「次、秋雨寮からムギと、千尋寮からココーっ」
 梅雨の終わり、湿気の多いある夜。
 彩羽学園の寮の中で、一番の面積を誇る男子千尋寮。その中は大勢の熱気も相まって夏さながらの暑さとなっていた。
 実況によって次の選手たちが読み上げられれば、うおおおっと低い声が寮を揺らす。
「お、優牙おかえり。めちゃくちゃアツかったぞ」
「あー煌。負けたー・・・・・・」
 先ほどの試合に出て、惜しくも負けてしまった優牙が、情けなさそうに頭をかく。
「いや、マジお疲れ様だった。あんな長い読み合いは久しぶりに見たな。実況も興奮してたろ」
 ちょっと早口になりかけるのを抑えながら、煌は優牙をなんの衒いもなく賞賛する。少し照れ臭そうになってから、優牙は笑みを浮かべる。
「あはは。頑張ったんだけどな〜。負けたわ」
「いやでも、あの実況の先輩確か一番歴長いぞ。そんな人をあんだけ興奮させるんだから、お前はすごかったってことだ」
「煌、・・・・・・照れるからそれ以上は」
 いつもは憎まれ口を叩き合う仲だ。先に耐えきれなくなった優牙が煌の肩を両手で押し返した。
「なに言ってんだ。ほら見ろ、後ろにもっとお前を褒めたい奴がいる」
「う・・・・・・わあ」
 彼の背後には、先輩かっこいいという目で見つめる後輩たちがいる。くるりと優牙を回して後輩たちへ向き直らせ、優しく背中を押して優牙をその群がりに放り込む。
「優牙先輩っ」「すごかったです」「あそこで中央じゃなくて端を取るなんて、先輩さすがでした」
 そう、結構年下からは慕われてんだよな、こいつ。
 委員会やクラブには積極的に顔を出すタイプで、陰で後輩から崇められるような存在だ。そして、煌としては、優牙自身がそうなるように努力していることを知っているから実は単純に嬉しい。
 話し相手を後輩たちに差し出した煌はそっとその場を離れて、人を縫って中央まで歩いていく。
 千尋寮の玄関から談話室をぶち抜いて作られた大きな空間、そこにいるのは男子ばかり。男子寮なので当たり前と言えば当たり前なのだけれど、その量といったら異常だ。イヌ科だけでなく、雑多な獣人の男子たちがごった返す風景は圧倒される。
 掻き分け掻き分けようやく辿り着いたセンターには、簡易的なステージがある。高校三年生の中から選ばれた“運営”が設置するものだ。
 周りにはさらに密度を大きくして、男子たちが群がっている。一際高身長である煌は、後ろからそれを覗き込んだ。
 多くの男子が見学する中、選ばれた二人が真ん中で行われているのは──ババ抜き、である。
 ババ抜き。そう、トランプを使ってタイマンで行う、あれ。
 今のような一学期の終わり、毎年夜な夜な男子寮で開催される定期トランプ大会。いつからか男子寮の伝統となっているらしい。煌が入学した十年前には既にあったので、かなり長い歴史を誇っているようだ。
 試合の日にはお菓子が持ち寄られてソフトドリンクの入ったグラスが並び、ちょっとしたパーティーの様相を呈している。
「いやー素晴らしい読み合いが行われていますね。あーっ捨てたっ、ついに一セット合ったみたいですね!」
 今熱狂的に実況しているのは、今年度卒業して人間界の大学へ進む高校三年生の生徒である。
 彼の熱い言葉と同時に辺りが湧き、煌もたまらず「おおっ」と声をあげた。
 この大会はトーナメント方式で数日にわたって開催され、夏休みに入る直前に決勝戦が行われることになっている。ただし、夜更けに。夜な夜な、ババ抜きが繰り返されるのである。
 教師には秘密の、アウトローな大会なのだ。
「あ」
 それから一試合が終わったタイミングでふと、黒い髪に白いインナーカラーをちらりと覗かせた、片目の隠れた男子が目に入る。
「あぁっお前、あのっ・・・・・・白黒──っ」
 あのときだけでなく、今まで何度か見かけた姿。いつも影からこちらを伺う、不気味なやつ。最近は雨続きで外に出れていなかったせいか、とんと見なくなった。
 一抹の懐かしさにも似た気持ちが浮かび、つい声に出てしまった。白黒だなんてとんでもないことを叫んでしまったものである。
 慌てて口を塞ぐが、賑やかな寮内でもその声は相手に届いてしまったらしい。すぐ目の前を横切ろうとしていたから、当たり前か。
「・・・・・・え? 俺? なにか用すか?」
 自身の容姿が白黒である自覚があるらしいそいつは、こっちに振り向いた。
「っああ、ん〜・・・・・・えっと」
 うまいこと会話を繋げられない。あの日目にしてから、彼のことは少し気になっている。なんとかして話したいんだけどなー・・・・・・。
「え、なんかやりました? 俺。すんません、気づかなくて」
 名も知らぬ彼は、目を泳がせる煌を見て、なにを思ったかすぐにすまなそうな顔になった。
「いや、特になにもされてないけど、えーと、同じ学年? 高一?」
 姿勢が悪いからか、煌より背が低く見える。そうでなくとももともとの動物によって背の高さは変わるので、背丈で学年を推測するのは非常に難しいのだ。
 人間でいえば中学生くらいの背丈でも、ただもともとが小動物なだけで成人していたりする。
「あ、そうす。B組の──あ、獏っす」
 どうやら別のクラスのようだ。さすがに二ヶ月も経てば、クラスメイトの顔と動物くらいは覚える。
「おー、獏か、なるほど。えっと、俺は煌。えー・・・・・・金烏、だな」
 獏は、玉兎や金烏に次いで特別な動物とされる。人間が長い間獏は夢を食べると信じ続けたため、夢にまつわる特別な力を手に入れた種だからだ。
 ただ、金烏玉兎よりも個体数は少なく、煌と同じクラスには獏はいないし、その生態は謎に包まれている。どんな力を使うとか、男女比はどちらの方が多いとか。
 そういうことはなに一つ、知らない。
「知ってます、・・・・・・有名なんで」
「あ、・・・・・・そうか」
 俺はまったくお前のこと、知らないんだけどな。
 そう思いつつ、苦笑いしてしまった。金烏の中でも一際な高身長と、整った顔立ち、鮮やかな金髪。ちょっとした有名人であることは自覚していた。
 しかし、他クラスの男子まで知れ渡っているとは驚きだ。
「え・・・・・・ほんと俺、なんか、しました?」
 意味のわからないタイミングで謎の笑みを浮かべる煌に、獏は二、三歩あとずさってビビりまくっている。
 今気付いたのだが、彼は小脇に何冊か本を抱えていた。大きさやカバーイラストからして文庫本というよりかはもう少し大きな、資料集のようだ。
「あ、ごめん。なんでもない、悪い」
「はあ。えっと、すいません、行っていいすか?」
「うん。引き止めてごめんな」
 彼の去り際、ちらりと目に入った資料集は、どうやら昔話や童話についてのようだった。