今日は授業の調べもので図書室に来ていた。
となりに向かい合うのは湊くんで、ひとつの参考書をもとに意見を出し合っている。
周りの生徒も気をつかっているのかどうなのか、同じテーブルに座る子はいなかった。
あの日以来いつもの関係になったわたしたち。とても小さいけれどふたりだけの空間ができている気がして、それだけでわたしはうれしい。
いつもにこにこと頬が緩んでしまうのを我慢できなかった。
「......すい、ちゃんと話聞いてるかな」
あ、ごめんとわたしは背筋を整えた。そして、視界の縁に触れた人物に声をかけた。
「灯里さん、こっちだよ!」
わたしの呼びかけに応えて彼女も同じテーブルの席に腰をおろしてくれた。
「それにしても、恐竜が絶滅した理由なんてそれ以外にあるのかな」
「ほんとだよねえ」
課題に疲れてしまったわたしは腕を伸ばして机に体を伏せた。
調べものの内容は地学の課題のひとつで、恐竜が絶滅したさまざまな原因を調べるというものだ。"それ"は氷河期を指し示すから、ほかにどんな事象があるのだろうか。
多くの生徒たちが答えを見つけられない中、わたしたちも行き詰まってしまった。
「すいちゃんって本当にいいの?」
「いいんだよ。
わたしはいつも助けてもらってるし、それでいいと思うよ」
クラスメイトと一緒に帰ることになった湊くんと別れたわたしは、灯里さんと一緒に帰ることにする。
となりで廊下を歩く灯里さんが小さな質問をしてくる。わたしは彼女の様子を全く見ないで話題を広げていく。
「だって、湊くんがプリントを写させてくれるんだから。
理科のレポートだってもう完成したものだよ」
わたしは声を上げるように笑った。彼女が小さなため息をついたことは全く気付かなかった。
そこに、階段を降りてくる里美さんと出会った。
「あ、すいちゃん、灯里さん!」
「あ、里美さん!」
放送部の帰りなんだね、とわたしはあいさつを返す。
「下校時刻の放送は先輩がやってくれるって言ってくれたから。
私はもう帰ることにしちゃったわ。
......それでさ」
彼女はとあるひとつの注文を投げてくる。
それを受け取ったわたしは、二つ返事で答えを返した。
「......あら、いいの? すいちゃんとして、だけど」
そう告げる灯里さんをわたしはちらりと覗く。
この子が困っているから、と告げるわたしは里美さんと教室へ向けて歩いて行った。
もう夕日がカーテンの隙間から降り注ぐ、そんな時間帯だった。
ほとんどの生徒が帰る時間帯、課題のプリントを眺めるわたしたち。たっぷりの時間をかけて、わたしはつぶやいた。
「いやあ、これどうやって解くんだっけ」
わたしは軽い冷や汗を出しながらも、プリントを眺める。
あれ、こないだわたしが前もって解いていたやつだったのに......。
問1は自信もって答えられる。ちょっと考えたら問2も3も。でも問4はなんだか分かる気がするけれど自信がない......。
「え、すいちゃん分からないの?」
わたしの様子を見ていた里美さんは次第に笑いをこらえきれなくて仕方がないようだった。
「えっ、なんで笑うの」
「すいちゃん、自信あり気に答えてくれたのにさ。
今こうして難しそうな顔してプリント眺めてるの、可笑しくなっちゃって......」
それはわたしが困っているのを見てからかっているの?
「ううん、違うんだよ。
すいちゃんってとても偉いんだよ。
普通だったら、自分でも分からない問題を一緒に考えてくれる人なんていないんだから。
やさしいきみに頼んでよかったなって思うんだ」
......だから、今分かるところだけでも教えて。
そう告げる里美さんの口調はとてもやさしく聞こえてきたような気がした。
それからというものの、わたしはいろんな子に語りかけるようになっていった。
「すいちゃんやさしいね」
「気が利くって素晴らしいね」
クラスメイトはみんな口を揃えて、こうやって声をかけてくれる。
ああ、わたしのことでみんなが明るくなるんだな。
うれしくて、気恥ずかしくて。こんな喜びが実ってしまったから、わたしはまた行動に表してしまう。
ある日の放課後。忘れ物を取りに教室に向かっていた。教室を入ろうとすると、その中に、西原さんをはじめとしたクラスメイトが楽しく会話を楽しんでいるのが目についた。
机の上にお菓子が広がっていた。その光景を見て、少し胸騒ぎを覚える。
「あ、すいちゃん! もう帰るところ?」
「うん、そうだよ」
わたしは彼女たちの近くに寄ることもしないで、自分の机から必要なものを片付けて立ち去っていく。まるでその光景から逃げるように。
そして、帰ろうとするととある会話が心をつかんでしまった。
「いい男子なんかいないかなあ。
そうだ、西原さんは気になる人っていないの」
「だから、何度も言わせないの。そんな人って居ないから。
......でもさ」
ここで、クラスメイトたちの視線が西原さんに向かう。わたしも教室を出ながらも、その言葉に耳を傾けてしまった。
「成瀬くんはなんかちがうんだよ」
なぜかわたしは心が震えてしまった。
下駄箱で、同じタイミングで下校しようとする湊くんと出会った。
わたしたちはそれぞれ声をかけると、一緒に高校を出て行く。
そのままカフェで夕暮れが生まれるまで話したかった。でも、駅前のカフェはもう満席だったから、仕方なく追い出されてしまった。
「もし良ければだけどさ、......わたしの家に来る?」
「いや、悪いよ」
でも、きみが良ければお邪魔しようか。そう湊くんは答えてくれた。
ああ、やっぱりふたりでいるのっていいなとそう思うようになっていた。
・・・
それからしばらく経った日、学校に湊くんは来なかった。
どうしたものかと思っていると、授業中の時間帯に鳴ったスマートフォンが答えを教えてくれる。
周りに気づかれないようにチャットに映る文字を見つめて、わたしの想いは間違ってなかったなと気づくんだ。
放課後になった。
慌てて席を立つわたしは急いで教室を出ようとする。
周りを良く見ていなかったから、掃除用具を持っていた西原さんとぶつかってしまった。
きゃあ、ちょっと誰よ! という声に、わたしは瞳合わせずに駆け出していく。だって、これはきみとわたしの間に浮かぶ緊急事態だったから。
「ああ、灯里さんごめんなさいっ。
でもわたし行かなきゃ!」
「え、すいちゃんどうしたの!」
わたしはかまわず学校を出て行った。そのまま走っていちばん早い便の電車に慌てて飛び乗った。
高い音を鳴り続ける心臓が、わたしの気持ちを落ち着かせてくれない。
それでも、最寄り駅に近づくになるにつれて、やっと鎮めてくれた。
あとはスポーツ飲料でも買っていけばだいじょうぶかな。
わたしはたどり着いた家で、呼吸を整えた。
そして、ドアチャイムのピンポンを鳴らした。……出てきたのはお母さんだった。湊くんの。
「あの、湊くんのクラスメイトの、結城といいます。
湊くんは、だいじょうぶでしょうか?」
そうだった。湊くんは季節外れの風邪にかかってしまって、学校を休んでいた。
「あら、優しい子ね。
湊は寝ているわよ、そのまま部屋にいらっしゃい」
彼の母親に招かれてわたしは部屋に入っていく。
畳の部屋に布団をかぶっている子は、いかにも苦しそうだった。
「……だれ?」
ひどい熱があるんだろうか。湊くんはこちらのことを見るなりうつろな目をしていた。
わたしのことを分かっていないようだった。
しばらくして、きみはわたしのことに気づく。そうして見せてくれた表情は驚いているのが明らかだった。
慌てて駆けつけるわたしは、きみの手を握る。
きみの不安そうな姿を見てしまうと、涙があふれそうだったから。
「湊くん、風邪って聞いて心配しちゃったよ」
「すい。来てくれたんだね。
でもだいじょうぶだよ」
その声は、ちょっとかすれていながらも、いつものきみの感じだった。
「すい……」
わたしは彼のおでこに、自分のを押し付ける。
きみの言うことも気にせずに。わたしたちは、目をつむったまま、何も言わずにその時間を味わった……。
「まだ熱がありそうだね。
……湊くん、まだ顔赤いよ、どうしたの?」
「えっ、でもさ……」
お互いの顔を近づけたからというのに、わたしはなにも気づくことはなかった。
生まれようという恋心に、気づく余裕はなかったから。
・・・
スポーツ飲料を預けて、わたしはきみの家を後にする。
夕日がこんなにも長い影をつくるなんて、なんだか悲しくなってしまう。
西原さんが言っていた言葉がしばらく胸に残ってしまった。“成瀬くんがちがう”という何気ないたった一言が、わたしの気持ちを目覚めさせるなんて思いもしなかった。
となりに向かい合うのは湊くんで、ひとつの参考書をもとに意見を出し合っている。
周りの生徒も気をつかっているのかどうなのか、同じテーブルに座る子はいなかった。
あの日以来いつもの関係になったわたしたち。とても小さいけれどふたりだけの空間ができている気がして、それだけでわたしはうれしい。
いつもにこにこと頬が緩んでしまうのを我慢できなかった。
「......すい、ちゃんと話聞いてるかな」
あ、ごめんとわたしは背筋を整えた。そして、視界の縁に触れた人物に声をかけた。
「灯里さん、こっちだよ!」
わたしの呼びかけに応えて彼女も同じテーブルの席に腰をおろしてくれた。
「それにしても、恐竜が絶滅した理由なんてそれ以外にあるのかな」
「ほんとだよねえ」
課題に疲れてしまったわたしは腕を伸ばして机に体を伏せた。
調べものの内容は地学の課題のひとつで、恐竜が絶滅したさまざまな原因を調べるというものだ。"それ"は氷河期を指し示すから、ほかにどんな事象があるのだろうか。
多くの生徒たちが答えを見つけられない中、わたしたちも行き詰まってしまった。
「すいちゃんって本当にいいの?」
「いいんだよ。
わたしはいつも助けてもらってるし、それでいいと思うよ」
クラスメイトと一緒に帰ることになった湊くんと別れたわたしは、灯里さんと一緒に帰ることにする。
となりで廊下を歩く灯里さんが小さな質問をしてくる。わたしは彼女の様子を全く見ないで話題を広げていく。
「だって、湊くんがプリントを写させてくれるんだから。
理科のレポートだってもう完成したものだよ」
わたしは声を上げるように笑った。彼女が小さなため息をついたことは全く気付かなかった。
そこに、階段を降りてくる里美さんと出会った。
「あ、すいちゃん、灯里さん!」
「あ、里美さん!」
放送部の帰りなんだね、とわたしはあいさつを返す。
「下校時刻の放送は先輩がやってくれるって言ってくれたから。
私はもう帰ることにしちゃったわ。
......それでさ」
彼女はとあるひとつの注文を投げてくる。
それを受け取ったわたしは、二つ返事で答えを返した。
「......あら、いいの? すいちゃんとして、だけど」
そう告げる灯里さんをわたしはちらりと覗く。
この子が困っているから、と告げるわたしは里美さんと教室へ向けて歩いて行った。
もう夕日がカーテンの隙間から降り注ぐ、そんな時間帯だった。
ほとんどの生徒が帰る時間帯、課題のプリントを眺めるわたしたち。たっぷりの時間をかけて、わたしはつぶやいた。
「いやあ、これどうやって解くんだっけ」
わたしは軽い冷や汗を出しながらも、プリントを眺める。
あれ、こないだわたしが前もって解いていたやつだったのに......。
問1は自信もって答えられる。ちょっと考えたら問2も3も。でも問4はなんだか分かる気がするけれど自信がない......。
「え、すいちゃん分からないの?」
わたしの様子を見ていた里美さんは次第に笑いをこらえきれなくて仕方がないようだった。
「えっ、なんで笑うの」
「すいちゃん、自信あり気に答えてくれたのにさ。
今こうして難しそうな顔してプリント眺めてるの、可笑しくなっちゃって......」
それはわたしが困っているのを見てからかっているの?
「ううん、違うんだよ。
すいちゃんってとても偉いんだよ。
普通だったら、自分でも分からない問題を一緒に考えてくれる人なんていないんだから。
やさしいきみに頼んでよかったなって思うんだ」
......だから、今分かるところだけでも教えて。
そう告げる里美さんの口調はとてもやさしく聞こえてきたような気がした。
それからというものの、わたしはいろんな子に語りかけるようになっていった。
「すいちゃんやさしいね」
「気が利くって素晴らしいね」
クラスメイトはみんな口を揃えて、こうやって声をかけてくれる。
ああ、わたしのことでみんなが明るくなるんだな。
うれしくて、気恥ずかしくて。こんな喜びが実ってしまったから、わたしはまた行動に表してしまう。
ある日の放課後。忘れ物を取りに教室に向かっていた。教室を入ろうとすると、その中に、西原さんをはじめとしたクラスメイトが楽しく会話を楽しんでいるのが目についた。
机の上にお菓子が広がっていた。その光景を見て、少し胸騒ぎを覚える。
「あ、すいちゃん! もう帰るところ?」
「うん、そうだよ」
わたしは彼女たちの近くに寄ることもしないで、自分の机から必要なものを片付けて立ち去っていく。まるでその光景から逃げるように。
そして、帰ろうとするととある会話が心をつかんでしまった。
「いい男子なんかいないかなあ。
そうだ、西原さんは気になる人っていないの」
「だから、何度も言わせないの。そんな人って居ないから。
......でもさ」
ここで、クラスメイトたちの視線が西原さんに向かう。わたしも教室を出ながらも、その言葉に耳を傾けてしまった。
「成瀬くんはなんかちがうんだよ」
なぜかわたしは心が震えてしまった。
下駄箱で、同じタイミングで下校しようとする湊くんと出会った。
わたしたちはそれぞれ声をかけると、一緒に高校を出て行く。
そのままカフェで夕暮れが生まれるまで話したかった。でも、駅前のカフェはもう満席だったから、仕方なく追い出されてしまった。
「もし良ければだけどさ、......わたしの家に来る?」
「いや、悪いよ」
でも、きみが良ければお邪魔しようか。そう湊くんは答えてくれた。
ああ、やっぱりふたりでいるのっていいなとそう思うようになっていた。
・・・
それからしばらく経った日、学校に湊くんは来なかった。
どうしたものかと思っていると、授業中の時間帯に鳴ったスマートフォンが答えを教えてくれる。
周りに気づかれないようにチャットに映る文字を見つめて、わたしの想いは間違ってなかったなと気づくんだ。
放課後になった。
慌てて席を立つわたしは急いで教室を出ようとする。
周りを良く見ていなかったから、掃除用具を持っていた西原さんとぶつかってしまった。
きゃあ、ちょっと誰よ! という声に、わたしは瞳合わせずに駆け出していく。だって、これはきみとわたしの間に浮かぶ緊急事態だったから。
「ああ、灯里さんごめんなさいっ。
でもわたし行かなきゃ!」
「え、すいちゃんどうしたの!」
わたしはかまわず学校を出て行った。そのまま走っていちばん早い便の電車に慌てて飛び乗った。
高い音を鳴り続ける心臓が、わたしの気持ちを落ち着かせてくれない。
それでも、最寄り駅に近づくになるにつれて、やっと鎮めてくれた。
あとはスポーツ飲料でも買っていけばだいじょうぶかな。
わたしはたどり着いた家で、呼吸を整えた。
そして、ドアチャイムのピンポンを鳴らした。……出てきたのはお母さんだった。湊くんの。
「あの、湊くんのクラスメイトの、結城といいます。
湊くんは、だいじょうぶでしょうか?」
そうだった。湊くんは季節外れの風邪にかかってしまって、学校を休んでいた。
「あら、優しい子ね。
湊は寝ているわよ、そのまま部屋にいらっしゃい」
彼の母親に招かれてわたしは部屋に入っていく。
畳の部屋に布団をかぶっている子は、いかにも苦しそうだった。
「……だれ?」
ひどい熱があるんだろうか。湊くんはこちらのことを見るなりうつろな目をしていた。
わたしのことを分かっていないようだった。
しばらくして、きみはわたしのことに気づく。そうして見せてくれた表情は驚いているのが明らかだった。
慌てて駆けつけるわたしは、きみの手を握る。
きみの不安そうな姿を見てしまうと、涙があふれそうだったから。
「湊くん、風邪って聞いて心配しちゃったよ」
「すい。来てくれたんだね。
でもだいじょうぶだよ」
その声は、ちょっとかすれていながらも、いつものきみの感じだった。
「すい……」
わたしは彼のおでこに、自分のを押し付ける。
きみの言うことも気にせずに。わたしたちは、目をつむったまま、何も言わずにその時間を味わった……。
「まだ熱がありそうだね。
……湊くん、まだ顔赤いよ、どうしたの?」
「えっ、でもさ……」
お互いの顔を近づけたからというのに、わたしはなにも気づくことはなかった。
生まれようという恋心に、気づく余裕はなかったから。
・・・
スポーツ飲料を預けて、わたしはきみの家を後にする。
夕日がこんなにも長い影をつくるなんて、なんだか悲しくなってしまう。
西原さんが言っていた言葉がしばらく胸に残ってしまった。“成瀬くんがちがう”という何気ないたった一言が、わたしの気持ちを目覚めさせるなんて思いもしなかった。