からん。
 涼しげで可憐なベルが頭上で鳴る。
「いらっしゃいませーっ」
 店長の元気な声。煌は慣れた様子でカウンター席に座る。一番端を開けた、壁に近い席。中途半端な時間帯だったせいか他に客はいないが、端っこである隣の席にはスマホをいじる女子高生が座っている。学校帰りなのか、制服のまま。
 煌は彼女の肩を叩いて声をかけた。
「よお」
 漆黒のボブを揺らして振り向いた彼女の顔が、ぱあっと明るくなる。
「久しぶ──「あっ、煌じゃないの! 久しぶりっ、いつ以来? 冬? 冬以来だ」
「そう。元気してたか」
 相変わらずだなあと思って微苦笑をもらす。ずっと笑顔でよく喋る。
「あったりまえ。いつものでいいよね? おかーさーんっ」
「わかってるわかってる、聞こえてるわよ二夏」
 よく通る声を受けて、奥から、彼女の母の呆れたような声が返ってくる。このカフェの店長である。二夏は、とある商店街にあるカフェの一人娘なのだった。人間界のカフェ『Summer Vacation』、煌のお決まりのランチ場所だ。
「冬ぶり〜。いやー相変わらずかっこいいね、煌は」
 おう、といつもの調子の彼女の言葉を受け流す。
「最近どう、がっこーは。私はさー、やっぱり高校生になってさ、環境変わりすぎって感じ」
 二夏は、問いを投げかけておきながらも相手に応える余地も与えることなく喋り始める。頬杖をついて、煌の横顔を見つめながら。
「──ね。でもさ、皆やっぱり彼氏は頭いいのがいいって言うのね。煌って成績いいんだっけ?」
「悪くはない、と思うけど・・・・・・というかいい方かな」
 彼女のマシンガントークにしがみつくことは不可能である。どれだけ必死に聞き取ろうとしようがいつの間にか振り落とされている。
 話している本人がそもそもついてきて欲しいと思っていないのでもっともではあるが。
 問いかけに答えて欲しいときは、こうやって間ができる。だから煌は、それに答える。いつの間に彼氏の話になったのか、判別をつける暇もない。
 ──私すごいお喋りなの、ごめんねいっぱい喋るけど、喋りたくて喋ってるだけだから聞き流してくれていいよ、質問しても適当に答えてくれたらいいから。
 最初言った二夏の言葉が思い出される。二夏曰く彼女なりのストレス発散法らしい。
「そうよね、私もそんなに悪くないわけ。だからさ、私は──」
 再びのマシンガン。出された水をちまちま飲みながら聞き流していると、彼女の母が奥から出てくる。
「お待たせ。どうぞ」
 “いつもの”と注文していた料理が出てきた。アサリのパスタだ。肉より魚派の煌がここで頼むのはこればかり。
「ん〜、いい匂い。煌、今回は何日いるの?」
「明日には帰る。今日は学校の行事できてるから短め」
 煌は、ここで獣人であるという正体を明かしていない。少し遠くからときどき旅行で来る、と伝えている。
 金烏のその名を表すが如く鮮やかな金髪は、学生にしてはチャラく見えるかもしれない。しかし瞳はカラスの羽のように漆黒なので、髪は染めていると主張すれば他の人と大差ない。人間界に通うためだけに黒く染めるほどでもないだろうと思ったのである。
「そうなの? 寂しいねえ」
「明日は早く帰るから、今日しか来れねーな」
 あの日教師に話された予定を頭に浮かべつつ、パスタを頬張る。数ヶ月前と変わらない味と香りが、口一杯に広がる。
「えー。次は何ヶ月後? 夏休み? さすがにそんな開かないよね? ゴールデンウィーク、は過ぎちゃったなぁ。やっぱり夏休み?」
「わっかんねえ・・・・・・たぶん、そう」
「えーつまんない。どうすんのよ私のストレスの捌け口。あああ、ストレスに押しつぶされて死んじゃうよ」
「知らねえって。スマホにでも向かって話せばいい」
「なんで最近あんまり来てくれなくなったの? ここ一年さ。去年は隔週くらいの頻度で来てくれたのに。代わりに長期休暇に長く滞在してくれんのはありがたいけどさー」
「んー・・・・・・」
 確かに一年前までは、ここを拠点にして人間界のあちこちを渡り歩いたけど──。
 手の中のスマホが震えた。優牙からだ。今気づいたが、数件のメッセージが来ている。通知画面のまま、溜まったメッセージを読む。
『ちょっと、部屋帰ったらいないってどういうこと?』『怖いんだけど、どこいるの、助けて』『ああああああ』『鈴の音がしたとおもったら勝ってきたキーホだった』
『待ってまってまって、急に部屋のどこから機械のおとが』『冷蔵庫だった。死ね』
 荒ぶってる・・・・・・非常に荒ぶっている。
「・・・・・・あ、そう。友達が会いたいって言ってた。呼んでいい?」
「え、会いたい。友達? マジで言ってる? 煌と同郷の?」
 その言葉を合図に、全部に既読をつけてからメッセージを送る。
『来いって、お前こっち。来れるだろたぶん。地図アプリ開いて来い。カフェsummervacationで検索しろ』
「どんな子? イケメン? イケメン?」
「うん、結構イケメン」
『やだ、怖いいいい』
 視線を落とせば、スマホの画面内で優牙が叫んでいる。
 ふと目線を上げると、二夏が身を乗り出して、目を輝かせていた。
「えええっ、マジ? 会いたい、会いたい!」
『ニカ。会えるから。これも社会勉強だ、そんなに遠くないから』
 素早く打ち返して、目線を二夏に戻す。
「来るって。あ、たぶん時間かかる」
 来るなんて本人は一言も言ってないけど。
 夕方になり少し日が翳ってきて、店内が薄暗くなる。
 灰色のウルフヘアはそんなに怪しまれないだろうし、少し獣っぽい目も目立つほどではない。
「っていうか、煌って友達いるんだ。びっくり」
 おっと、失礼な言葉が聞こえたな。
「どういう意味だ?」
「いや、違うって。家族の話とか学校の話とかあんまりしてくれないから天涯孤独なのかと」
「天涯孤独って。違う。ただ、まあ・・・・・・そうだな。友達くらいいるよ」
 ドラマをよく見るという彼女らしい表現だ。確かに、家族の話はしたことがないし、学校の話も変な拍子に変なことを言ってしまいそうで避けていた。
「へー。彼女は? ガールフレンド!」
「いないな」
「えー。初恋の人は? そいえばこんな話も聞いたことないな〜」
「いない」
 アサリを口に運びながらあしらうと、微かに鼻歌を歌いながら、二夏はスマホいじりを再開する。エンタメのニュースか、動画配信サイトで配信されているドラマか。
 しばらく二人には沈黙が落ちて、その間に煌はおおかたを食べ終わらせた。
「それにしたって煌っていつもイケメンだよね。撮っていい? 今日の煌」
「いや、別に、いいけど・・・・・・」
 残りのパスタ数本をたぐる手を止めてちらりと見やれば、彼女のスマホはこちらに向いている。煌がそっちをじっと見ていれば、その奥からひょいと顔を覗かせて、二夏は笑った。
「あ、カメラ目線はいらない、大丈夫大丈夫」
「うん。じゃあ食ってる」
 二夏。高校一年生の女子だ。お喋りで、溌剌としている。本人曰く、ずっと昔からテレビっ子だそうだ。そして──重度のメンクイである。