『ストレス性失声症です』

 医師にそう告げられたときは驚いた。中学二年生の “あの日” 、喉に何かが詰まっているような違和感が続いていて、念の為検査をしてみた。その結果 “ストレス性失声症” と診断されたのだ。

 だんだん声が枯れていって、今はもう声を発することができない。声を失ってから三年経ってしまったからか、自分の声を忘れてしまった。

 声が出せないこの世界なんて、生きる意味なんてあるのだろうか――。

 「おはよう、音葉(おとは)。朝ご飯できてるよ」

 そんなことを考えながら私はお母さんがいるリビングに行き、リビングにある椅子へ腰を掛ける。食パンを一片口に運んだ。
 もちもちした食感も口いっぱい広がる甘さも、あまり感じなかった。

 「今日も大丈夫? 学校行けそう?」

 ただただ頷くだけ。本当は学校なんて行きたくない。人間関係も勉強も――学校も。何もかもが好きじゃないから。

 けれど声を失った私を気にかけてくれる両親を、また困らせてはいけない。だから今日も学校へ行く。いまの私にできることだ。

 「音葉、行ってらっしゃい。気をつけてね」

 お母さんに見送られて、外へ一歩踏み出す。紫陽花が咲いて、そこら中に水たまりができている。昨日雨が降っていたのが嘘のように今日は日差しが眩しい。

 「……」

 無言で教室へ足を踏み入れると、また女子生徒が私のほうを見てコソコソ陰口を言っている。けれど私は、悲しいも辛いも何も感じなくなってしまった。

 「ねぇねぇ、奏真(そうま)さん、まだ声が出ないの?」

 「んねー、何か感じ悪いよね。声出せないなんて嘘じゃないの?」

 クスクス、と微かな笑い声が教室に響いた。嘘なんかじゃない。そう言いたいけれど、言えないだけなんだ。
 あの人達に、私の何が分かるのだろう。声と生きる希望を失った、私の気持ちなんて。

 「おい、席につけー。今日は転校生を紹介する。入ってきてくれ」

 担任の教師がそう言うと、クラスがざわめいた。どうやら私のことはどうでも良くなったらしく、転校生のことに夢中になっている。
 男子かな、女子かな。以前まではわくわく心が強かったのだろうけど、今は他人のことなんてどうでもいい。自分に精一杯だから。

 「転校生の、谷岡 美音(たにおか みのん)だ」

 谷岡さんが教室へ入った瞬間、クラスがざわっと騒ぎ出した。
 谷岡さんはふんわりボブがとても似合っていて、可愛らしい人だった。まさに陽だまりみたいな存在。

 「――谷岡は、声が出ない病気を持っているそうだ。みんな、仲良くしてやってくれ」

 え、と思わず声を出しそうになってしまった。いや、言おうと思っても声を出せないのだけれど。
 谷岡さんも私と同じような病気を持っているの……?
 何だか胸がざわざわする。今まで他人のことは興味がなかったのに、なぜか谷岡さんのことは気になる。

 「席はそうだな……。廊下側の一番後ろが空いてるから、そこにするか。奏真の隣だ」

 谷岡さんはこくん、と頷きながら私の隣の席へ座った。座り方もお上品で、私とは大違い。まさか隣の席になるとは思わず、頭の中まで鼓動が伝わるくらい緊張する。
 まつげが長くてサラサラな髪。お人形さんみたいで素敵な人だなぁ、と素直に思う。

 『そうまさん、よろしく』

 と、谷岡さんは短い言葉を紙きれに書いて渡してきた。私と関わってくれるなんて、やはり中身も素敵で誠実な人なのだろう。

 彼女が私の人生を変えてくれることは、思いもしなかったんだ――。