【運任せの命】

 眠れなかった。僕も可憐も。
彼女は遠足前みたいに興奮して嬉しそうに満天の星空を見上げてるみたいな表情で、天井を見上げていたけど、僕は雨でその遠足が中止になればいいのにと思っていた。でも、移植手術は雨なんかで中止になったりしない。
「順平は体がよくなったら何がしたい?」
「わかんない」
「元気ないね。どうしたの?」
「可憐、もし死ななかったら何がしたい?」
「なにその質問」
「何かないの?」
「生きたいのに特に何かしたいのかわからない順平はどうなの」
 僕は死にたくなったわけじゃないけど、可憐に生きていてほしいと思った。でも、希死念慮者が提供を辞退しない限り、僕には提供拒否権がないから、このままだと五日で可憐が死んでしまう。ただ、それが嫌だと思った。
「可憐には毎日洋服を贈ってくれる家族がいるのに、どうしてその愛情をありがたく思わないの?」
「ありがたくは思ってるよ?毎日違う服が着れて嬉しい。感謝してる。でも、親の反対押し切って夢を叶えに行く人が世の中たくさんいるのとあんまり変わらないと思うな」
「可憐は、家族に愛されてるのにその愛に少しでも応えようとしないの?毎日洋服をココに送ってくれる両親にもう一度会いたいとか思わないの?」
 月明かりの中、彼女と一緒に彼女の白い髪が揺れ、ベッドから起き上がると彼女は僕のベッドに向かって座り、僕を不思議そうに眺めていた。
「順平は親を選んで生まれてきたの?」
「ち。ちがうけど」
「この時代に産まれてきたかった?」
「そ、それは、まあ……もう少し医学が進んだ世の中だったらよかったのにとかは思うことあるよ。そうしたら、僕のせいで誰かが死ぬこともなくて。体中が機械になっても平均寿命くらいまでは生きられたんじゃないかって想像したことあるし」
 どうしよう。なんだか、可憐が怒ってる気がする。いや、勘違いじゃない。僕に対してあからさまに敵意を向けている。なのに表情は切なげで、僕よりもずっと遠くの未来を想像しているように見える。
「あのね順平。どこの国に産まれようと、どんな体に産まれようと、関係ないよ。自分で、自分の世界を創っていかなきゃいけないんだよ。この施設を出たらきっとただ生きてるだけで満足なんて言えるわけない。この部屋みたいに最低限の物しかない世界じゃないんだよ。前に自分で見て選んだものを買いたいって言ってたけど、それだけじゃ済まないよ。お気に入りの飲食店に、洋服屋さん、気に入った景色。そこでたくさんの人と出会って、順平が想像してる以上に色ん考え方を持った人に出会って生きていくことになる。それが順平の望んでる『生きたい』とは違うのかもしれないけど、絶対楽しくてたまらなくなる。欲がたくさん出てきて、周りが見えなくなるような夢中になれることだってたくさん見つけられる。だから、今更変なこと言わないでね」
 流石。察し良すぎだよ。今更だけど、僕は可憐に変なことを言おうとしている。
 そして僕は今、言う前からすでに彼女を怒らせている。出会ってすぐの頃なら言い返したり余計なことは言わなかった。でも、対等にやろうって彼女は言っていた。伝えたいことを言わなきゃ、この先たった五日だけど、言いたいことちゃんと言っておかないと可憐と本当の意味で上手くやっていけない。
 喧嘩になったっていい。そもそも彼女は僕に提供者だから気を使えとか、年上だからって目上だから敬語を使えとか、そういう立場でいることを求めてない。
 なら、応えるんだ。彼女の試すような質問に答えるんだ。可憐の機嫌をとるような、偽った回答はしなくていい。百点満点にこだわらなくたっていい。正解じゃなくたっていい。
 戦おう。
「じゃあなんで、可憐はその切り開いて創っていかなきゃいけない未来を放棄しようとするの?サボるなよ。体だけじゃなくて心も健康なんだから」
 可憐の目つきが挑戦的に変わった。敵意から何故か一瞬で好意に変わった気がする。
 本当の僕を待っていたんだね。嫌えばいい。親友から君を引き離し、自分が欲しがっていた君を捨てようとしている最低な僕を見せつけてやる。
「好きな時に死ぬ。そういうのも一種の生き方でしょ。私もいっぱい人に迷惑かけたり心配かけたりして生きてきたけど、私だって誰かを笑顔にさせてこなかったわけでも、幸せな気持ちにしてあげられなかったわけじゃないと思うし。お互いさまだよ」
「それは違うよ」
可憐は社会を生きてきた。僕が世間知らずなのも分かっている。だからって僕が全部間違っているわけじゃない。
「この国に限らず、自分で勝手に望んで死ぬ奴もいれは事故とか餓死とか、寿命とか望んでない死に方をする人がたくさんいるんだよ。可憐は確かに法も犯してないし、正直僕のところまで来てくれただけでも嬉しかった。何億人が生きている世界の中で、生きてこうやって出会えただけで嬉しい。もちろん生きてたら辛いこともあるんだろうけど、だからって可憐が残りの寿命を放棄していい理由になんてならないんだよ」
「幸せって、誰かのための代償なんじゃないの?」
 可憐の言葉が返ってくるたび、鳩尾を思い切り蹴り上げられている気分だ。だけど、負けたくない。勝ちたいわけでもないけど、可憐を、本当の自分の世界に戻してあげなきゃ。そう思っている自分がいた。
「私の命の代償で順平は生きることをずっと待ってたんでしょ。はじめからそれを望んでおいて、私に今更生きろっていいたいの?私も順平も法を犯してないのに。それは順平が間違ってるよ」
 なんでこんなに体中がヒリヒリするんだ。苦しい。息が苦しい。
「若いとか、先があるとか、私には関係ないの。そもそもさ、寿命なんて誰が決めてるの?神様とかが決めてるとでも思ってるの?だとしたらそんなの意地悪すぎると思わない?生きることも死ぬことも理不尽で不平等だってことを知りながら、どこにもぶつけられない怒りを鎮めて、取り繕ってきた細谷順平っ自分が壊れていく感覚とか味わったことないの?」
 取り繕って生きてきたのは命だけじゃない。僕って存在自体しか僕は創ってこなかった。だけど、
「それのどこが悪いの?確かに僕は命だって運に任せで待つことしかしてこなかったけど、こうやって開き直ることだってある。それってその時その時の自分の判断だし、結局は運命なんだから僕は僕だよ。けど、他人にはこう思われたいって自分を演じることだってある。それのどこがいけないの?」
 へぇーやるじゃん。そんな感じで彼女は僕を睨みながら不敵に笑う。
「色んなこと運命なんて言葉で片づけるのはズルいよ。命を運任せにしてる代償はこの世に生まれた瞬間から勝手に背負わされてるんだから、それを放棄して神様に喧嘩売ったって私の勝手でしょ。私が自分から死ぬのを望んでることはズルくもなんともない」
 彼女は死以外もう何も求めていないのか?出会った頃のわくわく死ぬのを楽しみにしていた可憐と、僕に出会ってから少しづつだけど可憐は変わった気がしていた。生きることに興味を持ってくれはじめた。そんな風に思っていたのに、どうして伝わらないんだ。
「僕は可憐に会えて幸せだった。運命の人だって思てる。だからこそ、本来の僕の運命を受け入れたいんだ」
「今更?十年もココにいて?運命より私を受け入れてほしいよ」
「うん。でも、可憐と少しでも長く一緒にいたい。可憐しか僕を救うことが出来なくても、今は可憐を救いたいと逆に思ってる。自分の命よりも大切。もう死んでもいいくらいには、可憐のこと好きだよ」
 可憐は悲しそうに笑って話は途絶えた。
そして可憐は自分僕がシャワーを浴び終えると、可憐はさっきこっそり僕が昼間渡し損ねた彼女のクローゼットにいれたプレゼントの箱を出して、僕のところに突き出すように持ってきた。
「コレ、結局中身なに?」
 さすがの可憐でも透視は無理か。
「可憐へのプレゼントだよ」
「じゃあ開けてもいい?」
「うん」
 包みを丁寧にベッドの上で開き、中に入っていたパーティードレスも靴もスカーフも全て可憐は真剣に見つめていた。まるで読まれるのを待っているカルタ取りの選手みたいだ。
 中身を見ると、可憐は背中を丸めて僕を責めているように僕を睨んできた。
「順平の気持ちはすごく嬉しいけど、でも、私のお母さんみたいにこんなに素敵なプレゼントされたって私の意志は変わらない。変われないの。だた死にたい。そんなにダメなこと?いつか私だって死んじゃうのに。医療がどんなに進んだって必ず命は消えるのに。私、海斗君に心臓あげちゃった方がいい?順平は私のこと本当は必要としてくれてなかったの?」
 僕が必要としていた可憐は、はじめは確かに提供が目的だった。それでも今は、少しでも長く可憐が生きて僕との思い出を大切にしてくれたらいいのにと思っている。
「可憐。僕は僕の運命を生き抜くよ。海斗もきっともう可憐の心臓を欲しがったりしないと思う」
「じゃあ、誰だっていい」
 小さくつぶやいた可憐の声をきいて、僕は自分のことをなんてバカなんだろうと思った。誰だっていいなんて言われたくなかった。僕の親友の海斗よりも僕がいいって言ってくれたのに。十年も提供者を待っていたのに。それでも、もっと可憐に生きてほしいなんて我儘だ。
「ごめん。でも、可憐の気持ちはわからない。だってお互いの夢がかなっても、僕は素直に喜べないよ。僕はやっと自分の運命を真っ当する決意がついたんだ。だから可憐、本当にごめん」
 可憐に出会う前の弱気で流されるままの僕を、細谷順平を僕は殺さなきゃ。
 変わりたい。違う。いや、違う。僕は変わったんだ。
「正式に提供を辞退してほしい。可憐も可憐の運命を生きて」
 確信的なことを言った瞬間に、可憐が自分の枕を思い切り僕に投げつけてきた。僕は負けじとキャッチした枕を可憐の顔面にめがけて投げ返した。
「ヤリ逃げかよ!このエロガキ!」
 可憐は静かに叫びながらまた枕を僕に投げつけてきた。僕は自分の枕も掴んで、二つの枕を可憐に力いっぱい投げた。
「痛いなぁ!」
 可憐も枕を二つとも僕の顔面にピンポイントで投げ返してきた。
 僕の枕の匂いと可憐の枕の匂いが違うことがなんだか妙に腹立たしかった。無駄にイイ匂いさせやがって、なんなんだ!
 手術日が決まると怯んで逃げてしまう希死念慮者が圧倒的に多いのに。やっぱり可憐は心から死を望んでいる。
 提供を辞退してほしいなんて、この言葉以上に、可憐を悲しませる言葉はなかっただろう。それでも、やっぱり、可憐に生きって欲しい。
「自分の命と引き換えにしても可憐を守りたい。生きていてほしい。それの何がダメなんだよ!」
 可憐は向かい合った僕に襲い掛かるように両肩を掴んで、いつもみたいに僕をまっすぐ見ないで、真下を向いて白い髪を垂らしていた。その白い前髪が可憐の表情を隠すカーテンみたいに見える。
「お願いだから」
 可憐の声が、細い。
「お願いだから」
 ちぎれてしまいそうな声だ。
 何度も可憐は僕の両肩を揺さぶって、お願いだからを繰り返し、弱々しく僕を揺さぶり続けた。頭がクラクラする。彼女の腕には力なんて殆どこもってないのに、僕の心も大きく揺さぶられている。
「可憐がいいの。元の名前なんかに戻りたくない。カレンがいいの。順平のくれた名前のままがいいの」
「僕は本来の可憐の寿命を可憐に返したいだけだよ」
 精一杯言い返してみたけど確実に僕は精神的に殺されていく。こんな口説き文句を惚れた女の人に言われて、抱きしめないでいられるなら、彼女の決意が揺らいでくれたのかもしれないのに、僕は彼女を抱き寄よせ泣くのを必死で堪えた。
「ねえ、可憐、どうして、そんなに、死にたいの」
 ランドセルを背負ったばかりの子供の頃に、僕も可憐も戻ったみたいだった。喧嘩して、愚図り合って、仲直りの方法を探している。
「わかんないよ。ずっとわかんないの。ほんとにわかんないの。自分のことなのに全然わからない。自分のことだからわからない。家族も愛してくれてた。友達もいた。私を強くしてくれた。生きてて楽しかった。でも、死にたいって気持ちだけがどうしても消えない」
 海斗にも同じことを言ったのかな。海斗はなんて言い返したんだろう。
「順平が生きたいって思う気持ちの真逆の気持ちが存在するって認めてよ。私は死にたい。自分で決めたっていいじゃん。順平だって生きたいって選択をしてココにいたんじゃん。ココは私の居場所でもあるって認めてよ」
 海斗がなんて答えたかも気になるけど、今は自分の答えを伝えないと、何も可憐に伝えられない。僕が生きたい意味も、可憐が死にたいって気持ちも本気のレベルは一緒なんだ。
 命賭けだ。
「人は確かにいつか死ぬ、でも終わりを決めるのが早すぎるよ。生きていられる限り生きなきゃダメだよ」
 僕が強く抱きしめていた以上の力で可憐は僕を振りほどいて、いい加減にしてほしいって表情で必死に笑おうと、唇を歪ませてた。
「私、夜が来ると朝目が覚めなければいいのにって期待してるの。朝が来ると結局今日が始まって鬱陶しくてたまらない。でもそれがどんなに幸せなことかって順平と出会って毎日『おはよう』って言えるようになってから、気が付かされて、今凄く幸せ。私、幸せだから。もう何も考えたくない」
 大切な人の願い事を叶えてあげられるのが僕か、今のとことは海斗しかいない状況なのに、僕は可憐を海斗に譲りたくないし、可憐の死にたいってその願い事を叶えてあげたくない。彼女を受け入れれば、僕の望みも彼女の望みも叶うのに、どうして今更僕が彼女を拒絶して絶望させているのか、ほんの少し前の自分じゃ想像も出来なかった。
「可憐、幸せなら考えなくていい」
今の僕には彼女を抱きしめる資格なんてないのに。
 僕は可憐の抱き心地の良さだけを味わっていた。
「僕も、もう何も考えたくないくらい。幸せ」
 でも、残り五日。絶対可憐に生きる選択をしてもらえるように全力を尽くそう。
「おやすみ可憐」
「寝れるわけないじゃん!」
 僕だってそうだ。
でも、可憐の怒りやここまで来てそりゃないだろうって気持ちもわかる。だからこそ、僕は可憐に恋をしたんだ。もしも可憐が何を話しかけても心を開いてくれない人だったら僕だって彼女に惹かれることもなかったし、躊躇なんかしないで可憐から命を奪っていたかもしれない。だけど、僕は可憐のことが好きでたまらなくなった。彼女を失うくらいなら世界なんて滅べばいいって最強に自分勝手な状態になるほど、僕は、可憐を失うのが怖い。死ぬことより怖い。
「ねえ可憐。そんなに怒らないでよ。仲良しでいよう。対等でいよう」
「私は、死ぬことを諦めない。順平は生きることを諦めたの?」
「違う」
「諦めてんじゃん!」
「最後まで生きるのは諦めない。でも可憐は気がついてないだけで、可憐はたくさんの人の宝物だ。僕は誰かの宝物を奪う気はない」
「誰かのせいしないでよ。勝手に順平が私を宝物にしただけでしょ?私は自分が一番大切。自分の気持ちが、欲求が、何より優先。生憎だけど、私は自殺する勇気がなくて安楽死したくてココまで来たんじゃない。そんな偽善者様とも違うただの希死念慮者だから」
「ただの希死念慮者って何?僕には理解できないよ」
「生きたくてこんな監獄みたいなところにいつまでもいる人間に理解されたくもない!対等に勝負しようよ!」
 可憐は僕を完全に試しに来た。結局そうなるんじゃん。対等ってなんだよ。それでも、僕に拒否権はないって感じで可憐が僕を睨んでいる。平等じゃないじゃないなんてレベルじゃない。こういうのは理不尽って言うんだ。
僕は可憐から逃げられない。どっちでもいいって人任せにしてたら自分のこだわりを奪われていくのと一緒だ。
生きている生物全ては死から逃げられない。でもね可憐、だからって自分から死にに行くのだって逃げることだ。逃がしてたまるか。
「わかった。じゃあ何で決める?」
「殴り合い」
「僕絶対勝てなそうだから嫌だ」
「マラソン」
「殺す気?僕死ぬよ?」
 そうなってもいいって可憐は思ってるのか?
「じゃあ、ジャンケン」
「どうせ可憐は、自分が負けたら三回勝負とか先に五回勝った方が勝ちとか言ってごねそうだからダメ」
「もう!じゃあ、何だったらいいの!」
 なんだったら可憐に確実に勝つことが出来るだろう。
「私が勝てるのにしてよね!」
「嫌だよ!馬鹿じゃないの?」
 僕と可憐が対等なもの。運任せのもの。勝敗が一回で決まるもの。なんだ?
「あ、じゃあさ、運命に任せてみようよ。順平が手術前よりも前に死にそうになったら私の勝ちってことにしない?」
 なんだそれ。
「いや、その場合、勝者は僕でしょ。可憐だって知ってるでしょ?手術日程が決まってても手術の時間まで提供はされないんだから、僕がこの五日間で死んだら可憐は強制的に提供不可で、この施設にはいられなくなる。もしくは海斗の心臓になるかどちかだ」
「そうだねッ!」
 柔らかいのに物凄いスピードで僕の顔に可憐の枕が当たった。
「痛ッ!もうほんと、さっきから枕ばかり投げてきて、馬鹿じゃないの?」
「私はずっとバカです!死にたいの!」
 僕はもう返事をしないで、可憐のベッドに無言で枕を乗せるように飛ばし返した。
「とにかく、順平が手術前に死にそうになったら私の勝ちね」
「だからなんでそうなるの!その決め方なら僕が死んだら僕の勝ち逃げになるじゃないか!」
「私の勘。ハズレないし」
「どっからその自信来るんだよ」
 ちょっと待った。
「ねえ、それって、可憐は僕がこの五日間以内に死んじゃうと思ってるわけ?」
「うん。そんな気がする」
 ひでぇな。
 もう、全然わからない。可憐、何を企んでいる。僕の何を試している?
「仮に僕が死にそうになったら可憐はどうする気なの?」
「順平を助ける」
 待て待て。それってつまり
「自殺するってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「ふざけんな!死なせるかよ!」
「こっちの台詞だよ!私は絶対順平を死なせないで順平のお母さんのところに順平を元気にさせて返すって約束した!順平だって自分のお母さんに約束してたじゃん、一生懸命になるって。今更童貞拗らせないでよ。順平のバァカ!」
 確かに、母さんと約束した。絶対守りたい約束だった。でも、今は目の前の好きな人を守って、自分の運命を受け入れたい。
「可憐の方が馬鹿じゃん。命粗末にするとか意味わかんない」
「十年も適合者待っててよく言うよ!今更自分の運命を受け入れたいとか私を守りたいとか自分勝手は順平じゃん。バァァカ」
 コイツ。僕は自分の枕を可憐の顔面に叩きつけた。
「馬鹿馬鹿言うなよ!」
「順平のおバカおバカおバカ」
「馬鹿に御つけても丁寧語にならないんだよ!大馬鹿!」
「バカは大きくならない!」
 可憐が僕の枕も自分の枕も両方持ってガンガン僕を叩いてきた。
「武器二つ持つとかズルいだろ!僕の枕返せ大馬鹿野郎!」
「私は野郎じゃない!」
 僕に体格を合わせようと筋トレしているだけあって、枕でも結構痛い。
「私は、可憐!細谷順平の提供者で、生まれつきの希死念慮者!」
 鬼の金棒が一振りされた感じで、今まで生きてきた中で一番胸がズキっと痛んで、その痛みが覚悟に変わった。
「わかったよ。じゃあ僕が五日間手術一時間前になっても危篤状態にならなかったら可憐の勝ちでいいよ。その代わり、手術前に僕が今くらい元気だったら、可憐は実家に戻ってよ。毎日僕に電話して!毎日絶対メールして!」
「いいよ!ついでに週に一度見舞いにも来てあげる!童貞拗らせ束縛バカ!」
「僕の捨てた童貞拾ったの可憐だろッ!」
「えっち!」
 こんな馬鹿馬鹿言い合って喧嘩をしていても、僕にとっては今までで一番楽しい夜だった。
 僕が勝負の条件に折れたっていうのもあるけど、枕を使ってまで喧嘩していたのに、いつの間にかお互いに笑顔になっていて、仲直りしていることが不思議と幸せで、いつの間にか僕と可憐はヘロヘロになって笑いながら自分のベッドにへたれ込んで、眠りについた。
 可憐は気が付いているかはわからないけど、彼女が最後に投げつけてきた枕は彼女のもので、僕の枕とは違う匂いがした。
 取り換えた方がいいかな、そう思ったけど、いい匂いだし止めた。バレるまで黙っておこう。