【怖がるな】
何年ぶりだろう人と同じ部屋で眠るのは。
希死念慮者待機施設に入ってからだから十年ぶりか。違和感で全然眠れなかった。隣のベッドには僕の適合者以前に、若い女の人が寝ていると思うと、いろんな意味でドキドキした。背中を向けて寝ている彼女に、何か話しかけてみようかなって思ったけど、何を話していいかなんて想像もつかない。これが今夜だけだったらいい。二泊三日くらいでもまあいい。けど、いつ決まるかわからない手術の日程まで、僕は気が抜けない。
だから、朝が来て「おはよう」と、まだ慣れない可憐の声に起こされて体が縮こまるような感覚がした。声も震え「おはようございます」と返しながら、体を彼女に向けてみると、彼女は眠そうな顔をしていた。
「あんまり、寝られなかったんですか?」
「敬語じゃなくていいってば」
「あ、と、ごめん」
「順平眠そうだね」
「そう?でも可憐さんも眠そうだけど。よく寝れなかった?」
「あ」
彼女は何かを思い出し、ベッドから起き上がってベッドとベッドの間に裸足で立った。ココは病院じゃなくて、希死念慮者の臓器適合者を待っていた僕の部屋みたいなものだから、病室みたいに靴だのスリッパだのはない。部屋を出る時は上履きみたいな靴を履くけど、基本的に部屋では裸足か靴下だ。
でも、驚いたのは彼女が起きた瞬間からすでに出かけられるような襟とボタンが白の清楚な紺のワンピースを着ていたことだ。ネグリジェとかそういう類のパジャマではなく、普段着って感じのワンピースだった。
「ところでさぁ、かれんって呼び捨てで呼んでくれるんじゃなかったの?」
しまった。自分から呼び捨てにしていい?なんて言ったのに。
僕はやっぱりどこか彼女に気を遣おうと神経質になっていた。
「え。あ。はい。じゃあ、可憐」
「うん。そんな感じ」
やっぱりなんか変わっている。雰囲気?今まで散々他の待機者の希死念慮者を見てきたけど、彼女は特殊だ。
僕にとっては十年目にして唯一現れた98%以上の適合者。僕は内臓の大半を彼女から貰えるように、手術が終わるまで気が抜けない。もしも機嫌を損ねて嫌われて提供を辞退されたり、逆に楽しくさせすぎてやっぱり生きていたいと思われて逃げられてしまうのも正直ショックなんて可愛いダメージじゃ済まないくらい精神的にダメージが来る。
「なーんか全然寝れなかったな。枕が変わっても寝られるタイプなんだけど、適合患者待機施設じゃ、いろんな人と相部屋だったから、隣に誰か寝てるから寝れないとかでもないはずだし……変なの。まぁ、今日は一日中することもないし眠くなったら寝ればいいか。順平は?眠そうだけど寝れた?」
「あ、僕も、昨日はあんまり」
「なんだ。起きてたんなら色々話せばよかったね」
その色々が僕にとっては全部、彼女が撃つ銃弾みたいなもので、かわし続ける元気な体も心も今の僕には残ってない。
僕らはこの施設で普通に勉強を出来るのは十六歳までで、僕は去年ある意味学校を卒業したような感じだけど、その後は暇な時間をひたすら過ごすだけになる。
僕は特に叶えたい夢や、就きたい職業もまだ決めてない。望みはただ一つ、生きてココを出ること。一年以上考えても特にやりたいことや、欲しいものもなくて、今も部屋にはほとんど背負わなかったランドセルと日々着る服しかない。去年まで使ってクローゼットにあった教科書やノートも半年前くらいに全部捨ててしまった。だから部屋は殺伐としていて、一人部屋には広いような気がしていたけど、可憐のベッドが置かれたせいで物凄く部屋に違和感を感じている。寝れなかった原因は、そうやって部屋の雰囲気が思いっきり変わったからっていうのもあるかもしれない。
でも一番の理由は、彼女が母や医者も黙っていた僕の余命がとっくにないってことを、昨日平気な顔して彼女が言ってきたからだ。
彼女に文句の一つでも言えば機嫌を損ねるかもしれないけど、正直その情報は知りたくなかった。
シンプルにストレスのたまる生活だな。と思ってしまった。けど、なんの見返りもなく命が貰えるわけもない。今は耐えよう。
可憐は僕のベッド脇のベランダの戸を開けると、空に語り掛けた。
「春の匂い。栗の木の匂いに、アスファルトの道が太陽で温かくなってく匂いに、ツツジの花が土に還っていく匂いと、あんまりよく知らない男の子の匂いがする」
僕にも誰にも話しかけていない感じだった。
まるで詩を朗読したみたいだ。
「順平。もしも、今日の夜も眠れなかったら、話そう」
「うん」
僕はそう返事をしたけど、多分、寝たふりをしてしまうだろう。それならいっそちゃんと夜よく眠れるように、今日は昼寝しないように気をつけよう。一日中ずっと中庭をゆっくり歩いたらきっと夜は疲れてよく眠れる。
けど、三年あると思っていた命をもうとっくに使い果たしているなら、いつ死んだっておかしくない。
「昼寝してもいいよ。夜話す方が人間は素直になるって思って言っただけだから。朝からそんな気の利いた嘘つかないで」
見透かされた。
「昼寝しないで夜は早めに寝ちゃいたい。みたいな?そんな感じの『うん』だったから。私と話したくないなら無理しなくていいし、なんか朝から嘘つかさせるような気を使わせてごめん」
うっそ。
「そんなことないって!話そう!色々!僕も可憐のこと知っておきたいし!」
馬鹿、僕のアホ。知りたいと、知っておきたいは全然違うだろう。それに、嘘に嘘重ねたって彼女にはきっとバレるんだ。取り乱して喋りすぎた。
心臓に冷却機能でもついたんじゃないかってくらい、体が冷えていく。
でもそんな僕を見て可憐は大笑いしていた。笑い声は大きいのに、どこか品のある優雅な笑い方だった。
「焦りすぎ。私たちこんな関係だけどいいじゃん。対等にやろうよ」
「対等は無理じゃないかな、僕のせいで可憐は、その、死んじゃうわけだし、僕としては本当に可憐のこと色々知りたいけど、知りすぎるのが怖いって言うか、なんか、聞きたくなかったなって後々後悔しそうで嫌だなって思ってるのが本音、です」
可憐は僕のベッドに腰かけ、つまらなそうに笑った。
「だから対等にやろうって言ってるでしょ。私は希死念慮者。で、順平は生きたいけど、体が弱い。だから私の命ごとあげる。手に入るなら貰えばいいじゃん。法にそってお互いやっとココまで来たんじゃん。楽しもうよ。お互い死にかけなんだから」
「可憐は違うよ。生きようと思えば生きられる」
「私は生きてたくないの。苦労してココまで来たんだから、どんなにお前なんか要らないって言われても私の中身全部あげるからね」
僕の想像していた適合者は不運な事故に会ってしまった人か、突発的に自殺をした人で、ルームシェアをすることになる日がくるとしたら、もっと暗いお兄さんかおじさんが来るものだと思っていた。けど、実際は若い女の人で、こんな勝気で何事も楽しいことが大好きそうな人だと思ってなかった。でも彼女は昨日平気で死のうとした。それが当たり前みたいに。そりゃ、人間いつかは死ぬけど、自分で終わらせに来た変な人だ。
「でも、私みたいなのが適合者で驚いたでしょ?暗い感じの年上の男の人とかが来ると思ってたんじゃない?」
さっきから僕の心を見透かしすぎだろ。僕、そんなに表情に出しちゃってるのかな?いや、それでも単語をピンポイントで当てられわけがない。
「僕は、今、自分の考えてることを可憐が全部言い当てるから、なんだか不思議な感じ。『女は怖い』って昔友達に言われたことあるけど、想像してたよりも今ずっと怖いかも」
可憐は視線をベランダに移した。
「順平、女が怖いってのは、ちょっと違うかも。死ぬことが怖いとか、女が怖いとか、別の怖さだと思うの。結局順平はね、私のことが怖いんだと思う」
栗の木の匂いがした。僕にはそれしか嗅ぎ分けられなかった。でも、彼女はもっと春を嗅ぎ分けて感じ取っていた。彼女がどんな人生を歩んできたのか、僕は知るべきなんだと思う。
「ねえ順平、朝ご飯なんだろうね」
可憐は僕に視線を戻した。また不敵に笑っている。もしかしたら、この表情こそが人類最強の無敵の笑顔なのかもしれない。
「多分、季節的に栗ご飯じゃないとは思う」
「そうだね。でも、私の勘が確かならタケノコご飯かも」
「筍って今が旬なの?」
「そうじゃない?でも、今の時代、結局一年中旬のものじゃなくても食べれるし関係ないか。だけど、今日はタケノコって感じがするなぁ」
噂の朝食が、配膳係完璧抗菌おばさんから元気よく部屋に運ばれてきた。
「あ、ほら!凄いよ順平!本当にタケノコご飯!」
「あ、うん。スゲェ……」
怖い。
何年ぶりだろう人と同じ部屋で眠るのは。
希死念慮者待機施設に入ってからだから十年ぶりか。違和感で全然眠れなかった。隣のベッドには僕の適合者以前に、若い女の人が寝ていると思うと、いろんな意味でドキドキした。背中を向けて寝ている彼女に、何か話しかけてみようかなって思ったけど、何を話していいかなんて想像もつかない。これが今夜だけだったらいい。二泊三日くらいでもまあいい。けど、いつ決まるかわからない手術の日程まで、僕は気が抜けない。
だから、朝が来て「おはよう」と、まだ慣れない可憐の声に起こされて体が縮こまるような感覚がした。声も震え「おはようございます」と返しながら、体を彼女に向けてみると、彼女は眠そうな顔をしていた。
「あんまり、寝られなかったんですか?」
「敬語じゃなくていいってば」
「あ、と、ごめん」
「順平眠そうだね」
「そう?でも可憐さんも眠そうだけど。よく寝れなかった?」
「あ」
彼女は何かを思い出し、ベッドから起き上がってベッドとベッドの間に裸足で立った。ココは病院じゃなくて、希死念慮者の臓器適合者を待っていた僕の部屋みたいなものだから、病室みたいに靴だのスリッパだのはない。部屋を出る時は上履きみたいな靴を履くけど、基本的に部屋では裸足か靴下だ。
でも、驚いたのは彼女が起きた瞬間からすでに出かけられるような襟とボタンが白の清楚な紺のワンピースを着ていたことだ。ネグリジェとかそういう類のパジャマではなく、普段着って感じのワンピースだった。
「ところでさぁ、かれんって呼び捨てで呼んでくれるんじゃなかったの?」
しまった。自分から呼び捨てにしていい?なんて言ったのに。
僕はやっぱりどこか彼女に気を遣おうと神経質になっていた。
「え。あ。はい。じゃあ、可憐」
「うん。そんな感じ」
やっぱりなんか変わっている。雰囲気?今まで散々他の待機者の希死念慮者を見てきたけど、彼女は特殊だ。
僕にとっては十年目にして唯一現れた98%以上の適合者。僕は内臓の大半を彼女から貰えるように、手術が終わるまで気が抜けない。もしも機嫌を損ねて嫌われて提供を辞退されたり、逆に楽しくさせすぎてやっぱり生きていたいと思われて逃げられてしまうのも正直ショックなんて可愛いダメージじゃ済まないくらい精神的にダメージが来る。
「なーんか全然寝れなかったな。枕が変わっても寝られるタイプなんだけど、適合患者待機施設じゃ、いろんな人と相部屋だったから、隣に誰か寝てるから寝れないとかでもないはずだし……変なの。まぁ、今日は一日中することもないし眠くなったら寝ればいいか。順平は?眠そうだけど寝れた?」
「あ、僕も、昨日はあんまり」
「なんだ。起きてたんなら色々話せばよかったね」
その色々が僕にとっては全部、彼女が撃つ銃弾みたいなもので、かわし続ける元気な体も心も今の僕には残ってない。
僕らはこの施設で普通に勉強を出来るのは十六歳までで、僕は去年ある意味学校を卒業したような感じだけど、その後は暇な時間をひたすら過ごすだけになる。
僕は特に叶えたい夢や、就きたい職業もまだ決めてない。望みはただ一つ、生きてココを出ること。一年以上考えても特にやりたいことや、欲しいものもなくて、今も部屋にはほとんど背負わなかったランドセルと日々着る服しかない。去年まで使ってクローゼットにあった教科書やノートも半年前くらいに全部捨ててしまった。だから部屋は殺伐としていて、一人部屋には広いような気がしていたけど、可憐のベッドが置かれたせいで物凄く部屋に違和感を感じている。寝れなかった原因は、そうやって部屋の雰囲気が思いっきり変わったからっていうのもあるかもしれない。
でも一番の理由は、彼女が母や医者も黙っていた僕の余命がとっくにないってことを、昨日平気な顔して彼女が言ってきたからだ。
彼女に文句の一つでも言えば機嫌を損ねるかもしれないけど、正直その情報は知りたくなかった。
シンプルにストレスのたまる生活だな。と思ってしまった。けど、なんの見返りもなく命が貰えるわけもない。今は耐えよう。
可憐は僕のベッド脇のベランダの戸を開けると、空に語り掛けた。
「春の匂い。栗の木の匂いに、アスファルトの道が太陽で温かくなってく匂いに、ツツジの花が土に還っていく匂いと、あんまりよく知らない男の子の匂いがする」
僕にも誰にも話しかけていない感じだった。
まるで詩を朗読したみたいだ。
「順平。もしも、今日の夜も眠れなかったら、話そう」
「うん」
僕はそう返事をしたけど、多分、寝たふりをしてしまうだろう。それならいっそちゃんと夜よく眠れるように、今日は昼寝しないように気をつけよう。一日中ずっと中庭をゆっくり歩いたらきっと夜は疲れてよく眠れる。
けど、三年あると思っていた命をもうとっくに使い果たしているなら、いつ死んだっておかしくない。
「昼寝してもいいよ。夜話す方が人間は素直になるって思って言っただけだから。朝からそんな気の利いた嘘つかないで」
見透かされた。
「昼寝しないで夜は早めに寝ちゃいたい。みたいな?そんな感じの『うん』だったから。私と話したくないなら無理しなくていいし、なんか朝から嘘つかさせるような気を使わせてごめん」
うっそ。
「そんなことないって!話そう!色々!僕も可憐のこと知っておきたいし!」
馬鹿、僕のアホ。知りたいと、知っておきたいは全然違うだろう。それに、嘘に嘘重ねたって彼女にはきっとバレるんだ。取り乱して喋りすぎた。
心臓に冷却機能でもついたんじゃないかってくらい、体が冷えていく。
でもそんな僕を見て可憐は大笑いしていた。笑い声は大きいのに、どこか品のある優雅な笑い方だった。
「焦りすぎ。私たちこんな関係だけどいいじゃん。対等にやろうよ」
「対等は無理じゃないかな、僕のせいで可憐は、その、死んじゃうわけだし、僕としては本当に可憐のこと色々知りたいけど、知りすぎるのが怖いって言うか、なんか、聞きたくなかったなって後々後悔しそうで嫌だなって思ってるのが本音、です」
可憐は僕のベッドに腰かけ、つまらなそうに笑った。
「だから対等にやろうって言ってるでしょ。私は希死念慮者。で、順平は生きたいけど、体が弱い。だから私の命ごとあげる。手に入るなら貰えばいいじゃん。法にそってお互いやっとココまで来たんじゃん。楽しもうよ。お互い死にかけなんだから」
「可憐は違うよ。生きようと思えば生きられる」
「私は生きてたくないの。苦労してココまで来たんだから、どんなにお前なんか要らないって言われても私の中身全部あげるからね」
僕の想像していた適合者は不運な事故に会ってしまった人か、突発的に自殺をした人で、ルームシェアをすることになる日がくるとしたら、もっと暗いお兄さんかおじさんが来るものだと思っていた。けど、実際は若い女の人で、こんな勝気で何事も楽しいことが大好きそうな人だと思ってなかった。でも彼女は昨日平気で死のうとした。それが当たり前みたいに。そりゃ、人間いつかは死ぬけど、自分で終わらせに来た変な人だ。
「でも、私みたいなのが適合者で驚いたでしょ?暗い感じの年上の男の人とかが来ると思ってたんじゃない?」
さっきから僕の心を見透かしすぎだろ。僕、そんなに表情に出しちゃってるのかな?いや、それでも単語をピンポイントで当てられわけがない。
「僕は、今、自分の考えてることを可憐が全部言い当てるから、なんだか不思議な感じ。『女は怖い』って昔友達に言われたことあるけど、想像してたよりも今ずっと怖いかも」
可憐は視線をベランダに移した。
「順平、女が怖いってのは、ちょっと違うかも。死ぬことが怖いとか、女が怖いとか、別の怖さだと思うの。結局順平はね、私のことが怖いんだと思う」
栗の木の匂いがした。僕にはそれしか嗅ぎ分けられなかった。でも、彼女はもっと春を嗅ぎ分けて感じ取っていた。彼女がどんな人生を歩んできたのか、僕は知るべきなんだと思う。
「ねえ順平、朝ご飯なんだろうね」
可憐は僕に視線を戻した。また不敵に笑っている。もしかしたら、この表情こそが人類最強の無敵の笑顔なのかもしれない。
「多分、季節的に栗ご飯じゃないとは思う」
「そうだね。でも、私の勘が確かならタケノコご飯かも」
「筍って今が旬なの?」
「そうじゃない?でも、今の時代、結局一年中旬のものじゃなくても食べれるし関係ないか。だけど、今日はタケノコって感じがするなぁ」
噂の朝食が、配膳係完璧抗菌おばさんから元気よく部屋に運ばれてきた。
「あ、ほら!凄いよ順平!本当にタケノコご飯!」
「あ、うん。スゲェ……」
怖い。