【勝負だ】
今日は朝から身体検査もあったし、たまには中庭のテーブル席で昼飯を食べようと可憐に言われて、受付で申請したら、いつものおばちゃんじゃない配膳係の人が昼食を運んできてくれた。外に一切つながってなくてガラス張りの屋根付きの中庭だけど、僕は昔から好きだった。でも、こうやってここで食事をとるのは初めてだ。
ピクニックってこんな感じなのかな。いや、ピクニックとかだとシートとかいうベッドのシーツみたいなのを地面に敷いてそこでお弁当とかを食べるんだったっけ?幼稚園の時の記憶は殆ど残ってないから、僕は何年か前に見た映画のシーンを思い出していた。
中庭で食べてる人は少ないから、海斗も僕らを見つけやすかったんだろう。
別にいつもの海斗だったと思う。というより、僕の知ってる海斗だった。だから、何の抵抗もなかった。
「なぁなぁなぁナァ!」
「ネコの真似か?」
「ちげーよ!」
テンションが高い。声が大きい。いつもの海斗だ。
「海斗くん発情期の猫のモノマネ上手だね」
「いや、違いますって。カレンさんまで、酷いニャ」
「あ、今の語尾のニャで凄くクオリティー下がっちゃったよ?」
海斗と話す可憐は僕と話す時より、ちょっと可愛い気がする。
「どうしたんだよ発情期」
「だから違うって、まあ、あながち間違いじゃないけど」
海斗はいつの間にか僕隣の席に座っていた。
「なぁなぁ、順平!今夜飯終わったら俺の部屋でゲームしようぜ!ARのフォログラム!仮想系ゲームお前好きだろ?試作品完成したんだ!」
可憐もすっかり海斗とは顔なじみで、最近は可憐が来る以前の時みたいに毎日、海斗の部屋でケームをさせてもらったりもするくらい仲が良くなった。可憐が来たばかりの時は今までどんな生活を過ごしてきたかも忘れていたけど、とにかく僕は混乱していたんだなって気が付いたのはやっぱり三次元折り紙の存在を思い出せたおかげかな。
でも、海斗の三次元はバーチャルの世界。世界が認める天才ゲーム職人がこんなに近くにいて、この施設で心臓を待っている。前に何度か海斗がゲームを実際に作っているところを見せてもらったけど、普段饒舌に騒がしく話しまくる彼が、無言で画面の中の三次元と真剣に向き合っている姿はいつだってカッコよく見えた。
僕が立体折り紙なんてアナログな作業している時、可憐は毎日眺めているけど、可憐には僕がどんな風に見えているんだろう。立体折り紙を作っている時だけは、変な質問をして来たりしなくなったけど、カッコいいから見とれているって感じじゃない。
男の僕から見てもカッコよく見える海斗のゲームを作る姿を見たら、可憐は、クソジジイより海斗に恋愛感情を持ったりするのかな。
「晩飯終わったら来いよ」
「わかった。行くよ」
「私も!」
「やーやーやーやー、男同士の真剣勝負に野暮だよカレンさん」
そんなにゲームや勝負ごとに僕は熱くならないけど、海斗とゲーム中はいつも凄くテンションが上がって、そのはしゃぎっぷりが僕は凄く好きだ。可憐もここ毎日一緒に海斗の部屋でゲームをしたけど、その時は必ず可憐も機嫌がよくなってくれるので僕は三人でもよかったんだけど、新しいゲームを男同士の真剣勝負なんていうから、僕もその気になっていた。
「だってさ可憐」
「じゃあ、部屋で先に寝てるね」
「そうそう。姫は王子が起こしに来るまで寝ててください!」
声デカいなぁ。まあ、いつものことか。
そんな風に思っていたけど、全然違かった。可憐はこの時気がついていたんだろうか、海斗がいつもと全然違っていたってことを。
その夜、可憐との晩御飯に一品違いがあった。メニュー自体は一緒なのに、僕のご飯だけが御粥だった。
「おかゆ?」
思わず配膳してくれるいつものおばちゃんに訪ねていた。
「あら、そうなの?気が付かなかったけど、名前も、部屋番号も間違ってないから、普通のご飯がいいなら食事作ってる知り合いに訊いたほうがいいかしら?」
「あ、いえ、大丈夫です」
別にお米が柔らかかろうと硬めだろうと僕は気にするタイプじゃない。だけど、これは明らかに御粥だ。それ用のスプーンもついてる。
「順平、大丈夫?」
「何が?」
「怖がってるから」
僕が怖がってる?
「僕にもわからない僕の感情まで可憐は読み取れるんだね」
「わからなかったんだ。でも、凄く不安そうだよ」
頭の中の整理が追いついていないのに、表情に先にでてしまったんだろう。僕はなんで自分だけが御粥なのか、深く考えなくてもわかっていた。今日の身体検査で何か引っかかったんだろう。大腸か、小腸か、胃か、その辺に異常があったんだろう。だから消化のいいメニューに少し変わっただけだろう。
僕の終わりが近いのなんてわかっていたことだ。わかっていたことなのに、可憐に怖がっているとか不安そうとか言われて、どうしようもなく嫌な気分だ。可憐の言う通り僕は怖がっているのか?食事を作ってくれている人や、僕を診察してくれた医者が心配して最善を考えてこうしてくれたんだ。感謝するべきだし、メンタルを弱らせている場合じゃない。なんにせよ可憐に妙な気を使わすのも嫌だ。
「大丈夫。食べよう。今夜は海斗と男同士の真剣勝負しに行かなきゃいけないし」
「そうだね」
「それに僕、ご飯は柔らかい派なんだ」
「そうだったんだ。じゃあお粥も好き?」
「うん。卵粥とか、あとオジヤにしてよく食べることもあるし」
僕はこの瞬間からご飯柔らかい派閥に入ることを決意した。
流し込むように夜ご飯を済ませ、僕は海斗の部屋に行こうとした時だった。まだ口がもごもごしている可憐が僕の腕をつかんで止めた。
「男同士の真剣勝負。意気込みはいかが?」
「あー、そうだな、海斗ゲーム強いからな。手加減してもらっても勝率は40%くらいかも」
可憐が口の中身を綺麗に嚥下すると「それじゃダメ。」と言った。
やたらと真剣な口調だった。
「98%の確率で勝ってきて」
僕らの適合率の数値と一緒だ。
「海斗の作ったゲームだから、それは難しいかも」
ただのケームなのに、随分可憐は本気だった。
「今夜の海斗君は、どんな手を使ってでも、順平を負かしに来るよ」
「アイツはいつも頼まないと手加減なんてしてこないよ」
「それでも、順平が勝って」
引き下がらない可憐を諭すように、根本が二センチ黒く伸びた彼女の白黒の髪を手の甲で軽く撫でた。
「お姫様は先にゆっくり寝ていてください」
可憐のことを海斗の真似をするみたいにお姫様と呼んでしまった。受け流してくれればいいのに、また試される隙を作ってしまった。
「順平は私の王子さま?」
海斗が昼間に可憐を姫なんて言ったから、ちょとその気になっていた。そんな自分が恥ずかしいなと少し後悔した。僕が彼女の命を奪うのに、王子気取りはないよな。
「王子様とは違うかもしれないけど、可憐が僕の運命の人だって、思いたいな」
あれ?なんかもっと恥ずかしいこと言ってる?
可憐は「ジャジャジャジャーン♪」とベートベンの有名な運命を適当に歌うと、手を僕から離して不安そうに笑って手を振った。
「残酷な運命でも、順平が私を受け入れてくれるなら私は順平のお姫様だから、順平も私の王子さまになって。今日は勝ちを選んで。負けて帰ってこないで」
「承知いたしました」
「その返事じゃ、なんか急に和風の御姫様になっちゃったし、順平完全に家臣じゃん。着物よりドレスが着たいよ」
可憐の着物姿と水色のドレス姿を想像した。確かに可憐はドレスだな。普段から清楚なワンピースばかり着ているし。でも……どっちも似合うな。
―――……見てみたい。可憐の未来。
察しのいい可憐には海斗がこれからしようとしていることに、少し確信があったんだろう。けど、僕は日々、友達と呼びたいのに呼ぶことの出来ない可憐への警戒心と、自分の体調のことで頭がいっぱいで早く、この後味の悪い口の中のグニュグニュした柔らかいお米の嫌な感覚から解放されたかった。
「じゃあ、可憐は先に寝てていいからね」
「……ねえ順平、王子さまは必ずお姫様を助けてくれるんだよ」
「え?」
「何でもない。順平殿いざ出陣せよ!」
力強い戦国武将みたいな口調で可憐は僕にそう言ったけど、どこか怯えているような不安そうにしている彼女は、今日僕が作った立体折り紙を潰れない程度に胸に押し当てて抱きしめているような仕草に、なんだかドキッときた。この時、僕に得体の知れない感情が、芽生えたような気がした。この感情の名前はなんだろう。早く社会に出て知りたい。
「行ってまいりますです」
家臣の口調ってこんな感じかな?
海斗の部屋では、もう、黒いサングラス型のゲーム機をつけた海斗がいた。
「ほら、お前の分」
「ん」
そのサングラス型のゲーム機をかけると目の前から海斗がいなくなって、綺麗な宇宙空間に居て、一瞬足元の重力を失いかけるほどリアルな空間が広がっていた。
「凄いな。これが室内用プラネタリウムってやつか」
「まあ、眺めてるだけならプラネタリウムだけど、凄いのはここからだろ星にも惑星にも触れるからな。危ないから一回ゴーグル外して俺のベッドに座れ」
「うん」
靴を脱いで上がりこむと、僕の部屋の冷たい床とは違う畳の感覚に、なんとなくだけど毎回落ち着かされる。
サングラス型のゲーム機を外せばなんてことない。可憐が来る前の僕の部屋と同じサイズの空間だ。
だけど、全体的に海斗の部屋には物が多いから狭く感じる。ゲーム機類はもちろんだけど、紙の漫画に、大きなぬいぐるみのクッション達に、小さなぬいぐるみ達に、壁にはゲームやアニメのキャラクターのポスターがたくさん貼ってある。
物をあまり置きたくない僕の部屋には、僕の財布と部屋の鍵とハサミとか紙とか、可憐のベッドと可憐用にした部屋のクローゼットとの代わりに、僕の服を入れる二人座れる椅子にもなる服入れと、最近母から届いた二人掛けの紺のソファーくらいで、あとは僕と可憐のランドセルくらいだ。
「ヘッドフォンつけて、あとコレがコントローラーな」
渡されたヘッドフォンも最新型。コントローラーは黒のゴム手袋みたいだった。
「このゲームソフトはなんて名前?」
「試作品だからまだつけてねー」
名前がない。初めてあった時の可憐と一緒だ。
「ルールを簡単に言えば宇宙空間からの脱失。散らばっている星や惑星にはそれぞれ引力があるから、自分のロケットが吸い込まれないようにしながら、宇宙の外まで先に行けた方が勝ち。全部手で振り払うみたいな感じでロケットを守りながら操縦するだけの操作だから。簡単だろ?」
「面白そう」
「面白いんだよ。シンプルだけど難しくて、ハマると止まらなくなる。宇宙空間の中に煙みたいなモヤモヤした銀河っぽい部分を通ると、引力から逃げられるパワーがアップするから、まぁ取り合えずやってみようぜ。コントローラー全体がマイクになっていて対戦相手の声も拾うから、話しながら出来る」
海斗はこういった類のゲームが好きだ。作ってしまうほど好きで、親の経営しているゲーム会社への貢献は凄まじいものなんだろう。想像もできないような額のお金が彼によって生み出されているはずだ。彼が個人で作った簡単なアプリゲームのダウンロード数は彼が世界中の人から愛されている証拠と言ってもいいくらいの数だ。だからこそ、この施設に十歳で来た時、僕でも知っている有名人の海斗を見た瞬間実は何とも言えない、理不尽な気分になった。
海斗の才能に嫉妬したとかそういうんじゃない。
どうしてこんなに才能のある人が心臓病になったんだろうって。
人の才能は平等じゃないけど、これは彼への何かの試練なんだろうかと考えたら、その試練に何の意味があるのか誰かに教えてほしいと心から思った。
「なあカレンさんって月が好きなのか?それとも宇宙が好きなのかな?」
「なに、急に」
「夜中よくベランダに出て空見上げてるだろ?俺たまに見かけるんだけどさ、どっちかお前知らない?」
たまに見かけるってことは、海斗も寝れない夜があるのか。
「僕は随分前にベランダに夜出る理由しか可憐に訊いたことしかないけど、風が気持ちよさそうな夜が好きで外に出てるって言ってたよ」
「風か。ゲームに搭載出来るかな」
僕は後姿しか見てなかったけど、そっか。月か宇宙か、視線はそんな遠くを見てたのか。
しばらく、海斗とゲームをしていたら、本当に飽きが来ないんじゃないかってくらい面白かった。楽しい。本来あまりゲームは好きでも得意でもなかったけど、海斗と友達になってからは随分好きになった。それでも自分で買おうとか作ろうと思ったことはなくて、たまにこうして海斗と遊ぶ時くらいしかやらない。
だから海斗がいなくなったら寂しい。寂しいけど、僕がココを出て行く日が来たら、海斗は寂しいとか思ったりするかな。それとも、ちょっとは妬ましく思ったりしたりするのかな。
海斗は楽天家で話が面白くて、一緒にいて楽しくて、なんだかんだで隣同士の部屋になった時も嬉しかった。それから、これは僕の己惚れかもしれないけど、この施設の中で海斗は僕と一番仲良くしてくれているような気がする。実際今日だって、試作品のゲームを誰よりも早く僕と一緒に遊んでくれている。
「なぁ順平、俺ちょっと下でシューズ買ってくるから、オート対戦モードでソロプレーしててくれね?」
「うん」
僕はその瞬間、現実にいなかった。海斗の作ったゲームの中にいた。世界中のケームファンを魅了するゲーム。特に海斗の作った仮想空間は綺麗でリアルで、一度入ると現実がどこにあるのかわからなくなる。大切なモノを忘れてしまうほど。魅了ではなく魅惑というのが正しかったのかもしれない。僕が今一番大切にしたい人と大切にしたい時間が、海斗の作った宇宙くらい遠くに行ってしまいそうな気がする。
遠い場所か。死後の世界があるなら、そこにたどり着くのは、僕と可憐と海斗、誰が一番早くそこに行くんだろう。答えがあるかわからないけど、少なくとも僕と可憐と海斗の考え方も歩く速度もみんなバラバラなのは凡人の僕でもわかる。
今日は朝から身体検査もあったし、たまには中庭のテーブル席で昼飯を食べようと可憐に言われて、受付で申請したら、いつものおばちゃんじゃない配膳係の人が昼食を運んできてくれた。外に一切つながってなくてガラス張りの屋根付きの中庭だけど、僕は昔から好きだった。でも、こうやってここで食事をとるのは初めてだ。
ピクニックってこんな感じなのかな。いや、ピクニックとかだとシートとかいうベッドのシーツみたいなのを地面に敷いてそこでお弁当とかを食べるんだったっけ?幼稚園の時の記憶は殆ど残ってないから、僕は何年か前に見た映画のシーンを思い出していた。
中庭で食べてる人は少ないから、海斗も僕らを見つけやすかったんだろう。
別にいつもの海斗だったと思う。というより、僕の知ってる海斗だった。だから、何の抵抗もなかった。
「なぁなぁなぁナァ!」
「ネコの真似か?」
「ちげーよ!」
テンションが高い。声が大きい。いつもの海斗だ。
「海斗くん発情期の猫のモノマネ上手だね」
「いや、違いますって。カレンさんまで、酷いニャ」
「あ、今の語尾のニャで凄くクオリティー下がっちゃったよ?」
海斗と話す可憐は僕と話す時より、ちょっと可愛い気がする。
「どうしたんだよ発情期」
「だから違うって、まあ、あながち間違いじゃないけど」
海斗はいつの間にか僕隣の席に座っていた。
「なぁなぁ、順平!今夜飯終わったら俺の部屋でゲームしようぜ!ARのフォログラム!仮想系ゲームお前好きだろ?試作品完成したんだ!」
可憐もすっかり海斗とは顔なじみで、最近は可憐が来る以前の時みたいに毎日、海斗の部屋でケームをさせてもらったりもするくらい仲が良くなった。可憐が来たばかりの時は今までどんな生活を過ごしてきたかも忘れていたけど、とにかく僕は混乱していたんだなって気が付いたのはやっぱり三次元折り紙の存在を思い出せたおかげかな。
でも、海斗の三次元はバーチャルの世界。世界が認める天才ゲーム職人がこんなに近くにいて、この施設で心臓を待っている。前に何度か海斗がゲームを実際に作っているところを見せてもらったけど、普段饒舌に騒がしく話しまくる彼が、無言で画面の中の三次元と真剣に向き合っている姿はいつだってカッコよく見えた。
僕が立体折り紙なんてアナログな作業している時、可憐は毎日眺めているけど、可憐には僕がどんな風に見えているんだろう。立体折り紙を作っている時だけは、変な質問をして来たりしなくなったけど、カッコいいから見とれているって感じじゃない。
男の僕から見てもカッコよく見える海斗のゲームを作る姿を見たら、可憐は、クソジジイより海斗に恋愛感情を持ったりするのかな。
「晩飯終わったら来いよ」
「わかった。行くよ」
「私も!」
「やーやーやーやー、男同士の真剣勝負に野暮だよカレンさん」
そんなにゲームや勝負ごとに僕は熱くならないけど、海斗とゲーム中はいつも凄くテンションが上がって、そのはしゃぎっぷりが僕は凄く好きだ。可憐もここ毎日一緒に海斗の部屋でゲームをしたけど、その時は必ず可憐も機嫌がよくなってくれるので僕は三人でもよかったんだけど、新しいゲームを男同士の真剣勝負なんていうから、僕もその気になっていた。
「だってさ可憐」
「じゃあ、部屋で先に寝てるね」
「そうそう。姫は王子が起こしに来るまで寝ててください!」
声デカいなぁ。まあ、いつものことか。
そんな風に思っていたけど、全然違かった。可憐はこの時気がついていたんだろうか、海斗がいつもと全然違っていたってことを。
その夜、可憐との晩御飯に一品違いがあった。メニュー自体は一緒なのに、僕のご飯だけが御粥だった。
「おかゆ?」
思わず配膳してくれるいつものおばちゃんに訪ねていた。
「あら、そうなの?気が付かなかったけど、名前も、部屋番号も間違ってないから、普通のご飯がいいなら食事作ってる知り合いに訊いたほうがいいかしら?」
「あ、いえ、大丈夫です」
別にお米が柔らかかろうと硬めだろうと僕は気にするタイプじゃない。だけど、これは明らかに御粥だ。それ用のスプーンもついてる。
「順平、大丈夫?」
「何が?」
「怖がってるから」
僕が怖がってる?
「僕にもわからない僕の感情まで可憐は読み取れるんだね」
「わからなかったんだ。でも、凄く不安そうだよ」
頭の中の整理が追いついていないのに、表情に先にでてしまったんだろう。僕はなんで自分だけが御粥なのか、深く考えなくてもわかっていた。今日の身体検査で何か引っかかったんだろう。大腸か、小腸か、胃か、その辺に異常があったんだろう。だから消化のいいメニューに少し変わっただけだろう。
僕の終わりが近いのなんてわかっていたことだ。わかっていたことなのに、可憐に怖がっているとか不安そうとか言われて、どうしようもなく嫌な気分だ。可憐の言う通り僕は怖がっているのか?食事を作ってくれている人や、僕を診察してくれた医者が心配して最善を考えてこうしてくれたんだ。感謝するべきだし、メンタルを弱らせている場合じゃない。なんにせよ可憐に妙な気を使わすのも嫌だ。
「大丈夫。食べよう。今夜は海斗と男同士の真剣勝負しに行かなきゃいけないし」
「そうだね」
「それに僕、ご飯は柔らかい派なんだ」
「そうだったんだ。じゃあお粥も好き?」
「うん。卵粥とか、あとオジヤにしてよく食べることもあるし」
僕はこの瞬間からご飯柔らかい派閥に入ることを決意した。
流し込むように夜ご飯を済ませ、僕は海斗の部屋に行こうとした時だった。まだ口がもごもごしている可憐が僕の腕をつかんで止めた。
「男同士の真剣勝負。意気込みはいかが?」
「あー、そうだな、海斗ゲーム強いからな。手加減してもらっても勝率は40%くらいかも」
可憐が口の中身を綺麗に嚥下すると「それじゃダメ。」と言った。
やたらと真剣な口調だった。
「98%の確率で勝ってきて」
僕らの適合率の数値と一緒だ。
「海斗の作ったゲームだから、それは難しいかも」
ただのケームなのに、随分可憐は本気だった。
「今夜の海斗君は、どんな手を使ってでも、順平を負かしに来るよ」
「アイツはいつも頼まないと手加減なんてしてこないよ」
「それでも、順平が勝って」
引き下がらない可憐を諭すように、根本が二センチ黒く伸びた彼女の白黒の髪を手の甲で軽く撫でた。
「お姫様は先にゆっくり寝ていてください」
可憐のことを海斗の真似をするみたいにお姫様と呼んでしまった。受け流してくれればいいのに、また試される隙を作ってしまった。
「順平は私の王子さま?」
海斗が昼間に可憐を姫なんて言ったから、ちょとその気になっていた。そんな自分が恥ずかしいなと少し後悔した。僕が彼女の命を奪うのに、王子気取りはないよな。
「王子様とは違うかもしれないけど、可憐が僕の運命の人だって、思いたいな」
あれ?なんかもっと恥ずかしいこと言ってる?
可憐は「ジャジャジャジャーン♪」とベートベンの有名な運命を適当に歌うと、手を僕から離して不安そうに笑って手を振った。
「残酷な運命でも、順平が私を受け入れてくれるなら私は順平のお姫様だから、順平も私の王子さまになって。今日は勝ちを選んで。負けて帰ってこないで」
「承知いたしました」
「その返事じゃ、なんか急に和風の御姫様になっちゃったし、順平完全に家臣じゃん。着物よりドレスが着たいよ」
可憐の着物姿と水色のドレス姿を想像した。確かに可憐はドレスだな。普段から清楚なワンピースばかり着ているし。でも……どっちも似合うな。
―――……見てみたい。可憐の未来。
察しのいい可憐には海斗がこれからしようとしていることに、少し確信があったんだろう。けど、僕は日々、友達と呼びたいのに呼ぶことの出来ない可憐への警戒心と、自分の体調のことで頭がいっぱいで早く、この後味の悪い口の中のグニュグニュした柔らかいお米の嫌な感覚から解放されたかった。
「じゃあ、可憐は先に寝てていいからね」
「……ねえ順平、王子さまは必ずお姫様を助けてくれるんだよ」
「え?」
「何でもない。順平殿いざ出陣せよ!」
力強い戦国武将みたいな口調で可憐は僕にそう言ったけど、どこか怯えているような不安そうにしている彼女は、今日僕が作った立体折り紙を潰れない程度に胸に押し当てて抱きしめているような仕草に、なんだかドキッときた。この時、僕に得体の知れない感情が、芽生えたような気がした。この感情の名前はなんだろう。早く社会に出て知りたい。
「行ってまいりますです」
家臣の口調ってこんな感じかな?
海斗の部屋では、もう、黒いサングラス型のゲーム機をつけた海斗がいた。
「ほら、お前の分」
「ん」
そのサングラス型のゲーム機をかけると目の前から海斗がいなくなって、綺麗な宇宙空間に居て、一瞬足元の重力を失いかけるほどリアルな空間が広がっていた。
「凄いな。これが室内用プラネタリウムってやつか」
「まあ、眺めてるだけならプラネタリウムだけど、凄いのはここからだろ星にも惑星にも触れるからな。危ないから一回ゴーグル外して俺のベッドに座れ」
「うん」
靴を脱いで上がりこむと、僕の部屋の冷たい床とは違う畳の感覚に、なんとなくだけど毎回落ち着かされる。
サングラス型のゲーム機を外せばなんてことない。可憐が来る前の僕の部屋と同じサイズの空間だ。
だけど、全体的に海斗の部屋には物が多いから狭く感じる。ゲーム機類はもちろんだけど、紙の漫画に、大きなぬいぐるみのクッション達に、小さなぬいぐるみ達に、壁にはゲームやアニメのキャラクターのポスターがたくさん貼ってある。
物をあまり置きたくない僕の部屋には、僕の財布と部屋の鍵とハサミとか紙とか、可憐のベッドと可憐用にした部屋のクローゼットとの代わりに、僕の服を入れる二人座れる椅子にもなる服入れと、最近母から届いた二人掛けの紺のソファーくらいで、あとは僕と可憐のランドセルくらいだ。
「ヘッドフォンつけて、あとコレがコントローラーな」
渡されたヘッドフォンも最新型。コントローラーは黒のゴム手袋みたいだった。
「このゲームソフトはなんて名前?」
「試作品だからまだつけてねー」
名前がない。初めてあった時の可憐と一緒だ。
「ルールを簡単に言えば宇宙空間からの脱失。散らばっている星や惑星にはそれぞれ引力があるから、自分のロケットが吸い込まれないようにしながら、宇宙の外まで先に行けた方が勝ち。全部手で振り払うみたいな感じでロケットを守りながら操縦するだけの操作だから。簡単だろ?」
「面白そう」
「面白いんだよ。シンプルだけど難しくて、ハマると止まらなくなる。宇宙空間の中に煙みたいなモヤモヤした銀河っぽい部分を通ると、引力から逃げられるパワーがアップするから、まぁ取り合えずやってみようぜ。コントローラー全体がマイクになっていて対戦相手の声も拾うから、話しながら出来る」
海斗はこういった類のゲームが好きだ。作ってしまうほど好きで、親の経営しているゲーム会社への貢献は凄まじいものなんだろう。想像もできないような額のお金が彼によって生み出されているはずだ。彼が個人で作った簡単なアプリゲームのダウンロード数は彼が世界中の人から愛されている証拠と言ってもいいくらいの数だ。だからこそ、この施設に十歳で来た時、僕でも知っている有名人の海斗を見た瞬間実は何とも言えない、理不尽な気分になった。
海斗の才能に嫉妬したとかそういうんじゃない。
どうしてこんなに才能のある人が心臓病になったんだろうって。
人の才能は平等じゃないけど、これは彼への何かの試練なんだろうかと考えたら、その試練に何の意味があるのか誰かに教えてほしいと心から思った。
「なあカレンさんって月が好きなのか?それとも宇宙が好きなのかな?」
「なに、急に」
「夜中よくベランダに出て空見上げてるだろ?俺たまに見かけるんだけどさ、どっちかお前知らない?」
たまに見かけるってことは、海斗も寝れない夜があるのか。
「僕は随分前にベランダに夜出る理由しか可憐に訊いたことしかないけど、風が気持ちよさそうな夜が好きで外に出てるって言ってたよ」
「風か。ゲームに搭載出来るかな」
僕は後姿しか見てなかったけど、そっか。月か宇宙か、視線はそんな遠くを見てたのか。
しばらく、海斗とゲームをしていたら、本当に飽きが来ないんじゃないかってくらい面白かった。楽しい。本来あまりゲームは好きでも得意でもなかったけど、海斗と友達になってからは随分好きになった。それでも自分で買おうとか作ろうと思ったことはなくて、たまにこうして海斗と遊ぶ時くらいしかやらない。
だから海斗がいなくなったら寂しい。寂しいけど、僕がココを出て行く日が来たら、海斗は寂しいとか思ったりするかな。それとも、ちょっとは妬ましく思ったりしたりするのかな。
海斗は楽天家で話が面白くて、一緒にいて楽しくて、なんだかんだで隣同士の部屋になった時も嬉しかった。それから、これは僕の己惚れかもしれないけど、この施設の中で海斗は僕と一番仲良くしてくれているような気がする。実際今日だって、試作品のゲームを誰よりも早く僕と一緒に遊んでくれている。
「なぁ順平、俺ちょっと下でシューズ買ってくるから、オート対戦モードでソロプレーしててくれね?」
「うん」
僕はその瞬間、現実にいなかった。海斗の作ったゲームの中にいた。世界中のケームファンを魅了するゲーム。特に海斗の作った仮想空間は綺麗でリアルで、一度入ると現実がどこにあるのかわからなくなる。大切なモノを忘れてしまうほど。魅了ではなく魅惑というのが正しかったのかもしれない。僕が今一番大切にしたい人と大切にしたい時間が、海斗の作った宇宙くらい遠くに行ってしまいそうな気がする。
遠い場所か。死後の世界があるなら、そこにたどり着くのは、僕と可憐と海斗、誰が一番早くそこに行くんだろう。答えがあるかわからないけど、少なくとも僕と可憐と海斗の考え方も歩く速度もみんなバラバラなのは凡人の僕でもわかる。