【希死念慮配慮時代】

何度総理大臣が変わっても、今は希死念慮者配慮時代と呼ばれている。でもそうなったのは、ほんの三十年前のこと。
この国は自殺する人が多い国として、三十年前世界ランキング一位の座を二十年連続でキープしてしまった。この国は、決して戦争をしていたわけでもないし、飢え死にする人が出るほどの貧困な国でもなかった。今だってそうだ。豊かな国だと思われている。
けど、そんなのは表向きの話らしい。
年中無休の二十四時間営業の店や、休みが月に一日あるかないかの企業、安い賃金で寝る間も惜しんで一体どうしてそんな生き方ばかりしている人が多いのかは、よくわからない  けど、僕はそんな社会にでもいいからこの施設を出たいと何故か思っている。
それから三十年たっても、たいして経済事情は変わってはいないし、生活が改善されたように感じている人はあまりいないとネットの書き込みで読んだことがある。
そしてついに、年々増加するこの自殺大国は三十年前に世界中が驚く決断を下した。
国は自殺志願者の臓器提供を法として全面的に認めたのだ。表向きは安楽死許可法だけど、実際は自殺をした人からの移植例もないわけではなかった。けど、発見が遅いと使えないとか、適合していても身内の心臓の為に自殺しても移植は順番を待っていた人にしかされないとか、自殺に失敗して脳死状態になって再起不能と国が認めれば問答無用で提供者認定され、昔みたいに家族の承諾が得られれば提供可能とか、そんな世界じゃなくなった。
家族のために、愛する人のために98%の適合率を満たしていれば、例え自分が死んでしまうことになっても、相手を選んで提供者になることの出来る時代になった。
生きたくても生きられない人のことを考えて精一杯生きろとか、自分の命を大切になんて時代が終わって、この国は死にたいと思う人、すなわち自殺願望や希死念慮って考え方を持つ人を受け入れた。
けど、この命のやり取りを簡単にする法は世界中から非難された。国内メディアも三年くらいはバッシングを頑張った。
現在はまだ国内の人間同士でしか提供者になることも提供をうけることもできないけど、いつかは適合させ合えば別の国の人ともなんて噂が何故かネットを通して地球全体に広まっていき、順調に法が完成度を増し、いつしか当たり前のように生命のやり取りが国内で行われるようになった。
死にたければ死ねばいい。それでも生きたい人の命は無駄にしない。それがこの国の答えになった。
そんな法が出来たせいで、初めの頃は公開自殺者が増えてしまった。けど、そうやって突発的に自殺した人も早期発見できた場合に限り、使える臓器や皮膚に骨、ありとあらゆる部分が、家族の承諾もなしに早急に適合者が探されるようになって、実際に提供を待つ僕みたいな人は助かることが増えた。
僕みたいな体の弱い人達にとっては一種の希望ともなったのだと思っていたろう。
だけど、三十年間で随分制度も変わって来た。
一番大きく変わったのは、希死念慮者は二年間更生施設に入って本当に提供者になるかどうかの決断を迫られたりもすることが原則になった。大抵の希死念慮はその考えを捨て、また新たに仕事に就いた入り夢を持ったりして更生していく。
少しでも鬱や希死念慮者予備軍と医者や家族、職場の人間に判断された場合、突発的に自殺をさせない考えを人に植え付けるためにカウンセリング設備が学校や会社や自治体などに多く設置されたことで自殺者は年々ほんの少しだけど減っていった。
それでも、二年間更生施設を卒業し希死念慮者として認められ、体の検査を受け、国内にいる臓器提供待ちの人間の所にたどり着く人がいる。
希死念慮者待機施設は、病院とは少し区分が違う。移植が必要と認定された人が入ることの出来るマンションみたいな感じで、病室と言ってもビジネスホテルってところに近いって何年か前に死んでしまった同じクラスの人たちが話しているのを聞いたことがある。
だけど、ビジネスホテルと違って一度入ると外出は許されなくなる。細菌なんかの感染が充満しないように家族や友人も見舞いに来る時、施設に入るまで随分時間のかかる消毒作業を受けるらしい。
とにもかくにも死にたくない。そんな人間しかココに居る資格がないのだ。
だから勿論、そんな奇跡を待つ臓器提供を受ける側にも厳しい規約があって、提供者は五十歳以下であることや、提供手術が終わった後に二年間、提供を受けた者も社会に溶け込めるようにリハビリ施設に入って、社会に出た時は自分がどんな過酷な状況になっても自殺を考えないように生きることだけに集中し、新しい命をもらったありがたみを刷り込まれ、改めて一般の健康な人たちと生活ができるようになるように、生きていく大変さを学ぶことになる。
その二年間が終わったら、晴れて僕のように持病を抱えながらも生きることに執着のある人たちで、心の生命力の強い国を創るようにするための、国を挙げての一大プロジェクトとなっていた。
けど、一度でも提供を受けた人間は、自然死するか不慮の事故に合うことでしか死ぬことを許されなくなり、希死念慮をいだいてしまった時は、希死念慮厚生施設に入ることが義務付けられている。
弱い身体で生まれた僕が生きることを、はじめから諦めればそれでいいのかもしれないと何度も思うことはあった。
 だけど結局、そんな思考は「嫌だ」の一言で片付いてしまうくらいには、僕は生きることに執着がある。
 中庭の天井はガラス張りで、外気に触れることはないけど、部屋よりも日当たりが良くて、僕はここをよく散歩する。人工の芝生だけど、造花はタンポポとか蓮華とかクローバーとか雑草類が多くて、ココだけが本当の外の世界に感じることもある。
 そんな中庭の中央には白いグランドピアノの置いてあり、さらにステージもあって、たまにボランティアの小楽団が演奏に来たりもする。
 ピアノは受付で申請すればすぐに弾かせてもらえるらしく、たまに弾いているココの住民もいる。
 僕は弾けないけど、ピアノの音が流れていると自然と聴き入ってしまう。花に引き寄せられる虫のように施設に住む人がたくさん聴きに来る。この施設には娯楽が少ない。家族からの差し入れか自分でネット通販しない限り、服も、ゲーム機も手に入らない。けど、僕が欲しいのは、そういう娯楽じゃない。
 どこまでも他人様の臓器だ。
 僕の臓器は生まれつき歳を取るのが早い。この十年で七十歳くらいの機能になった。
 この事実に正直、焦っている。
「順平!」
 母さんの声はホール状の中庭に大きく響いた。
 駆け寄って僕を泣きそうな顔で抱きしめてきた母さんは、暖かかった。けど、僕も十七歳。これは少し恥ずかしい。
「母さん、何、どうしたの?」
「落ち着いてきいてね」
 まず僕は母さんに落ち着いてほしかった。さっきエレベーターで一緒になった女性よりもよっぽど急いでいるようだし、息も荒い。
「十年間、頑張ってくれてありがとう」
「あ、うん」
 なんだろうこの感じ。母さんの興奮と脱力した表情の中にある安堵の溜息。
「順平あのね、適合者の人が見つかったの」
「――――……え」
 僕の適合者。僕の内臓全部の適合者?
 誰かが僕のために死ぬ?