下校時間ということも相まって、月虹寮の周囲は多くの玉兎たちでにぎわっている。
 本当は、寮の門内に入るまでは人型を解いてはいけないという校則がある。
 しかし、厳しい教師の目が届かない寮の前では、ほとんど皆が肩の力を抜き、わいわい楽しそうに話し合いながら軽やかに歩いていた。
「まあ、煌さま!」
「このようなところに、どのようなご用事?」
 めざとい玉兎たちが、道端に立つ煌へわらわらと群がってきた。ぽん、ぽんと人型になりつつ。
 ただ、彼女たちはいわゆるカースト上位勢たちで、他の玉兎たちは興味なさげに寮へと戻っていく。
「あ、ああ、えっと、ちょっと・・・・・・探しもの?」
 優牙のように大勢の人の相手に慣れていない煌。適当に理由をつけて、視線を彼女たちのさらに向こう、白いウサギで埋め尽くされた道に投げていた。
「探しもの?」
「う〜ん。えっと・・・・・・あ、ごめんちょっと」
 やがて目的の色を見つけて、煌は周囲の玉兎たちをかきわけ道の中央へ出る。そして、周囲に埋もれるように寮へ向かう一匹を見つけて抱き上げた。
 混じり気のない、真っ白な毛皮。
 色彩感覚が他より鋭い煌には、目立って仕方のない彼女の体を。
「あっ」
 小さな声をあげて、月紫が人の姿になる。うん、ビンゴ。
「あ、やっぱり」
「煌さん? え、なんで」
 しきりに瞬きをして、とても不思議そうな月紫に、煌は笑みを浮かべてしまう。
「月紫目立つからな。その色」
「・・・・・・? あー、よくわからない、けど。おかえりなさい」
「あ、ああ。ただいま?」
 不意打ちでぺこりと丁寧に頭を下げられて、煌もつい頭を下げ返す。道の端で頭を下げ合う奇妙な絵面が完成した。
「煌さんは頭下げなくていいんだけど」
 月紫は苦笑い。
「ごめん、いつ帰るか言うの忘れてたよな俺と思って」
 ああ、と微笑んだ月紫の横に、もう一匹の玉兎が寄ってきて、人型になった。ゆるいウェーブをえがく銀髪の持ち主で、ふわふわとした空気を感じる子だ。確か同じクラスで、よく月紫と話している女子だと認識している。
「月紫ちゃん?」
「あ、(さく)ちゃん」
「あ〜、噂の煌さん?」
 噂の、って。
「あ、うん・・・・・・そう。あ、変なことは話してないですよ? 安心してください」
「こんにちはぁ、朔です。月紫ちゃんにはいつもお世話になってます」
「あ、どうも」
 ぺこり。
「図書館かな? 行ってらっしゃぁい」
「あ、そうだね。朔ちゃん先帰ってて?」
「わかったぁ」
 朔は再び玉兎の姿に戻って、ぴょんぴょんと月虹寮へ帰っていく。
「悪いな、邪魔したか?」
「いやいや、今ちょっとかぐや姫不足でヒステリー起こしかけてましたんで」
 歩き出しながら、月紫は微笑む。
「ビタミン不足的なノリ?」
 かぐや姫不足とは。疑問ではあるが、特に月紫は触れることなく話題を移行する。心なしか、嬉しそうに。心なしか──安心したように。
「それにしたってよく見つけられましたね、こんなにいっぱいいるのに」
「真っ白だからな、月紫は」
「うーん・・・・・・そう、なの、かな?」
 何度それを言ったって、彼女は首を傾げる。まあ、玉兎はもともとあまり色彩感覚が鋭くないようだから、仕方ないのかもしれない。
「なんて言うんだ? あの、白の中でも若干緑が混ざってたりとかピンクだったりとかってあるだろ。オフホワイト、っていう」
「へえ・・・・・・?」
 月紫が傾かせた首の角度をもっと大きくしたところで、図書館の前に着いた。
「んー、うまく説明できないな」
「ふーん?」
 見ている世界や価値観が違うのだから、わからなくて当然だ。特にわかってもらう必要もないので、早々に説明を切り上げ、二人は連れ立っていつもの木の下へ座った。
 彼女が楽しみにしていた、人間界の話をする。
 優牙のビビり度合いや二夏のこと、そしてカフェの話・・・・・・月紫は顔を輝かせてそれを聞いていた。
「なあ月紫、人間界、行こうよ」
 ──つい、そんな言葉が口をついて出てしまうくらいに。
「え、あ・・・・・・えっと」
 月紫は目を見開いた。
 瞳には興味と迷い、期待と恐怖が浮かんでは消えて、激しい葛藤が、煌にまで手に取るように伝わった。
 なにを言ってしまったのだろう。彼女が、人間界に憧れてはいても、その心中はとても複雑なのを知っていながら。
 生まれつきの容姿のせいで、人間界では注目の的だ。視線の束が突き刺さる。かといってこちらに帰って来れば、埋没してしまう。
 自分の居場所を決めかね、葛藤している彼女に。
 俺は、今、ひどく無神経なことを──。
「俺変なこと言ったな。悪ぃ、忘れて」
「いえ・・・・・・その、ごめんなさい。すぐに決心がつかなくて。でも、過去にばっか囚われてちゃいけないのはわかってるから」
 顔を上げた彼女の顔は、まだわずかに迷いが見えるけれど、確かな勇気も透けている。
 ほっと、胸をなでおろす。彼女が本気で傷ついているようには感じなかったから。
「・・・・・・ぜひ、行ってみたい」
 おずおずとした口調だったけど、嘘には思えない言葉。笑みを浮かべて彼女は言い切った。
 出会った当初みたいな弱々しい笑みではないことが、それを裏付けている気がした。