『奏真さん、何があったの?』

 昼休みになり、私と谷岡さんは弁当を持ちながら人が少ない外のベンチへと足を運んだ。

 やはり約束通り、谷岡さんにあの日のことを打ち明けないといけないのだろう。私はゆっくりと口を開いて深呼吸をした。

 『私、中学校のときにいじめられたことがあるんだ。消えちゃえばいいって言われて、すごく傷ついた。何で私が言われなきゃいけないのかなって思って、気がついたら声が出なくなってた』

 どうしてだろう。いつもよりもスラスラと手が進む。自分の体験を語っているからなのか、あるいは谷岡さんに話しているからなのか。それはよく分からない。

 『ストレス性失声症って診断されてから、もう三年くらい声が出てない。今朝もそのことをクラスの女の子たちに馬鹿にされて辛かったんだ』

 そう書いていると、三年前のあの日の出来事や、『消えちゃえばいいのに』という彼女の声がフラッシュバックする。

 書いている紙に、一粒の雫がこぼれ落ちる。

 ――私じゃなくて、谷岡さんの涙。谷岡さんの涙は美しい雨のようにとても儚く、桜と共に散ってしまいそうな透明な涙だ。

 『谷岡さん、ごめんね。谷岡さんには関係ないのに、こんなこと話しちゃって』

 『ううん、違うの。私こそ泣いちゃってごめん。辛かったよね、奏真さん』

 谷岡さんはそう書きながら、私のことを優しく軽く抱きしめてくれた。谷岡さんの花のような香りがふわっと匂う。

 谷岡さんのたくさんの涙につられるように、私も目に冷たい涙が溜まっているのに気がついた。

 『人間ってさ、自分より下の人たちを苦しめる悪魔だよね。いじめとか戦争が無くならないこの世の中がほんと馬鹿馬鹿しい』

 『谷岡さんってすごいんだね。私はそんな考え方できないから、尊敬する』

 『そんなことない。奏真さんこそそんな体験があったのに今高校行けてるのすごいよ。奏真さんは頑張ってる』

 谷岡さんが私の存在を認めてくれた気がして、私は胸がほっこりした。谷岡さんって少しだけクールで口調が冷たいときがあるけれど、人のことをしっかり見ていて本当は優しい人なんだなぁ。

 『でも頑張りすぎちゃだめだからね、奏真さん』

 『うん、分かってる。ありがとう谷岡さん』

 それから谷岡さんは何も言わず、書かずに私のことをそっと抱きしめながら、二人で静かに涙を流していた。


 『谷岡さんも私と同じ、ストレス性失声症なんだよね?』

 『何でそう思うの?』

 『カウンセラーの三波先生が、谷岡さんも私と似たような悩みがあるって言ってたの。だからそうなんじゃないかなって』

 しばらく二人で泣いたあと、私は思いきってそう聞いてみた。人には聞かれたくないことかもしれないけれど、谷岡さんなら真実を打ち明けてくれると思ったから。

 『うん、奏真さんといっしょ。私もだよ』

 『やっぱり、そうなんだね。谷岡さんも辛かったよね、なのに話聞いてくれてありがとう』

 谷岡さんも私と同じ、ストレス性失声症を患っているんだ。この出会いは神様が与えてくれたものだろうか、と思ってしまう。

 谷岡さんもストレス性失声症なら、私の話を聞いていてとても辛かっただろう。だから泣いていたのだと納得がいく。

 『そろそろ戻ろ。私で良ければいつでも話して』

 『うん、そうする。谷岡さんもね』

 自分が思っているなかで、谷岡さんとより心の距離が縮まった気がした――。