赤城さん達の浮気現場を押さえたあの日以降、同じクラスの木原くんのマークに徹した。
その理由は、加茂井くんを浮気現場に遭遇させない為。
ところが、後をつけてるうちに気付いた。
彼はさすが学校一のモテ男。四六時中彼の元から女が尽きない。
高校入学直後からヘッドホンで耳を塞ぐ生活をしてきたせいか、彼をマークしているうちに今まで見ていなかったものが少しずつ見えるようになっていた。
次第に、そろりと教室からいなくなった時はだいたい密会しているとわかるように。
浮気現場を発覚したあの日に屋上から彼らを追い払ったせいか、密会場所はB棟二階の美術室になっていた。
別棟の芸術棟は普段人が立ち入らない上に鍵がかけられていないからだろう。
二人がいちゃいちゃしている所を見る度に気分は害されるけど、次第に赤城さんは本気で彼が好きなんだなぁと思うようになっていた。
1週間のうちの3〜4回は密会場所にいることがわかったので、次は加茂井くんのガードへ周った。
つい先日までハートまみれだった目線は、今や心配の目線に。彼女に裏切られてることも知らずに過ごしていると思うだけで胸が引き裂かれそうになる。
「ねぇ、どこかで沙理見なかった?」
加茂井くんが廊下で誰かにそう聞いていた瞬間、私まで後ろめたい気持ちになって背筋がシャキーンと伸びた。
低い体勢のまま廊下側に身を寄せると、赤城さんの友達に行方を聞いている。
探しに行かれるとまずいと思って、事前に用意したある物をカバンから取り出してから廊下へ向かうと、廊下の奥へ足を進めている彼の後ろから小瓶のコルクを引き取って中身をばら撒いた。
心の中で申し訳ないと思う気持ちと戦いながら。
ザーーーッッ……。
彼は後ろから波のように訪れた1.5ミリほどの大量のビーズが視界に入り、進めていた足を止めて振り返った。
私はそこで勇気を振り絞って言う。
「あっ……あのっ…………。そのビーズ……、私と一緒に拾ってくれませんか」
これを伝えるだけでも顔が真っ赤になった。何故なら、今回が彼へのファーストコンタクトだから。
「えっ……。いいけど」
「あああ……ありがとうございます! でっ……できれば、こここ……この小瓶に……いいいっ入れて…………くだ……さい」
緊張するあまり、唇がガクガク震えて顎が外れるかと思った。
しかも、いまから200個ほどのビーズを彼に拾わせようとしているし。
「こんな大量のビーズを何に使うの?」
「そそそそ……それは…………(加茂井くんの足止めをするために持ち歩いていたなんて言えるはずがない)」
「ん?」
「みっ……、見るだけです」
「…………」
呆れた目が届き、一瞬で罪悪感に苛まれる。
でも、見事に足止めは成功。彼は一粒残らずビーズを拾ってくれた。
この時は何とかしのげたけど、別の日も赤城さんを探す様子が見かけられたので、その度に別の作戦を決行した。
ある時は、わざと加茂井くんにぶつかって保健室に連れて行ってもらったり。
そして、ある時は職員室で先生が呼んでいたと嘘をついたり。
自分のしてることが間違えだとわかっていても、彼を傷つけまいと思って現実を隠し通した。
――しかし、限度というものもあって……。
昼休みの時間を使って文化祭のクラスの展示物を作成している最中、担任教師は彼に言った。
「加茂井くん。今日、日直だったよね」
「あ、はい?」
「美術室に行って絵の具を持ってきてくれない? 壁面の展示物で使う分が足りなくなっちゃったから」
「わかりました。どの辺に置いてあります?」
「準備室の中に入ればすぐにわかるよ」
「了解でーす!」
この会話が耳に入った瞬間、私は冷水を浴びたかのように血の気が引いた。
何故なら、木原くんが先ほど教室から出ていった所を見届けていたから。
「わわわ……私が……行きます」
教室を出ていこうとしている加茂井くんに勇気を振り絞って言ったはずが、声が小さかったせいか既に教室の外へ。私は焦って後を追い、彼の前に立ちはだかった。
これだけでも息が上がるくらい緊張するのに。
「あっ、あの……」
「どうしたの? 俺に何か用?」
「びっ……美術室には私が行くので……、加茂井くんは教室へ……」
「いーよ。ここから2分もかからないし、息抜きになるし」
「でっ、でも……教室でみんなと制作物をしていた方が楽しいだろうし……」
「矢島こそみんなと制作物を作っていた方が楽しいんじゃない?」
「やっ、矢島……って。加茂井くんは……、私の名前を知ってたんですね」
――片想いとは実に不便なものだ。
彼が名前を覚えてくれてるだけでも天に昇るような気持ちに。
一瞬ニヤ〜としてしまったけど、彼はものともせずに横をスッと通り過ぎた。
「当たり前だろ。クラスメイトなんだから」
風が肌に触れた瞬間、シャボン玉がパチンと弾けたように目が冷めた。
「あっ、加茂井くん……」
廊下に散らばっている生徒の隙間を通った背中にそう声をかけたけど届いていない。
赤城さんの秘密を握る者として加茂井くんの足を止めるのが正解だけど、恋心が邪魔をして口を塞いでくる。
それに加えて、自身もこのままでいいのかと葛藤する。
確かに加茂井くんの気持ちを守りたい。それは紛れもない事実だけど、その反面赤城さんの浮気が許せない。
こんな曖昧な気持ちのまま2週間が過ぎ、無意識のうちに赤城さんに有利な方へ加担してしまっていた。
どうしたらいいのかな。
赤城さん達の関係を隠し通せば、彼は浮気を知らなくて済む。でも、裏切られ続けている。
もう一つは、手を貸さずに浮気に気づいてもらうことを待つ。でも、それは彼の幸せを奪ってしまうことに。
一人その場に佇んだまま考えていた。
誰の幸せを一番に考えるべきかを……。
――美術室まで約2分。こうしている間にも次の結果へと突き進んでいる。
そう考えたら、今回は一旦彼の足止めをして、また時間のある時に次のことをゆっくり考えればいいやと思い、走って彼の後を追った。
……ところが、時は既に遅し。
渡り廊下を通り過ぎてB棟に足を踏み入れると、彼は既に美術室の前に立って何かを見つめていた。
その眼差しは今にも壊れてしまいそうなほど切ない。
多分そこに映っていた光景は、私が数回に渡って見続けてきた光景と同じだと思う。だから、声をかけることが出来なかった。
呆然と立ち尽くしていると、彼は美術室から目を外してこっちへ走り向かってきた。
私は頭がすっからかんになりながらも、気まずさとやるせなさに押しつぶされてしまったせいか、すれ違いざまに口を開いた。
「あっ、あの……。何と言ったらいいかわかりませんが……元気を出して下さい……」
すると、彼は反応して二、三歩先で足を止めると、背中からボソリと言った。
「どうして矢島が気にかけるの?」
「えっ」
「もしかして、沙理達の関係に気づいてたの? だから、何度も俺を引き止めたんだよな」
「そ、それは……」
「俺だってあいつらの関係に薄々気づいてたよ」
「えっ」
「惨めだと思ってんだろ。大切にしている彼女をあっさり他の男に取られるなんて」
「そっ、そんなこと思ってません……」
「悪いけど、人が信用できない」
「加茂井くん」
「いまは余裕ないから話しかけないでくれる?」
彼はギリギリ聞こえるくらいの声でそう言うと、渡り廊下を駆け抜けていった。
胸に爆弾を抱え続けていたのは彼も一緒だったけど、私は最後まで気が利いた言葉を届けることができなかった。