春の柔らかい日差しが、葉の間からこぼれてくる、昼下がり。
横で月紫が、人間界出版の子供用絵本を撫でて、微笑みをもらしている。
ふふ、ふふふ・・・・・・と。はたから見てるとちょっと不気味で、でもすごく、楽しそうに。
「やっぱり、憧れるなあ。ふふふ」
「好きだよな、月紫。それ」
煌は呆れたように苦笑いをしながら、ガイドブックから顔を上げる。
「好きなのはこれだけじゃないけど・・・・・・でも確かに、一番身近に感じる。月が出てくるからかなあ」
「かぐや姫、か。確かに、玉兎だもんなお前」
月紫が撫でていたのは『かぐや姫』の絵本。そして、開いていたのは、かぐや姫が月を見上げているページだ。
「ふふ、月になんて行ったこと、ないんですけどね。でも、一応祖先は月に住んでたってされてるから、興味はあるかも」
玉兎は月に、金烏は太陽に。今はもういないけれど、昔は住んでいた──そして守護していた、とされている。
この二種の動物はとても稀少であり、そして特別だ。
「俺もねーよ、太陽なんて。死ぬんじゃないのか、暑すぎて。ん、でも確かに俺、暑さには強いかも・・・・・・」
ちら、と頭上に浮かぶ太陽を見上げ、眩しさに目を細める。煌はあまり汗をかかないし、休みには銀桂商店街にあるサウナもよく入りに行く。同族の中には汗っかきですぐにバテるやつもいるのに。
ちなみに優牙は暑さに弱いので、入ったら最後真っ赤に蒸されてしまう。
「ご先祖さまはもっと強かったんじゃないんですか? 太陽に住む、なんて可能なのかはわからないけど」
「まあ、御伽話だろ、たぶん」
本気半分、疑い半分、といったところ。真偽は誰にもわからない。
月紫とよく図書館に来るようになって、数週間が経った。
そして、ここには案外人間界のガイドブックが多いこと、彼女が“主人公”という存在に憧れていることを知る。
──本当は・・・・・・沈んでいく自分を俯瞰的に見ていて、とても怖かったんです。昔から、いつか自分を大切に、自分が大切に、思う人ができたらなんて思っていたけど・・・・・・そう、物語の主人公みたいに。
でも、今の私なんて、誰が見つけてくれるだろう──って。
そう、月紫は悲しそうに微笑む。
それでも、本音だったのだろう。言い切ったあとは清々しそうな顔になって、以降会うたび、屈託のない笑みを見せることが増えた。
なんだかそれが、嬉しかったりする。
実は同じクラスだったり。クラス内ではあまり、話すことはないけれど。
「そういえば、いつ出発でしたっけ?」
「明後日、かな。しばらく図書館には来れないな」
そう、いよいよ人間界への旅立ちが明後日に迫っていた。会うたび優牙は弱音をこぼしてはため息をつき、荷造りの手が少し重そう。やっぱり怖いらしい。
本当になんで、彩羽学園に入学したのか聞きたい。
「そうですか。気をつけてくださいね」
「ありがと。気をつけるほど物騒ってわけでもないけど・・・・・・」
言いながら、伸びをして煌は芝生に横になった。木々を揺らした風が頬を撫でる。寝転びはしなかったが、月紫は姿勢を崩して座る位置を煌の頭あたりまでずらす。
「かぐや姫、ってどんな話だっけなあ・・・・・・なんで好きなの? てか、月紫って他になんか好きな話ないの?」
「え? えーっと、かぐや姫が好きなのは、・・・・・・えと」
見上げていた月紫の視線が、さっとそらされる。しばらく口を押さえて、目線を泳がせ、それからようやく覚悟を決めたようにこっちを見て、ちょっと恥ずかしそうに口を開いた。
「えっと、ちやほやされたいんですよ、私」
「・・・・・・え?」
一拍、置いてから、すごく申し訳ないと思いつつ爆笑した。月紫は言った直後に顔を両手で覆って、俯いてしまった。小刻みに震えている。
「ふふっ・・・・・・っはっはっはっ」
「・・・・・・恥ず・・・・・・これ、人に言うの」
「っ、ごめんごめん、だめだぁ、笑っちまった。そうか、かぐや姫ってちやほやされるもんな、五人に」
「あ、帝を含めて六人ですね。えーっと、あとは! 好きな話、ですよね」
ぱんっ、と顔から離した手を叩いて、空気を壊すように張り上げた声で、月紫は話題を転換する。まだ引かない紅が、彼女の顔を染めたまま。
煌は笑いを堪えきれずに中途半端な表情になりつつ耳を傾ける。
「桃太郎と、浦島太郎と、鶴の恩返しと・・・・・・」
「え? え? 待って、昔話のオンパレードなんだけど。他にないのか? そもそもなんで好きなんだ。なんでそのラインアップなんだ・・・・・・」
まさかの昔話が羅列され、その上まだまだ続きそうだったので、悪いと思いつつもつい遮ってしまう。
「桃太郎は、その、正義のヒーローになってみたいなって思って。えっと、あとは人助けをしたら綺麗なお城に連れて行ってくれるって嬉しいし、鶴の恩返しも、自分を助けてくれた人に恩返ししに行くって素敵じゃないですか?」
「・・・・・・なるほど」
「そんなところです。全部すごく自己中なんですけど・・・・・・やっぱり私の夢なので」
すいっと、また彼女の視線が恥ずかしげにそらされる。
そして、その先でなにかが視線に入ったのか、少し首が傾げられた。
「・・・・・・あ。また・・・・・・」
「ん? どうした」
同じ場所に視線をやる。
大きな木。その後ろから人影がのぞいている。
「あれ・・・・・・誰か、いる?」
「あ、はい。最近何回か見る子なんですけど。たぶん違うクラスの同学年の男の子。獏、かな」
煌も目を凝らしてみれば、その男子の様相がわかった。ここの生徒だろう。
長めの黒髪に、ちらりとのぞく白のインナーカラー。この狭い世界には個性豊かな色彩がそろっているが、ここまではっきりとわかれた二色なのはなかなか見ない。
片目は長い前髪で隠れていて、少し目つきの悪いもう一方の目はじっとこちらを見つめている。
「どうしたんだろ・・・・・・私を見てるのかは、わからないけど」
きょろきょろと二人で、周りを見てみる。
少し遠くに女子の集団。いろいろな種族が入り乱れている、同じクラスの女子たち。新しく入った人間界の芸能雑誌を見て楽しんでいるようだ。
反対側には一人で本を読む男子、その隣に女子。ぽつぽつ会話を交わしながら、難しそうな本を読んでいる。
と、このように、春の晴れた昼休みとあってその他にもたくさん人はいる。
誰を見ているのかわからないから、彼をちらちらと気にしつつも、二人は人間界のガイドブックを開いて広い世界に思いを馳せた。
横で月紫が、人間界出版の子供用絵本を撫でて、微笑みをもらしている。
ふふ、ふふふ・・・・・・と。はたから見てるとちょっと不気味で、でもすごく、楽しそうに。
「やっぱり、憧れるなあ。ふふふ」
「好きだよな、月紫。それ」
煌は呆れたように苦笑いをしながら、ガイドブックから顔を上げる。
「好きなのはこれだけじゃないけど・・・・・・でも確かに、一番身近に感じる。月が出てくるからかなあ」
「かぐや姫、か。確かに、玉兎だもんなお前」
月紫が撫でていたのは『かぐや姫』の絵本。そして、開いていたのは、かぐや姫が月を見上げているページだ。
「ふふ、月になんて行ったこと、ないんですけどね。でも、一応祖先は月に住んでたってされてるから、興味はあるかも」
玉兎は月に、金烏は太陽に。今はもういないけれど、昔は住んでいた──そして守護していた、とされている。
この二種の動物はとても稀少であり、そして特別だ。
「俺もねーよ、太陽なんて。死ぬんじゃないのか、暑すぎて。ん、でも確かに俺、暑さには強いかも・・・・・・」
ちら、と頭上に浮かぶ太陽を見上げ、眩しさに目を細める。煌はあまり汗をかかないし、休みには銀桂商店街にあるサウナもよく入りに行く。同族の中には汗っかきですぐにバテるやつもいるのに。
ちなみに優牙は暑さに弱いので、入ったら最後真っ赤に蒸されてしまう。
「ご先祖さまはもっと強かったんじゃないんですか? 太陽に住む、なんて可能なのかはわからないけど」
「まあ、御伽話だろ、たぶん」
本気半分、疑い半分、といったところ。真偽は誰にもわからない。
月紫とよく図書館に来るようになって、数週間が経った。
そして、ここには案外人間界のガイドブックが多いこと、彼女が“主人公”という存在に憧れていることを知る。
──本当は・・・・・・沈んでいく自分を俯瞰的に見ていて、とても怖かったんです。昔から、いつか自分を大切に、自分が大切に、思う人ができたらなんて思っていたけど・・・・・・そう、物語の主人公みたいに。
でも、今の私なんて、誰が見つけてくれるだろう──って。
そう、月紫は悲しそうに微笑む。
それでも、本音だったのだろう。言い切ったあとは清々しそうな顔になって、以降会うたび、屈託のない笑みを見せることが増えた。
なんだかそれが、嬉しかったりする。
実は同じクラスだったり。クラス内ではあまり、話すことはないけれど。
「そういえば、いつ出発でしたっけ?」
「明後日、かな。しばらく図書館には来れないな」
そう、いよいよ人間界への旅立ちが明後日に迫っていた。会うたび優牙は弱音をこぼしてはため息をつき、荷造りの手が少し重そう。やっぱり怖いらしい。
本当になんで、彩羽学園に入学したのか聞きたい。
「そうですか。気をつけてくださいね」
「ありがと。気をつけるほど物騒ってわけでもないけど・・・・・・」
言いながら、伸びをして煌は芝生に横になった。木々を揺らした風が頬を撫でる。寝転びはしなかったが、月紫は姿勢を崩して座る位置を煌の頭あたりまでずらす。
「かぐや姫、ってどんな話だっけなあ・・・・・・なんで好きなの? てか、月紫って他になんか好きな話ないの?」
「え? えーっと、かぐや姫が好きなのは、・・・・・・えと」
見上げていた月紫の視線が、さっとそらされる。しばらく口を押さえて、目線を泳がせ、それからようやく覚悟を決めたようにこっちを見て、ちょっと恥ずかしそうに口を開いた。
「えっと、ちやほやされたいんですよ、私」
「・・・・・・え?」
一拍、置いてから、すごく申し訳ないと思いつつ爆笑した。月紫は言った直後に顔を両手で覆って、俯いてしまった。小刻みに震えている。
「ふふっ・・・・・・っはっはっはっ」
「・・・・・・恥ず・・・・・・これ、人に言うの」
「っ、ごめんごめん、だめだぁ、笑っちまった。そうか、かぐや姫ってちやほやされるもんな、五人に」
「あ、帝を含めて六人ですね。えーっと、あとは! 好きな話、ですよね」
ぱんっ、と顔から離した手を叩いて、空気を壊すように張り上げた声で、月紫は話題を転換する。まだ引かない紅が、彼女の顔を染めたまま。
煌は笑いを堪えきれずに中途半端な表情になりつつ耳を傾ける。
「桃太郎と、浦島太郎と、鶴の恩返しと・・・・・・」
「え? え? 待って、昔話のオンパレードなんだけど。他にないのか? そもそもなんで好きなんだ。なんでそのラインアップなんだ・・・・・・」
まさかの昔話が羅列され、その上まだまだ続きそうだったので、悪いと思いつつもつい遮ってしまう。
「桃太郎は、その、正義のヒーローになってみたいなって思って。えっと、あとは人助けをしたら綺麗なお城に連れて行ってくれるって嬉しいし、鶴の恩返しも、自分を助けてくれた人に恩返ししに行くって素敵じゃないですか?」
「・・・・・・なるほど」
「そんなところです。全部すごく自己中なんですけど・・・・・・やっぱり私の夢なので」
すいっと、また彼女の視線が恥ずかしげにそらされる。
そして、その先でなにかが視線に入ったのか、少し首が傾げられた。
「・・・・・・あ。また・・・・・・」
「ん? どうした」
同じ場所に視線をやる。
大きな木。その後ろから人影がのぞいている。
「あれ・・・・・・誰か、いる?」
「あ、はい。最近何回か見る子なんですけど。たぶん違うクラスの同学年の男の子。獏、かな」
煌も目を凝らしてみれば、その男子の様相がわかった。ここの生徒だろう。
長めの黒髪に、ちらりとのぞく白のインナーカラー。この狭い世界には個性豊かな色彩がそろっているが、ここまではっきりとわかれた二色なのはなかなか見ない。
片目は長い前髪で隠れていて、少し目つきの悪いもう一方の目はじっとこちらを見つめている。
「どうしたんだろ・・・・・・私を見てるのかは、わからないけど」
きょろきょろと二人で、周りを見てみる。
少し遠くに女子の集団。いろいろな種族が入り乱れている、同じクラスの女子たち。新しく入った人間界の芸能雑誌を見て楽しんでいるようだ。
反対側には一人で本を読む男子、その隣に女子。ぽつぽつ会話を交わしながら、難しそうな本を読んでいる。
と、このように、春の晴れた昼休みとあってその他にもたくさん人はいる。
誰を見ているのかわからないから、彼をちらちらと気にしつつも、二人は人間界のガイドブックを開いて広い世界に思いを馳せた。