この町では、教室の窓からも、道を歩いていても、どこにいても遠くにうっすらと山が見渡せる。
 もちろん、僕の部屋の窓からも。

 天気が悪い日は見えづらいけれど、そんな日はたまにしかないから、昼間は山の上に建っている天文台までくっきり見通すことができる。

 僕の父さんは、天文台の所長をしている。
 うちは父さんとばあちゃんと僕の3人暮らしだけれど、父さんは天文台に泊まり込んでいて、ほとんど天文台が家みたいになっている。家には月に何度か帰ってくるけれど、昼間はほとんど寝ているから最近はあまり話すこともなくなった。

 幼い頃から、父さんがする話といえば、星の話ばかりだった。分厚い星の図鑑が絵本代わりだったし、夜に散歩に行くと、空の端から端まで見える星座を全部説明するのだ。

 おかげで僕は季節の変化を星座で覚え、八十八星座をそらで言えるようになった。いちばん好き星座はうみへび座だった。うみへび座は春の星座で、八十八星座の中で最も大きい星座だ。

 ギリシャ神話では水ヘビの怪物の姿と言われている。九つの頭を持ち、猛毒で人々を脅かす巨大怪物、というのは子供心にわくわくした。すっかり父さんに洗脳されていた僕にとって、心踊るものといえば特撮の怪獣でもヒーローでもなく、空にいる巨大なうみへびだった。

 うみへび座を構成する星は暗い星が多くて見つけにくいけれど、南西の頭から南東の尾にかけて、巨大なヘビを夜空に見つけた日は、嬉しくて飽きもせずずっと眺めていた。

 僕が小学校の頃に肺炎をこじらせて亡くなったじいちゃんは、若くして天文台の設立と巨大望遠鏡の開発に携わったすごい人らしい。ほかにもなんだかすごそうな伝説がいくつもあった。

 僕はじいちゃんの現役時代をあまり知らないから、父さんが話を盛っていたんじゃないかとも思うけれど、星や惑星に関する本をいくつも出しているし、やっぱりすごい人だったのだろう。

 そんなじいちゃんを父さんは尊敬していた。数年前に天文台の所長になってからはさらに研究に熱を入れるようになった。

 でも僕は、星好きの遺伝子は受け継がなかったらしい。いまでは幼い頃みたいに、夜空を見てはしゃいだり星座を探すこともなくなった。

 完璧に覚えていたはずの星座だって半分以上忘れてしまった。忘れてしまえばもう、夜空にちらつく星座なんてどれも似たようなものだった。

夢中で追いかけていたのが馬鹿みたいに思えた。いまだに夢中で追い続けている父さんのことも。

 父さんが山の上で過ごす時間が長いほど、現実を置きざりにして、父さんという人そのものも遠のいていくようだった。