「よお。お前、今回は寮にいなかったらしいな」
夏休みが明けた。二学期一日目のHR前の時間、煌は同じクラスの優牙の席へ近づいて、声をかけた。少し離れた場所には月紫が座っているが、相変わらず基本的にクラス内で話すことはない。
「あ、久しぶり煌。お土産いる?」
一ヶ月ぶりに見る顔が笑って、こちらに温泉まんじゅう二十四個入りの箱を差し出してくる。半分ほどなくなっていて、社交的な彼がおそらくクラスメイトに配った跡なのだろうと推することができた。
「えっ、お前人間界行ったの?」
すぐさまそう察して驚くことができたのにはわけがある。獣人たちの暮らすこの街に、基本温泉はない。
それぞれの種が集まり暮らす集落のなかには湧く場所もあるかもしれないが、確か人狼の里にはなかったはずだ。
それでも信じられずに聞くと、あっさり優牙はうなずいた。
「うん」
「え? マジ?」
「うん」
「ええええっ」
朝の騒がしいクラス内で、その声はよく響いた。が、各々が会話に夢中で、こちらに注目が集まることはない。
「ちょ、煌うるさいよ。もう、まんじゅういらないか」
つい叫んだ煌に顔をしかめて、優牙は机に乗った温泉まんじゅうを片付けようとするもんだから、慌てて一個つかんだ。
「いるいる、いる。・・・・・・人間界ってお前、なにしに行ったんだ」
「二夏ちゃんに会ってきたの。毎年毎年、寂しかったんだよねー寮誰もいなくなるから」
いつだったか、実家が嫌いだと言い放った優牙。一人で残るのは寂しいと、口先では言いながらも頑なに帰ろうとしなかった。
ようやく重い腰を上げたかと思いきや、あんなに怖がっていた人間界に行っていたとは。
「すげー成長だな・・・・・・びっくりだよ」
「やめてよまじまじそんなこと言うの」
顔をそらして、しっしと乱雑に手を振られたので、煌は手元のまんじゅうの個包装を破る。
「それにしたってさー・・・・・・んっあれ、開かねえ・・・・・・あ、開いた──あひふにあひにいってたんは」
「なんて?」
「あひふにあひ・・・・・・っげほ、げほっ、ごほっ」
「いやいやいや落ち着いて」
まんじゅう一個を一呑みにしようとしたせいで、口の中の水分がどんどん失われていく。慌てて飲み込もうとしてむせ、次はゆっくり噛んで喉に落とし込み、繰り返し先ほどの言葉を伝える。
「んっ・・・・・・いや、あいつに会いに行ってたんだなーって」
「え、あ、うん。まあ」
「連絡先とか交換してたっけ? てかなんなら人間界でさらに旅行行ったんだ。それも、あいつと? あのうるさいやつと温泉? あっ確か旅行行くって聞いた気が」
「・・・・・・まあ」
確か二夏のいる商店街は別に温泉街ではなかったはずだ。
すると、優牙の視線がすいーっとずれていった。あ、恋バナ関連の話するとき俺こんな感じなのかな、などと月紫の言葉を思い出しつつ。
「えっお前が女の子関連で恥ずかしそうにしてんの初めて見た」
これまで幾人かとデートへ行き、付き合い、もしくは付き合うまでは行かずとも男女二人で出かけることの多かった優牙。いくらからかっても飄々と、煌も頑張れ〜とウザい反応しかしなかったのに。
「・・・・・・してないって」
ぎっと鋭く睨み返される。煌も特にそれ以上追求することなく、次はからかい始める。
「まあ、よかったよかった。お兄ちゃん安心したよ」
「煌の弟になったつもりはないけど」
なんとも刺々しい反応だ。一つ笑って、優牙の机に軽く腰をかける。
「優牙が。そっかー・・・・・・ついにか」
「煌こそ。・・・・・・知ってる? ちょっとよくない噂流れてるの」
急に不穏な空気を帯びた声を出して、優牙はそんな話題を持ち出してくる。彼の方を軽く振り向いてみれば、らしくないほど真剣な顔がそこにはあった。
「よくない噂? なんだよそれ」
「日華ちゃん関連のこと」
トーンの落とされた声で唐突に囁かれたその名に、煌は息を呑む。ずきっと、胸の奥、どこかに鈍い痛みが走った。
「っ──はあ?」
「煌が誰とも付き合わないの、故郷に残してきた大事な人がいるからだって言われてんの。まあ明け透けに言っちゃえば、恋人がね」
「そん、なんじゃ──っ」
「いや、僕は知ってるってば。僕に抗議しても意味ないよ。ただそれが、最近ひそひそされてるから」
「なんで」
十年間、優牙以外誰にも話してこなかった。そのはずなのに。
「どっかから話がもれたんじゃないのかな・・・・・・隠してきてもやっぱりどっかから出るもんだし」
「俺・・・・・・そんなんじゃ、ないんだけどな」
「わかってるって。そんな苦しそうな顔しないでくれる?」
言われて、自分の眉間に深いしわがよっていることに気づく。煌はそれを隠すように、くるりと優牙に背を向けた。
「ふー・・・・・・ごめんごめん。いや。まあ、気にしてもしょうがないだろ、噂なんて」
「でも最近、月紫ちゃんと仲良いんでしょ。てか好きじゃん」
「・・・・・・は? は? は・・・・・・? お前、なにをっ──」
唐突な暴露に、思わず机からずり落ちそうになる。
「それ大丈夫なの? あの噂聞いて、勘違いとかされたらさ」
「・・・・・・っふー・・・・・・」
何気なくこぼされた言葉。改めて座り直して、片手で額を押さえる。ため息しか出ない。
「お前さ」
「うん」
「お前・・・・・・お前さ」
「え?」
ちらりと振り向いて見た顔は、本気で不思議そうな色を浮かべている。再び額に手を当てた。なんだこいつ。
「お前、やめろよ。俺が・・・・・・あっさりそんな・・・・・・どこで聞いてきたんだ、その話」
「えー・・・・・・だってわかりやすいんだもん。授業中とかちらちら見てるから。図書館によく行ってるし、そのあとを月紫ちゃんが追うのも見てたから。なんならアピってると思ってた」
「キモっ」
なんでそんなに観察してるんだ。思わず彼の方向をばっと振り返ってから、身を引いて眉根を寄せるという、なんとも正直な反応が出た。
「えっ傷ついた。シンプル悪口じゃん」
「うん」
「うんって。うんって、ひどくない? ・・・・・・まあでも、とりあえず気をつけなよ」
「うーん」
忠告されても、正直危機感はない。曖昧な返事のまま止めておく。
──なぜならば今週末、二人で人間界に行く約束をしていたから。
すると急に、優牙が改めてこちらに向き直る。やけに真剣そうな顔で、椅子から立ち上がり視線を煌に合わせて。
「で、告白は?」
「・・・・・・もろもろ片付いたら、機を見て・・・・・・かな」
「うわー腰抜け。情けねえなあ! なに、機を見て、って。すぐしなよ」
余計なお世話だ。しっしと邪険に右手を振る。
「うるっさいな、もう。終わりな、この話」
「えー。まあ、いいけど」
優牙は再び彼の椅子に座り直す。
「で、煌、僕にお土産は?」
ヤバい。買ってない。これ絶対なんか奢れって言われる。もしくはさっき食べたまんじゅうを吐けって言われる。
「・・・・・・え?」
「帰ったんでしょ? 金烏の郷。お土産」
「あ、そろそろ予鈴が・・・・・・」
にこにことこちらに手を差し出してくる優牙。彼の視界からフェードアウトするように、煌は自分の席まで戻った。
夏休みが明けた。二学期一日目のHR前の時間、煌は同じクラスの優牙の席へ近づいて、声をかけた。少し離れた場所には月紫が座っているが、相変わらず基本的にクラス内で話すことはない。
「あ、久しぶり煌。お土産いる?」
一ヶ月ぶりに見る顔が笑って、こちらに温泉まんじゅう二十四個入りの箱を差し出してくる。半分ほどなくなっていて、社交的な彼がおそらくクラスメイトに配った跡なのだろうと推することができた。
「えっ、お前人間界行ったの?」
すぐさまそう察して驚くことができたのにはわけがある。獣人たちの暮らすこの街に、基本温泉はない。
それぞれの種が集まり暮らす集落のなかには湧く場所もあるかもしれないが、確か人狼の里にはなかったはずだ。
それでも信じられずに聞くと、あっさり優牙はうなずいた。
「うん」
「え? マジ?」
「うん」
「ええええっ」
朝の騒がしいクラス内で、その声はよく響いた。が、各々が会話に夢中で、こちらに注目が集まることはない。
「ちょ、煌うるさいよ。もう、まんじゅういらないか」
つい叫んだ煌に顔をしかめて、優牙は机に乗った温泉まんじゅうを片付けようとするもんだから、慌てて一個つかんだ。
「いるいる、いる。・・・・・・人間界ってお前、なにしに行ったんだ」
「二夏ちゃんに会ってきたの。毎年毎年、寂しかったんだよねー寮誰もいなくなるから」
いつだったか、実家が嫌いだと言い放った優牙。一人で残るのは寂しいと、口先では言いながらも頑なに帰ろうとしなかった。
ようやく重い腰を上げたかと思いきや、あんなに怖がっていた人間界に行っていたとは。
「すげー成長だな・・・・・・びっくりだよ」
「やめてよまじまじそんなこと言うの」
顔をそらして、しっしと乱雑に手を振られたので、煌は手元のまんじゅうの個包装を破る。
「それにしたってさー・・・・・・んっあれ、開かねえ・・・・・・あ、開いた──あひふにあひにいってたんは」
「なんて?」
「あひふにあひ・・・・・・っげほ、げほっ、ごほっ」
「いやいやいや落ち着いて」
まんじゅう一個を一呑みにしようとしたせいで、口の中の水分がどんどん失われていく。慌てて飲み込もうとしてむせ、次はゆっくり噛んで喉に落とし込み、繰り返し先ほどの言葉を伝える。
「んっ・・・・・・いや、あいつに会いに行ってたんだなーって」
「え、あ、うん。まあ」
「連絡先とか交換してたっけ? てかなんなら人間界でさらに旅行行ったんだ。それも、あいつと? あのうるさいやつと温泉? あっ確か旅行行くって聞いた気が」
「・・・・・・まあ」
確か二夏のいる商店街は別に温泉街ではなかったはずだ。
すると、優牙の視線がすいーっとずれていった。あ、恋バナ関連の話するとき俺こんな感じなのかな、などと月紫の言葉を思い出しつつ。
「えっお前が女の子関連で恥ずかしそうにしてんの初めて見た」
これまで幾人かとデートへ行き、付き合い、もしくは付き合うまでは行かずとも男女二人で出かけることの多かった優牙。いくらからかっても飄々と、煌も頑張れ〜とウザい反応しかしなかったのに。
「・・・・・・してないって」
ぎっと鋭く睨み返される。煌も特にそれ以上追求することなく、次はからかい始める。
「まあ、よかったよかった。お兄ちゃん安心したよ」
「煌の弟になったつもりはないけど」
なんとも刺々しい反応だ。一つ笑って、優牙の机に軽く腰をかける。
「優牙が。そっかー・・・・・・ついにか」
「煌こそ。・・・・・・知ってる? ちょっとよくない噂流れてるの」
急に不穏な空気を帯びた声を出して、優牙はそんな話題を持ち出してくる。彼の方を軽く振り向いてみれば、らしくないほど真剣な顔がそこにはあった。
「よくない噂? なんだよそれ」
「日華ちゃん関連のこと」
トーンの落とされた声で唐突に囁かれたその名に、煌は息を呑む。ずきっと、胸の奥、どこかに鈍い痛みが走った。
「っ──はあ?」
「煌が誰とも付き合わないの、故郷に残してきた大事な人がいるからだって言われてんの。まあ明け透けに言っちゃえば、恋人がね」
「そん、なんじゃ──っ」
「いや、僕は知ってるってば。僕に抗議しても意味ないよ。ただそれが、最近ひそひそされてるから」
「なんで」
十年間、優牙以外誰にも話してこなかった。そのはずなのに。
「どっかから話がもれたんじゃないのかな・・・・・・隠してきてもやっぱりどっかから出るもんだし」
「俺・・・・・・そんなんじゃ、ないんだけどな」
「わかってるって。そんな苦しそうな顔しないでくれる?」
言われて、自分の眉間に深いしわがよっていることに気づく。煌はそれを隠すように、くるりと優牙に背を向けた。
「ふー・・・・・・ごめんごめん。いや。まあ、気にしてもしょうがないだろ、噂なんて」
「でも最近、月紫ちゃんと仲良いんでしょ。てか好きじゃん」
「・・・・・・は? は? は・・・・・・? お前、なにをっ──」
唐突な暴露に、思わず机からずり落ちそうになる。
「それ大丈夫なの? あの噂聞いて、勘違いとかされたらさ」
「・・・・・・っふー・・・・・・」
何気なくこぼされた言葉。改めて座り直して、片手で額を押さえる。ため息しか出ない。
「お前さ」
「うん」
「お前・・・・・・お前さ」
「え?」
ちらりと振り向いて見た顔は、本気で不思議そうな色を浮かべている。再び額に手を当てた。なんだこいつ。
「お前、やめろよ。俺が・・・・・・あっさりそんな・・・・・・どこで聞いてきたんだ、その話」
「えー・・・・・・だってわかりやすいんだもん。授業中とかちらちら見てるから。図書館によく行ってるし、そのあとを月紫ちゃんが追うのも見てたから。なんならアピってると思ってた」
「キモっ」
なんでそんなに観察してるんだ。思わず彼の方向をばっと振り返ってから、身を引いて眉根を寄せるという、なんとも正直な反応が出た。
「えっ傷ついた。シンプル悪口じゃん」
「うん」
「うんって。うんって、ひどくない? ・・・・・・まあでも、とりあえず気をつけなよ」
「うーん」
忠告されても、正直危機感はない。曖昧な返事のまま止めておく。
──なぜならば今週末、二人で人間界に行く約束をしていたから。
すると急に、優牙が改めてこちらに向き直る。やけに真剣そうな顔で、椅子から立ち上がり視線を煌に合わせて。
「で、告白は?」
「・・・・・・もろもろ片付いたら、機を見て・・・・・・かな」
「うわー腰抜け。情けねえなあ! なに、機を見て、って。すぐしなよ」
余計なお世話だ。しっしと邪険に右手を振る。
「うるっさいな、もう。終わりな、この話」
「えー。まあ、いいけど」
優牙は再び彼の椅子に座り直す。
「で、煌、僕にお土産は?」
ヤバい。買ってない。これ絶対なんか奢れって言われる。もしくはさっき食べたまんじゅうを吐けって言われる。
「・・・・・・え?」
「帰ったんでしょ? 金烏の郷。お土産」
「あ、そろそろ予鈴が・・・・・・」
にこにことこちらに手を差し出してくる優牙。彼の視界からフェードアウトするように、煌は自分の席まで戻った。