私がじっと見つめているのがバレたのか、菅谷くんがこちらに視線を向けた。私は慌てて目を逸らしたが、もう遅い。
「川崎さんもおはよう!」
菅谷くんが私に近づいてくる。菅谷くんは誰にでも優しいし、誰にでも明るく話しかけることが出来る。私は急いでぬいぐるみから手を離し、スクールバックから手を出した。
「お、おはよう……」
菅谷くんに挨拶を返すその瞬間も私は寂しくて堪らない。手を握り締めて、時間が過ぎていくのを待つ。
「川崎さんって、どの中学から来たの?」
菅谷くんは、さらに私に話しかけてくる。その間も症状は強くなっていく。
寂しい。誰かに縋《すが》ってしまいたい。誰か私と手を繋いで。
これ以上は良くない。私は、大声で菅谷くんの会話を遮った。
「私、体調悪いから保健室行くね!!!」
逃げるように教室を出ていく私を見て、クラスメイトは不審そうにしている。
「川崎さんって、身体弱いのかな?」
「菅谷が嫌いなだけじゃね?」
「いや、あの二人話したことないでしょ」
そんなクラスメイトの話し声が教室で出ていく間際に聞こえた。私はそのまま保健室には向かわず、空き教室に飛び込んだ。
急いで、お母さんに電話をかける。
「もしもし、お母さん?」
「奈々花?」
「寂しい。寂しいの」
泣きながら、そう話す私にお母さんは決まった言葉を繰り返す。
「大丈夫よ。大丈夫だから。お母さんは奈々花が大好きよ。寂しくなんかないわ」
お母さんはいつも症状が出た私にその言葉を繰り返してくれる。母は優しくて、子供想いの人だった。きっと病院の先生に聞いたり、ネットで調べて、一番症状が落ち着く言葉を探してくれているのだろう。それでも、時間はもう朝の八時を過ぎていた。
「ごめんね、奈々花。お母さんもう仕事が始まるわ」
「うん、分かってる。急に電話をかけて本当にごめんなさい。もう切るね」
少し落ち着いた症状がまた酷くならないように、スクールバッグからぬいぐるみを取り出して……あ、そうだ。バッグは教室に置いたままだ。
私は仕方なくしゃがんで、自分を抱きしめるようにうずくまった。
「大丈夫。寂しくないよ」
そう自分で自分に言い聞かせる自分が酷く滑稽《こっけい》に感じる。
その時、誰かが空き教室のドアを開ける音がした。
「川崎さん?」
振り返ると、菅谷くんが立っている。
「心配で保健室に行こうと思ったら、空き教室に川崎さんが見えて……大丈夫?動けないくらい体調悪い?」
菅谷くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「ううん、大丈夫……ごめんね、心配かけちゃって。もう落ち着いたから、保健室行けそう」
「保健室まで連れていくよ」
「もう本当に大丈夫だから」
わざと冷たく突き放すように菅谷くんに話しかける。もう二度と私に関わりたいと思わないように。
「ねぇ、川崎さん。川崎さんってアニメ好きなの?」
「え?」
あまりに唐突な質問に私は意味が分からない。
「さっき、保健室に川崎さんの鞄を持って行ってあげた方がいいか悩んでたら、チャックが空いてて大きなぬいぐるみが見えたんだ」
ヒュッ、と喉が鳴ったのが自分で分かった。あのぬいぐるみはアニメの可愛い女の子のキャラクターだった……と思う。アニメ自体は殆ど知らないし、見たこともない。ただ丁度いい大きさだったので、持ち歩いているだけだ。
落ち着いて、私。まだちゃんとバレたわけじゃない。
「うん、そうなの。あのアニメ好きなんだ」
「じゃあ、あのキャラクターの名前何?」
「えっと……」
言葉に詰まった私を見て、菅谷くんは何故か驚いた顔をした。
「見つけた」
「え……?」
「川崎さん、頻発性哀愁症候群でしょ」
ドッと心臓のスピードが速くなる。この病名を知っている人さえ少ない病気だ。私の反応を見て、菅谷くんは確信したようだった。
「俺も同じ病気なんだ」
「っ!?」
私と全然違う菅谷くんが頻発性哀愁症候群とはすぐに受け入れられない。
「俺も同じ病気。寂しくて仕方ないんだ。だから、人に囲まれる性格になるように努力してる」
菅谷くんのその発言一つで私は、菅谷くんが同じ病気だと信じてしまいそうになる。
だってそんな言葉、普通は言えない。
「寂しくて寂しくて堪らないから、人気者になれるように努力した。それで、少しは症状は改善したんだけど、まだ全然ダメなんだ」
そう言って菅谷くんは携帯を取り出し、私に携帯の画面を見せる。菅谷くんが私に見せたのは、発信履歴の画面だった。
「菅谷 浩樹《ひろき》」と書かれた人物への発信履歴が沢山並んでいる。
「浩樹は俺の兄。時間に融通の効く仕事をしてるから、俺は兄貴に依存してる。寂しい時に『大丈夫』と言ってくれるのは、いつも兄貴」
菅谷くんはあまりに苦しそうな顔をしていた。
「兄貴に迷惑をかけたくないのに、この病気のせいで俺は兄貴の邪魔にしかなってない。本当に最低なんだ。クラスメイトのことも寂しさを埋めてくれる道具にしてしまってる。そんな自分が最低で最悪で大嫌い」
菅谷くんの顔には罪悪感が滲み出ていた。いつもの明るい菅谷くんの表情からは想像も出来なかった。
「どうしてこんな最悪な病気が存在してるんだろうな」
その菅谷くんの言葉は、まるで私の心の叫びのようだった。
「だからさ、川崎さん。俺と症状を埋め合わない?お互いに寂しい時は一緒にいるようにするんだ」
意味の分からない提案の後、菅谷くんが急に私の手を握る。
「この病気の情報を集めて、この方法を見つけたんだ。全員に効くとは限らないし、失敗に終わるかもしれない。それでも、試す価値はあると思う」
菅谷くんが私の手を両手で包み込むように握り変える。
「寂しくないよ、川崎さん。全然寂しくない」
菅谷くんは目を瞑り、何度もそう繰り返し私に話しかけてくれる。
「どう?良い提案だと思わない?」
目を開けてそう問う菅谷くんの瞳は泣きそうで少しだけ充血していた。それほどまでに菅谷くんもこの病気に苦しまされているのだろう。
「……私は菅谷くんになんて言ったらいいの?」
「『寂しくない』って言って欲しい。『大丈夫』だって」
私は恐る恐る菅谷くんの手を握り返す。私は俯いたまま菅谷くんに話しかける。
「寂しくないよ。全然寂しくない。大丈夫だよ」
「……あと、私も良い提案だと思う。菅谷くんと一緒にこの病気を乗り越えたい」
そっと顔を上げると、菅谷くんは何故か泣きそうだった。菅谷くんの手が震えているのが分かる。
「……良かった。これでもう兄貴に迷惑をかけなくて済む」
その言葉で私は喉の奥が熱くなるのを感じた。目に涙が溜まっていく。私ももうお母さんにも他の家族にも……ううん、周りの全ての人間に迷惑なんてかけたくない。菅谷くんも一緒なんだ。
菅谷くんは私と目を合わせた後、頭を下げた。
「川崎さんにも出来るだけ迷惑をかけないように気を付ける。『寂しさ』を埋め合うだけじゃなくて、頻発性哀愁症候群を治すことを最終目標にしよう」
「私も出来るだけ自分で耐えられる症状は自分で何とかする……これからよろしくお願いします」
どうか二人でこの病気を……「寂しさ」を共に倒そう?
「川崎さんもおはよう!」
菅谷くんが私に近づいてくる。菅谷くんは誰にでも優しいし、誰にでも明るく話しかけることが出来る。私は急いでぬいぐるみから手を離し、スクールバックから手を出した。
「お、おはよう……」
菅谷くんに挨拶を返すその瞬間も私は寂しくて堪らない。手を握り締めて、時間が過ぎていくのを待つ。
「川崎さんって、どの中学から来たの?」
菅谷くんは、さらに私に話しかけてくる。その間も症状は強くなっていく。
寂しい。誰かに縋《すが》ってしまいたい。誰か私と手を繋いで。
これ以上は良くない。私は、大声で菅谷くんの会話を遮った。
「私、体調悪いから保健室行くね!!!」
逃げるように教室を出ていく私を見て、クラスメイトは不審そうにしている。
「川崎さんって、身体弱いのかな?」
「菅谷が嫌いなだけじゃね?」
「いや、あの二人話したことないでしょ」
そんなクラスメイトの話し声が教室で出ていく間際に聞こえた。私はそのまま保健室には向かわず、空き教室に飛び込んだ。
急いで、お母さんに電話をかける。
「もしもし、お母さん?」
「奈々花?」
「寂しい。寂しいの」
泣きながら、そう話す私にお母さんは決まった言葉を繰り返す。
「大丈夫よ。大丈夫だから。お母さんは奈々花が大好きよ。寂しくなんかないわ」
お母さんはいつも症状が出た私にその言葉を繰り返してくれる。母は優しくて、子供想いの人だった。きっと病院の先生に聞いたり、ネットで調べて、一番症状が落ち着く言葉を探してくれているのだろう。それでも、時間はもう朝の八時を過ぎていた。
「ごめんね、奈々花。お母さんもう仕事が始まるわ」
「うん、分かってる。急に電話をかけて本当にごめんなさい。もう切るね」
少し落ち着いた症状がまた酷くならないように、スクールバッグからぬいぐるみを取り出して……あ、そうだ。バッグは教室に置いたままだ。
私は仕方なくしゃがんで、自分を抱きしめるようにうずくまった。
「大丈夫。寂しくないよ」
そう自分で自分に言い聞かせる自分が酷く滑稽《こっけい》に感じる。
その時、誰かが空き教室のドアを開ける音がした。
「川崎さん?」
振り返ると、菅谷くんが立っている。
「心配で保健室に行こうと思ったら、空き教室に川崎さんが見えて……大丈夫?動けないくらい体調悪い?」
菅谷くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「ううん、大丈夫……ごめんね、心配かけちゃって。もう落ち着いたから、保健室行けそう」
「保健室まで連れていくよ」
「もう本当に大丈夫だから」
わざと冷たく突き放すように菅谷くんに話しかける。もう二度と私に関わりたいと思わないように。
「ねぇ、川崎さん。川崎さんってアニメ好きなの?」
「え?」
あまりに唐突な質問に私は意味が分からない。
「さっき、保健室に川崎さんの鞄を持って行ってあげた方がいいか悩んでたら、チャックが空いてて大きなぬいぐるみが見えたんだ」
ヒュッ、と喉が鳴ったのが自分で分かった。あのぬいぐるみはアニメの可愛い女の子のキャラクターだった……と思う。アニメ自体は殆ど知らないし、見たこともない。ただ丁度いい大きさだったので、持ち歩いているだけだ。
落ち着いて、私。まだちゃんとバレたわけじゃない。
「うん、そうなの。あのアニメ好きなんだ」
「じゃあ、あのキャラクターの名前何?」
「えっと……」
言葉に詰まった私を見て、菅谷くんは何故か驚いた顔をした。
「見つけた」
「え……?」
「川崎さん、頻発性哀愁症候群でしょ」
ドッと心臓のスピードが速くなる。この病名を知っている人さえ少ない病気だ。私の反応を見て、菅谷くんは確信したようだった。
「俺も同じ病気なんだ」
「っ!?」
私と全然違う菅谷くんが頻発性哀愁症候群とはすぐに受け入れられない。
「俺も同じ病気。寂しくて仕方ないんだ。だから、人に囲まれる性格になるように努力してる」
菅谷くんのその発言一つで私は、菅谷くんが同じ病気だと信じてしまいそうになる。
だってそんな言葉、普通は言えない。
「寂しくて寂しくて堪らないから、人気者になれるように努力した。それで、少しは症状は改善したんだけど、まだ全然ダメなんだ」
そう言って菅谷くんは携帯を取り出し、私に携帯の画面を見せる。菅谷くんが私に見せたのは、発信履歴の画面だった。
「菅谷 浩樹《ひろき》」と書かれた人物への発信履歴が沢山並んでいる。
「浩樹は俺の兄。時間に融通の効く仕事をしてるから、俺は兄貴に依存してる。寂しい時に『大丈夫』と言ってくれるのは、いつも兄貴」
菅谷くんはあまりに苦しそうな顔をしていた。
「兄貴に迷惑をかけたくないのに、この病気のせいで俺は兄貴の邪魔にしかなってない。本当に最低なんだ。クラスメイトのことも寂しさを埋めてくれる道具にしてしまってる。そんな自分が最低で最悪で大嫌い」
菅谷くんの顔には罪悪感が滲み出ていた。いつもの明るい菅谷くんの表情からは想像も出来なかった。
「どうしてこんな最悪な病気が存在してるんだろうな」
その菅谷くんの言葉は、まるで私の心の叫びのようだった。
「だからさ、川崎さん。俺と症状を埋め合わない?お互いに寂しい時は一緒にいるようにするんだ」
意味の分からない提案の後、菅谷くんが急に私の手を握る。
「この病気の情報を集めて、この方法を見つけたんだ。全員に効くとは限らないし、失敗に終わるかもしれない。それでも、試す価値はあると思う」
菅谷くんが私の手を両手で包み込むように握り変える。
「寂しくないよ、川崎さん。全然寂しくない」
菅谷くんは目を瞑り、何度もそう繰り返し私に話しかけてくれる。
「どう?良い提案だと思わない?」
目を開けてそう問う菅谷くんの瞳は泣きそうで少しだけ充血していた。それほどまでに菅谷くんもこの病気に苦しまされているのだろう。
「……私は菅谷くんになんて言ったらいいの?」
「『寂しくない』って言って欲しい。『大丈夫』だって」
私は恐る恐る菅谷くんの手を握り返す。私は俯いたまま菅谷くんに話しかける。
「寂しくないよ。全然寂しくない。大丈夫だよ」
「……あと、私も良い提案だと思う。菅谷くんと一緒にこの病気を乗り越えたい」
そっと顔を上げると、菅谷くんは何故か泣きそうだった。菅谷くんの手が震えているのが分かる。
「……良かった。これでもう兄貴に迷惑をかけなくて済む」
その言葉で私は喉の奥が熱くなるのを感じた。目に涙が溜まっていく。私ももうお母さんにも他の家族にも……ううん、周りの全ての人間に迷惑なんてかけたくない。菅谷くんも一緒なんだ。
菅谷くんは私と目を合わせた後、頭を下げた。
「川崎さんにも出来るだけ迷惑をかけないように気を付ける。『寂しさ』を埋め合うだけじゃなくて、頻発性哀愁症候群を治すことを最終目標にしよう」
「私も出来るだけ自分で耐えられる症状は自分で何とかする……これからよろしくお願いします」
どうか二人でこの病気を……「寂しさ」を共に倒そう?