【二次元と三次元】
可憐がベランダと僕のベッドの間にある僕の衣装ケース形の椅子に座り、僕のベッドのテーブルに顎を置いてさっきからずっと僕の手元を見ていた。
時々僕を暇つぶしに使うように「順平って髪長いね、切ってあげようか?」とか「順平はパジャマも普段着もずっとシャツにジャージだけど、パジャマと普段着の境界線の基準あるの?」とか僕が答えに迷うような突拍子もない質問をしてくるし、ルームシェアをはじめた日から気が休まらないというか気が抜けない日々だったから、すっかり忘れていたけど、可憐が来るまで僕は立体折り紙を毎日のように作ってたのを、今朝母からの差し入れ荷物の中に立体折り紙専用の少し厚みがあって大きめの紙が入っていたおかげで、そういえばそんなことしてたなって思い出して、さっそく今作っている。
立体折り紙は難しい。ただ馬とかドラゴンとかを立体に作るわけじゃなくて、僕が作っているのは、螺旋状に組み上がるように織り込んで、小さな衝撃を与えると一瞬で球体に近い形に変形する特殊な作り方の折り紙だ。上から潰すと平らに戻って。また少し突けば螺旋状の球体に変形する。
芸術というよりは数学に近い。案外頭を使うし、作るのにそれなりに時間もかかるけど、三次元から二次元に、二次元から三次元に弾けるように変形するし、いろんな折り方でギザギザした物や細長い物とかレパートリーが多いから、五年前くらいから作り続けてきたけど飽きない。
「順平ってなんか特技とかある?」
「ないよ」
いつもなら可憐からの質問には迷って必死で答えを選んできたけど、シンプルに答えていた。多分僕は凄くこの作業に集中している。
螺旋状にカットした一枚の紙を捻じるように回して。完成。
「可憐、手、出して」
「右手がいい?左手がいい?」
「じゃあ、可憐がよく使う方」
僕は可憐を観察していて気が付いたことがある。
可憐が実は両利きで、左手でご飯を食べ、文字を右手で描いていること、でも、それが分かったからって彼女にあえて両利きなの?なんて訊きもしなかった。何が彼女を刺激してしまうかわからないし、提供辞退につながったら怖くて、こんな方法でしか可憐が本当によく使う方の手がどっちなのかを知ることも出来ないでいた。
「ん」
でも、差し伸べられたのは両手だった。
生粋の両利きってわけか。
暖かそうなピンク色の可憐の手のひらの間に、平らな二次元状態のまだ立体じゃない折り紙を乗せた。
僕は二次元の折り紙に三次元にするきっかけになる小さな衝撃をトンっと可憐の手の甲に与えると、その一瞬で可憐の手から飛び上がるように現れた螺旋状の球体を見た彼女は、死をも恐れていないというのに猫背が治った猫みたいにシャキッとして驚いた表情を見せた。
「順平、コレ、何?」
「立体折り紙だよ」
「さっきまでぺったんこだったのに?」
僕は三次元になった折り紙をまた捩じるように潰し二次元に戻した。
「うん。立体折り紙って僕は呼んでる。でも、今はまた二次元だね」
可憐が左手に紙を移そうとした小さな衝撃でまた弾けるように紙は三次元に戻った。
「特技あるじゃん!凄い!どうやって作ったの?」
可憐は凄い凄いを連呼し、折り紙を捩じり潰しては、ポンと球体の折り紙を弾き、変形する立体折り紙に何度も驚きながら一人興奮していた。
僕は自分が毎日のようにしてきたことを可憐に出会って一度も思い出さずに忘れてたなんて、そっちに驚いている。
「ねえ、私も作ってみたい。出来るかな?」
「うん。一番簡単なやつから教えてあげる」
一番簡単だって言ってしまったけど、僕も初めて作った時は理屈を理解するのに苦労した。仕組みは限りなく数学に近くて、口頭で説明しながら指先ではお互い自分の紙に刻みを入れたり、織り込んだり、一緒の手順で進めていっているつもりでも、難航する作業に彼女の眉間のシワがどんどん深い折り目になっていくばかりで、いつの間にか手元が暗くなるほど日も沈んでいた。
「そろそろ電気つけようか」
「つけて……私の気分まで暗くなりそう」
僕は電気をつけてから、彼女の指の上から自分の指を押し付けるようにして紙を支えるようにしながら「右手の親指でココを抑えながら、左手で一番の下のカーブに切ったところを反対のココに差し込んで、そう。そこ」と、彼女の指先を口頭と、自分の指先で操り、彼女の目的のものを完成させた。
「出来たよ」
「本当?さっきの順平が作ったのと平らでも全然形違うよ?これの方が丸い」
「一番優しい作り方だから、さっきとは違う形に変形するんだ。ちょっと突いてみて」
少し作りが甘かったのか、僕と可憐が同時に手を放しただけで、平らだった紙は一瞬で膨れ上がった。
「ほんとだ。さっきよりショボい」
思っていたのとは違うけど、まあコレはコレでいいかと納得したみたいで、何度も左手に乗せ二次元と三次元を繰り返し、機嫌よさそうに笑っている可憐が、なんだか新鮮だった。
やたらと僕を試すような質問をしては笑う彼女が、本当に楽しそうに笑っている。
僕は初めてそんな風に思った。海斗と話している時よりも、楽しそうだ。ほんの少しだけ優越感が僕の中に生まれて、邪念だとすぐ罪悪感が沸いて振り払おうと目をギュッと瞑った。
「でも、なんで初めから作るの手伝ってくれなかったの?」
「初めから手伝ってあげて凄いって思われるよりも、この作業がどのくらい難しいって可憐がしっかりわかったうえで、僕が手伝った方が、可憐が僕のこともっと凄いって思ってくれるんじゃないかなって思った」
へーそうですか。って感じの顔で「順平、案外スパルタ教育なんだね」と言った可憐のちょっと拗ねて唇を尖らせた表情が、なんだか彼女に出会ってから一番人間らしいなあっと思わされた仕草だった。
だけど、この人は僕のために死のうとしている。こんな風に知らないことだって、楽しいことだって、まだまだたくさんあるはずなのに、なぜそんな未来を捨てに来たんだろう。
「コレって他にも違う形で作れるの?」
「うん」
「ねえ順平、今順平が説明しながら作ったコレと、さっき順平が作ったコレもらっていい?順平には私が作ったのあげるから」
「いいよ」
可憐は嬉しそうに僕が作った二つの立体折り紙を二次元に戻して、自分のベッドに持っていき、手の中で何度も紙を二次元と三次元に行き来させていた。
残された少し歪な可憐の作った立体折り紙を、僕は可憐がシャワーを浴びているうちに空っぽだったランドセルの中に入れると、ランドセルの底に当たっただけで紙は立体になった。
手術まで早くても最低三ヶ月。それまでの時間が長く感じると思っていたけど、思った以上に濃密な毎日で一日一日が長いようであっという間に過ぎていく。
こんなこと言っては失礼だけど、僕が部屋を出て中庭や海斗の部屋にゲームをしに遊びに行ったりする時も背後霊のように可憐は必ずついてくる。気を遣うし、神経もすり減っていくようなストレスを感じていたりもしたけど、これからも、毎日少しずつでも時間をつくって可憐の訊いてくる答えに迷う突拍子もない質問を真剣に考えて精一杯答えながら。色んなバリエーションの立体折り紙を作って可憐にプレゼントしようと思った。
僕が可憐からもらう命の代償にしては、薄っぺらでどうしようもないけど、その薄い紙が、可憐の想像もつかないような形に変えて立体化するささやかな驚きを僕は贈り続けたかった。
立体折り紙は母や海斗くらいにしか見せたこともないし、好きなんだねって思われているくらいの暇つぶしみたいなものだったけど、可憐がこの暇つぶしを僕の特技だって言ってくれて、初めてそうだったんだってわかった。
この先、生き延びて社会に出てこの技術が何かの役に立つかはわからないけど、さっきの可憐みたいに誰かが驚いたり笑ってくれたり喜んでくれたら、凄く嬉しい。
そんな未来が早く来ればいいなあと思う反面、可憐のあの笑顔が思い出に変わってしまうかもしれないと思ったら、なんだか憧れていた僕の社会復帰後の未来がますます想像できなくなっていた。
僕は生きたい。でも、生きてどうしたいんだろう。
可憐がベランダと僕のベッドの間にある僕の衣装ケース形の椅子に座り、僕のベッドのテーブルに顎を置いてさっきからずっと僕の手元を見ていた。
時々僕を暇つぶしに使うように「順平って髪長いね、切ってあげようか?」とか「順平はパジャマも普段着もずっとシャツにジャージだけど、パジャマと普段着の境界線の基準あるの?」とか僕が答えに迷うような突拍子もない質問をしてくるし、ルームシェアをはじめた日から気が休まらないというか気が抜けない日々だったから、すっかり忘れていたけど、可憐が来るまで僕は立体折り紙を毎日のように作ってたのを、今朝母からの差し入れ荷物の中に立体折り紙専用の少し厚みがあって大きめの紙が入っていたおかげで、そういえばそんなことしてたなって思い出して、さっそく今作っている。
立体折り紙は難しい。ただ馬とかドラゴンとかを立体に作るわけじゃなくて、僕が作っているのは、螺旋状に組み上がるように織り込んで、小さな衝撃を与えると一瞬で球体に近い形に変形する特殊な作り方の折り紙だ。上から潰すと平らに戻って。また少し突けば螺旋状の球体に変形する。
芸術というよりは数学に近い。案外頭を使うし、作るのにそれなりに時間もかかるけど、三次元から二次元に、二次元から三次元に弾けるように変形するし、いろんな折り方でギザギザした物や細長い物とかレパートリーが多いから、五年前くらいから作り続けてきたけど飽きない。
「順平ってなんか特技とかある?」
「ないよ」
いつもなら可憐からの質問には迷って必死で答えを選んできたけど、シンプルに答えていた。多分僕は凄くこの作業に集中している。
螺旋状にカットした一枚の紙を捻じるように回して。完成。
「可憐、手、出して」
「右手がいい?左手がいい?」
「じゃあ、可憐がよく使う方」
僕は可憐を観察していて気が付いたことがある。
可憐が実は両利きで、左手でご飯を食べ、文字を右手で描いていること、でも、それが分かったからって彼女にあえて両利きなの?なんて訊きもしなかった。何が彼女を刺激してしまうかわからないし、提供辞退につながったら怖くて、こんな方法でしか可憐が本当によく使う方の手がどっちなのかを知ることも出来ないでいた。
「ん」
でも、差し伸べられたのは両手だった。
生粋の両利きってわけか。
暖かそうなピンク色の可憐の手のひらの間に、平らな二次元状態のまだ立体じゃない折り紙を乗せた。
僕は二次元の折り紙に三次元にするきっかけになる小さな衝撃をトンっと可憐の手の甲に与えると、その一瞬で可憐の手から飛び上がるように現れた螺旋状の球体を見た彼女は、死をも恐れていないというのに猫背が治った猫みたいにシャキッとして驚いた表情を見せた。
「順平、コレ、何?」
「立体折り紙だよ」
「さっきまでぺったんこだったのに?」
僕は三次元になった折り紙をまた捩じるように潰し二次元に戻した。
「うん。立体折り紙って僕は呼んでる。でも、今はまた二次元だね」
可憐が左手に紙を移そうとした小さな衝撃でまた弾けるように紙は三次元に戻った。
「特技あるじゃん!凄い!どうやって作ったの?」
可憐は凄い凄いを連呼し、折り紙を捩じり潰しては、ポンと球体の折り紙を弾き、変形する立体折り紙に何度も驚きながら一人興奮していた。
僕は自分が毎日のようにしてきたことを可憐に出会って一度も思い出さずに忘れてたなんて、そっちに驚いている。
「ねえ、私も作ってみたい。出来るかな?」
「うん。一番簡単なやつから教えてあげる」
一番簡単だって言ってしまったけど、僕も初めて作った時は理屈を理解するのに苦労した。仕組みは限りなく数学に近くて、口頭で説明しながら指先ではお互い自分の紙に刻みを入れたり、織り込んだり、一緒の手順で進めていっているつもりでも、難航する作業に彼女の眉間のシワがどんどん深い折り目になっていくばかりで、いつの間にか手元が暗くなるほど日も沈んでいた。
「そろそろ電気つけようか」
「つけて……私の気分まで暗くなりそう」
僕は電気をつけてから、彼女の指の上から自分の指を押し付けるようにして紙を支えるようにしながら「右手の親指でココを抑えながら、左手で一番の下のカーブに切ったところを反対のココに差し込んで、そう。そこ」と、彼女の指先を口頭と、自分の指先で操り、彼女の目的のものを完成させた。
「出来たよ」
「本当?さっきの順平が作ったのと平らでも全然形違うよ?これの方が丸い」
「一番優しい作り方だから、さっきとは違う形に変形するんだ。ちょっと突いてみて」
少し作りが甘かったのか、僕と可憐が同時に手を放しただけで、平らだった紙は一瞬で膨れ上がった。
「ほんとだ。さっきよりショボい」
思っていたのとは違うけど、まあコレはコレでいいかと納得したみたいで、何度も左手に乗せ二次元と三次元を繰り返し、機嫌よさそうに笑っている可憐が、なんだか新鮮だった。
やたらと僕を試すような質問をしては笑う彼女が、本当に楽しそうに笑っている。
僕は初めてそんな風に思った。海斗と話している時よりも、楽しそうだ。ほんの少しだけ優越感が僕の中に生まれて、邪念だとすぐ罪悪感が沸いて振り払おうと目をギュッと瞑った。
「でも、なんで初めから作るの手伝ってくれなかったの?」
「初めから手伝ってあげて凄いって思われるよりも、この作業がどのくらい難しいって可憐がしっかりわかったうえで、僕が手伝った方が、可憐が僕のこともっと凄いって思ってくれるんじゃないかなって思った」
へーそうですか。って感じの顔で「順平、案外スパルタ教育なんだね」と言った可憐のちょっと拗ねて唇を尖らせた表情が、なんだか彼女に出会ってから一番人間らしいなあっと思わされた仕草だった。
だけど、この人は僕のために死のうとしている。こんな風に知らないことだって、楽しいことだって、まだまだたくさんあるはずなのに、なぜそんな未来を捨てに来たんだろう。
「コレって他にも違う形で作れるの?」
「うん」
「ねえ順平、今順平が説明しながら作ったコレと、さっき順平が作ったコレもらっていい?順平には私が作ったのあげるから」
「いいよ」
可憐は嬉しそうに僕が作った二つの立体折り紙を二次元に戻して、自分のベッドに持っていき、手の中で何度も紙を二次元と三次元に行き来させていた。
残された少し歪な可憐の作った立体折り紙を、僕は可憐がシャワーを浴びているうちに空っぽだったランドセルの中に入れると、ランドセルの底に当たっただけで紙は立体になった。
手術まで早くても最低三ヶ月。それまでの時間が長く感じると思っていたけど、思った以上に濃密な毎日で一日一日が長いようであっという間に過ぎていく。
こんなこと言っては失礼だけど、僕が部屋を出て中庭や海斗の部屋にゲームをしに遊びに行ったりする時も背後霊のように可憐は必ずついてくる。気を遣うし、神経もすり減っていくようなストレスを感じていたりもしたけど、これからも、毎日少しずつでも時間をつくって可憐の訊いてくる答えに迷う突拍子もない質問を真剣に考えて精一杯答えながら。色んなバリエーションの立体折り紙を作って可憐にプレゼントしようと思った。
僕が可憐からもらう命の代償にしては、薄っぺらでどうしようもないけど、その薄い紙が、可憐の想像もつかないような形に変えて立体化するささやかな驚きを僕は贈り続けたかった。
立体折り紙は母や海斗くらいにしか見せたこともないし、好きなんだねって思われているくらいの暇つぶしみたいなものだったけど、可憐がこの暇つぶしを僕の特技だって言ってくれて、初めてそうだったんだってわかった。
この先、生き延びて社会に出てこの技術が何かの役に立つかはわからないけど、さっきの可憐みたいに誰かが驚いたり笑ってくれたり喜んでくれたら、凄く嬉しい。
そんな未来が早く来ればいいなあと思う反面、可憐のあの笑顔が思い出に変わってしまうかもしれないと思ったら、なんだか憧れていた僕の社会復帰後の未来がますます想像できなくなっていた。
僕は生きたい。でも、生きてどうしたいんだろう。