「それで、ここはお餅」

「お餅、ですか」

「うん。キヨちゃんの二の腕は、お餅」

 暗に太ってるという意味かとショックを受けていると、先輩は「とてもいいお餅」と穏やかに続けた。悪い意味ではなさそうだ。

「なあ。あれってうまいのかな」

 先輩がふいにゲージを指差した。走るのに飽きたのか、でっちゃんはもしゃもしゃとせわしなく牧草を食べている。

「おいしいかどうかはわかんないですけど、しっかり食べてもらわないと歯がのびて不正咬合(ふせいこうごう)になっちゃうんですよね」

「ふせいこうごう?」

「歯の噛み合わせが悪くなっちゃうんです」

「ははっ。コウゴウの字が浮かばないわ」

 わたしの左肩にのしっと頭をあずけ、先輩が笑う。生ぬるい息がキャミソールと肌の間を滑り抜けて、胸の先端が尖った。身体の左半分に全神経が集中する。

「キヨちゃん」

 とつぜんの呼びかけに、肩がびくりと上がった。物が少ないこの部屋は、声がとても響く。

「あ、もしかして寝落ちしてた?」

「いえ、起きてますよ。どうしたんですか」

「……ごめんな」

 小さな声が、でっちゃんの咀嚼音とまざって宙に消えた。

 ごめんって。それって――と言いかけ、口をつぐむ。

 口にしてしまえば先輩は逃げるように立ち去り、もう二度と笑いかけてもらえないような気がした。

 ほんとうに、ごめん。

 ゆっくりとつぶやいて、先輩は眠った。その伏せられた瞼にうっすらと透ける血管は、春の川のようにどこまでもうららかだった。