【生きたい死にたい死にたくない】
海斗遅いな。人の部屋の留守を預かっているわけだし、外に出るわけにもいかない。
……………心臓発作?
僕は一番に、一番最悪なことをした。だって僕も海斗も、いや、この施設では行き倒れている人を発見してしまうことだって何回か遭遇したこともある。
可憐にこの部屋の留守を頼もう。それで僕が海斗を探しに行こう。
隣の部屋に行くだけだ。鍵を預かっておけばよかった。
海斗が有名人だっていうのもあってこの部屋は施設内で泥棒に一番狙われやすい。寝て待っていてなんて言ったけど可憐を起こしてこの部屋に入ってもらうまでに一分もかからないから、泥棒にも盗難にもあわないだろう。
よし。
静かに部屋を出て、暗くなっている自分の部屋をそっと開けた。可憐はもう寝てしまったかもしれない。起こすのは可哀想だけど、海斗にもしものことがあってからじゃ遅いし、仕方がない。可憐だって友達を心配する僕の気持ちを分かってくれるはずだ。
「か」
一瞬何が起きているのかよくわからなかった。
ただ、可憐と呼ぼうとした『か』が、海斗の『か』に変わった。
「海斗。お前、可憐に何してんだ」
「見てわかんねーの?セックスしようとしてんだよ」
海斗はいつもの海斗じゃなかった。しかも全裸だった。どこの悪役だってくらい酷い悪態で僕をボーっと見つめている。でも、きっと海斗には僕が邪魔者に見えているんだろう、視線は冷え切っているのに、食いしばった歯を覗かせながら、僕を威嚇している。
「だから、何してんだって言ってんだろーが。ココはセックス禁止だろ」
僕も負けてられない。感情も言葉も怯んだら負ける。怖いのに怒りが収まらない。
「順平には黙ってたけど、カレンさんの心臓は俺とも適合する。それに加えて絶対的な希死念慮を持ってる。カレンさんは死ぬためなら本当に誰だっていいんだよ」
「は?」
だから何だ。
両手が組み合った二人は全裸で、可憐は僕に助けを求めるでもなく、ジッと僕を眺めていた。試されている。出会った時からずっとそんな感じがしていたけど、僕は可憐に試されているんだ。出会ってすぐに自分を見殺しにするか試されて、毎日変な質問ばかりされて、怯えながら必死で答えを出して。そんな日々をずっと耐えてきた。乗り越えてきた。必死で可憐との距離を縮めてきた。
だけど、海斗に毎回ゲームでは負けてしまう僕に可憐は『それでも、順平が勝って』ってこの部屋を出る時、僕の為にそう言ってくれたんだと信じたい。
「お前は心臓も、肺も、胃も、内臓類全部カレンさんから奪う」
「言ってることは間違いじゃない。確かに僕は可憐の命を奪うことになる。でもお前は今、可憐から何を奪おうとしてんだよ」
どんな想いで可憐がココまで来たのかはわからないけど、出会ってから僕のためにしてくれた努力と彼女がココに来たいって思った気持ちはどうなる。
「順平はスケベだな。俺がカレンさから奪うモノ?処女だよ」
ふざけるな。そんなこと、許さない。
さっきまで海斗と一番仲がいいなんて思っていた自分が馬鹿らしい。馬鹿らしい?違う僕が馬鹿なんだ。今すべきことをしてない。
今の海斗は変だ。それに可憐が僕を試そうとしているなら、僕のすべきことは一つだ。
「可憐から離れろ」
自分の穏やかさを捨てた。
「ああ。処女だけじゃねーな。カレンさんと俺に子供が出来たらお前の未来も奪っちまうかもな」
僕の未来がどうでもいいとは言わない。けど、可憐を今すぐ海斗から引き離したい。例え可憐が同意の上だったとしても、可憐の心臓が海斗のモノになるとしても、絶対に、嫌だ。
でも、この怒っているって感情は結局なんだろう。敵意と虚しさが混ざり合って、悲しいような殺意に似た……嫉妬心?いや、執着心か?だとしたらこの感情は誰に向かっている?海斗?可憐?それとも自分へ?
自分の拳を強く握りしめた。
怒りの正体はなんだろう。
「カレンさんがなんで俺の名前を知ってたか、初めて会った時からずっと気になってた。けど、やっとわかったよ。カレンさんは俺とお前のカルテ、希死念慮待機施設で盗んでたんだってよ」
真相は可憐の口から訊いたのにさっきから彼女は一言も話さない。でも海斗の言葉に傷ついてちゃダメだ。勝たないと。『順平殿、いざ出陣せよ!』って言った可憐を、助けないと。彼女が助けを求めてるかは、いまいち分からないけど、王子様でも家臣でもどっちだっていい。こんな形で海斗と喧嘩したくない。でも、譲れない。
「俺と順平、どちらとも適合するのに、なんでお前が選ばれて俺が選ばれなかったか。そんなの俺より二年先にこの施設に順平がいたからってだけだ」
結果自分の為だろうとか言われて、言い返す言葉がなくても、好きな人が目の前で自分の友達とセックスなんて、死んでも嫌だ。
僕って結局、可憐に恋してるんだ。こんなことになるまで気が付かないなんて笑っちゃうな。でも、今は笑顔になんかなれない。告白も出来ない。ただ好きだって言いたいだけなのに、いくらでも言えるチャンスはあったはずなのに、結局、なにもかも自分が大切だったからだ。
「海斗より二年先にここで待ってたけど、最終的には俺と可憐が選ばれたんだから、そういうのって、妬ましくても恨みっこなしだろ」
全部言い返して勝たないと。
「理由はそれだけじゃない。医者がなんでお前らを適合者同士にしたかわかんないのか?ネタだよネタ。十年間、待ちに待った適合者は同性じゃなく異性同士で、内臓フル取り換えの大手術だぞ?世界中にこの国の医療技術を知らしめる超レアケースだからだよ」
知ったことか。そんなことどうでもいい。医療技術評価とか、世界の反応なんてどうでもいい。本当の社会に出て、僕は生きるんだ。
生きたいんだ。
だけど可憐に死んでほしくない。
「だから何だよ!」
僕は全身の力を全部使って、可憐から海斗を引き離し、そのまま海斗を床に叩き落とした。そして、さっきまで可憐が海斗にされていたみたいに海斗に馬乗りになった。
「痛ってぇな!どけよ!」
口を大きく開いて海斗が叫んだ。見回りの職員に見つかったらなんて言い訳しよう。全然思いつかない。でも、誰が止めに入ろうと、これは必要な喧嘩だ。
「どかないよ。例え可憐が僕の提供を辞退して海斗の適合者になっても、僕は可憐が、好きだ。だから絶対どかないよ!」
好きだ。言ってしまった。好きだって、言えた。やっと言えた。もっと言いたい。たくさん、好きだって伝えたい。この先も、ずっと、この命が尽きるまで。何度でも言いたかった。
「俺が欲しいのはたった一つ。健康な心臓だ。手術のリスクも俺の方が断然少ない!ちゃんと適合するのに!なんで、そんなメディアのネタのために選ばれた同士が、自分たちの本当の置かれた状況も知らないで毎日イイ距離保ってんだよ!俺の前の適合者は手術寸前で逃げた!希死念慮者だったって言うのに、生きることに逃げた!死ぬことから逃げた!でもカレンさんは初日から目の前で死のうとしてくれるくらい希死念慮強いんだろ?俺のためじゃなくてお前だけのために死ぬのを楽しみにしてるって、どういうことだよ!俺だって適合率98%だ!ちゃんと条件は満たしてるのになんでお前なんだ!よりにもよって、なんで順平なんだよ!なんで俺の初めての友達なんだよ!俺だって、お前が俺に適合者が現れた時みたいに一緒に喜んでやりたかったよ!純粋におめでとう、上手くいくと良いなって言ってやりたかったけど、言えねーよ!」
これが海斗の本音。僕は海斗に適合者が現れた日、正直羨ましいって思っていた。僕より後にココに来て、僕よりココを先に出て行くんだって。でもそんなことより毎日会えなくなることを寂しいと思っていた。なのに、なんだこの様は。
「適合率98%じゃダメなんだよ!残り2%が一番難しいんだ!なんだよって思うかもしれないけど、可憐は僕の母さんにも約束してくれた。僕を生きてここから出してくれるって。僕だって初めは信用できなかった。警戒ばっかりしてた。けど、一緒に過ごして歩み寄ってくれる可憐が大好きになった。だから、僕と可憐の2%を邪魔すんな!」
僕だってギリギリなんだよ。今まで隠し貫いてきたけど、毎晩隣で女の人が寝ているんだぞ。海斗よりずっと近くで我慢している。ルームシェアをしてからベッドで自慰も出来なくて、落ち着いて妄想も出来ないで、溜まるもん貯まっていい加減僕だって限界なんだ。十七歳だぞ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!
可憐の心臓だけ欲しい?ふざけんな!
「なんなんだよ!残り2%って!俺にはその2%が足りないって言うのかよ!足りなかったから、前の適合者は手術寸前に逃げたって言うのかよ!お前のとりえなんて折り紙くらいじゃないかよ!俺はゲーム業界も世界中の人が待ってる!」
「わっかんねぇよ!けど、きっとそうなんだよ!残り2%は俺と可憐の心の適合率だ!それに、ゲーム作れののがそんなの偉いか?神折ってるだけじゃ駄目なのか?才能がないと生きちゃいけないのかよ!」
「……かっこつけんなよ」
海斗が急に冷静を装ったのが全身をイラつかせた。
「お前こそ!急に威勢無くしてカッコつけんなよ!それに僕は、お前が僕から可憐を奪おうとしてるから怒ってるんじゃない!」
「じゃあ、なんだって言うんだ!」
本当に海斗は世界が認める天才なのか?こんなこともわからないのか?
「可憐を自分の代わりの部品みたいに言うな!」
人の幸せを嫉むなんて人なんていっぱいいる。SNSを更新したりする人が疎ましいのに、なんとなくフォローは外せず、表面だけでも友達でいようとする。そんなの変だって分かっているのに寂しくてできない。同じことをされたら悲しいから数として友達とは呼ばずフォロワーと呼ぶ。だけど、僕を支えてくれたのはネットのコミュニケーションなんかじゃない。一番近くで支えてくれているのは毎日会えない家族でもなく、いつだって会える海斗だった。
海斗に適合者が現れた時は何とか喜べるくらいには海斗が大好きだった。けど、やっぱり羨ましくてたまらなかった。なんで僕の方が先に待ってたのにって、心のどこかで思っていたんだ。でも、本当に適合者が現れる人がいるって知って、同じくらいの歳の人がどんどん亡くなっていく中でも僕は希望を持てた。だから明日目が覚めなかったらどうしようとか、不安を抱えていても、生きて今まで待てたんだ。誰も適合者が現れずに待つだけ待って死んでいくよりはましだって言い聞かせるしかなかったんだ。
だけどやっぱり心の中じゃ、どうして死にたがってる奴がいるのに自分は長生きできないんだって本当はずっとムカついてた。ポーカーフェイスを気取ってもイライラしていたんだ。
「僕は、ずっと可憐が変わっているってんだって思ってた。でも今は違う。可憐は僕なんかよりずっとずっと優しくて優しさの使い方を間違えてるだけだって今はわかる。どんなに死にたいって思ってても、可憐にも生まれてきて出会えてよかったって思える人に出会えただけでも幸せなことだってわかってほしい。僕は可憐にも海斗にも出会えてよかった。凄く今、幸せなんだ」
みんな生まれた時点で平等じゃない。自分の体が劣っているのは両親だけのせいじゃない。両親の前の両親たちのもっと古い時代から人類の受け継いできた中の、たまたま弱い遺伝子のイレギュラーが起きて生まれてきてしまっただけだ。海斗だってそうだ。健康だった人間が事故にあって適合者を探しているのとは全然違う。僕らはたまたまそういう風に生まれてきただけだ。そして、生きることを望んでいるだけだ。
可憐みたいに健康なのに自ら死を望んで僕らの所に来てくれた人が、例え気まぐれに生きることを選んだとしても、僕等には何も言えっこない。
「他人の命を奪ってまで生きたいと望んでた僕らには、適合者を待っている以外のリスクだって背負わなきゃダメだったんだって、可憐と過ごして僕は知った。行動しなきゃいけないんだって。例え体が思うように動かせなくて、ジタバタ体使って訴えることが出来なくなっても、心は焦ったり、もっと苦しんだっていいんだ。欲しいなら奪うんじゃない!もらえる資格のある人間になるって努力する覚悟をしなきゃダメなんだよ!僕らはココに入所した時点で提供の拒否権を失ったけど、本当は可憐の未来だって見たい!僕の命が尽きるまで僕は可憐を守り抜きたい!」
喉が痛い。叫びすぎだ。他の住民から苦情が来て今の僕らを見られたら厳重注意なんてもんじゃ済まない。それくらいこの施設のルールはシビアなんだ。でも、そのリスクに怯えていたら、勝てない。決着をつけないと。でも、海斗だけに勝ちたいんじゃない。
可憐を好きだってわかった時点で、僕の言葉はたくさんの矛盾を含んでいる。矛盾というか、嘘にも近い。僕は海斗から可憐を取られたくない気持ちと、可憐に生きることを選んでほしいからこんなに叫んでるんだ。可憐の死にたいって気持ちを特に動かしたい。とにかく変えたい。でも、今提供を辞退してほしいなんて言ったらもっと話がややこしくなる。
だけど、いつ死んでも僕はおかしくないんだから、今ちゃんと言いたいことを言わないと、僕は何のために生まれていたいのか答えを知れないまま命が尽きてしまう気がする。
そんなの絶対嫌だ。
「海斗と違って僕と可憐じゃ、世界を変えるような大きなビジネスが出来なくても、僕は可憐みたいに強くて無駄に優しくて、ちょっと意地悪に生きていきたい!だから……だから黙ってないで可憐も服を着て!」
僕の演説にやれやれという感じで可憐は脱がされたのか自ら脱いだのかわからないけど、着ていた服を羽織りボタンを閉め始めた。察しのいい彼女には、もう僕が提供を辞退させたいって気が付かれているのかもしれない。
「海斗、ごめん。お前がもしも今夜のことがショックで明日死んでも、僕は罪悪感で追いかけて死んだりしない。だって、僕、生きたいから」
嘘じゃない。生きたいけど、可憐を死なせたくない。
もうどうしたらいいんだよ。
海斗は降参したみたいに僕に笑いかけると、馬乗りになっていた僕の後ろ頭を長く太い腕を伸ばし僕より大きな手で包み込み、僕の右耳をその胸に押し当ててきた。
さっきのゲームの中の宇宙みたいに部屋の中は静寂になった。だけど、静寂の中に不規則な彼の音が聞こえる。
「俺の心臓の音聞こえるか」
海斗の今にも泣きだしそうな声を聴いて、僕は先に涙を落してしまった。
「うん。ちゃんと聞こえる」
声がガラガラする。
「この音が止まると思うと、どうしようもなく怖い」
海斗の声もザラザラしていて砂でも口に入っているんじゃないかってくらい酷い声だった。
「僕もだ。海斗のこの音が聴けなくなるのは怖いし嫌だ」
「だけど、いつか止まる。適合者が運よく見つかったとしても、その心臓の音は俺のなのかなって、思う度に心臓が痛いんだ。医者はストレスだって言うけど、本当かどうかわかんないし。いつどうなるかもわかんないのが不安なんだよ」
「僕も不安。でも、人間くらいだろ、延命するのに医学ってもんで命のやり取りしてるのは。自然に生きてる動物はそれぞれ縄張り争いだとか、メスの取り合いだとかそんなんで殺し合うこともあるだろうけど、結局は生き残った方が未来になって、死んだ方が過去になる。それなのに僕ら人間は、生きたいって感覚を、医学に任せてるってこと自体がズルいって海斗だってわかるだろ?」
伝わってくれ。僕は願った。海斗にも可憐にも。僕の伝えたい運命の考え方をどうか2%でもいいから理解してほしいと思った。
「じゃあ、俺も順平もカレンさんもズルい奴ってことか」
「うん」
それだけでも伝われば今は充分だ。
「じゃあ、誰が先に死んでも、俺たちに限らず、世界中の人も生き物も恨みっこなしってことだよな」
「うん。でも殺し合いは恥じるべき行為だって人類には思ってほしいかな」
「戦争中の国なんて山ほどあるしな。いつどこで何が起きるかなんてわかんないねーもんな」
海斗はいつの間にか僕の頭を撫ではじめた。
「それでも順平は、俺にカレンさんを譲ってはくれないんだな」
「うん。だって可憐は僕のモノじゃないから。譲る権利なんて僕にはない。まぁ、海斗も可憐に恋をしてるって言うなら話は別だよ。男同士の真剣勝負だ。殴り合っても、ゲームでだっても、どんな決着方法でも僕は海斗に負けない」
なんで可憐を抱こうとした男に抱きしめられながら撫でられているんだろう。
しかもこんなに優しく。強く。寂しそうに。すがりつかれるように。
僕は海斗から離れ、海斗を起き上がらせてから、また床で座り込みながら抱き合った。
「僕たちは、まだ若い」
「そうだな」
「なのに、先は短い」
「そうなんだよ」
「海斗には夢がある。でも僕にはない」
「そうだ。それが、ムカつくんだ。社会には俺の方が絶対貢献できる自信があるのに」
海斗の言う通りなのか?いや、そうじゃない。それと可憐は別の話だ。違う。僕も海斗も可憐もみんな本当は自己主張してココにいるんだ。
「僕も海斗も自分勝手なんだよ。可憐だってそうだ。みんな自分勝手だ」
「自分勝手もズルいも似てない?」
「全然違うよ。生きたいだの、死にたくないだの、死にたいだの。僕らはみんな自分勝手だ。それにズルいのは海斗の方だろジュース買いに行ったんじゃなかったのかよ」
可憐はベッドの上でうつ伏せの状態で僕らを不思議そうに見下ろしていて、海斗は呆然と涙をこぼしていた。
僕には可憐が天使に見え海斗が弱った悪魔みたいに見えた。けど、僕ら人間はそのどちらにもなれない。ただの無力な人間のくせに人の命を欲しがる死神みたいなもんだ。不平等な世界でそれぞれの理不尽を抱えた。大馬鹿三人組だ。
「じゃあ、順平にとって俺はこの世に必要な存在じゃないってことか」
「そんなわけないだろ!僕以外にも世界中のゲームファンの人がお前を待ってるし、永遠に海斗のことを慕う人だっていると思う。でも、だからって、可憐を僕から無理やり奪うのは違うだろ。逆に僕は凡人で才能もないから死んでもいいって、お前は僕にそう言いたいのか?」
僕の零してしまった涙が、海斗の膝を伝っていく。何粒も何滴も涙が落ちる。
だんだんそんな自分に腹が立ってくる。今一番幸せで身勝手なのは僕だ。可憐は僕のため
じゃなくて誰のためでもいいから死にたいだけかもしれないけど、それでも僕は可憐に生
きてほしい。
可憐に出会って僕にとって漠然とした、生きたいという気持ちはどんどん増した。僕にはまだ海斗みたいに成し遂げたい野望とか夢とか才能はないけど、それでも、社会に出て、努力をしていたいんだ。
なんだっていい。僕は、一生懸命生きていきたいんだ。でも、可憐への恋心に気がついたら、生きたいけど、初めて本気で彼女の為なら死んでもいいと思った。
「海斗が作ったアプリゲーム、またすごく売れたんだろ。一体いくら儲けてんだよ」
「全然儲けてねぇよ。心臓一個買う金にもならねぇよ」
しばらく泣きじゃくる海斗をなるべく優しく抱きしめた。海斗の才能が羨ましいと思う時がいっぱいある。だからこそ、この世は不平等なんだ。
それを嘆いたって仕方がないのはわかっている。
だけど、今くらいいいだろう。生きている今は今しかないのだから。僕は海斗を強く抱きしめた。
「僕の寿命はとっくに使い切ってるんだ。三年は大丈夫とか母さんは言ってたし、医者もグルになって僕にそう言ってたけど、今日の晩飯は御粥になったし、生きて普通に生活してる今も奇跡みたいなものなんだ。だから、僕も焦ってた。海斗のことを悪く言えるような立場じゃないんだ」
海斗は僕を僕以上に強く抱きしめてきた。
「早く言えよバカ!それだったら俺だってこんな手荒な真似しなかったよ」
涙と鼻水で汚くなった僕らの顔を見ながら平然と可憐が声を上げた。
「ねえ、二人とも。ココってセックス禁止って言ってるけど、避妊すれば大丈夫じゃない?どっちかコンドーム持ってないの?」
ベッドの上から僕らを少しつまらなそうに可憐は眺めていた。
ほんとにもう。やっぱり彼女は天使じゃない。可憐も可憐だ。
「ゴム持ってるよ」
「やったね。海斗君の言うとおり、私処女だったの忘れてた。ヤルことヤんないと、死んでから後悔すると思うんだよね」
僕は初めて会った日からずっと可憐に試されてるような気がしてたけど、僕だって彼女に挑戦してみたい。挑んでみたい。
「可憐」
「んー?」
僕はさっき服を着てと可憐に叫んだ。だからなのか服だけ着て自分の白いパンツを僕らの前でフラフラと降参した白旗のように振っている可憐の姿を見て、僕はスル決意をした。
「ねえ可憐。海斗がこの部屋を出たら、僕の前でまた服を脱いでくれる?」
「嫌だよ。めんどくさい。脱がしてよ。今日は検査もあったから着たり脱いだり着たり脱いだりもううんざり」
僕はいつも可憐が笑うみたいに不敵に笑って「いいよ」と言った。
海斗遅いな。人の部屋の留守を預かっているわけだし、外に出るわけにもいかない。
……………心臓発作?
僕は一番に、一番最悪なことをした。だって僕も海斗も、いや、この施設では行き倒れている人を発見してしまうことだって何回か遭遇したこともある。
可憐にこの部屋の留守を頼もう。それで僕が海斗を探しに行こう。
隣の部屋に行くだけだ。鍵を預かっておけばよかった。
海斗が有名人だっていうのもあってこの部屋は施設内で泥棒に一番狙われやすい。寝て待っていてなんて言ったけど可憐を起こしてこの部屋に入ってもらうまでに一分もかからないから、泥棒にも盗難にもあわないだろう。
よし。
静かに部屋を出て、暗くなっている自分の部屋をそっと開けた。可憐はもう寝てしまったかもしれない。起こすのは可哀想だけど、海斗にもしものことがあってからじゃ遅いし、仕方がない。可憐だって友達を心配する僕の気持ちを分かってくれるはずだ。
「か」
一瞬何が起きているのかよくわからなかった。
ただ、可憐と呼ぼうとした『か』が、海斗の『か』に変わった。
「海斗。お前、可憐に何してんだ」
「見てわかんねーの?セックスしようとしてんだよ」
海斗はいつもの海斗じゃなかった。しかも全裸だった。どこの悪役だってくらい酷い悪態で僕をボーっと見つめている。でも、きっと海斗には僕が邪魔者に見えているんだろう、視線は冷え切っているのに、食いしばった歯を覗かせながら、僕を威嚇している。
「だから、何してんだって言ってんだろーが。ココはセックス禁止だろ」
僕も負けてられない。感情も言葉も怯んだら負ける。怖いのに怒りが収まらない。
「順平には黙ってたけど、カレンさんの心臓は俺とも適合する。それに加えて絶対的な希死念慮を持ってる。カレンさんは死ぬためなら本当に誰だっていいんだよ」
「は?」
だから何だ。
両手が組み合った二人は全裸で、可憐は僕に助けを求めるでもなく、ジッと僕を眺めていた。試されている。出会った時からずっとそんな感じがしていたけど、僕は可憐に試されているんだ。出会ってすぐに自分を見殺しにするか試されて、毎日変な質問ばかりされて、怯えながら必死で答えを出して。そんな日々をずっと耐えてきた。乗り越えてきた。必死で可憐との距離を縮めてきた。
だけど、海斗に毎回ゲームでは負けてしまう僕に可憐は『それでも、順平が勝って』ってこの部屋を出る時、僕の為にそう言ってくれたんだと信じたい。
「お前は心臓も、肺も、胃も、内臓類全部カレンさんから奪う」
「言ってることは間違いじゃない。確かに僕は可憐の命を奪うことになる。でもお前は今、可憐から何を奪おうとしてんだよ」
どんな想いで可憐がココまで来たのかはわからないけど、出会ってから僕のためにしてくれた努力と彼女がココに来たいって思った気持ちはどうなる。
「順平はスケベだな。俺がカレンさから奪うモノ?処女だよ」
ふざけるな。そんなこと、許さない。
さっきまで海斗と一番仲がいいなんて思っていた自分が馬鹿らしい。馬鹿らしい?違う僕が馬鹿なんだ。今すべきことをしてない。
今の海斗は変だ。それに可憐が僕を試そうとしているなら、僕のすべきことは一つだ。
「可憐から離れろ」
自分の穏やかさを捨てた。
「ああ。処女だけじゃねーな。カレンさんと俺に子供が出来たらお前の未来も奪っちまうかもな」
僕の未来がどうでもいいとは言わない。けど、可憐を今すぐ海斗から引き離したい。例え可憐が同意の上だったとしても、可憐の心臓が海斗のモノになるとしても、絶対に、嫌だ。
でも、この怒っているって感情は結局なんだろう。敵意と虚しさが混ざり合って、悲しいような殺意に似た……嫉妬心?いや、執着心か?だとしたらこの感情は誰に向かっている?海斗?可憐?それとも自分へ?
自分の拳を強く握りしめた。
怒りの正体はなんだろう。
「カレンさんがなんで俺の名前を知ってたか、初めて会った時からずっと気になってた。けど、やっとわかったよ。カレンさんは俺とお前のカルテ、希死念慮待機施設で盗んでたんだってよ」
真相は可憐の口から訊いたのにさっきから彼女は一言も話さない。でも海斗の言葉に傷ついてちゃダメだ。勝たないと。『順平殿、いざ出陣せよ!』って言った可憐を、助けないと。彼女が助けを求めてるかは、いまいち分からないけど、王子様でも家臣でもどっちだっていい。こんな形で海斗と喧嘩したくない。でも、譲れない。
「俺と順平、どちらとも適合するのに、なんでお前が選ばれて俺が選ばれなかったか。そんなの俺より二年先にこの施設に順平がいたからってだけだ」
結果自分の為だろうとか言われて、言い返す言葉がなくても、好きな人が目の前で自分の友達とセックスなんて、死んでも嫌だ。
僕って結局、可憐に恋してるんだ。こんなことになるまで気が付かないなんて笑っちゃうな。でも、今は笑顔になんかなれない。告白も出来ない。ただ好きだって言いたいだけなのに、いくらでも言えるチャンスはあったはずなのに、結局、なにもかも自分が大切だったからだ。
「海斗より二年先にここで待ってたけど、最終的には俺と可憐が選ばれたんだから、そういうのって、妬ましくても恨みっこなしだろ」
全部言い返して勝たないと。
「理由はそれだけじゃない。医者がなんでお前らを適合者同士にしたかわかんないのか?ネタだよネタ。十年間、待ちに待った適合者は同性じゃなく異性同士で、内臓フル取り換えの大手術だぞ?世界中にこの国の医療技術を知らしめる超レアケースだからだよ」
知ったことか。そんなことどうでもいい。医療技術評価とか、世界の反応なんてどうでもいい。本当の社会に出て、僕は生きるんだ。
生きたいんだ。
だけど可憐に死んでほしくない。
「だから何だよ!」
僕は全身の力を全部使って、可憐から海斗を引き離し、そのまま海斗を床に叩き落とした。そして、さっきまで可憐が海斗にされていたみたいに海斗に馬乗りになった。
「痛ってぇな!どけよ!」
口を大きく開いて海斗が叫んだ。見回りの職員に見つかったらなんて言い訳しよう。全然思いつかない。でも、誰が止めに入ろうと、これは必要な喧嘩だ。
「どかないよ。例え可憐が僕の提供を辞退して海斗の適合者になっても、僕は可憐が、好きだ。だから絶対どかないよ!」
好きだ。言ってしまった。好きだって、言えた。やっと言えた。もっと言いたい。たくさん、好きだって伝えたい。この先も、ずっと、この命が尽きるまで。何度でも言いたかった。
「俺が欲しいのはたった一つ。健康な心臓だ。手術のリスクも俺の方が断然少ない!ちゃんと適合するのに!なんで、そんなメディアのネタのために選ばれた同士が、自分たちの本当の置かれた状況も知らないで毎日イイ距離保ってんだよ!俺の前の適合者は手術寸前で逃げた!希死念慮者だったって言うのに、生きることに逃げた!死ぬことから逃げた!でもカレンさんは初日から目の前で死のうとしてくれるくらい希死念慮強いんだろ?俺のためじゃなくてお前だけのために死ぬのを楽しみにしてるって、どういうことだよ!俺だって適合率98%だ!ちゃんと条件は満たしてるのになんでお前なんだ!よりにもよって、なんで順平なんだよ!なんで俺の初めての友達なんだよ!俺だって、お前が俺に適合者が現れた時みたいに一緒に喜んでやりたかったよ!純粋におめでとう、上手くいくと良いなって言ってやりたかったけど、言えねーよ!」
これが海斗の本音。僕は海斗に適合者が現れた日、正直羨ましいって思っていた。僕より後にココに来て、僕よりココを先に出て行くんだって。でもそんなことより毎日会えなくなることを寂しいと思っていた。なのに、なんだこの様は。
「適合率98%じゃダメなんだよ!残り2%が一番難しいんだ!なんだよって思うかもしれないけど、可憐は僕の母さんにも約束してくれた。僕を生きてここから出してくれるって。僕だって初めは信用できなかった。警戒ばっかりしてた。けど、一緒に過ごして歩み寄ってくれる可憐が大好きになった。だから、僕と可憐の2%を邪魔すんな!」
僕だってギリギリなんだよ。今まで隠し貫いてきたけど、毎晩隣で女の人が寝ているんだぞ。海斗よりずっと近くで我慢している。ルームシェアをしてからベッドで自慰も出来なくて、落ち着いて妄想も出来ないで、溜まるもん貯まっていい加減僕だって限界なんだ。十七歳だぞ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!
可憐の心臓だけ欲しい?ふざけんな!
「なんなんだよ!残り2%って!俺にはその2%が足りないって言うのかよ!足りなかったから、前の適合者は手術寸前に逃げたって言うのかよ!お前のとりえなんて折り紙くらいじゃないかよ!俺はゲーム業界も世界中の人が待ってる!」
「わっかんねぇよ!けど、きっとそうなんだよ!残り2%は俺と可憐の心の適合率だ!それに、ゲーム作れののがそんなの偉いか?神折ってるだけじゃ駄目なのか?才能がないと生きちゃいけないのかよ!」
「……かっこつけんなよ」
海斗が急に冷静を装ったのが全身をイラつかせた。
「お前こそ!急に威勢無くしてカッコつけんなよ!それに僕は、お前が僕から可憐を奪おうとしてるから怒ってるんじゃない!」
「じゃあ、なんだって言うんだ!」
本当に海斗は世界が認める天才なのか?こんなこともわからないのか?
「可憐を自分の代わりの部品みたいに言うな!」
人の幸せを嫉むなんて人なんていっぱいいる。SNSを更新したりする人が疎ましいのに、なんとなくフォローは外せず、表面だけでも友達でいようとする。そんなの変だって分かっているのに寂しくてできない。同じことをされたら悲しいから数として友達とは呼ばずフォロワーと呼ぶ。だけど、僕を支えてくれたのはネットのコミュニケーションなんかじゃない。一番近くで支えてくれているのは毎日会えない家族でもなく、いつだって会える海斗だった。
海斗に適合者が現れた時は何とか喜べるくらいには海斗が大好きだった。けど、やっぱり羨ましくてたまらなかった。なんで僕の方が先に待ってたのにって、心のどこかで思っていたんだ。でも、本当に適合者が現れる人がいるって知って、同じくらいの歳の人がどんどん亡くなっていく中でも僕は希望を持てた。だから明日目が覚めなかったらどうしようとか、不安を抱えていても、生きて今まで待てたんだ。誰も適合者が現れずに待つだけ待って死んでいくよりはましだって言い聞かせるしかなかったんだ。
だけどやっぱり心の中じゃ、どうして死にたがってる奴がいるのに自分は長生きできないんだって本当はずっとムカついてた。ポーカーフェイスを気取ってもイライラしていたんだ。
「僕は、ずっと可憐が変わっているってんだって思ってた。でも今は違う。可憐は僕なんかよりずっとずっと優しくて優しさの使い方を間違えてるだけだって今はわかる。どんなに死にたいって思ってても、可憐にも生まれてきて出会えてよかったって思える人に出会えただけでも幸せなことだってわかってほしい。僕は可憐にも海斗にも出会えてよかった。凄く今、幸せなんだ」
みんな生まれた時点で平等じゃない。自分の体が劣っているのは両親だけのせいじゃない。両親の前の両親たちのもっと古い時代から人類の受け継いできた中の、たまたま弱い遺伝子のイレギュラーが起きて生まれてきてしまっただけだ。海斗だってそうだ。健康だった人間が事故にあって適合者を探しているのとは全然違う。僕らはたまたまそういう風に生まれてきただけだ。そして、生きることを望んでいるだけだ。
可憐みたいに健康なのに自ら死を望んで僕らの所に来てくれた人が、例え気まぐれに生きることを選んだとしても、僕等には何も言えっこない。
「他人の命を奪ってまで生きたいと望んでた僕らには、適合者を待っている以外のリスクだって背負わなきゃダメだったんだって、可憐と過ごして僕は知った。行動しなきゃいけないんだって。例え体が思うように動かせなくて、ジタバタ体使って訴えることが出来なくなっても、心は焦ったり、もっと苦しんだっていいんだ。欲しいなら奪うんじゃない!もらえる資格のある人間になるって努力する覚悟をしなきゃダメなんだよ!僕らはココに入所した時点で提供の拒否権を失ったけど、本当は可憐の未来だって見たい!僕の命が尽きるまで僕は可憐を守り抜きたい!」
喉が痛い。叫びすぎだ。他の住民から苦情が来て今の僕らを見られたら厳重注意なんてもんじゃ済まない。それくらいこの施設のルールはシビアなんだ。でも、そのリスクに怯えていたら、勝てない。決着をつけないと。でも、海斗だけに勝ちたいんじゃない。
可憐を好きだってわかった時点で、僕の言葉はたくさんの矛盾を含んでいる。矛盾というか、嘘にも近い。僕は海斗から可憐を取られたくない気持ちと、可憐に生きることを選んでほしいからこんなに叫んでるんだ。可憐の死にたいって気持ちを特に動かしたい。とにかく変えたい。でも、今提供を辞退してほしいなんて言ったらもっと話がややこしくなる。
だけど、いつ死んでも僕はおかしくないんだから、今ちゃんと言いたいことを言わないと、僕は何のために生まれていたいのか答えを知れないまま命が尽きてしまう気がする。
そんなの絶対嫌だ。
「海斗と違って僕と可憐じゃ、世界を変えるような大きなビジネスが出来なくても、僕は可憐みたいに強くて無駄に優しくて、ちょっと意地悪に生きていきたい!だから……だから黙ってないで可憐も服を着て!」
僕の演説にやれやれという感じで可憐は脱がされたのか自ら脱いだのかわからないけど、着ていた服を羽織りボタンを閉め始めた。察しのいい彼女には、もう僕が提供を辞退させたいって気が付かれているのかもしれない。
「海斗、ごめん。お前がもしも今夜のことがショックで明日死んでも、僕は罪悪感で追いかけて死んだりしない。だって、僕、生きたいから」
嘘じゃない。生きたいけど、可憐を死なせたくない。
もうどうしたらいいんだよ。
海斗は降参したみたいに僕に笑いかけると、馬乗りになっていた僕の後ろ頭を長く太い腕を伸ばし僕より大きな手で包み込み、僕の右耳をその胸に押し当ててきた。
さっきのゲームの中の宇宙みたいに部屋の中は静寂になった。だけど、静寂の中に不規則な彼の音が聞こえる。
「俺の心臓の音聞こえるか」
海斗の今にも泣きだしそうな声を聴いて、僕は先に涙を落してしまった。
「うん。ちゃんと聞こえる」
声がガラガラする。
「この音が止まると思うと、どうしようもなく怖い」
海斗の声もザラザラしていて砂でも口に入っているんじゃないかってくらい酷い声だった。
「僕もだ。海斗のこの音が聴けなくなるのは怖いし嫌だ」
「だけど、いつか止まる。適合者が運よく見つかったとしても、その心臓の音は俺のなのかなって、思う度に心臓が痛いんだ。医者はストレスだって言うけど、本当かどうかわかんないし。いつどうなるかもわかんないのが不安なんだよ」
「僕も不安。でも、人間くらいだろ、延命するのに医学ってもんで命のやり取りしてるのは。自然に生きてる動物はそれぞれ縄張り争いだとか、メスの取り合いだとかそんなんで殺し合うこともあるだろうけど、結局は生き残った方が未来になって、死んだ方が過去になる。それなのに僕ら人間は、生きたいって感覚を、医学に任せてるってこと自体がズルいって海斗だってわかるだろ?」
伝わってくれ。僕は願った。海斗にも可憐にも。僕の伝えたい運命の考え方をどうか2%でもいいから理解してほしいと思った。
「じゃあ、俺も順平もカレンさんもズルい奴ってことか」
「うん」
それだけでも伝われば今は充分だ。
「じゃあ、誰が先に死んでも、俺たちに限らず、世界中の人も生き物も恨みっこなしってことだよな」
「うん。でも殺し合いは恥じるべき行為だって人類には思ってほしいかな」
「戦争中の国なんて山ほどあるしな。いつどこで何が起きるかなんてわかんないねーもんな」
海斗はいつの間にか僕の頭を撫ではじめた。
「それでも順平は、俺にカレンさんを譲ってはくれないんだな」
「うん。だって可憐は僕のモノじゃないから。譲る権利なんて僕にはない。まぁ、海斗も可憐に恋をしてるって言うなら話は別だよ。男同士の真剣勝負だ。殴り合っても、ゲームでだっても、どんな決着方法でも僕は海斗に負けない」
なんで可憐を抱こうとした男に抱きしめられながら撫でられているんだろう。
しかもこんなに優しく。強く。寂しそうに。すがりつかれるように。
僕は海斗から離れ、海斗を起き上がらせてから、また床で座り込みながら抱き合った。
「僕たちは、まだ若い」
「そうだな」
「なのに、先は短い」
「そうなんだよ」
「海斗には夢がある。でも僕にはない」
「そうだ。それが、ムカつくんだ。社会には俺の方が絶対貢献できる自信があるのに」
海斗の言う通りなのか?いや、そうじゃない。それと可憐は別の話だ。違う。僕も海斗も可憐もみんな本当は自己主張してココにいるんだ。
「僕も海斗も自分勝手なんだよ。可憐だってそうだ。みんな自分勝手だ」
「自分勝手もズルいも似てない?」
「全然違うよ。生きたいだの、死にたくないだの、死にたいだの。僕らはみんな自分勝手だ。それにズルいのは海斗の方だろジュース買いに行ったんじゃなかったのかよ」
可憐はベッドの上でうつ伏せの状態で僕らを不思議そうに見下ろしていて、海斗は呆然と涙をこぼしていた。
僕には可憐が天使に見え海斗が弱った悪魔みたいに見えた。けど、僕ら人間はそのどちらにもなれない。ただの無力な人間のくせに人の命を欲しがる死神みたいなもんだ。不平等な世界でそれぞれの理不尽を抱えた。大馬鹿三人組だ。
「じゃあ、順平にとって俺はこの世に必要な存在じゃないってことか」
「そんなわけないだろ!僕以外にも世界中のゲームファンの人がお前を待ってるし、永遠に海斗のことを慕う人だっていると思う。でも、だからって、可憐を僕から無理やり奪うのは違うだろ。逆に僕は凡人で才能もないから死んでもいいって、お前は僕にそう言いたいのか?」
僕の零してしまった涙が、海斗の膝を伝っていく。何粒も何滴も涙が落ちる。
だんだんそんな自分に腹が立ってくる。今一番幸せで身勝手なのは僕だ。可憐は僕のため
じゃなくて誰のためでもいいから死にたいだけかもしれないけど、それでも僕は可憐に生
きてほしい。
可憐に出会って僕にとって漠然とした、生きたいという気持ちはどんどん増した。僕にはまだ海斗みたいに成し遂げたい野望とか夢とか才能はないけど、それでも、社会に出て、努力をしていたいんだ。
なんだっていい。僕は、一生懸命生きていきたいんだ。でも、可憐への恋心に気がついたら、生きたいけど、初めて本気で彼女の為なら死んでもいいと思った。
「海斗が作ったアプリゲーム、またすごく売れたんだろ。一体いくら儲けてんだよ」
「全然儲けてねぇよ。心臓一個買う金にもならねぇよ」
しばらく泣きじゃくる海斗をなるべく優しく抱きしめた。海斗の才能が羨ましいと思う時がいっぱいある。だからこそ、この世は不平等なんだ。
それを嘆いたって仕方がないのはわかっている。
だけど、今くらいいいだろう。生きている今は今しかないのだから。僕は海斗を強く抱きしめた。
「僕の寿命はとっくに使い切ってるんだ。三年は大丈夫とか母さんは言ってたし、医者もグルになって僕にそう言ってたけど、今日の晩飯は御粥になったし、生きて普通に生活してる今も奇跡みたいなものなんだ。だから、僕も焦ってた。海斗のことを悪く言えるような立場じゃないんだ」
海斗は僕を僕以上に強く抱きしめてきた。
「早く言えよバカ!それだったら俺だってこんな手荒な真似しなかったよ」
涙と鼻水で汚くなった僕らの顔を見ながら平然と可憐が声を上げた。
「ねえ、二人とも。ココってセックス禁止って言ってるけど、避妊すれば大丈夫じゃない?どっちかコンドーム持ってないの?」
ベッドの上から僕らを少しつまらなそうに可憐は眺めていた。
ほんとにもう。やっぱり彼女は天使じゃない。可憐も可憐だ。
「ゴム持ってるよ」
「やったね。海斗君の言うとおり、私処女だったの忘れてた。ヤルことヤんないと、死んでから後悔すると思うんだよね」
僕は初めて会った日からずっと可憐に試されてるような気がしてたけど、僕だって彼女に挑戦してみたい。挑んでみたい。
「可憐」
「んー?」
僕はさっき服を着てと可憐に叫んだ。だからなのか服だけ着て自分の白いパンツを僕らの前でフラフラと降参した白旗のように振っている可憐の姿を見て、僕はスル決意をした。
「ねえ可憐。海斗がこの部屋を出たら、僕の前でまた服を脱いでくれる?」
「嫌だよ。めんどくさい。脱がしてよ。今日は検査もあったから着たり脱いだり着たり脱いだりもううんざり」
僕はいつも可憐が笑うみたいに不敵に笑って「いいよ」と言った。