「谷岡さん……っ!」

 「……どうして、奏真さんが私の家に」

 初めて聞いた谷岡さんの美しい、透き通っている声色。言葉で話せているということはやはり女子生徒が言っていた “あのこと” は本当だったんだ、と思う。
 今日、話をしないともう戻れない気がする。だから決心した。谷岡さんを救おう、と――。

 「クラスの女の子に聞いたの。谷岡さんと同じ小学校だったからって。ごめん、勝手に聞いちゃって」

 「……そっか。そのことも知ってるんだね。でも奏真さんがここに来たってことは、私が吐いた嘘のこと、もう知ってるんだよね?」

 私はゆっくりと頷いた。そう、確かに最初は戸惑った。だって谷岡さんは私と同じ “ストレス性失声症” を患っていると言っていた。だから私に寄り添ってくれて、共感してくれるのだと思っていた。

 『あのね、谷岡さん実は――声が出ないフリをしていたんだって』

 そのことを今日、確かめに来たんだ。谷岡さんが嘘を吐いていたことを説明してもらうために。

 「歩きながら話そうか」
 
 私達はゆっくり歩きだした。沈黙が続いていつ話題を切り出せばいいのか分からなくなってしまう。
 それに私は制服で谷岡さんは私服だからか、道行く人に何か言われている気がして思わず耳を塞ぎたくなる。

 「奏真さん、大丈夫?」

 その優しい言葉にはっ、と気がつく。そうだ、私が辛いときには谷岡さんがいてくれた。声が出ない私を受け止めてくれた。
 いまも隣に谷岡さんがいる。だから私は大丈夫――。

 「……谷岡さん。谷岡さんは、もうストレス性失声症は治ってるんだよね?」

 「うん、そうだよ。私は中学生の頃、いじめられた。ノートに暴言を書かれたり、机を蹴られたり、本当に悲しかった。でも両親にも友達にも言えず、自分の心を押し殺していた。そんなとき声が出なくなって、ストレス性失声症って診断されたの」

 谷岡さんは息継ぎをする間もなく、自分の辛い過去を打ち明けてくれた。私と状況がとても似ている。いじめられていた私を助けてくれたのは、誰もいなかったから――。

 「初めは両親も心配してくれたけど、声が出ないことが当たり前みたいになってしまって、そのうち心配されなくなったの。私もどうでもいいやって思って。こんな馬鹿みたいな世の中で生きる必要ないって。それで本当についこの前、声が出るようになったの」

 「そうなんだ……」

 「うん。小学校はここの近くのところを行っていたけど、中学校のときに父の転勤と一緒に転校したんだよね。そのせいでいじめられたんだけど。で、高二になってまたこっちに戻ってきたの」

 思い返せば、谷岡さんの瞳には光が宿っていなかった。こんな人生なんてどうでもいい、そう言っているような。
 谷岡さんの打ち明けてくれた過去はとても悲しくて、私の胸の奥まで深く刺さった。

 「……どうして声が出るようになってたのに、ずっと嘘吐いたままだったの?」

 谷岡さんは私と全く同じ中学校人生を歩んできた唯一無二の存在だった。谷岡さんが転校してきたたとき、この人ならきっと私の人生を変えてくれる。そんな直感があった。
 本当にそうだった。三年間声が出なかった私を、谷岡さんは救ってくれた。だから谷岡さんが嘘を吐いた真実を知りたい――。

 「あなたを、助けたかったから」

 「……えっ」

 「だって奏真さん、私が転校してきた日の朝クラスメイトにいじめられてたでしょ。私、あのときから絶対奏真さんのことを助けようと思ってた。だって私と一緒だったんだよ、昔の私を見てるようだった。すごく……すごく、辛くなった……!」

 『声が出ないなんて、嘘吐いてるんじゃないの』

 そう言いながらクラスメイトは私を見て笑っていた。いつしか私はみんなとは違う、普通じゃない。そう思うようになっていた。
 そんなときに谷岡さんが転校してきておなじ状況の人に出会ったんだ。一人孤独だった私の傍にいてくれた、谷岡さん。

 谷岡さんは私のためを想って、嘘を吐いてくれていたんだ――。

 「……谷岡さん。ずっと私のことを支えてくれてありがとう。声が出るようになったのは谷岡さんのおかげ。本当にありがとう」

 「私は何も……っ」

 「谷岡さんが私を助けてくれたように、これからは私も谷岡さんの隣にいる。だから大丈夫。谷岡さんは一人じゃないよ」

 そう言って私は谷岡さんのことを軽く、でもぎゅっと強く抱きしめた。谷岡さんは静かに涙を流している。
 谷岡さんの泣いている姿を見るのは二回目だ。私の悩みを聞いてくれたときが懐かしくなる。

 「奏真さん、ありがとう……っ」

 「こちらこそ。谷岡さん、ありがとう」

 帰り道に見る空は雲一つない青空が広がっていて、とても綺麗だった。谷岡さんの顔が少しだけ赤くなったように見えたのは、気のせいだろうか――。