何考えてるかわかんない】
あれから何日か経った雨の日。
少し蒸し暑くなっている部屋に可憐がうんざりしたのか突然「ピアノ!ピアノ!ピアノ!」と騒いだので、僕は作りかけの三次元折り紙を作る手を止めて、可憐と一緒に中庭に向かった。
でも、中庭に着いた途端、僕らは嫌な現場に鉢合わせた。
「出して!私は生きる!出して!」
この施設唯一の出入り口の分厚くて重い白い扉を殴りつけてそう叫ぶ中年の女性がいた。白いドアには殴りつけた拳から出る血が付いている。
希死念慮者だ。
「私が生きる!私には生きる資格がある!」
叫び声は吹き抜けになっている二階にたくさんのギャラリーを引き寄せていた。
「提供を辞退する!出して!出せ!」
十年この施設にいるけど、こんな荒っぽくこの施設を出ようとする人は初めてだ。だいたいの希死念慮者の人は、ひっそりと気が付かないうちに出て行く手続きを取って簡単に社会復帰してしまうケースが多い。海斗の時もそうだった。
いつの間にか見当たらなくて受付に見当たらないと言ったら何日も前にこの施設を出る手続きを済ませていて、いなくなったんだ。
可憐も手術が近くなったら。こんな風にパニックに陥って生きることを選ぼうとするのかな。
「ねぇ可憐。やっぱり部屋に戻ッ……」
隣にいたはずの可憐に話しかけたつもりだったのに、気がついた時には可憐の後姿が目に入った。可憐はドアを殴りつけている女性の真後ろに立ち、女性が振り上げた腕を掴んでいた。
僕はあっけにとられながらも、慌てて二人の傍に駆け寄った。
「離せ!死にぞこない!」
乱暴に可憐の腕を振りほどいた女性は可憐の両肩を掴み「邪魔だ!」と叫んだ。
でも、可憐はジッと女性を見つめ「死にぞこないはお互いさまでしょ」と言いながら笑った。
「私も希死念慮者なんだ」
「だから何よ!」
彼女は可憐の肩を軽く突き飛ばした。
「貴方はもう希死念慮者じゃないね」
「そうよ!私がバカだった!他人に命をあげるなんて、そんな義理どこにもない!ココを出て人生やり直すのよ!」
可憐は穏やかに笑って彼女の血のにじんだ両手の拳を包むように握った。優しい微笑みは何故か少し不気味だった。
「幸せは待ってないけどいいんだね」
可憐?
「社会に戻っても自由になれると思う?私は思わない」
凛とした口調の可憐の手には信じられないほど力がこもっているようでプルプルと腕まで震えていた。
「ココを出れば幸せになれるチャンスがあるって思ってるのかもしれないけどそんなことないよ」
彼女はよく見たら手術用の服を着ている。多分、本当に手術の寸前に我に返って生きることを選んだんだろう。だとしたら、手術室にはもう、僕みたいに臓器提供を待っている人がいるはずだ。
もしその人が今の状況をもしも知ったらどれだけショックだろう。
「私、家族とこれからはちゃんと向き合いたい!」
「向き合ってもらえなかったら?」
彼女は『なんて酷いこと言うの?』という表情で可憐を見つめた。
「ココを出ても、貴方を安楽死させてくれる人はいない。辛いことがあったらもうこんな簡単に苦しまないで死ぬ方法なんかないよ」
握っていた女性の拳を持ち上げ可憐は自分の胸に押し当て祈るように「騒いでこんなに血まで流したってことは、本当はこうやって誰かに止めてほしかったからじゃない?」と言った。
「ちが……」
「外に貴方の味方をしてくれる人もいるかもしれないけど、貴方を心底軽蔑する人は必ず大勢いる。今更外に出ても過去の人間関係は悪い方にしか進まない。だって生きるのが嫌だって勝手に切り捨てた世界が貴方をそう簡単単に受けいれてくれるはずないんだから」
僕は自然と頭の中で彼女が可憐だったらと置き換えてしまった
この施設にいる僕を含め全員に止める権利はない。目の前でこの施設をこんな風に出ようとしている希死念慮者を止めることなんて誰にも出来ないはずなのに、心の底ではこうやって可憐のように誰かに希死念慮者を引き留めてもらって自分の命を繋ぎ留めたいと願っている。
「それに貴方はね。気がついてないだけでもう死んでる」
この言葉に僕は、は?となった。
「はっ……?」
さっきまで大騒ぎしていた彼女も同じ言葉でリアクションをとった。
可憐は彼女の両手の血を自分の服の裾でゆっくり拭うと、ニコリと笑った。
「こんなに血を流したのに手が死んだ人みたいに冷たい。もう体が死にたがってるんだよ。手術はいつなの?」
「……今、手術室から出てきたのよ。相手はもう麻酔で眠ってる」
細い彼女の声が僕の心にある不安にぶつかった。
目が覚めたら治っているはずの自分が、ただ寝て起きただけになるなんて、もし自分がそうなったらと不安が悲しみのような感情に変わって、何を考えればいいのかわからなくなった。
「手術室に戻ろう。死んで前に進もう」
死んで前に進む?死んだら終わりじゃないか。僕が反射的にそう思った瞬間、可憐は暖かい笑顔を浮かべて「行こう!」と言い、血だらけの彼女の手を握り、三階の手術室まで手をひき歩き出した。
僕はそんな二人の後ろを歩いて、本当にこれでいいのか考えさせられていた。
無事に手術室まで彼女を送り届けると、最後に可憐は彼女の頬に手を添えた。
「自由に生きることは自由に死ぬことも含まれてるって私は思ってる。どんなことにも終わりが来るんだから、自分の最後を選べることはとても幸福なことだよ」
彼女は鼻水をすすって小さく頷いた。
可憐は彼女の背中を見送る間、僕の手を握りしめていた。
「順平は私を酷い人間だと思う?それともいい人だと思った?」
「え?」
「人を一人救うのに、人を一人言葉で死なせた」
「そう、なるのかな」
「うん」
僕は答えを答えなかった。いや、答えが出なかった。
「私は自分のことを善悪って物差しじゃ図ってないから、わからない。だから、わからないって言葉が順平にとっては正解なんじゃないかな」
もう心を読まれてしまった。本当に可憐は何者なんだろう。
希死念慮者ってのは自由だ。生きるも、死ぬも、殺すのも。
あれから何日か経った雨の日。
少し蒸し暑くなっている部屋に可憐がうんざりしたのか突然「ピアノ!ピアノ!ピアノ!」と騒いだので、僕は作りかけの三次元折り紙を作る手を止めて、可憐と一緒に中庭に向かった。
でも、中庭に着いた途端、僕らは嫌な現場に鉢合わせた。
「出して!私は生きる!出して!」
この施設唯一の出入り口の分厚くて重い白い扉を殴りつけてそう叫ぶ中年の女性がいた。白いドアには殴りつけた拳から出る血が付いている。
希死念慮者だ。
「私が生きる!私には生きる資格がある!」
叫び声は吹き抜けになっている二階にたくさんのギャラリーを引き寄せていた。
「提供を辞退する!出して!出せ!」
十年この施設にいるけど、こんな荒っぽくこの施設を出ようとする人は初めてだ。だいたいの希死念慮者の人は、ひっそりと気が付かないうちに出て行く手続きを取って簡単に社会復帰してしまうケースが多い。海斗の時もそうだった。
いつの間にか見当たらなくて受付に見当たらないと言ったら何日も前にこの施設を出る手続きを済ませていて、いなくなったんだ。
可憐も手術が近くなったら。こんな風にパニックに陥って生きることを選ぼうとするのかな。
「ねぇ可憐。やっぱり部屋に戻ッ……」
隣にいたはずの可憐に話しかけたつもりだったのに、気がついた時には可憐の後姿が目に入った。可憐はドアを殴りつけている女性の真後ろに立ち、女性が振り上げた腕を掴んでいた。
僕はあっけにとられながらも、慌てて二人の傍に駆け寄った。
「離せ!死にぞこない!」
乱暴に可憐の腕を振りほどいた女性は可憐の両肩を掴み「邪魔だ!」と叫んだ。
でも、可憐はジッと女性を見つめ「死にぞこないはお互いさまでしょ」と言いながら笑った。
「私も希死念慮者なんだ」
「だから何よ!」
彼女は可憐の肩を軽く突き飛ばした。
「貴方はもう希死念慮者じゃないね」
「そうよ!私がバカだった!他人に命をあげるなんて、そんな義理どこにもない!ココを出て人生やり直すのよ!」
可憐は穏やかに笑って彼女の血のにじんだ両手の拳を包むように握った。優しい微笑みは何故か少し不気味だった。
「幸せは待ってないけどいいんだね」
可憐?
「社会に戻っても自由になれると思う?私は思わない」
凛とした口調の可憐の手には信じられないほど力がこもっているようでプルプルと腕まで震えていた。
「ココを出れば幸せになれるチャンスがあるって思ってるのかもしれないけどそんなことないよ」
彼女はよく見たら手術用の服を着ている。多分、本当に手術の寸前に我に返って生きることを選んだんだろう。だとしたら、手術室にはもう、僕みたいに臓器提供を待っている人がいるはずだ。
もしその人が今の状況をもしも知ったらどれだけショックだろう。
「私、家族とこれからはちゃんと向き合いたい!」
「向き合ってもらえなかったら?」
彼女は『なんて酷いこと言うの?』という表情で可憐を見つめた。
「ココを出ても、貴方を安楽死させてくれる人はいない。辛いことがあったらもうこんな簡単に苦しまないで死ぬ方法なんかないよ」
握っていた女性の拳を持ち上げ可憐は自分の胸に押し当て祈るように「騒いでこんなに血まで流したってことは、本当はこうやって誰かに止めてほしかったからじゃない?」と言った。
「ちが……」
「外に貴方の味方をしてくれる人もいるかもしれないけど、貴方を心底軽蔑する人は必ず大勢いる。今更外に出ても過去の人間関係は悪い方にしか進まない。だって生きるのが嫌だって勝手に切り捨てた世界が貴方をそう簡単単に受けいれてくれるはずないんだから」
僕は自然と頭の中で彼女が可憐だったらと置き換えてしまった
この施設にいる僕を含め全員に止める権利はない。目の前でこの施設をこんな風に出ようとしている希死念慮者を止めることなんて誰にも出来ないはずなのに、心の底ではこうやって可憐のように誰かに希死念慮者を引き留めてもらって自分の命を繋ぎ留めたいと願っている。
「それに貴方はね。気がついてないだけでもう死んでる」
この言葉に僕は、は?となった。
「はっ……?」
さっきまで大騒ぎしていた彼女も同じ言葉でリアクションをとった。
可憐は彼女の両手の血を自分の服の裾でゆっくり拭うと、ニコリと笑った。
「こんなに血を流したのに手が死んだ人みたいに冷たい。もう体が死にたがってるんだよ。手術はいつなの?」
「……今、手術室から出てきたのよ。相手はもう麻酔で眠ってる」
細い彼女の声が僕の心にある不安にぶつかった。
目が覚めたら治っているはずの自分が、ただ寝て起きただけになるなんて、もし自分がそうなったらと不安が悲しみのような感情に変わって、何を考えればいいのかわからなくなった。
「手術室に戻ろう。死んで前に進もう」
死んで前に進む?死んだら終わりじゃないか。僕が反射的にそう思った瞬間、可憐は暖かい笑顔を浮かべて「行こう!」と言い、血だらけの彼女の手を握り、三階の手術室まで手をひき歩き出した。
僕はそんな二人の後ろを歩いて、本当にこれでいいのか考えさせられていた。
無事に手術室まで彼女を送り届けると、最後に可憐は彼女の頬に手を添えた。
「自由に生きることは自由に死ぬことも含まれてるって私は思ってる。どんなことにも終わりが来るんだから、自分の最後を選べることはとても幸福なことだよ」
彼女は鼻水をすすって小さく頷いた。
可憐は彼女の背中を見送る間、僕の手を握りしめていた。
「順平は私を酷い人間だと思う?それともいい人だと思った?」
「え?」
「人を一人救うのに、人を一人言葉で死なせた」
「そう、なるのかな」
「うん」
僕は答えを答えなかった。いや、答えが出なかった。
「私は自分のことを善悪って物差しじゃ図ってないから、わからない。だから、わからないって言葉が順平にとっては正解なんじゃないかな」
もう心を読まれてしまった。本当に可憐は何者なんだろう。
希死念慮者ってのは自由だ。生きるも、死ぬも、殺すのも。