「それで、すいちゃんはどうしたいの?」
灯里さんはとなりの席に座ったまま、こちらに瞳を投げかけている。わたしのことを伺うように反応を待つのは、まるでしっかりもののお姉ちゃんのよう。
あの日以来、彼女との会話が増えていくのがうれしかった。
「やっぱりダメなのかなあ。
湊くんのこと下の名前で呼ぶのって」
わたしも椅子に腰掛けながら、机の上に広がるプリントたちを整理している。
この日、日直だったわたしは先生に授業のプリントと道具を集めて持ってきてほしいと頼まれた。そこに手伝うと言ってくれたのが彼女だった。
わたしは会話のひとつとして近頃考えていた思いを打ち明けていた。
「いいんじゃないかな。
それがふたりの仲なんでしょ」
「そうだけどさ、また付き合っているとか言われたら......」
......彼にも迷惑だよね。またその話題がぷかぷかと浮かんでしまったらどうしよう。つい小声になってしまう。
「もう、すいちゃんったら」
困った表情を作るわたしに灯里さんはだいじょうぶだよと念を押す。
「人間、心配してることって大体起きないらしいんだ」
そうなんだね。
「ほら、口角を上げてさ。
明るいきみが台無しだよ」
自分が信じるようにしようよ、西原さんはそう言ってくれた。
うん、ありがとう。
彼女が立ち上がるのに合わせてわたしも立ち上がった。
「......よいしょ!」
「灯里さんさ、道具たくさん持たせてごめんね。
職員室、となりの校舎だけどだいじょうぶ」
「だいじょぶだよ! これくらいなんともないよ」
灯里さんって力あるなあ。わたしは羨ましいと思いつつゆっくりと歩き出した。
部活に行った灯里さんと別れたわたしは、下駄箱で湊くんと出会った。
「すい! 今帰るところ?」
「う、......うん」
わたしは思わずたじろいでしまいそうなところを慌てて取り直し、平然を装って靴を出した。
湊くんも同じタイミングで靴を履きなおしていて、並んで校舎を出た。
どちらからも一緒に帰ろうと言わない。それでもわたしたちは歩幅を合わせて歩いていく。
お互いの歩調はこつこつと、小気味いいリズムのよう。
これがふたりの関係なんだから。
電車の窓から見える景色はあっという間に通り過ぎていく。
その光景は、まるで水族館で泳ぐ魚を小さな窓から覗いているみたい。
わたしはずっと窓の向こうの景色を眺めていた。本当はひとりで帰っても良かったのかもしれない。でも、なんとなくきみを置いていくなんてしたくなかった。
何か話したいのに、なにも話すことができない。そんなもやもやを胸に秘めたまま、わたしの口からはなにも吐き出せないでいた。
そのとき、カーブに差し掛かった乗客たちを揺らす。
手すりに捕まっていないわたしは、思わず前のめりに倒れこむ。思わず湊くんの体にバウンドするようにもたれかかった。
その拍子で抱きしめるように彼もわたしを支えてくれる。
「え! あ......、ごめん」
「ご、ごめん!」
わたしたちは慌てて距離を離した。顔が真っ赤なわたしは、さらに話すことを失ってしまった。慌てて前髪に手を触れる。
「ねえ、すいさ......」
改札口を出たところで、ようやく湊くんが声をかけてくれた。
「え、なあに?」
「このところだいじょうぶ?」
熱でもあるんじゃないの、と言ってきそうな展開。
本当に心配してくれるのは伝わってくるのに、わたしはいたたまれなくなってどうしようもできなかった。
無意識のうちにいつもとは別の出口へ向けて足を向けてしまう。
「わ、わたし本屋寄っていくから」
口に出した言葉は、後から付けた理由でしかなかったんだ。
じゃあね、成瀬くん。わたしはそう告げて歩いて行った。
ぶらぶらと本屋の中をうろついていた。
文房具の棚に立ち、ボールペンを見たと思ったら、次はシャープペンシルの棚に目をやる。まるで、心の中がぐるぐると回るように瞳もひとつのところを映していなかった。
何周も本屋の中をさまよったところで、さあ帰ろうかとちらりと腕時計を見る。
そのまま歩いてしまったから、そこに置かれていたワゴンにぶつかってしまった。ワゴンの中には値下げされた文房具や小物といった商品がずらりと並んでいる。
その中のひとつにわたしの瞳は釘付けになった。
・・・
こういう時間帯を夜のとばりっていうんだっけ。
カーテンの隙間からちらりと外の様子を眺めてみて、こないだ授業で聞いた言葉を思い出してみた。
人々が寝る時間なんだろうな。それでもわたしはまだ勉強机の前に座っていた。
さっき本屋で買ったのは小さなメッセージカードだった。
ここに、湊くんへの言葉を書きたい。
ずっと感謝しているから。ずっと謝りたかったから。
それなのに、いざ言葉にしようとすると口からなにも出ないように、筆も全く進まなかった......。
「......すいちゃん、だいじょうぶ?」
となりの席に座るクラスメイト、里美さんがわたしの腕を指でつつく。
登校するなりふらふらと席に着いたわたしだから、心配されるのも無理はなかった。
「今日部活あるんでしょ、しっかりしてなきゃ」
「そうだね......」
わたしはそう答えたきり、いったん机に伏して眠ってしまった。
寝不足だったのが災いして、その後も寝たり起きたりを繰り返して、授業も聞いているのかどうかわからない感じになってしまった。
さあ、部活くらい気合入れないと。
ようやく目が覚めたわたしを料理部のみんなは出迎えてくれた。
今日は定期的に行われるお茶会の日。みんなで同じおやつを作って紅茶と一緒にいただく、大切なイベントの日だ。
「どのグループも上手くできそうだね」
里美さんに言われて、わたしも大きく頷いた。カップケーキの甘い香りが調理室の中を包んでいる。
ああ、やっぱりそうなんだね。
わたしは自分の想いが間違っていないことに気づいた。
粗熱が取れたままのケーキを素早くラッピングすると、足早に調理室を出て行った。
自分が信じるようにしようよ、という言葉が胸によみがえる。
目指すは図書室なんだ。
そこに湊くんが待っている。待ち合わせしているわけじゃないけれど、今日は委員会の当番だと言っていたから、居るはずなんだ。
図書室の扉を開けると、わたしは目を丸くした。
そこにはカウンターを挟んで話している湊くんと、灯里さんの姿があった。
ふたりは息を切らすわたしのことを見るなり、何があったのかと問いかけてくる。
やがて、ああ、と小さくつぶやいた灯里さんは、
「私、小説を借りに来ただけだからさ。
もう帰るね」
と言って部屋を出て行った。わたしの耳元で、"がんばってね"とささやいて。
放課後の図書室にやわらかな夕日が差し込む。
その光はわたしの心を静かに落ち着かせてくれた。
「湊くんにこのケーキあげる。
......そして、今までごめんね」
湊くんはカップケーキを受け取るも、不思議そうな顔をしている。
「どうして、きみが謝るの?」
「だって、わたしたち付き合ってると言われちゃったから。
きみに迷惑をかけてるんじゃないかと思ってさ」
彼は小さなため息をついた。
「そうだね、最初の頃なんか村上にも言われたけどね」
ここで、湊くんは袋の中から小さなカードを取り出した。
わたしが恥ずかしくなるのを気にしないで、彼はそこに書かれているメッセージに目をやる。
"湊くんへ......"
わたしは昨日の夜から、ずっとそれだけしか書けなかった。
だから、本当は渡すのをためらっていたけれど、仕方なく包んだカードだった。
「とてもうれしいよ」
彼はにこりと笑う。
でも、と湊くんの瞳はこちらをまっすぐに向けて告げた。
「僕たちは付き合っているわけじゃないんだしさ、堂々としてたらいいよ」
「......え、湊くんって呼んでいいの?」
わたしは目をぱちぱちと鳴らしながらきみに向けて視線を合わせる。
その無言の頷きに、わたしたちの関係は変わらないと安心したんだ。
・・・
「あ......」
わたしが下駄箱に行くと、そこには灯里さんがいた。
彼女はわたしのことを待っていてくれたようで、こちらに気づくと手を振ってあいさつをしてくれる。
「あれ、成瀬くんは?」
「うん......、遅くなるって言われちゃって」
わたしが肩を下ろすと、彼女もため息交じりにそっかとつぶやいた。
「......でも、上手くいったんだよ!」
わたしは上目づかいになって握りこぶしをつくりながら戦果を報告した。
それに対して、灯里さんも声を上げて喜んでくれる。
「やったね、すいちゃん!」
「ありがとう、きみのおかげだよ」
そしてわたしはカップケーキのひとつを差し出した。
"灯里さんへ"その一言だけしか書けていないメッセージカードを添えて。
言葉で紡ぐことができなくても、気持ちがこもっていれば立派なプレゼントなんだ。
灯里さんはとなりの席に座ったまま、こちらに瞳を投げかけている。わたしのことを伺うように反応を待つのは、まるでしっかりもののお姉ちゃんのよう。
あの日以来、彼女との会話が増えていくのがうれしかった。
「やっぱりダメなのかなあ。
湊くんのこと下の名前で呼ぶのって」
わたしも椅子に腰掛けながら、机の上に広がるプリントたちを整理している。
この日、日直だったわたしは先生に授業のプリントと道具を集めて持ってきてほしいと頼まれた。そこに手伝うと言ってくれたのが彼女だった。
わたしは会話のひとつとして近頃考えていた思いを打ち明けていた。
「いいんじゃないかな。
それがふたりの仲なんでしょ」
「そうだけどさ、また付き合っているとか言われたら......」
......彼にも迷惑だよね。またその話題がぷかぷかと浮かんでしまったらどうしよう。つい小声になってしまう。
「もう、すいちゃんったら」
困った表情を作るわたしに灯里さんはだいじょうぶだよと念を押す。
「人間、心配してることって大体起きないらしいんだ」
そうなんだね。
「ほら、口角を上げてさ。
明るいきみが台無しだよ」
自分が信じるようにしようよ、西原さんはそう言ってくれた。
うん、ありがとう。
彼女が立ち上がるのに合わせてわたしも立ち上がった。
「......よいしょ!」
「灯里さんさ、道具たくさん持たせてごめんね。
職員室、となりの校舎だけどだいじょうぶ」
「だいじょぶだよ! これくらいなんともないよ」
灯里さんって力あるなあ。わたしは羨ましいと思いつつゆっくりと歩き出した。
部活に行った灯里さんと別れたわたしは、下駄箱で湊くんと出会った。
「すい! 今帰るところ?」
「う、......うん」
わたしは思わずたじろいでしまいそうなところを慌てて取り直し、平然を装って靴を出した。
湊くんも同じタイミングで靴を履きなおしていて、並んで校舎を出た。
どちらからも一緒に帰ろうと言わない。それでもわたしたちは歩幅を合わせて歩いていく。
お互いの歩調はこつこつと、小気味いいリズムのよう。
これがふたりの関係なんだから。
電車の窓から見える景色はあっという間に通り過ぎていく。
その光景は、まるで水族館で泳ぐ魚を小さな窓から覗いているみたい。
わたしはずっと窓の向こうの景色を眺めていた。本当はひとりで帰っても良かったのかもしれない。でも、なんとなくきみを置いていくなんてしたくなかった。
何か話したいのに、なにも話すことができない。そんなもやもやを胸に秘めたまま、わたしの口からはなにも吐き出せないでいた。
そのとき、カーブに差し掛かった乗客たちを揺らす。
手すりに捕まっていないわたしは、思わず前のめりに倒れこむ。思わず湊くんの体にバウンドするようにもたれかかった。
その拍子で抱きしめるように彼もわたしを支えてくれる。
「え! あ......、ごめん」
「ご、ごめん!」
わたしたちは慌てて距離を離した。顔が真っ赤なわたしは、さらに話すことを失ってしまった。慌てて前髪に手を触れる。
「ねえ、すいさ......」
改札口を出たところで、ようやく湊くんが声をかけてくれた。
「え、なあに?」
「このところだいじょうぶ?」
熱でもあるんじゃないの、と言ってきそうな展開。
本当に心配してくれるのは伝わってくるのに、わたしはいたたまれなくなってどうしようもできなかった。
無意識のうちにいつもとは別の出口へ向けて足を向けてしまう。
「わ、わたし本屋寄っていくから」
口に出した言葉は、後から付けた理由でしかなかったんだ。
じゃあね、成瀬くん。わたしはそう告げて歩いて行った。
ぶらぶらと本屋の中をうろついていた。
文房具の棚に立ち、ボールペンを見たと思ったら、次はシャープペンシルの棚に目をやる。まるで、心の中がぐるぐると回るように瞳もひとつのところを映していなかった。
何周も本屋の中をさまよったところで、さあ帰ろうかとちらりと腕時計を見る。
そのまま歩いてしまったから、そこに置かれていたワゴンにぶつかってしまった。ワゴンの中には値下げされた文房具や小物といった商品がずらりと並んでいる。
その中のひとつにわたしの瞳は釘付けになった。
・・・
こういう時間帯を夜のとばりっていうんだっけ。
カーテンの隙間からちらりと外の様子を眺めてみて、こないだ授業で聞いた言葉を思い出してみた。
人々が寝る時間なんだろうな。それでもわたしはまだ勉強机の前に座っていた。
さっき本屋で買ったのは小さなメッセージカードだった。
ここに、湊くんへの言葉を書きたい。
ずっと感謝しているから。ずっと謝りたかったから。
それなのに、いざ言葉にしようとすると口からなにも出ないように、筆も全く進まなかった......。
「......すいちゃん、だいじょうぶ?」
となりの席に座るクラスメイト、里美さんがわたしの腕を指でつつく。
登校するなりふらふらと席に着いたわたしだから、心配されるのも無理はなかった。
「今日部活あるんでしょ、しっかりしてなきゃ」
「そうだね......」
わたしはそう答えたきり、いったん机に伏して眠ってしまった。
寝不足だったのが災いして、その後も寝たり起きたりを繰り返して、授業も聞いているのかどうかわからない感じになってしまった。
さあ、部活くらい気合入れないと。
ようやく目が覚めたわたしを料理部のみんなは出迎えてくれた。
今日は定期的に行われるお茶会の日。みんなで同じおやつを作って紅茶と一緒にいただく、大切なイベントの日だ。
「どのグループも上手くできそうだね」
里美さんに言われて、わたしも大きく頷いた。カップケーキの甘い香りが調理室の中を包んでいる。
ああ、やっぱりそうなんだね。
わたしは自分の想いが間違っていないことに気づいた。
粗熱が取れたままのケーキを素早くラッピングすると、足早に調理室を出て行った。
自分が信じるようにしようよ、という言葉が胸によみがえる。
目指すは図書室なんだ。
そこに湊くんが待っている。待ち合わせしているわけじゃないけれど、今日は委員会の当番だと言っていたから、居るはずなんだ。
図書室の扉を開けると、わたしは目を丸くした。
そこにはカウンターを挟んで話している湊くんと、灯里さんの姿があった。
ふたりは息を切らすわたしのことを見るなり、何があったのかと問いかけてくる。
やがて、ああ、と小さくつぶやいた灯里さんは、
「私、小説を借りに来ただけだからさ。
もう帰るね」
と言って部屋を出て行った。わたしの耳元で、"がんばってね"とささやいて。
放課後の図書室にやわらかな夕日が差し込む。
その光はわたしの心を静かに落ち着かせてくれた。
「湊くんにこのケーキあげる。
......そして、今までごめんね」
湊くんはカップケーキを受け取るも、不思議そうな顔をしている。
「どうして、きみが謝るの?」
「だって、わたしたち付き合ってると言われちゃったから。
きみに迷惑をかけてるんじゃないかと思ってさ」
彼は小さなため息をついた。
「そうだね、最初の頃なんか村上にも言われたけどね」
ここで、湊くんは袋の中から小さなカードを取り出した。
わたしが恥ずかしくなるのを気にしないで、彼はそこに書かれているメッセージに目をやる。
"湊くんへ......"
わたしは昨日の夜から、ずっとそれだけしか書けなかった。
だから、本当は渡すのをためらっていたけれど、仕方なく包んだカードだった。
「とてもうれしいよ」
彼はにこりと笑う。
でも、と湊くんの瞳はこちらをまっすぐに向けて告げた。
「僕たちは付き合っているわけじゃないんだしさ、堂々としてたらいいよ」
「......え、湊くんって呼んでいいの?」
わたしは目をぱちぱちと鳴らしながらきみに向けて視線を合わせる。
その無言の頷きに、わたしたちの関係は変わらないと安心したんだ。
・・・
「あ......」
わたしが下駄箱に行くと、そこには灯里さんがいた。
彼女はわたしのことを待っていてくれたようで、こちらに気づくと手を振ってあいさつをしてくれる。
「あれ、成瀬くんは?」
「うん......、遅くなるって言われちゃって」
わたしが肩を下ろすと、彼女もため息交じりにそっかとつぶやいた。
「......でも、上手くいったんだよ!」
わたしは上目づかいになって握りこぶしをつくりながら戦果を報告した。
それに対して、灯里さんも声を上げて喜んでくれる。
「やったね、すいちゃん!」
「ありがとう、きみのおかげだよ」
そしてわたしはカップケーキのひとつを差し出した。
"灯里さんへ"その一言だけしか書けていないメッセージカードを添えて。
言葉で紡ぐことができなくても、気持ちがこもっていれば立派なプレゼントなんだ。