私の心臓は猫と同じらしい。
 小学校に入るとき、医者をしているお父さんに、そう教えられた。

 人の心拍数の平均は、一分間に80回くらい。
 犬の平均は120回くらい。
 猫の平均は180回くらい。
 そして私の心拍数は猫と同じで、180回前後。
 何回はかっても、変わることはなかった。
 つまり、人より二倍以上も速く、心臓が速く動いているのだ。

『クロの心臓の音を聞いてごらん。柚葉の心臓は、クロの心臓と同じ速さで動いてるんだ』

 お父さんは私にそう言った。
 私はおばあちゃんの家で飼っていた黒猫のクロを抱き上げて、おそるおそる耳を近づけてみた。
 トットットットッ、と秒針を刻むような小さな音が聞こえた。

 ーークロの心臓の音。
 これが、私の心臓の音……。

 六歳の子どもにそう教えたお父さんは、医者として、事実を伝えるべきだと思ったからそう言ったのだろう。
 自分の体が人とは違うのだと自覚させるために。
 無理をしないように。
 身を危険にさらさないように。
 自分を守れるのは自分しかいないのだと、そう教えようとしたんだろう。
 それは正しかったかもしれないけれど、正しいことは、全然優しくなかった。
 間違いでした、なんて誰も言ってくれなかった。
 レントゲンの写真が、残酷な事実を教えてくれた。
 私の心臓は、普通の人の心臓より、ずっと小さかった。

 そんなの、知りたくなかった。
 私だって、みんなと同じがよかった。

 人が初めて聞くのは、お腹の中で聞いた、お母さんの心臓の音だと思う。
 覚えてないけど、無意識に知っている。
 だから、私の心臓の音が普通じゃないのがわかる。
 

 それなら私はなんなんだろう
 人間じゃないんだろうか。

 私の病気は『頻拍性』という。
 一般的に多いのは『発作性頻拍性』のほう。急に鼓動が速くなって、息ができなくなり、命を落とす危険もある。
 そして、私の場合は『慢性頻拍性』だった。

 生まれつき心臓が人よりずっと小さくて、心拍数が速かった。
 人が死ぬまでに心臓が動く回数は、生まれたときにはもう決まっているんだって、本に書いてあった。
 私の心臓が動いていられる時間は、もう残りわずか。
 まだ十七歳で見た目はみんなと同じなのに、心臓だけが普通と違う。猫の年齢なら八十歳のおばあちゃん、大往生なんて言われてしまう歳なのだ。

 幼い頃にその事実を知ってから、私は自分の寿命を無意識に数えるようになった。
 生まれたとき、私の余命十八年だった。
 知ったときは、あと十二年。
 一桁になって、ついに今日、あと一年をきった。

 物心ついたときからずっと、制限ばかりだった。
 激しい運動はだめ。刺激が多いものを食べるのもだめ。遠くに行くのも、帰りが遅くなるのもだめ。
 人がいちばん育ち盛りな中学二年の頃には、私の体力はかなり落ちていた。
 成長するたび、やりたくてもできないことがどんどん増えていった。
 病気のことは家族しか知らないから、やる気のない生徒のふりをした。
 体育の授業や行事はたまにサボって、いつも気だるげにしていた。
 そうしたかったんじゃなくて、それが私の精一杯だったんだ。

 中学を卒業するとき、高校に行かないという選択肢もあった。
 高校に行ったところで、その先の未来は私にはないから。
 でも、家や病院でじっとしているのは嫌だった。
 それじゃあ完全に、病人そのものになってしまう。
 そのまま動くこともできなくなって、ただ何もしないで死を待つだけなんて、耐えられる気がしなかった。

 それに、学校には、友達がいたから。
 でも、その友達も、いなくなってしまった。

 何もかも馬鹿みたいに思えた。
 大島も、大島の言いなりのこのクラスも。
 何も言わない笹ヶ瀬くんも、私も、みんな、馬鹿みたいだ。
 みんなが恋愛だのイベントだの楽しそうにはしゃいでいるときに、私は寿命を数えてる。
 青春なんてくそくらえだ。勝手にやってればいい。

 楽しそうな声を聞けば聞くほど惨めになった。
 聞こえてくる笑い声が耳障りで、好きな音以外何も聞きたくなくて、私は黒いイヤホンで両耳を塞いだ。
 音楽は世界を遮断してくれた。
 柔らかいスポンジをナイフで切り分けるみたいに、私を日常から切り離してくれた。

 だけど、大音量で音楽を聴いていても、そばに人が来れば視界に入るし、名前を呼ばれたら気づいてしまう。
 何にも反応しないで、完全に世界を遮断することなんて、できなかった。

 六月二十一日。
 今日は、私の誕生日だ。
 年単位で数えていたカウントダウンは、あと一年もない。
 去年より、体力がずっとなくなっているのがわかる。
 一年後、もし生きていたとしても、歩くこともできなくなっているにちかいない。

 歩きながら、同じことばかり考えている。
 学校なんて、何の意味があるんだろう。
 私が生きてる意味って何?

 くだらない学校生活も、くだらない私の命も、もう全部、投げ捨ててしまいたかった。

 奇跡なんて起こらない。
 どんなに願ったって、私はみんなと同じように大人になれない。

 それならいっそーー

 学校からの帰り道。線路の前に立って、思った。

 いつ終わりが来るかわからない恐怖に怯え続けるくらいなら、いっそ、ここで終わらせてしまおう、って。