昼休みの終わりの時間が迫ってきたので、私と加茂井くんは教室に戻ることにした。
しかし、普段は誰もいないはずの四階階段の踊り場で赤城さんはスマホを耳に当てながら誰かと電話をしていた。
「大地〜、早く会いたいの〜っ!! ……うん、…………うん。じゃあ、いま『沙理が好きだよ』って言って。…………うん、うん、それでもいいからぁ!」
彼女が名前を言った瞬間、電話相手がはっきりした。
赤城さんは加茂井くんと別れたことを公にしていないせいか、校内で木原くんと一緒にいる回数は少ない。だから、こうやってこっそりと連絡を取ってるのではないかと思った。
本音を言うならこの場を通りたくない。
しかし、いま私達がいる本棟は二階の渡り廊下以外繋がっていないので、ここを通らなければ教室には戻れない。
一方の加茂井くんは、不意打ちを食らったせいか私の手をギュッと握りしめて階段を下るペースを早めた。私もそれに合わせて駆け下りた。
彼がいきなり手を繋いできたことに驚いたけど、頭の中に私がいないことはわかっている。
キーンコーンカーンコーン……。
三階の踊り場に差し掛かった時にチャイムが鳴った。まるで、彼の気持ちに区切りをつけさせるかのように。
私はそのタイミングで聞いた。
「いま辛いですよね……」
「……」
「何でも言って下さいね。私に出来ることだったら何でも力になります。だって私は、加茂井くんの……っっ!!」
そう言ってる最中、彼は突然両手で私の頬を抑えて顔を近づけた。
その瞬間、心臓がドキンと跳ねた。
一瞬、キスをされるかと思った。
でも、実際はおよそ2センチのところで寸止めしている。
お互いの唇は届かなくても、触れてるようなむず痒い気配が届く。それだけでくらくらとめまいもしてきた。
しかし、その隙間から聞こえてきたのは、上履きの音を鳴らしながら私達の横を通り過ぎていく音だった。
――そこでようやく気付いた。
恋人のふりはもう始まっているのだと……。
それが5~6秒ほど続いた後、彼は頬から手を下ろして階段の奥に消えていく彼女の背中を見て言った。
「あいつ、俺らのことを見てたよな。チャイムが鳴るとすぐ教室に戻るタイプだから見せつけるチャンスだと思ったよ」
「……」
「矢島?」
「……は、……ひっ」
「お前っ……、顔真っ赤っ赤!!」
しまりのない顔に、頼りない返事。その上、興奮を通り越して今にも魂が抜けそうになっている。
それもそのはず。偽恋人になることは了承したけど、キスのフリをするなんて聞いてないから。
しかも、それがあまりにも唐突だったから、先ほどの屋上に気持ちが置きっぱなしになっている。
「あっ、あのっ……。急にこーゆーことをされても……心の準備が整わなくて……」
「……もしかして、キスの経験がない?」
疑惑の目でそう聞かれたけど、素直に首を縦に振りたくなかった。
「キスの経験くらいありますよ。フクちゃんと何度も……」
「……あのさ、フクちゃんって猫だったよね?」
「そう、ですけど……」
そう答えると、彼は右手で頭を抱えて「はぁ」と深い溜め息をついた。
「あのさ……。やっぱり矢島に偽恋人は努まらなそうだからやめよ」
「えっ! 嫌です。赤城さんにヤキモチを妬かせるには恋人を演じるのが一番です」
寄り添う姿勢とは対照的に、だらしない口元からはよだれが溢れそうになっている。
そりゃ好きな人からフリでもキスされそうになったら嬉しくない人なんていない。大げさに言えば、明日の幸せさえ約束されているようなもの。
「この程度で顔を真っ赤にするやつに提案するレベルじゃないと思う」
「わっ、私はっっ!! 加茂井くんの力になりたいので偽恋人になりたいです」
「……そんな顔してんのに?」
「でっ、出来ますよ! 恋人を演じるくらい。絶対、絶対、目標が達成するまで偽恋人を辞めませんから!!」
「じゃあ、少しずつ慣らしていこうか」
彼はそう言いながら再び顔を接近させると、少し落ち着いてきたはずの顔色は再び点火した。
頭の中が先ほどのキス色に染まると、心臓が口から逃げ出しそうになった。
「はっ、はい……。もしかしたら、途中で心臓が止まるかもしれませんが」
「ばーか。お前の心臓止まったら沙理に復讐できなくなるよ」
「その時はもう一回心臓を動かします!!」
「お前、すげぇな……」
私達の関係は出だしから不調だ。
でも、加茂井くんと少しずつ心の距離を縮めているうちに、毎日が楽しくなって嫌だと思っていた高校生活がバラ色に染まっていった。
人間とは実に単純なものだ。
正直、復讐は乗り気じゃない。万が一、赤城さんの気持ちが加茂井くんに残っていたとしたら、偽恋人を演じることによって傷つけてしまう可能性があるから。
それに、復讐しても赤城さんの感情が揺れ動かない可能性もあるから、逆に彼が傷つかないかと心配している。