪留めてるの。佐々木さんの眼鏡も初めて見たし、いったい何があったんだ?」

「別にたいしたことはないよ。美月がお姉ちゃんみたいだなって思っただけ」

「……はあ、まあ仲が良いなら何でもいいけど」

 伊織はそう言うと私と美月が繋いでいる手に視線をやった。

「そっちも相変わらず仲が良いんだな」

「まあね」

「美月さん、これからも詩織のことよろしく。どんくさい奴だけど悪い奴ではないから」

「そんな、どんくさいのは私も同じだし……」

 美月は嬉しくて、恥ずかしくて伊織の顔を見ることができずにうつむく。うつむきながらもにやけ顔になっているところがいじらしいが、私がどんくさいのは否定してくれないようだ。

 伊織の後に続いて真人君もやってきた。ユニフォームの上に上半身だけジャージを羽織っていて足が寒そうに見える。

「真人君、今日もめっちゃカッコよかったよ!」

 佐々木さんが真っ先に声をかける。私も負けていられない。

「あの、優勝おめでとう。お疲れ様」

「詩織さん、佐々木さんと萩原さんも、応援ありがとう。なんとか勝てたよ」

 久しぶりに面と向かって話した真人君は優しさの化身みたいに見える。さっきまであれだけ激しく動き回っていたというのに今はすっかり落ち着きがあって、穏やかで、暖かい。 

 佐々木さんの提案で何故か真人君と写真を撮ることになった。

「グイグイ行けるところ、すごいよね」

「うん。私なんて伊織君と話しただけでドキドキしちゃうのに」

「私もだよ。まだ全然慣れない」

 伊織は佐々木さんのスマホでジャージを脱いでユニフォーム姿になった真人君と佐々木さんのツーショット写真を撮影している。高身長でスタイルが良い美男美女カップルに見えて少しだけ心が痛む。

「ほら、次春咲さんだよ」

「う、うん」

「頑張れ詩織」

 スマホを伊織に渡して真人君の隣に並ぶ。佐々木さんと比べると、兄妹に見えるのではないかと不安になる。

「よーし撮るぞ。おい詩織、ちょっと離れすぎだもう少しくっつけ」

「詩織笑って。表情硬いよ」

「春咲さん、ピース」

 美月と佐々木さんも自分のスマホを構えて写真を撮ろうとしている。真人君はよく写真をお願いされるのか撮られ慣れているようで、かがんで私と同じ画角に入るように調整して自然な笑顔を見せている。

 対する私は美月とすらほとんど写真を撮ったことがないため、困惑しながらぎこちない笑顔とピースを作って写真に収まった。

「ほれ、後で真人にも送っとけよ」

「う、うん。ありがと」

 伊織からスマホを返してもらうと私はその場で写真を真人君に送った。真人君のスマホの中に私の写真があると思うと、なんだか照れくさくもあるけれど、嬉しくなった。

 そのとき私にあるアイディアが浮かぶ。

「ねえ伊織、私と美月の写真も撮って。ほら、美月こっち来て」

「は? 別にいいけど、何かの記念でもないし服も制服だし、いつでも撮れないか?」

「いいの。そういう気分だからお願い。あ、スマホしまっちゃったから伊織ので撮って送って」

「しょうがねえな……」

 伊織のスマホで美月とのツーショットを撮ってもらう。隣にいるのが美月になると真人君と撮ったときよりずいぶんと緊張はほぐれて自然と笑顔になれた。

 美月は伊織に撮られているということで少しだけ緊張しているようだったが、私が手を握ってあげるといつもの可愛い笑顔を見せてくれた。

 やがて私のスマホに伊織から写真が送られてくる。私はこれを待ち受け画面に設定することにした。真人君とのツーショット写真にするにはまだ勇気が足りない。

「ほら、美月にも送ってあげて。連絡先知ってるでしょ?」

「あ、ああ」

 伊織から写真付きのメッセージを受信した美月が控えめにお礼を言っている。伊織の言う通り、制服を着た私と美月の写真なんていつでも撮れるのだけれど伊織に撮ってもらうことに意味がある。

 これで伊織のスマホに美月の写真が保存された。伊織の性格上私が写っている写真を消すわけがないので、その写真は未来永劫残るはずだ。これで少しでも美月のことを意識してくれたら嬉しい。

 私の意図に気づいて恥ずかしそうに、密かに嬉しそうにしている美月はとても可愛らしい。