金曜日になった。今日からうちの学校のバスケ部用の体育館で大会が行われる。
最後の授業の半ばあたりから桜高校男子バスケ部の試合が行われるので放課後すぐに行けば見ることができるかもしれないが、落ち着いてきたとはいえまだまだ噂は完全に消えたわけではないため自重した方が良いと思っていた。
しかし佐々木さんを始めとした多くの女子生徒の懇願により、今日最後の授業である私の一組と美月の二組による体育の合同授業はバスケの試合見学となった。合法的に安全に真人君の試合を生で見ることができることになり、私の心は踊り出した。
「詩織、なんか嬉しそう」
バスケ部用の体育館の観客席で隣に座った美月に指摘された。
バスケットコート二つを取り囲むように二階部分に設置された観客席には一年一組と二組の女子が好き勝手に座っている。男子は別の体育館で普通に体育の授業をしているらしい。
二つのコートで男子の試合と女子の試合が同時進行しているが、女子生徒の大半は男子の試合が見えるところに座っている。女子の試合の方には女子バスケ部に仲の良い友達がいる人と試合を終えた他校のバスケ部員くらいしかいない。
私と美月は男子バスケ部を応援する大勢の女子生徒集団の端っこに座ることにした。二人でポツンといるよりも目立たないと思ったからだ。
試合開始を前に今はウォーミングアップが行われていて、真人君がシュートを決めるたびに黄色い歓声が上がる。皆席を立ってコートを見ている。
「真人くーん! こっち向いてー!」
誰かが大きな声で真人君のことを呼んだ。真人君が苦笑いしながらこちらの方を向く。そして私を一瞥してまたウォーミングアップに戻る。過度な声掛けはしないように体育の先生に注意されてしまった。
「今、詩織のこと見たよね。詩織すごく嬉しそう」
ついにやけてしまい頬を美月に指で突っつかれた。
体育のときはさすがに前髪が邪魔なのでヘアピンで留めていて、後ろの髪も縛っている。今日は運動しないとはいえジャージには着替えているしいつもの習慣で体育モードの髪にしている。
初詣のときの髪型は褒めてくれたけれど今の私はどう思っただろうか。可愛いと思ってくれているだろうか。
試合が始まった。事前に伊織に聞いていた話では今日の相手はあまり強い相手ではないらしく、真人君はある程度点差がついたらベンチに引っ込んで再出場もしないかもしれないとのことだった。
だから最初からしっかりと見なければならない。真人君のプレーを少しでも長く見て、記憶に刻み込みたい。
試合開始のジャンプボールでしっかりボールを確保した桜高校は早速真人君にボールを回す。瞬発力は劣っていて、ドリブルはそんなに上手くないと自称していた真人君だがあっという間に相手のディフェンスをすり抜けてゴール下までたどり着いた。
そしてその勢いのまま高く跳び上がりゴールのリングよりもずいぶんと高い位置からボールをゴールに叩きつけた。
試合開始五秒足らずの出来事だった。黄色い大歓声が上がる。観客席の皆は大興奮だ。
私も当然興奮しているけれど、すごいプレーが見られたという皆と同じ興奮ではない。
初詣の日、私は軽い気持ちでダンクシュートが見たいなんて言って真人君は見せてくれた。試合ではあまりやらないと言いつつも私が試合を見に行くと言うとダンクも決めちゃうなんて言って、今、決めてくれた。
その行為の意味をきっと私だけが知っている。真人君は私と話したから、私のためにダンクシュートをしたのだ。どうしようもなく心臓が高鳴る。体が震えるくらいに興奮して私も立ち上がった。
自陣に戻ろうとする真人君が私の方を見て笑顔を見せた。私だけに笑顔を見せた。
その後も桜高校が優勢のまま試合は進む。第一クォーター終了まであと五秒というところで相手チームが今日二本目のシュートを決めて五十対四となった。正確には数えていないけれど桜高校の五十点のうち三十点くらいは真人君による得点で、真人君は今日一度もシュートを外していないことは確かだ。
残り五秒で桜高校のスローインから試合が再開される。あと五秒では何も起きないだろうと観客席の誰しもがたかをくくっていた。
リング下にいる選手から真人君にボールが渡り、真人君は数歩ドリブルで進み、コートの真ん中辺りまで到達するとその場からシュートを放った。高い放物線を描いてリングに向かって行く。
地下のコートと違って天井を心配する必要はない。ボールが宙に舞っている間は時間が止まったように何の音も聞こえない。誰もが息を飲み見守ったボールはリングに当たることすらせず、スパッというネットを通過する小さな音だけを残して地面に落ちた。
同時に第一クォーター終了の合図となるブザーが鳴り響いた。
その後に鳴り響く拍手と歓声。私も他の人たちと同じように観客席の前の方に乗り出して拍手をしていた。ベンチに引き上げていく真人君は普段あまり見せない、優越感と言うか自慢に満ちたような顔で私の方を見た。
これもきっと狙っていたんだ。時間ぎりぎりになったら遠くからシュートを放つつもりで心の準備をしていたに違いない。
「桜君、やばいね」
「うん、すごい。ほんとにすごい……すごすぎるよ」
言葉にならない。とにかくすごくてカッコよくて愛おしい。
今の私は美月に言わせれば恋する乙女の表情をしているようだ。確かに顔も熱いし口角が上がっている自覚はあるし、ドキドキしているし、どうしようもないくらい心の中がむずむずする。
第二クォーターでは真人君は試合に出場しなかった。観客のボルテージは若干落ちたもののもともとバスケ部には真人君以外にも人気者はたくさんいるので盛り上がり自体は継続している。私と美月は座席に戻って大人しく観戦していた。
真人君がいなくても桜高校の強さは圧倒的で第二クォーター、続く第三クォーター終了時には百三十対十二の大差をつけていた。ここまでくるとさすがに相手が可哀そうにもなっていて観客席の皆も相手がたまにシュートを決めても歓声が上がるようになっていた。
最後の第四クォーターが残り二分となったとき第一クォーターぶりに真人君が出場した。観客席は大盛り上がりでスターの再臨を喜ぶ。
私も今日最後の雄姿を目に焼き付けようと再び席を立って一人で観客席の前方に乗り出す。真人君の一挙手一投足に湧き上がる観客席。私も相違なく興奮して幸せな二分間を過ごした。
百七十三対十八で試合が終わる。挨拶を終えた真人君は相手校の選手からも握手を求められ、にこやかに対応している。相手にとっても真人君は間違いなくスターなのだ。そして男子バスケ部の面々は観客席の私たちに向かって横一列に並んで礼をする。観客席の女子生徒たちはもう何度目か分からない拍手と歓声で勝利と健闘を称えた。
「真人くーん!」
観客席の皆が手を振っている。それに応えて真人君も小さく手を振り返すと皆キャーキャー言って嬉しそうだ。
真人君が観客席の下に入り見えないところに行ってしまう寸前、今まで拍手しかしていなかった私も勇気を振り絞って控え目に手を振ってみた。それに気づいた真人君は満面の笑みで大きく手を振り返し、見えなくなった。
ほんの一瞬のことだった。でも先ほどまでとは全然違う対応に観客席にいた全員の視線が私に集まる。今、美月は座席に座っていて私は一人だ。
「え? 真人君最後にあの子に手、振ってた?」
「誰? あの子」
「あれだよ一組の、伊織君の双子の妹」
「あー勉強できる子だ」
「あんな顔だったっけ? もっと暗かった気がするけど」
「いっつも前髪下ろしてなかった?」
二組の人たちがざわざわと私のことを話している。一組の人たちは無言で私を見つめる。
失敗した。つい興奮して、目立つことをしてはいけないと思っていたのに最後の最後にやってしまった。さっきまでは良い意味でのドキドキだったのに今度は悪い意味でドキドキする。
冬なのに、運動なんてしていないのに嫌な汗が出てくる。皆の視線から逃れる場所がない。日陰者の私が真人君と一緒に初詣に行っていたなんて知られたら何を言われるか、何をされるか、その恐怖で私はうつむくことしかできない。
「何してんの? お前」
聞き慣れた少しぶっきらぼうな声が私の後ろからした。
「え? ……い、伊織?」
振り返ると伊織が立っていた。バスケ部の名前が入ったジャージを着て、大きなビニールのゴミ袋を持っている。ゴミはペットボトルが一本と丸めたティッシュが一つ入っているだけだ。
「なんでここに?」
「今日の試合これで終わりだからな。ベンチに入っていない面子は最後に観客席のゴミ拾いすることになってたんだ。試合は勝ち確だったから試合見ないでちょっと早めに始めてた」
周りを見渡すと確かに観客席の他の場所でも伊織と同じジャージを着た人がゴミ袋を持って歩き回っている。
「まあ今日は観客少ないからほとんどゴミなんて落ちてなかったけど」
伊織はこの一連の出来事に気づいていないようで、うつむいている私を心底おかしなやつを見るような目で見てくる。
「伊織君じゃん」
「てかあの子じゃなくて伊織君に手、振ってたんじゃない?」
「確かに伊織君と真人君って仲良いもんね」
「双子で何話してるんだろ、夕飯の話とかかな?」
「やだー可愛い」
伊織の登場のおかげで私への疑惑の視線が減っていく。そして体育の先生から解散の指示が出て、皆教室へと戻り出す。伊織のおかげで助かった。
「なんでもない。ありがと」
伊織にそれだけ言って私も教室へ戻るためと出入口の方へ向かおうとすると、最後に二つだけ視線を感じた。いつもの佐々木さんの冷たい視線ともう一つは知らない子のもの。おそらく二組の子だろう。
私が視線を合わせるといつものように佐々木さんはすぐに目をそらして出入口に向かって行ってしまったが、もう一人の子は私と目が合ってもしばらく私の顔を見つめていた。
私ではなく近くにいた伊織のことを見つめているのかとも思ったが、伊織は私のそばを離れてなんと美月と話をしているので違う。その子の視線に耐えきれなくなって私の方から目をそらした。
「どうしよう詩織。ゴミ拾って伊織君に渡したらありがとうって言われちゃった。それにベンチ入りできるように頑張ってって応援もしちゃった」
頬を染めながら嬉しそうに報告してくる美月と一緒に教室に戻った。
教室では私の話題は特にない。佐々木さんが私を見つめてくるのはよくあることなので気にしてもしょうがない。それよりも気になるのは二組の人だ。話したことは当然ないし、数学の授業も別なので名前も知らない。
帰りに美月に聞いてみたが、髪は短くて身長は私よりも少し高いくらいしか特徴を覚えていなかったので分からないとのことだった。
二組にはバレーボール部やソフトボール部の人が多くて該当する人がたくさんいるらしい。それ以上は考えても仕方がなかったので真人君や伊織のこと、明日も一緒に試合を見に行くことを約束して別れた。
最後の授業の半ばあたりから桜高校男子バスケ部の試合が行われるので放課後すぐに行けば見ることができるかもしれないが、落ち着いてきたとはいえまだまだ噂は完全に消えたわけではないため自重した方が良いと思っていた。
しかし佐々木さんを始めとした多くの女子生徒の懇願により、今日最後の授業である私の一組と美月の二組による体育の合同授業はバスケの試合見学となった。合法的に安全に真人君の試合を生で見ることができることになり、私の心は踊り出した。
「詩織、なんか嬉しそう」
バスケ部用の体育館の観客席で隣に座った美月に指摘された。
バスケットコート二つを取り囲むように二階部分に設置された観客席には一年一組と二組の女子が好き勝手に座っている。男子は別の体育館で普通に体育の授業をしているらしい。
二つのコートで男子の試合と女子の試合が同時進行しているが、女子生徒の大半は男子の試合が見えるところに座っている。女子の試合の方には女子バスケ部に仲の良い友達がいる人と試合を終えた他校のバスケ部員くらいしかいない。
私と美月は男子バスケ部を応援する大勢の女子生徒集団の端っこに座ることにした。二人でポツンといるよりも目立たないと思ったからだ。
試合開始を前に今はウォーミングアップが行われていて、真人君がシュートを決めるたびに黄色い歓声が上がる。皆席を立ってコートを見ている。
「真人くーん! こっち向いてー!」
誰かが大きな声で真人君のことを呼んだ。真人君が苦笑いしながらこちらの方を向く。そして私を一瞥してまたウォーミングアップに戻る。過度な声掛けはしないように体育の先生に注意されてしまった。
「今、詩織のこと見たよね。詩織すごく嬉しそう」
ついにやけてしまい頬を美月に指で突っつかれた。
体育のときはさすがに前髪が邪魔なのでヘアピンで留めていて、後ろの髪も縛っている。今日は運動しないとはいえジャージには着替えているしいつもの習慣で体育モードの髪にしている。
初詣のときの髪型は褒めてくれたけれど今の私はどう思っただろうか。可愛いと思ってくれているだろうか。
試合が始まった。事前に伊織に聞いていた話では今日の相手はあまり強い相手ではないらしく、真人君はある程度点差がついたらベンチに引っ込んで再出場もしないかもしれないとのことだった。
だから最初からしっかりと見なければならない。真人君のプレーを少しでも長く見て、記憶に刻み込みたい。
試合開始のジャンプボールでしっかりボールを確保した桜高校は早速真人君にボールを回す。瞬発力は劣っていて、ドリブルはそんなに上手くないと自称していた真人君だがあっという間に相手のディフェンスをすり抜けてゴール下までたどり着いた。
そしてその勢いのまま高く跳び上がりゴールのリングよりもずいぶんと高い位置からボールをゴールに叩きつけた。
試合開始五秒足らずの出来事だった。黄色い大歓声が上がる。観客席の皆は大興奮だ。
私も当然興奮しているけれど、すごいプレーが見られたという皆と同じ興奮ではない。
初詣の日、私は軽い気持ちでダンクシュートが見たいなんて言って真人君は見せてくれた。試合ではあまりやらないと言いつつも私が試合を見に行くと言うとダンクも決めちゃうなんて言って、今、決めてくれた。
その行為の意味をきっと私だけが知っている。真人君は私と話したから、私のためにダンクシュートをしたのだ。どうしようもなく心臓が高鳴る。体が震えるくらいに興奮して私も立ち上がった。
自陣に戻ろうとする真人君が私の方を見て笑顔を見せた。私だけに笑顔を見せた。
その後も桜高校が優勢のまま試合は進む。第一クォーター終了まであと五秒というところで相手チームが今日二本目のシュートを決めて五十対四となった。正確には数えていないけれど桜高校の五十点のうち三十点くらいは真人君による得点で、真人君は今日一度もシュートを外していないことは確かだ。
残り五秒で桜高校のスローインから試合が再開される。あと五秒では何も起きないだろうと観客席の誰しもがたかをくくっていた。
リング下にいる選手から真人君にボールが渡り、真人君は数歩ドリブルで進み、コートの真ん中辺りまで到達するとその場からシュートを放った。高い放物線を描いてリングに向かって行く。
地下のコートと違って天井を心配する必要はない。ボールが宙に舞っている間は時間が止まったように何の音も聞こえない。誰もが息を飲み見守ったボールはリングに当たることすらせず、スパッというネットを通過する小さな音だけを残して地面に落ちた。
同時に第一クォーター終了の合図となるブザーが鳴り響いた。
その後に鳴り響く拍手と歓声。私も他の人たちと同じように観客席の前の方に乗り出して拍手をしていた。ベンチに引き上げていく真人君は普段あまり見せない、優越感と言うか自慢に満ちたような顔で私の方を見た。
これもきっと狙っていたんだ。時間ぎりぎりになったら遠くからシュートを放つつもりで心の準備をしていたに違いない。
「桜君、やばいね」
「うん、すごい。ほんとにすごい……すごすぎるよ」
言葉にならない。とにかくすごくてカッコよくて愛おしい。
今の私は美月に言わせれば恋する乙女の表情をしているようだ。確かに顔も熱いし口角が上がっている自覚はあるし、ドキドキしているし、どうしようもないくらい心の中がむずむずする。
第二クォーターでは真人君は試合に出場しなかった。観客のボルテージは若干落ちたもののもともとバスケ部には真人君以外にも人気者はたくさんいるので盛り上がり自体は継続している。私と美月は座席に戻って大人しく観戦していた。
真人君がいなくても桜高校の強さは圧倒的で第二クォーター、続く第三クォーター終了時には百三十対十二の大差をつけていた。ここまでくるとさすがに相手が可哀そうにもなっていて観客席の皆も相手がたまにシュートを決めても歓声が上がるようになっていた。
最後の第四クォーターが残り二分となったとき第一クォーターぶりに真人君が出場した。観客席は大盛り上がりでスターの再臨を喜ぶ。
私も今日最後の雄姿を目に焼き付けようと再び席を立って一人で観客席の前方に乗り出す。真人君の一挙手一投足に湧き上がる観客席。私も相違なく興奮して幸せな二分間を過ごした。
百七十三対十八で試合が終わる。挨拶を終えた真人君は相手校の選手からも握手を求められ、にこやかに対応している。相手にとっても真人君は間違いなくスターなのだ。そして男子バスケ部の面々は観客席の私たちに向かって横一列に並んで礼をする。観客席の女子生徒たちはもう何度目か分からない拍手と歓声で勝利と健闘を称えた。
「真人くーん!」
観客席の皆が手を振っている。それに応えて真人君も小さく手を振り返すと皆キャーキャー言って嬉しそうだ。
真人君が観客席の下に入り見えないところに行ってしまう寸前、今まで拍手しかしていなかった私も勇気を振り絞って控え目に手を振ってみた。それに気づいた真人君は満面の笑みで大きく手を振り返し、見えなくなった。
ほんの一瞬のことだった。でも先ほどまでとは全然違う対応に観客席にいた全員の視線が私に集まる。今、美月は座席に座っていて私は一人だ。
「え? 真人君最後にあの子に手、振ってた?」
「誰? あの子」
「あれだよ一組の、伊織君の双子の妹」
「あー勉強できる子だ」
「あんな顔だったっけ? もっと暗かった気がするけど」
「いっつも前髪下ろしてなかった?」
二組の人たちがざわざわと私のことを話している。一組の人たちは無言で私を見つめる。
失敗した。つい興奮して、目立つことをしてはいけないと思っていたのに最後の最後にやってしまった。さっきまでは良い意味でのドキドキだったのに今度は悪い意味でドキドキする。
冬なのに、運動なんてしていないのに嫌な汗が出てくる。皆の視線から逃れる場所がない。日陰者の私が真人君と一緒に初詣に行っていたなんて知られたら何を言われるか、何をされるか、その恐怖で私はうつむくことしかできない。
「何してんの? お前」
聞き慣れた少しぶっきらぼうな声が私の後ろからした。
「え? ……い、伊織?」
振り返ると伊織が立っていた。バスケ部の名前が入ったジャージを着て、大きなビニールのゴミ袋を持っている。ゴミはペットボトルが一本と丸めたティッシュが一つ入っているだけだ。
「なんでここに?」
「今日の試合これで終わりだからな。ベンチに入っていない面子は最後に観客席のゴミ拾いすることになってたんだ。試合は勝ち確だったから試合見ないでちょっと早めに始めてた」
周りを見渡すと確かに観客席の他の場所でも伊織と同じジャージを着た人がゴミ袋を持って歩き回っている。
「まあ今日は観客少ないからほとんどゴミなんて落ちてなかったけど」
伊織はこの一連の出来事に気づいていないようで、うつむいている私を心底おかしなやつを見るような目で見てくる。
「伊織君じゃん」
「てかあの子じゃなくて伊織君に手、振ってたんじゃない?」
「確かに伊織君と真人君って仲良いもんね」
「双子で何話してるんだろ、夕飯の話とかかな?」
「やだー可愛い」
伊織の登場のおかげで私への疑惑の視線が減っていく。そして体育の先生から解散の指示が出て、皆教室へと戻り出す。伊織のおかげで助かった。
「なんでもない。ありがと」
伊織にそれだけ言って私も教室へ戻るためと出入口の方へ向かおうとすると、最後に二つだけ視線を感じた。いつもの佐々木さんの冷たい視線ともう一つは知らない子のもの。おそらく二組の子だろう。
私が視線を合わせるといつものように佐々木さんはすぐに目をそらして出入口に向かって行ってしまったが、もう一人の子は私と目が合ってもしばらく私の顔を見つめていた。
私ではなく近くにいた伊織のことを見つめているのかとも思ったが、伊織は私のそばを離れてなんと美月と話をしているので違う。その子の視線に耐えきれなくなって私の方から目をそらした。
「どうしよう詩織。ゴミ拾って伊織君に渡したらありがとうって言われちゃった。それにベンチ入りできるように頑張ってって応援もしちゃった」
頬を染めながら嬉しそうに報告してくる美月と一緒に教室に戻った。
教室では私の話題は特にない。佐々木さんが私を見つめてくるのはよくあることなので気にしてもしょうがない。それよりも気になるのは二組の人だ。話したことは当然ないし、数学の授業も別なので名前も知らない。
帰りに美月に聞いてみたが、髪は短くて身長は私よりも少し高いくらいしか特徴を覚えていなかったので分からないとのことだった。
二組にはバレーボール部やソフトボール部の人が多くて該当する人がたくさんいるらしい。それ以上は考えても仕方がなかったので真人君や伊織のこと、明日も一緒に試合を見に行くことを約束して別れた。