その後の数学と英語はリラックスして受けることができた。

 リラックスしていたから全部解けたという訳もなく、数学の各大問の最後の方の小問には手が付けられていないものがほとんどだし、英語はなんとなくそれっぽいことを書いただけのものもある。

 それなりに勉強したとはいえまだまだ本気になったばかり、結果に結びつくのはまだ先のことだろう。それは美月も同じのようで、最後の英語が終わって解答用紙が回収されるととても渋い顔をしていた。多分伊織には見せられない。

「来週の土日が共通テストなんだよね。つまり二年後の来週、あと七百四十日くらいで私たちの本番」

 美月にいつもの元気の良さがなく、椅子に座りながら精気を失っている。どうやら力を使い果たしたようだ。

「美月、大丈夫?」

「……詩織が伊織君の情報をもっとくれたら元気出るかも」

「え?」

 驚いたのは私ではなく振り返って私たちの方を見ていた真人君だ。

「あ、いやーあのー、えへへ」

 美月は真人君に聞かれたことに気づき誤魔化そうとしたが何も思いつかなかったようで苦笑いすることしかできない。真人君はバツが悪そうに、とても申し訳なさそうに言った。

「えっと萩原さん、だよね。ごめん、あんまり聞いちゃいけなさそうなこと聞いちゃって」

「私の苗字、間違えなかった……詩織、やっぱり桜君すごく良い人だ」

「そこ感動するところなの? そんなことより真人君、今のは別に深い意味はなくて……」

「待って詩織」

 美月は私の顔を強引に自分の方に寄せて、真人君に聞こえないように小声で話す。

「伊織君は桜君と詩織の仲を取り持とうと色々してくれてるんだよね? もちろん私も協力する。詩織は私と伊織君の仲を応援してくれる。この際桜君にも協力してもらおうよ。目指せダブルデート作戦。どう?」

「えー? 協力は別に良いと思うけど、伊織と一緒に遊びに行くの?なんかやだなぁ」

「でもでも、詩織のお父さん、男の子と二人っきりで遊びに行くなんてことになったら面倒くさいって言ってなかった? 伊織君も一緒ならお父さんも安心だよ」

 確かに初詣のときもちょっと面倒くさかったし、夕飯前に帰ってきたのに伊織のフォローがなかったらもっと面倒くさいことになるかもしれなかった。そう考えると伊織が一緒の方が都合が良いかもしれない。

 遊びに行ったら二組に分かれれば良いし、たまには男同士、女同士でペアになるのも良い。真人君との一番の共通の話題は伊織だったりするし、出発と帰宅のときに伊織と一緒にいれば良いと考えたら有りだ。

「よし、乗った」

「ありがと」

 私たちはそろって真人君の方に向き直る。それを見た真人君はわざわざ椅子の向きまで変えて良い姿勢で私たちと向き合った。

「あの、二人ともどうしたの?」

「真人君、驚かないで聞いて欲しいんだけど」

「私、実は伊織君のことが好きなの」

「えっ! ……おっと」

 真人君は一瞬大声を出しかけたものの何とか両手で口を押さえて声を封じ込めて目をぱちくりさせた。こんな反応もするのかと、また新たな一面を見ることができた。周りの人たちはこちらを気にすることなく教室から退室を始めている。

「ご、ごめん。それで萩原さん、ほんとに伊織のこと……」

「うん。だからもし桜君が嫌じゃなかったら、出来る範囲で構わないから協力してくれるとありがたいんだけど、どうかな? 男の子同士だと詩織でも知らないようなこと知ってるかもしれないし……」

 美月は真人君の方に顔を寄せて何やら耳打ちした。真人君は驚いたような照れたような顔をして頷いた。いったい何の話をしたのだろうか。

「じゃあ俺午後から部活に行くから。聞けそうなタイミングがあったら伊織には色々聞いておくよ」

 そう言って真人君は立ち上がり鞄を背負った。そして私の方をもう一度椅子に座り直し、私と目線を合わせる。 

「来週の金土日で新人戦の県大会があるんだ。うちの学校が会場になるから、もし時間があったら見に来ない?」

「うん、行く。楽しみにしてるね」

「私も、あの伊織君は……?」

 真人君は少し渋い顔をして答える。

「うちは部員も多いからなかなか難しいみたい。ベンチ入りしてもおかしくない力はあると思うんだけどね。いつも一番早く来て誰よりも真剣に練習してるし、ドリブルとかは俺よりも上手いし」

「そっか、ちょっと残念……」

 伊織も頑張っているけれど皆も頑張っているのだからそれは仕方がないことだ。頑張ってもすぐに結果に結びつくとは限らないことは私でも分かる。それでもいつかは公式戦で伊織と真人君が同じコートでプレーをしているところを見てみたい。

「じゃあそろそろ行くね。良いところ見せられるように頑張るよ」

 教室を出る真人君を見送った。他の人たちもすでに帰っていて残っているのは私と美月だけになっていた。

「詩織って桜君のこと好きだよね?」

「うん」

「わっ素直で可愛い。それで桜君も詩織のこと好きだよね?」

「それは……」

 二人きりで初詣に誘ったり、手を繋ぐことを拒否しなかったり、家に連れて行ったり、自分の出る試合の観戦に誘ったり、好きでもない相手にはしないよな、とは思う。

 でも私は真人君が私のことをどう思っているかを一度も聞いていない。好きか嫌いかで言うと好きだと思われている自信はある。

 でも誰よりも好きだと思われているか自信はあるかと問われれば、そう思いたい気持ちと、直接聞いていない以上不安になる気持ちの両方があるという答えになる。

「私のこと好きだったらいいなぁって感じ」

「謙遜しちゃって。いいなぁ両想い。いつ告るの?それとも告られ待ち?」

「まだ考えてないよ。おみくじ引いたら気持ちを伝えるのはタイミングを見極めろって書いてあったからどうするか迷っちゃって」

「でも桜君超人気者だから狙ってる人多いし、ぼーっとしてたら取られちゃうかもよ」

「そう、だよね……」

 初詣のときの佐々木さんや大石さんたちを思い出した。真人君があの人たちになびくとは到底思えなかったけれど他にも真人君と付き合いたいと考えている女子は大勢いるはずだ。

 多分告白とかいっぱいされているはずだし、私が真人君の気持ちを知らない以上は安心してタイミングを待っている余裕はない。

「よし、その辺の話と初詣デートの詳細と伊織君の話するためにどこかにお昼食べに行こ。頭使ったからエネルギー補給しないと、良い考えなんて浮かばないよ」