夕方には就寝し、真夜中に起きた。3時を回っている。
部屋を出て格納庫へ。パンコッペナイフなどを持っていく。治療のための道具なので、この辺りの管理は緩い。バンドエイドを入れておく薬箱に鍵が付いていないのと同じだ。
食堂に入り、療養中患者の朝食として用意されたコッペパンを次々に大きなビニール袋に入れた。
俺は今、人の命を奪う行いをしている。ぺしょぺしょが発生し、施設が混乱に陥るかも知れない。そうなれば“焼き立て屋”——いや、世界の未来が終わることになるだろう。そこに言い訳をするつもりはない。俺は、助かるかどうかもわからない恋人のために、世界を陥れるつもりでいる。
「君は間違えないでくれ。か」
アマト。俺はアンタがやったことを間違いだなんて思わない。その人を助けるためなら、世界の敵にだってなれる。それこそが愛だろう。アンタは間違いなく、恋人を愛していた。その気持ちを否定することの方が間違いだ。
俺は大量のコッペパンを手に入れ、“焼き立て屋”をあとにした。
黎明に景色の輪郭がおぼろげながら浮かび上がる。雨が降る中、良菜を探し回った。劇症化し直していないことを信じて。
山間の空が竜胆色に染まる頃、ついに良菜を発見した。彼女は数人のぺしょぺしょと連れ立って歩いていた。
良菜を狙える位置の旧ガソリンスタンドに回り込む。弾頭にコッペパンが付いたRPC―7を構えてロックオン。発射。
——ぺしょ。
良菜の頭に着弾。彼女が向かってくればパンコッペナイフで応戦。逃げれば追う。とにかくこれで一対一になれる。
取り巻きのぺしょぺしょは逃げていき、彼女はこちらに向かって走って来た。パンコッペナイフを構える。肉薄して何度も何度も打ち込むが、ぺしょ、ぺしょ、と一向に乾きそうにない。彼女はこのまま戻らないのだろうか。新しいブレードに切り替え、先端を齧《かじ》る。さらに何度も攻撃を加える。
「良菜」
呼びかけには、わらび餅のような瞳がぷるぷると揺れるだけ。まるでおぼろ豆腐のよう。彼女との思い出が頭の中を駆け回る。
良菜と初めて同棲した日。お祝いに湯豆腐をつついた。もう三月も下旬で暑くなるからやめようと言ったのに「じゃあ豆乳鍋にしたいの!?」と強引に湯豆腐を迫られたのだ。
そう言えば告白をするために良菜を誘ったのもとうふ会席料理店だった。彼女の友達から良菜がとうふ好きだと言うのを聞いたものだから。緊張しすぎて味は覚えてないけれど、彼女の笑顔は今でも忘れられない。とうふが好きだと言うだけでなく、自分のためにリサーチをしてくれたのが嬉しかったと言ってくれた。
武器に使うコッペパンは底を尽きた。
あの笑顔を、思い出だけで終わらせたくないんだ。良菜。君の今が欲しいんだ。頼む。
「戻って来い! 良菜!」
俺は大量のコッペパンが入った袋を広げ、良菜に被せた。
コッペパンに包まれた良菜はじたばたと暴れていたが、やがて動きが止まり、どさりと崩れ落ちた。
袋の中から出て来た彼女の肌に触れる。
——さら。
超長綿を100番手で織ったシャツのような触り心地だった。ついに戻った。
だが彼女の意識は混濁している。他のぺしょぺしょに通りかかられたらまずい。
死を覚悟して“焼き立て屋”に戻ることにした。俺のことを許してくれないとしても、治りそうな患者を見捨てるほどアマトは薄情者ではないはずだ。アマトの善意に賭ける。あまりに都合のいい考え方だが、彼女が治るなら、俺は悪者になる。
部屋を出て格納庫へ。パンコッペナイフなどを持っていく。治療のための道具なので、この辺りの管理は緩い。バンドエイドを入れておく薬箱に鍵が付いていないのと同じだ。
食堂に入り、療養中患者の朝食として用意されたコッペパンを次々に大きなビニール袋に入れた。
俺は今、人の命を奪う行いをしている。ぺしょぺしょが発生し、施設が混乱に陥るかも知れない。そうなれば“焼き立て屋”——いや、世界の未来が終わることになるだろう。そこに言い訳をするつもりはない。俺は、助かるかどうかもわからない恋人のために、世界を陥れるつもりでいる。
「君は間違えないでくれ。か」
アマト。俺はアンタがやったことを間違いだなんて思わない。その人を助けるためなら、世界の敵にだってなれる。それこそが愛だろう。アンタは間違いなく、恋人を愛していた。その気持ちを否定することの方が間違いだ。
俺は大量のコッペパンを手に入れ、“焼き立て屋”をあとにした。
黎明に景色の輪郭がおぼろげながら浮かび上がる。雨が降る中、良菜を探し回った。劇症化し直していないことを信じて。
山間の空が竜胆色に染まる頃、ついに良菜を発見した。彼女は数人のぺしょぺしょと連れ立って歩いていた。
良菜を狙える位置の旧ガソリンスタンドに回り込む。弾頭にコッペパンが付いたRPC―7を構えてロックオン。発射。
——ぺしょ。
良菜の頭に着弾。彼女が向かってくればパンコッペナイフで応戦。逃げれば追う。とにかくこれで一対一になれる。
取り巻きのぺしょぺしょは逃げていき、彼女はこちらに向かって走って来た。パンコッペナイフを構える。肉薄して何度も何度も打ち込むが、ぺしょ、ぺしょ、と一向に乾きそうにない。彼女はこのまま戻らないのだろうか。新しいブレードに切り替え、先端を齧《かじ》る。さらに何度も攻撃を加える。
「良菜」
呼びかけには、わらび餅のような瞳がぷるぷると揺れるだけ。まるでおぼろ豆腐のよう。彼女との思い出が頭の中を駆け回る。
良菜と初めて同棲した日。お祝いに湯豆腐をつついた。もう三月も下旬で暑くなるからやめようと言ったのに「じゃあ豆乳鍋にしたいの!?」と強引に湯豆腐を迫られたのだ。
そう言えば告白をするために良菜を誘ったのもとうふ会席料理店だった。彼女の友達から良菜がとうふ好きだと言うのを聞いたものだから。緊張しすぎて味は覚えてないけれど、彼女の笑顔は今でも忘れられない。とうふが好きだと言うだけでなく、自分のためにリサーチをしてくれたのが嬉しかったと言ってくれた。
武器に使うコッペパンは底を尽きた。
あの笑顔を、思い出だけで終わらせたくないんだ。良菜。君の今が欲しいんだ。頼む。
「戻って来い! 良菜!」
俺は大量のコッペパンが入った袋を広げ、良菜に被せた。
コッペパンに包まれた良菜はじたばたと暴れていたが、やがて動きが止まり、どさりと崩れ落ちた。
袋の中から出て来た彼女の肌に触れる。
——さら。
超長綿を100番手で織ったシャツのような触り心地だった。ついに戻った。
だが彼女の意識は混濁している。他のぺしょぺしょに通りかかられたらまずい。
死を覚悟して“焼き立て屋”に戻ることにした。俺のことを許してくれないとしても、治りそうな患者を見捨てるほどアマトは薄情者ではないはずだ。アマトの善意に賭ける。あまりに都合のいい考え方だが、彼女が治るなら、俺は悪者になる。