戦闘員たちで議論をした結果、あれは劇症化したぺしょぺしょだと言うことになった。なぜああなったかは想像の域を出なかったが、どうあれあの状態になってしまったら通常の倍以上のコッペパンが必要だと言うことだけはわかった。
「遭遇したときは最低限のコッペパンで牽制し、深追いはしないこと」
「救わないってことですか」
「コッペパンだって無限じゃあない。限られたコッペパンで出来るだけ多くの人を助けるためには、仕方のないことだよ」
正論だが、仕方のないことで切り捨てて良い命などない。まして俺は、良菜を助けるためにずっと最前線で戦ってきたんだ。覚悟があるからと言って、ぺしょぺしょ化するリスクが低減されているわけではない。助けてもらった命を雨の中に放りだすのは、良菜を救いたい思いがあったからだ。
アマトと二人になって廊下を歩いているとき、劇症化したぺしょぺしょのことを話した。
「あれは、良菜でした」
「君が探していたという女性かい」
「はい。今回だけでいいんです。どうか、良菜を助けさせてください」
アマトは立ち止り、窓の向こう側を見つめた。そこにはたくさんの患者たちがくつろいでいた。
「気持ちはわかる。でも僕はここのリーダーだ。君が一番の功労者とは言え、特別扱いすることは出来ない。ましてや、大量のコッペパンを失うことが見えているのに、ゴーサインは出せないよ」
また正論だ。つくづく人の気持ちを汲む気はないらしい。
「わかりましたよ。でも一つだけ。アマトは俺の気持ちなんてわからない。簡単にわかるだなんて言わないでもらえますか? むかつくんで」
アマトは肩を竦めてため息を漏らした。それから壁にもたれかかると、天井に向かって語り掛けた。
「僕の恋人もぺしょぺしょになったんだ」
思わず息を呑む。アマトも? 今までおくびにも出さなかったのに。
「僕は自分のリーダーの権限をフル活用して、彼女の救出に当たった。しかしどれだけのコッペパンを撃ち込んでも、彼女は乾かなかった」
「どういうことですか?」
「治療を施しても治らない人間もいると言うことだよ。ただそのときは、治ると信じてがむしゃらだった。だから、近くに他のぺしょぺしょが迫っていることにも気付けなかった。仲間は襲われてぺしょぺしょになった。だが、コッペパンは底を突いて、仲間を助けることは出来なかったんだ。結局彼女を治せないばかりか、仲間もぺしょぺしょになり、大量のコッペパンを失ってその日の作戦は終了した」
アマトの視線がそろりとこちらに流れた。その目にはおよそ光と言えるものがなかった。
「失意のまま翌朝を迎えてそこで気付いた。僕は療養中の患者に施すためのコッペパンも作戦に投入してしまっていたんだ。彼女を救いたい気持ちが、僕から冷静さを奪って、そんな簡単なことにまで気が回らなかったんだよ。次のコッペパンが焼きあがるまでに3人もの犠牲者を出した」
「犠牲者? でもそのあとその3人は元に戻ったんですよね?」
「いや、戻らなかった。違うな。戻せるわけがなかった」
アマトの瞳はまるで空洞だった。闇よりも黒い。
「殺したんだから。僕が、この手で——!」
放たれた言葉は零度のまま俺の背中を抜けた。
この施設内でぺしょぺしょになれば当然感染は拡大する。新たなぺしょぺしょが生まれる。あとは鼠算的に増え続け、“焼き立て屋”が機能しなくなってしまう。その最悪の事態を避けるためには、それしか方法がなかったのだろう。
「リトワ。君は間違えないでくれ」
アマトの言葉が腹の奥底に重くのしかかった。
※ ※ ※ ※
戦線を離脱して、施設内での時間が多くなると、必然的に患者とのコミュニケーションも増える。俺が良菜を助けるために無理をすれば、ここの人たちが迷惑を被るだろう。
それに良菜は治らないかも知れない。アマトの恋人が治らなかったように。実際すでに劇症化しているのだから、素人目に見ても治らない公算の方が高い。
屋内遊戯施設のベンチに座って、高い天井を仰ぐ。
でも、このまま良菜を放っておいたら、病状がさらに悪化するかも知れない。それもまた事実だ。
「もしもあたしがわるものにねらわれたらどうする?」
不意に女の子の声が聞こえた。それは俺じゃあなく、玉突きをしている男の子に向けられたものだった。
「おれがわるものをたおしてやるよ」
「ほんとに?」
「ほんと。いのちをかけてまもってやる」
二人は笑顔で歩いていく。てくてくとバスケットゴールへ。
男の子はボールをポイっと投げるが、ゴールに入らない。何度も何度も投げるが、入らない。
ガンッ。と支柱に跳ね返ったボールが、足元までコロコロと転がって来た。
俺はボールを取って一突き二突きして、シュートした。
——シュポッ。
「すげー!」
二人は声を揃えて俺の方を見た。
「どうやってやるの?」
俺は少年にシュートフォームなどを教えた。しかし彼の幼さでは、ボールをバスケットに届かせることも出来なかった。
「くやしいなあ」
「いつか出来るようになるさ」
「おにいちゃんはすごいね。わるいやつがきたらおにいちゃんがまもってね」
「なにー! おれがまもるっていっただろ!」
「だってシュートもはいらないじゃん。たよりないよ」
「くっそー!」
したたかな女の子の言葉に地団駄を踏む男の子。
「おにいちゃんのこいびとさんはいいな。まもってもらえるんだろうな」
女の子の言葉が心臓を穿つ。
そうだ。俺のこの体は、心は、なんのためにあるんだ。バスケットにボールを届かせられないような子でも守ると言っている。守りたいと言っている。守れないことを悔しがっている。
「二人ともありがとう。これからなにかあったら、君は彼に守ってもらうんだ。絶対に。俺は、俺の恋人を守らなくちゃならないから」
「遭遇したときは最低限のコッペパンで牽制し、深追いはしないこと」
「救わないってことですか」
「コッペパンだって無限じゃあない。限られたコッペパンで出来るだけ多くの人を助けるためには、仕方のないことだよ」
正論だが、仕方のないことで切り捨てて良い命などない。まして俺は、良菜を助けるためにずっと最前線で戦ってきたんだ。覚悟があるからと言って、ぺしょぺしょ化するリスクが低減されているわけではない。助けてもらった命を雨の中に放りだすのは、良菜を救いたい思いがあったからだ。
アマトと二人になって廊下を歩いているとき、劇症化したぺしょぺしょのことを話した。
「あれは、良菜でした」
「君が探していたという女性かい」
「はい。今回だけでいいんです。どうか、良菜を助けさせてください」
アマトは立ち止り、窓の向こう側を見つめた。そこにはたくさんの患者たちがくつろいでいた。
「気持ちはわかる。でも僕はここのリーダーだ。君が一番の功労者とは言え、特別扱いすることは出来ない。ましてや、大量のコッペパンを失うことが見えているのに、ゴーサインは出せないよ」
また正論だ。つくづく人の気持ちを汲む気はないらしい。
「わかりましたよ。でも一つだけ。アマトは俺の気持ちなんてわからない。簡単にわかるだなんて言わないでもらえますか? むかつくんで」
アマトは肩を竦めてため息を漏らした。それから壁にもたれかかると、天井に向かって語り掛けた。
「僕の恋人もぺしょぺしょになったんだ」
思わず息を呑む。アマトも? 今までおくびにも出さなかったのに。
「僕は自分のリーダーの権限をフル活用して、彼女の救出に当たった。しかしどれだけのコッペパンを撃ち込んでも、彼女は乾かなかった」
「どういうことですか?」
「治療を施しても治らない人間もいると言うことだよ。ただそのときは、治ると信じてがむしゃらだった。だから、近くに他のぺしょぺしょが迫っていることにも気付けなかった。仲間は襲われてぺしょぺしょになった。だが、コッペパンは底を突いて、仲間を助けることは出来なかったんだ。結局彼女を治せないばかりか、仲間もぺしょぺしょになり、大量のコッペパンを失ってその日の作戦は終了した」
アマトの視線がそろりとこちらに流れた。その目にはおよそ光と言えるものがなかった。
「失意のまま翌朝を迎えてそこで気付いた。僕は療養中の患者に施すためのコッペパンも作戦に投入してしまっていたんだ。彼女を救いたい気持ちが、僕から冷静さを奪って、そんな簡単なことにまで気が回らなかったんだよ。次のコッペパンが焼きあがるまでに3人もの犠牲者を出した」
「犠牲者? でもそのあとその3人は元に戻ったんですよね?」
「いや、戻らなかった。違うな。戻せるわけがなかった」
アマトの瞳はまるで空洞だった。闇よりも黒い。
「殺したんだから。僕が、この手で——!」
放たれた言葉は零度のまま俺の背中を抜けた。
この施設内でぺしょぺしょになれば当然感染は拡大する。新たなぺしょぺしょが生まれる。あとは鼠算的に増え続け、“焼き立て屋”が機能しなくなってしまう。その最悪の事態を避けるためには、それしか方法がなかったのだろう。
「リトワ。君は間違えないでくれ」
アマトの言葉が腹の奥底に重くのしかかった。
※ ※ ※ ※
戦線を離脱して、施設内での時間が多くなると、必然的に患者とのコミュニケーションも増える。俺が良菜を助けるために無理をすれば、ここの人たちが迷惑を被るだろう。
それに良菜は治らないかも知れない。アマトの恋人が治らなかったように。実際すでに劇症化しているのだから、素人目に見ても治らない公算の方が高い。
屋内遊戯施設のベンチに座って、高い天井を仰ぐ。
でも、このまま良菜を放っておいたら、病状がさらに悪化するかも知れない。それもまた事実だ。
「もしもあたしがわるものにねらわれたらどうする?」
不意に女の子の声が聞こえた。それは俺じゃあなく、玉突きをしている男の子に向けられたものだった。
「おれがわるものをたおしてやるよ」
「ほんとに?」
「ほんと。いのちをかけてまもってやる」
二人は笑顔で歩いていく。てくてくとバスケットゴールへ。
男の子はボールをポイっと投げるが、ゴールに入らない。何度も何度も投げるが、入らない。
ガンッ。と支柱に跳ね返ったボールが、足元までコロコロと転がって来た。
俺はボールを取って一突き二突きして、シュートした。
——シュポッ。
「すげー!」
二人は声を揃えて俺の方を見た。
「どうやってやるの?」
俺は少年にシュートフォームなどを教えた。しかし彼の幼さでは、ボールをバスケットに届かせることも出来なかった。
「くやしいなあ」
「いつか出来るようになるさ」
「おにいちゃんはすごいね。わるいやつがきたらおにいちゃんがまもってね」
「なにー! おれがまもるっていっただろ!」
「だってシュートもはいらないじゃん。たよりないよ」
「くっそー!」
したたかな女の子の言葉に地団駄を踏む男の子。
「おにいちゃんのこいびとさんはいいな。まもってもらえるんだろうな」
女の子の言葉が心臓を穿つ。
そうだ。俺のこの体は、心は、なんのためにあるんだ。バスケットにボールを届かせられないような子でも守ると言っている。守りたいと言っている。守れないことを悔しがっている。
「二人ともありがとう。これからなにかあったら、君は彼に守ってもらうんだ。絶対に。俺は、俺の恋人を守らなくちゃならないから」