「菅谷くん、今日の夜、電話してもいい?」
ある朝、私は菅谷くんにメッセージを送った。
「もちろんいいけど、何かあるの?」
「今日は両親が二人共、仕事で遅いの。だから、症状が悪化しそうだなって」
「なるほど。そういうことなら、俺の役目だな。俺も助かるし」
「ありがとう」と文字を打ち、送信ボタンを押した瞬間、部屋の外からお母さんが私に話しかける。
「奈々花、今、大丈夫?」
「うん、どうかした?」
私が扉を開けると、お母さんが不安そうな顔で立っている。
「今日、お父さんもお母さんも帰りが遅いじゃない?奈々花は大丈夫かなって。もし、無理そうだったらお母さんが会社の人にお願いして……」
「大丈夫だよ」
そう笑顔で答えながら、自分の惨めさに涙が出そうになる。今のお母さんの言葉を言われるのは、せいぜい小学生までだろう。いや、今の私は小学生より手がかかるのだろうか。
「……ごめんね、お母さん」
「奈々花?」
「っ!ううん、何でもない!本当に大丈夫だよ!」
私はそう言い逃げするように、自分の部屋の扉を閉めた。
夜になり、時計は夜の10時に差し掛かろうとしていた。私は、そっと電話の発信ボタンを押した。
「もしもし、菅谷くん?」
「川崎さん、今日は何を話す?」
「あ!私、ちょっとだけ聞いて欲しい話があるの!」
私は、美坂さんにクッキーを貰ったことを菅谷くんに話す。
「え、凄いね。めっちゃ進歩してる」
「進歩してる……のかな?病気の私なんかが話しかけて迷惑じゃなかったかな」
「話しかけるのは自由でしょ。それに俺も少しだけ自分の友達と話すのを楽しむことにした」
「そうなの?」
「うん、寂しさを紛らわすだけじゃなくて、ちゃんと毎日を楽しもうと思って」
「……菅谷くんは凄いよね」
「そう?」
「うん、いつもちゃんと進もうとしてる。自分で出来ることを考えて、私にも前を向かせてくれる」
「それは川崎さんもじゃない?川崎さんが頑張ってるのを見てるから、俺も頑張れるんだ。一人だったら、もっと足踏みしてたと思う。それに俺とこうやって話してくれるだけで本当に助かってるし」
「菅谷くん、私、菅谷くんと話すの楽しいよ。きっと病気じゃなくても、菅谷くんと話したいって思ったと思う」
「……」
「菅谷くん?」
「川崎さんもちゃんと凄いよ。俺も今、勇気出た」
頻発性哀愁症候群じゃなかったら、私達はきっと話すこともなかった。もし病気が良くなる時が来ても、私たちは話しているのだろうか。
「ねぇ、川崎さん」
「ん?」
「俺、部活始めようと思うんだ。今まで帰宅部だったんだけど。このままじゃ嫌だから。もっと毎日を充実させて、『寂しい』なんて感情を減らしたい」
菅谷くんはいつも毎日を忙しくしようと必死に頑張っているように感じる。「寂しい」と感じる暇すらないほどに人と関わって、活動をして……私とは、真逆の方法。
私は病気だから人と関わらず、何もせずに時間が過ぎるのを待っている。
「そっか、頑張ってね。応援してる!」
少しだけ菅谷くんが羨ましいと思ってしまった。同じ病気を持っていて、一緒に頑張っているのに……私は何を考えているのだろう。
「川崎さん?」
「あ、ごめん!ちょっと考え事してた!それで何部に入るの?」
「うーん、サッカー部かな。これでも、小学校の頃はクラブチームに入ってたんだ」
菅谷くんは嬉しそうにサッカーについて教えてくれる。
寂しい。
と、感情が顔を出した気がした。
なんで?
ダメなのに。
ああ、そうだ。きっと置いてかれているみたいで、「寂しい」んだ。
私って、本当に最低だ。
菅谷くんとの電話をスピーカーに変えて、私はベッドの上のぬいぐるみを抱きしめる。もし先に菅谷くんだけ病気が良くなったら、私はどうなるの?
相手のことを思えない、自分のことしか考えていない、そんな考えが湧き出てくる。
「私、最低だ」
「川崎さん?」
こぼれ落ちた言葉は、菅谷くんに届いてしまう。
「あ……違うの!何でもない!」
「川崎さん、ちゃんと言って。隠し事しないで。もう俺たちは一緒に病気と戦ってる仲間なんだから」
「……違うの。私、そんなこと言ってもらう資格ない……」
私は、醜い心の声をポロポロと話してしまう。
「置いていかれるのが怖いの。菅谷くんだけ前に進むのが怖い……って思ちゃったの。私が最低なだけ。本当にごめんなさい」
私の震えた声での告白に、菅谷くんはあっけらかんと答えた。
「え?普通じゃない?」
「……?」
「俺だって川崎さんだけ急に病気が良くなったら、羨ましいって思う。最低だけど、みんなそんなもんだよ。だからこそ、部活のことを川崎さんに言ったんだ」
「どういうこと?」
「一緒に前に進もうってこと。最低な心なんてみんな持ってる。心なんて管理出来ないから、俺らはこんな病気に悩まされてるんだろ?それでも、お互い相手に良くなってほしいってちゃんと思ってる。それも嘘じゃないだろ?」
「うん……」
「じゃあ、一緒に良くなろう。同じスピードで人は進めないけど、それでも、ちょっとずつだけでも進もう。後ろに下がりそうな時は、互いに手を引っ張り合う……なんて、最高な関係じゃん」
どうして、こんなに優しい人に私はあんなに最低なことが思えたのだろう。
「菅谷くん、私、自分のペースで頑張る」
「おう!」
そんな話をしていると、時計は11時を回ろうとしていた。
「そろそろ電話して一時間か。川崎さん、俺、そろそろ切るね」
「うん、ありがとう。あ!菅谷くん」
「ん?」
「本当に部活のこと応援してるから。もう、私は大丈夫」
「うん、ありがと。おやすみ、川崎さん」
「おやすみなさい」
電話を切った後、私はぬいぐるみと手を繋いで、ぬいぐるみに話しかける。
「自分のペースって何だろう?」
部活や人との交流をして、寂しさを和らげるのが菅谷くんのやり方。
じゃあ、私のやり方は?
一番、「寂しい」が和らいだのはどんな時だろう?
その時、あの夢が頭をよぎった。
「大好きよ、奈々花。寂しくなんかないわ。お母さんとお父さんは奈々花が大好きだもの」
丁度、玄関の扉が開く音がする。玄関に行くと、お母さんが帰ってきていた。
「おかえり、お母さん……」
「ただいま、奈々花。どうしたの?ぼーっとした顔をして。何かあった?」
いつもお母さんは私が症状が出た時、「大好きよ。寂しくない」と言ってくれる。でも、何故か同じ言葉でもあの夢の言葉の方が安心出来た。
「お母さん、寂しい」
「あら、また症状が出ちゃったの?」
お母さんが私の手をぎゅっと繋ぐ。
「大丈夫よ。お母さん、奈々花が大好き。寂しくなんかないわ」
いつもの言葉。いつもの「症状を和らげるため」の言葉。
「お母さん、本当に私のこと好き?」
「え……?」
「こんなに……こんなに、迷惑、かけてる……のに?」
涙が溢れ、言葉が途切れる。
ずっとずっと不安だった。本当は嫌われているんじゃないかって。
それでも、嘘でも「大好き」と言って欲しかった。何で、夢の中の言葉が嬉しかったのか。理由は簡単だ。
その言葉を純粋に信じられたんだ。
お母さんも何故か泣きそうになりながら、うずくまる私を抱きしめる。
「どうしたの?奈々花。大好きよ、当たり前じゃない」
「こんなに迷惑をかけて、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
呪文のように「ごめんなさい」繰り返してしまう。
「ごめんなさい、寂しくても死なないのに。どうして、こんなに迷惑かけてるんだろう」
お母さんは泣きながら、私をぎゅうっと抱きしめ返した。
「ねぇ、奈々花。寂しくても死なないかもしれない。それでもね、心は弱るの。お母さんね、ずっと後悔してたわ。もっともっと奈々花に『大好き』って伝えてあげれば良かったんじゃないかって。そしたら、奈々花は病気にならなかったんじゃないかって」
「っ!違う!……これは本当にただの病気だから!」
「そうね、でも、今、奈々花の心は寂しいって悲鳴をあげてる。お母さんは、奈々花の悲鳴を抑えてあげることしか出来ない」
お母さんが私を抱きしめながら、私の背中をゆっくりと撫でた。
「奈々花、大好きよ。本当に愛しているわ。ずっとずっと寂しいって言い続けてもいい。お母さんが何度だって、奈々花に愛を伝えてあげる」
声にならないほど涙が溢れていくのが分かった。
「寂しい」は不安だ。一生、迷惑をかけたらどうしよう。一生、病気が治らなかったらどうしよう。全て、不安なんだ。
そして、相手に「安心」を求める。
「お母さん、ぬいぐるみ一個だけ作って欲しい。ううん、ぬいぐるみじゃなくてもいい。何か一個形が欲しいの」
「え?」
「それをお守りに頑張りたい」
どうか、前に進ませて下さい。
ある朝、私は菅谷くんにメッセージを送った。
「もちろんいいけど、何かあるの?」
「今日は両親が二人共、仕事で遅いの。だから、症状が悪化しそうだなって」
「なるほど。そういうことなら、俺の役目だな。俺も助かるし」
「ありがとう」と文字を打ち、送信ボタンを押した瞬間、部屋の外からお母さんが私に話しかける。
「奈々花、今、大丈夫?」
「うん、どうかした?」
私が扉を開けると、お母さんが不安そうな顔で立っている。
「今日、お父さんもお母さんも帰りが遅いじゃない?奈々花は大丈夫かなって。もし、無理そうだったらお母さんが会社の人にお願いして……」
「大丈夫だよ」
そう笑顔で答えながら、自分の惨めさに涙が出そうになる。今のお母さんの言葉を言われるのは、せいぜい小学生までだろう。いや、今の私は小学生より手がかかるのだろうか。
「……ごめんね、お母さん」
「奈々花?」
「っ!ううん、何でもない!本当に大丈夫だよ!」
私はそう言い逃げするように、自分の部屋の扉を閉めた。
夜になり、時計は夜の10時に差し掛かろうとしていた。私は、そっと電話の発信ボタンを押した。
「もしもし、菅谷くん?」
「川崎さん、今日は何を話す?」
「あ!私、ちょっとだけ聞いて欲しい話があるの!」
私は、美坂さんにクッキーを貰ったことを菅谷くんに話す。
「え、凄いね。めっちゃ進歩してる」
「進歩してる……のかな?病気の私なんかが話しかけて迷惑じゃなかったかな」
「話しかけるのは自由でしょ。それに俺も少しだけ自分の友達と話すのを楽しむことにした」
「そうなの?」
「うん、寂しさを紛らわすだけじゃなくて、ちゃんと毎日を楽しもうと思って」
「……菅谷くんは凄いよね」
「そう?」
「うん、いつもちゃんと進もうとしてる。自分で出来ることを考えて、私にも前を向かせてくれる」
「それは川崎さんもじゃない?川崎さんが頑張ってるのを見てるから、俺も頑張れるんだ。一人だったら、もっと足踏みしてたと思う。それに俺とこうやって話してくれるだけで本当に助かってるし」
「菅谷くん、私、菅谷くんと話すの楽しいよ。きっと病気じゃなくても、菅谷くんと話したいって思ったと思う」
「……」
「菅谷くん?」
「川崎さんもちゃんと凄いよ。俺も今、勇気出た」
頻発性哀愁症候群じゃなかったら、私達はきっと話すこともなかった。もし病気が良くなる時が来ても、私たちは話しているのだろうか。
「ねぇ、川崎さん」
「ん?」
「俺、部活始めようと思うんだ。今まで帰宅部だったんだけど。このままじゃ嫌だから。もっと毎日を充実させて、『寂しい』なんて感情を減らしたい」
菅谷くんはいつも毎日を忙しくしようと必死に頑張っているように感じる。「寂しい」と感じる暇すらないほどに人と関わって、活動をして……私とは、真逆の方法。
私は病気だから人と関わらず、何もせずに時間が過ぎるのを待っている。
「そっか、頑張ってね。応援してる!」
少しだけ菅谷くんが羨ましいと思ってしまった。同じ病気を持っていて、一緒に頑張っているのに……私は何を考えているのだろう。
「川崎さん?」
「あ、ごめん!ちょっと考え事してた!それで何部に入るの?」
「うーん、サッカー部かな。これでも、小学校の頃はクラブチームに入ってたんだ」
菅谷くんは嬉しそうにサッカーについて教えてくれる。
寂しい。
と、感情が顔を出した気がした。
なんで?
ダメなのに。
ああ、そうだ。きっと置いてかれているみたいで、「寂しい」んだ。
私って、本当に最低だ。
菅谷くんとの電話をスピーカーに変えて、私はベッドの上のぬいぐるみを抱きしめる。もし先に菅谷くんだけ病気が良くなったら、私はどうなるの?
相手のことを思えない、自分のことしか考えていない、そんな考えが湧き出てくる。
「私、最低だ」
「川崎さん?」
こぼれ落ちた言葉は、菅谷くんに届いてしまう。
「あ……違うの!何でもない!」
「川崎さん、ちゃんと言って。隠し事しないで。もう俺たちは一緒に病気と戦ってる仲間なんだから」
「……違うの。私、そんなこと言ってもらう資格ない……」
私は、醜い心の声をポロポロと話してしまう。
「置いていかれるのが怖いの。菅谷くんだけ前に進むのが怖い……って思ちゃったの。私が最低なだけ。本当にごめんなさい」
私の震えた声での告白に、菅谷くんはあっけらかんと答えた。
「え?普通じゃない?」
「……?」
「俺だって川崎さんだけ急に病気が良くなったら、羨ましいって思う。最低だけど、みんなそんなもんだよ。だからこそ、部活のことを川崎さんに言ったんだ」
「どういうこと?」
「一緒に前に進もうってこと。最低な心なんてみんな持ってる。心なんて管理出来ないから、俺らはこんな病気に悩まされてるんだろ?それでも、お互い相手に良くなってほしいってちゃんと思ってる。それも嘘じゃないだろ?」
「うん……」
「じゃあ、一緒に良くなろう。同じスピードで人は進めないけど、それでも、ちょっとずつだけでも進もう。後ろに下がりそうな時は、互いに手を引っ張り合う……なんて、最高な関係じゃん」
どうして、こんなに優しい人に私はあんなに最低なことが思えたのだろう。
「菅谷くん、私、自分のペースで頑張る」
「おう!」
そんな話をしていると、時計は11時を回ろうとしていた。
「そろそろ電話して一時間か。川崎さん、俺、そろそろ切るね」
「うん、ありがとう。あ!菅谷くん」
「ん?」
「本当に部活のこと応援してるから。もう、私は大丈夫」
「うん、ありがと。おやすみ、川崎さん」
「おやすみなさい」
電話を切った後、私はぬいぐるみと手を繋いで、ぬいぐるみに話しかける。
「自分のペースって何だろう?」
部活や人との交流をして、寂しさを和らげるのが菅谷くんのやり方。
じゃあ、私のやり方は?
一番、「寂しい」が和らいだのはどんな時だろう?
その時、あの夢が頭をよぎった。
「大好きよ、奈々花。寂しくなんかないわ。お母さんとお父さんは奈々花が大好きだもの」
丁度、玄関の扉が開く音がする。玄関に行くと、お母さんが帰ってきていた。
「おかえり、お母さん……」
「ただいま、奈々花。どうしたの?ぼーっとした顔をして。何かあった?」
いつもお母さんは私が症状が出た時、「大好きよ。寂しくない」と言ってくれる。でも、何故か同じ言葉でもあの夢の言葉の方が安心出来た。
「お母さん、寂しい」
「あら、また症状が出ちゃったの?」
お母さんが私の手をぎゅっと繋ぐ。
「大丈夫よ。お母さん、奈々花が大好き。寂しくなんかないわ」
いつもの言葉。いつもの「症状を和らげるため」の言葉。
「お母さん、本当に私のこと好き?」
「え……?」
「こんなに……こんなに、迷惑、かけてる……のに?」
涙が溢れ、言葉が途切れる。
ずっとずっと不安だった。本当は嫌われているんじゃないかって。
それでも、嘘でも「大好き」と言って欲しかった。何で、夢の中の言葉が嬉しかったのか。理由は簡単だ。
その言葉を純粋に信じられたんだ。
お母さんも何故か泣きそうになりながら、うずくまる私を抱きしめる。
「どうしたの?奈々花。大好きよ、当たり前じゃない」
「こんなに迷惑をかけて、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
呪文のように「ごめんなさい」繰り返してしまう。
「ごめんなさい、寂しくても死なないのに。どうして、こんなに迷惑かけてるんだろう」
お母さんは泣きながら、私をぎゅうっと抱きしめ返した。
「ねぇ、奈々花。寂しくても死なないかもしれない。それでもね、心は弱るの。お母さんね、ずっと後悔してたわ。もっともっと奈々花に『大好き』って伝えてあげれば良かったんじゃないかって。そしたら、奈々花は病気にならなかったんじゃないかって」
「っ!違う!……これは本当にただの病気だから!」
「そうね、でも、今、奈々花の心は寂しいって悲鳴をあげてる。お母さんは、奈々花の悲鳴を抑えてあげることしか出来ない」
お母さんが私を抱きしめながら、私の背中をゆっくりと撫でた。
「奈々花、大好きよ。本当に愛しているわ。ずっとずっと寂しいって言い続けてもいい。お母さんが何度だって、奈々花に愛を伝えてあげる」
声にならないほど涙が溢れていくのが分かった。
「寂しい」は不安だ。一生、迷惑をかけたらどうしよう。一生、病気が治らなかったらどうしよう。全て、不安なんだ。
そして、相手に「安心」を求める。
「お母さん、ぬいぐるみ一個だけ作って欲しい。ううん、ぬいぐるみじゃなくてもいい。何か一個形が欲しいの」
「え?」
「それをお守りに頑張りたい」
どうか、前に進ませて下さい。