砂埃がまう。
人のうめき声と看守の大声、ムチの叩く音、あとは機械音。
それらが空間を埋めつくしそれ以上でも以下でもない空間で自分の体重よりはるかに重い何かを言われた通りに言われた所まで運ぶ。
毎日毎日、これの繰り返し。
目の前の人が視界から消え去ろうが、その人に向かって看守がムチを打ち続けようが、その人が死のうが何も驚かない。何も思わない。
ここで起こる1つ1つの事にいちいち驚いていたあの頃が懐かしい。
働いて、働いて、寝る。
それ以外にここでの選択肢はない。
それに僕には、生きてる資格なんてないんだから。
今日の労働が終わり、食事が与えられる。
食事は1日2回。
1切れのパンと少しの冷め切ったスープ。
皆それだけしかない食事をチマチマ時間をかけて食べる。
一気に食べてしまうと一瞬だけ訪れる幸福のあとは空腹地獄。
それでも僕の隣の奴はたったの5口で食事を終えてしまった。
理由は簡単。
「おい、今日もよこせ」
そういって僕のパンとスープを強引に取り上げるこいつは、もう3日も僕のご飯を食べて生きながらえている。
ここではよくある話だ。
力のないものが集められたこの空間でも優劣は存在する。
これを何も言わず受け入れる理由?
だって、僕は死ぬのを待つだけだから。
別にこれからに夢も希望も期待も何もしていから。
死ぬのが今日だろうが明日だろうが別に関係なかった。
「それでさ~ヤバイ! ズボン破けそう,,,,って思ってたら、なぜか見逃されたんだよ。よっぽど真剣な顔してたんだろうなぁ」
そんな僕たちをよそにこの食事の時間では1つの塊がいつもできる。
真ん中には1人の少年がいた。
多分僕と同い年くらいだと思うけど、こんな場所で笑顔が生まれる。
彼の周りだけはいつも輝いていた。
こんな場所だからなんだっていうんだ。こんな場所だからこそ楽しく生きないと。
彼はいつもそういってみんなの光になる。
僕とは真逆の人間。
いいな。なんて少し思ってしまうのはなんでだろう。
その時だった。ぼーっと彼を眺める視界がぐらっとゆがむ。
なんだ、これ。
スーッと靄がかかるような。
あぁいよいよ僕の番か。
それもそうだ。こんな環境で3日間も何も食べてなかったんだから。
あぁやっと向こう側に行ける。
やっと、皆に会える。
ぼんやりと僕を待っている人たちの影が形を成しているときだった。
「おい、お前。それこいつの分だろ」
その声に意識がぐっと踏ん張ったのを感じた。
気づけばさっきまであそこにいた彼が目の前に立っている。
「な、なにを証拠に。言いがかりはよせよ」
明らかに焦った様子の男に彼はグイっと近づき
「このこと看守にチクってやろうか? 」
と笑みを浮かべてつぶやいた。
これを言われてしまえば男は終わりだ。
あとは死まっしぐら。
こいつは”死にたくない側の人間”らしい。
顔を真っ赤にして立ち上がり僕を指さして叫んだ。
「こいつはハシュ族の生き残りだぞ! 生きてる価値なんてないんだよ! 何か文句あんのか? 」
八つ当たりともとれるその叫びはもれなく全員の耳を突き、一瞬にして全ての視線をこちらに集めた。
あぁ最悪だ。
場は大混乱。
「ハシュ」という言葉だけが響き渡る。
そうだ僕はハシュの生き残りだ。
大昔。それはもう大昔。
この世はハシュとパトラムという2人の男女しか生物が存在しなかった。
神様が用意した最高傑作。
争いのない平和な世界で2人は永遠の命と共に幸せな人生を送っていた。
自由だった。
自由で満ち溢れた世界。
しかし、そんな世界で暇を持て余したハシュとパトラムはその自由を
争いに使った。
ぬるま湯につかってきた彼らには自分の承認欲求を武器と力を使ってアピールすることしか脳がなかった。
海を荒し大地は裂け森は消えた。
それでもなおハシュとパトラムは戦い続けた。
自分の方が、自分の方がと。
神様はハシュとパトラムに平和と自由を与えたが知性を与えていなかったのだ。
神様が犯した初めての失敗だった。
傷つけて傷つけられる2人を見て神様は自分への戒めも含め2人を引き裂き「不幸の象徴」として一生を過ごさせる罰を与えた。
その2人のうちの1人、ハシュの血筋である僕ら一族はどんなときでも迫害されてきた。
今僕がここにいるのはその結果だ。
この国の人たちはこの言い伝えを生まれた時から教え込まれている。
「ハシュとパトラムには制裁を」
ここにいる人たちも例外ではない。
大声で騒ぐ食事部屋に看守が怒鳴り、ムチを鳴らしたことでその場はいったん収まった。
各々が僕を横目で見る中で彼だけが僕の事をまっすぐ見た。
何か言いたげだったけどきっとろくなことではない。
気づかないふりをして就寝部屋へ向かった。
狭い狭い部屋にぎゅうぎゅうに押し込まれる。
掛け布団はなく1枚の薄い布に全員で寝るのがここでのルール。
早く寝ないと明日の労働が体力的に辛くなることは分かっている。
分かっているのにあまりの空腹で眠りにつくことが出来ない。
あぁもう。この期に及んでまだお腹がすくのか。人間ってなんて非効率な生き物なんだ。
ぎゅっと目をつむり寝ることだけに神経を集中させていた時だった。
ぽんぽんと誰かが僕の肩を叩く。
目を開くことが全く苦ではなかったので素直に叩かれた方を見ると、さっき僕を見つめていた彼だった。
「ちょっといいか? 」
ひそひそ声でいう彼にうんと頷き部屋のすみっこに移動して狭い空間に2人で座る。
「これ、食えよ」
そう言って渡されたのは半切のパンだった。
「え、なんで」
「お前多分全然食べてないだろ。ここじゃ食べなきゃやっていけないぞ」
そういってまたずいっとパンを差し出してきた。
正直ありがたすぎる。3日ぶりのパン。
言われるがままパンにかぶりついてしまった。
そんな僕を少し見つめてから
「ハシュの生き残りってほんとなの」
そう問うてきた。
こんな貴重なパンをもらったんだ。
いまさら無視などできない。
「うん。ほんと。生きてて、ごめんなさい」
彼の目を見てから服を少しめくった 。
ハシュとパトラムの生き残りには生まれてすぐ腹部に焼き印が押される。
これから罪を背負って生きていく者としての覚悟のようなものだ。
僕の食べ物を奪った奴にはこれがバレてしまったんだ。
これが何よりも証拠になる。
自分はハシュの生き残りだと。
「パトラムの生き残りにあったことあるか? 」
彼はさっきまでのトーンと大差なくそんなことを聞いてくる。
驚く様子も珍しがる様子もなく、少しだけいつもより真剣なまなざしで。
「ないよ」
僕らはほとんど外の世界の事を知らない。
家から出られなかったんだ。
「パトラムの生き残りがいたら嬉しいか? 」
「パトラムの、生き残り? 」
少し考えるけど答えはすぐに出た。
「そりゃ嬉しいよ。いろんな話がしてみたい」
同じだからこそ分かることが沢山あると思う。
パトラムを愛せるのは僕らハシュだけ。僕らの事を愛してくれるのもきっとパトラムだけだと思う。
僕の顔を見て彼はフッと笑った。
凄く優しく。
「見て」
そう言いながら服をめくる彼の視線の先を見て
そして反射的に涙がにじむのを感じた。
「おそろいだな」
彼の腹部にもまた僕のと同じ焼き印が押してあった。
「俺はパトラムの生き残りだ。嬉しいよ。こんな日が来るなんて思ってなかった」
そう言って彼は僕を抱きしめた。
人からのぬくもりなんてとっくに忘れていた。
互いが互いに「今までよく頑張った」と強く、強く背中をさすった。
彼は自分をカイルと名乗った。
カイルも僕と同じように外に出ることはほとんどなくひっそりと生きていたんだって。
でもある日、国の偉いやつらが家に強引に入ってきた。
何が何だか分からないカイルが分かったことは1つだけ。
泣き叫び、頭を垂れ、命乞いをする家族はカイルを生贄として国に差し出したという事。
そんな過去を持っていながらも強く生きるカイルを心から尊敬した。
僕にはできなかったことだから。
ハシュに生まれたという運命に人生をあきらめ、死ぬのを待つことしかできなかった僕には立派すぎる。
「俺さ、ここを脱走しようと思ってるんだ」
それでもこの言葉だけはさすがに無理があると思った。
「ロマにも来てほしい」
そう僕の名前を言い、僕の目をまっすぐ見ていう。
カイルだってわかってるはずだ。
ここで脱走を試みた人たちがどんな目にあっているのかを。
「脱走だなんて。脱走しようとした人が見せしめで死ぬまで国中を引きずり回されたの知ってるでしょ? 」
脱走なんてやめようよ。そう言う僕をみて今度は凄く悲しそうに笑った。
「分かってるよ。失敗して、死ぬかもしれない。でも俺はやりたいんだ。やらずにここで死ぬならやってみて死ぬ方がよっぽどいい。俺は誰よりも幸せに生きてやるんだ。そうなる手段がどんなに危険でも、やってみないと始まらない」
だんだん顔つきが強くなり、言葉に芯を持ち始めた。
「ロマ、お前はどうしたい? どう生きたい? 」
僕の、生きる道。
考えたことがなかった。
今はまだ分からないけど。
「カイルと一緒なら。何か変わるかもしれない」
そういって2人で脱獄を決意した。
そうは言っても簡単な事じゃないことはわかりきっている。
あれから数週間経つが脱獄のことなんて考えている暇もないくらい目まぐるしい。
今日も人が目の前で死んでいく。
その時だった。
仕事場に響き渡るサイレンの音。
慌ただしい看守たち。
どうしたらいいのか、何が起こっているのか、誰も何も分かっていなかった。
ただただ看守たちはどんどん1つの方向へ走って行く。
そうだ。カイルは? カイルはどこに行ったんだ。
「ロマ! 」
呼ばれる名前にあたりを見渡す。
声の正体を見つけるよりも先に手を引かれた。
「カイル! どこにいたの? 」
「火事起こしてた。ここが俺たちの人生の分かれ道だぞ。止まるなよ! 」
そう言って沢山の土煙と火の煙を抜け、苦しくても、もう止まってしまいたくなっても、振り返ることなく走った。
手を離したらもう二度とカイルに会えなくなる気がしてぎゅっと手を握りひたすらに走った。
「おい! 止まれ! 」
煙の中で看守の声が響く。
まずい。
バレた。
もう引き返すことはできない。
次、どちらかが捕まった時待っているのはもれなく「死」
「ハシュ、パトラム! とまれぇ! 」
違う。
違う違う違う。
僕はハシュじゃない。ロマだ。
カイルはパトラムじゃない。カイルだ。
勝手に運命を決められてたまるか。
自由になるんだ。
幸せになってやるんだ。
「ロマ! もうすぐだ! 」
「う、うん! 」
煙で看守は1度僕らの事を見失ったみたい。
でもそれは僕らも同じことで、いつ、どこから看守が出てくるか全く分からなかった。
だから走った。
ひたすらに。
もう肺まで酸素が回らない。
足はいまにもつって倒れてしまいそうだ。
視界も残像が残り鮮明に見えない。
それでも走り続けた。
小さな穴に身を入れ込み地面が割れそうなほどの叫び声やサイレンたちにわき目も降らず。
木の枝が手や足を霞めようとも、大きな石を踏み足が切れようともただひたすらに。
そして僕らは
絶望の檻を背に広い広い世界に足を踏み入れた。