「詩織さん」

 ゴールに向かってぴょんぴょんしているときに名前を呼ばれ、ハッとして出入り口の方を見るとジャージに着替えてバスケットボールを持った真人君が立っていた。

「あ、あの、これは」

 恥ずかしい。顔から火が出るとはこのことだと言うくらいに恥ずかしい。

「ど、どこから見てた?」

 真人君から顔を背けながら聞いた。

「えっと、コートの端からゴールを見てるところから」

 さすが男の子は着替えが速い。私が床や空調を見て回っている時間であっという間に準備を終えてしまっていたのか。早く声をかけてくれればよかったのにとも思ったが、次の一言で許した。

「ごめん。ぴょんぴょんしてる姿が可愛くて、ちょっと見てた」

 私が照れているのを必死に隠しながら出入り口付近の真人君のそばに戻る頃には真人君は準備運動を始めていた。

「今年最初のバスケだからどうしよっかな」

 バスケモードに入った真人君はさっきまでの穏やかで優しい雰囲気はに加えて自信に満ち溢れている。本当にバスケが好きで、得意で、自信がある。上手なのはもちろん、ここまで本気になれるものがあることがすごいと思う。

「何か見たいプレーとかある?」

 ボールを右手の人差し指の上で回転させながら真人君が聞いた。左手でも人差し指を立てて私に向けるので私も自分の右の人差し指を立ててみると、真人君がボールを回転させている方の指を近づけてきた。

 恐る恐る自分の指を近づけるとお互いの指の腹の部分が触れ合った。その初めての感触に私が驚いている間に、真人君は自分の指の上で回転させていたボール私の指の上に移動させた。

「おぉ」

 つい声が漏れた。昔伊織がやっているのを見て私もやらせてもらったことがあるが全然回せなかった悔しい思い出があったので、まさか自分ができるようになるなんてという感動が訪れた。

 とはいえ私では回転を安定させて長引かせることはできずにバランスを崩したボールは床に落ち、バウンドして私の手に当たろうかという直前に真人君がボールを捕まえた。

「まあこれができても試合にはあんまり役立たないけどね」

 そう言って真人君はゆっくりとその場でドリブルを始める。体育の授業で私がやっても、すぐにボールが勝手にどこかに行ってしまっていたのに真人君がやるとボールの方が真人君の手に向かってきているみたいに見える。

 ほんの少しの動きでも真人君がボールを手足のように操ることができる人なのだということが分かる。

「真人君って毎日練習してるの? 休んだりとかしない?」

「うん、基本的には毎日やるよ。部活がない日は体を休めるのも大事だからちょっとだけにするけど、ボールを触らない日はないかな。あ、インフルエンザになって寝込んでたときもボールに触ろうとして母さんに怒られたときもあったっけ」 

 そう言いながら真人君はコートに入って行った。試合の映像は斜め上くらいからの目線でコートを広く見渡せた。今のように真横から見るとより臨場感が伝わるような気がする。

「私、ダンクシュートが見てみたい」

「お、ダンクね、了解」

 そう言って真人君はドリブルをしながらゴールに向けて走り出し、ゴール下で大きく飛び上がり、ゴールのリングをゆうに超す高さからボールをゴールに叩き入れた。
 漫画でしか見たことがないその迫力に私は圧倒され、おそらく目を輝かせ、拍手をしていた。

 照れながら真人君が戻ってくる。

「すごい、すごい。カッコいい!」

「はは、ありがとう。新年初シュートがダンクとは思わなかったけど詩織さんの前で綺麗に決められて良かった」

「ね、ダンクだとほぼ確実に決まるような気がするんだけどどうして全部ダンクにしないの?」 

 私の素人質問に真人君は苦笑いをしながら答えてくれた。

「実はダンクって確実じゃないんだよ。相手のディフェンスがいたらリングまで近づくのも難しいし、無理に行こうとして相手にぶつかったらファールになっちゃうし、片手でやろうとするとミスるときもあるからね。それに普通より高く跳ぶから怪我の危険性もある。リングに手をぶつけて怪我した人もいた。でもシュートしたボールを相手にはじかれる危険がないから身長の高い人が集まるような試合だと結構やる人はいるかな。ってな訳で俺は出来てもあんまりやらないんだ」

「そうなんだ、ちょっと残念。派手でカッコいいんだけど……」

「カッコいいのは俺も同意。初めて出来たときの感動ったらもうすごかったよ。中三の頃だったけどダンクばっかりやろうとして監督に怒られた」

 バスケのことを語る真人君は目が輝いていてとても楽しそうだ。怒られたという思い出さえも楽しんでいる。私も楽しくなって次はコートの真ん中、この地下の半面コートでは端っこからのシュートをリクエストした。

 真人君はコートの端っこに立って軽くドリブルをしながらゴールを見つめる。そしてボールを手に持って構え、再びゴールを見つめた。ゴールとの距離、シュートを打つ角度などを過去の経験と照らし合わせて計っているのだろう。

 真人君の手から放たれたボールは綺麗な放物線を描いてゴールに向かって行く。体育館よりも低い地下室の天井にぶつかりそうになりヒヤッとしたがぶつかることなく放物線の頂点部分を通過し、リングにすら当たることなくゴールに入った。

 スパッというネットを通過する小さな音だけを残しボールは地面に落ちた。

「やった!」

 真人君が大きな声をあげて喜んでいる。

「詩織さん、見た? こんなところから一発で決められるなんて思ってなかった。やべぇ超嬉しい」

 私のもとに来て嬉しさを爆発させる真人君はすぐにボールを拾いに行って色々な場所からシュートを打ち始める。近くからも遠くからも合わせて十回ほど打ったがすべて成功していた。

 詳しいことは分からないけれど真人君のシュートフォームは綺麗だと思う。動きに無駄がなくて、余計な力が入っていなくて、シルエットが美しい。

 試合を見てバスケは熱いスポーツだというのは感じたが、真人君の姿を見ると美しいスポーツだと感じる。特に私は遠くから打つシュートのときのフォームとボールの描く放物線が好きだ。

 さらに連続で十本のシュートを成功させて真人君が戻ってきた。

「すごい。二十回くらい連続でシュート決めてたね」

「まあディフェンスのいないときのシュートは確実に決めないとね。でもスリーポイントとか角度がきついところからのシュートとかも全部決まったのはちょっとできすぎかも。もしかしたら詩織さんが見ててくれたからかも、なんて……」

「じゃあ、これからできるだけ試合見に行くね。そしたら真人君もっとシュート決められる?」

「はは、頑張ります。ダンクも決めちゃうよ。遠くからだって決めてやる」

 試合を見るまでバスケに興味なんてなかった。伊織がやっているからって、昔好きだった真人君がやっていると知ったからってバスケの試合を見ようとも思わなかった。

 それなのに今は早く試合が見たくて仕方ない。一度見てしまっただけで私はその魅力に取りつかれた。その要因は間違いなく真人君で、真人君は私にとって一番のスター選手だ。

 それから私は真人君にドリブルやシュートを少し教えてもらって次の体育の授業での活躍を誓った。真人君は素人の私にも分かりやすい言葉や動きを用いてとても優しく教えてくれた。

 真人君はきっとすごい選手になって何年もプロとして活躍するはずだ。でもいつかは引退のときが来て、そうしたら指導者になるのかなと思う。こんなに優しく分かりやすく教えてくれる真人君に指導してもらえる未来の選手たちを羨ましく思う。

 私が教えてもらった後は再び真人君の練習を見守って、私はそのプレーの一つ一つに感動して、興奮して、幸せだった。時間はあっという間だった。

 もうすぐ帰らないといけない時間だと真人君に伝えると送ってくれることになった。


 私の家の近くまで来て、私は美月と決めた作戦の最後の一つを実行していないことを思い出した。次のお誘いをしないといけない。

「あ、真人君この辺で大丈夫。送ってくれてありがとう」

「うん」

 真人君は寂しげに次の言葉を言うこともなく立ち尽くす。今思っていることが私と同じだったら嬉しい。

 私は精一杯の勇気を振り絞って、思いを言葉にして伝えた。

「また、一緒にどこか行きたいな」

 真人君の顔がパッと明るくなった。普段は大人っぽいのにたまに見せる子どもっぽい表情がとても可愛い。つられて私も笑顔になってしまう不思議な力がある。

「いいの? 今日だけじゃなくてこれからも誘っていい?」

「うん。真人君は部活で忙しいでしょ? 私は部活ないし休日に友達と遊びに行くとかもそんなにしないからいつでも大丈夫だから、真人君の都合の良いときに誘ってくれると嬉しい」

「分かった。二月頭まで大会があってそれまではあんまり休みとかないかもだけど、その後なら少しは時間ありそうだから」

「うん、楽しみにしてるね。あと、これ」

 私は神社で買っておいたお守りを真人君に渡した。これからもバスケを頑張って試合で活躍して欲しいという願いと、少しでも今日のことを思い出してくれたらという願いも込めて。

「……必勝祈願。ありがとう、絶対勝てる気がするよ」

 真人君はお守りをじっと見つめた後、手の中にギュッと握りしめた。愛おしそうに大切にする姿が見れただけで私は嬉しくなる。

「それじゃあ、またね」

 別れを惜しみながらそれぞれの帰路に分かれる。

 次の機会が待ち遠しい。伊織が帰ってきたら部活の休みの日を聞いて私から誘うのもいいかもしれない。

 伊織なら真人君がバスケ以外に好きなこととか知っているかもしれないからそれも聞こう。伊織へのお土産も買ってきたしきっと教えてくれるだろう。