芹香は暗がりを走っていた。
 はぁはぁと息を切らしながら、家から漏れるかすかな灯りと勘を頼りに目的の場所を目指す。途中何度も足がもつれて体が地を滑り、膝や手や顔から血が滲むのも気にせず立ち上がって走った。
 村の外れにある集会所に着くと、人だかりができていた。その端にいた村人が芹香に気付くと、痛まし気に眉をしかめて首を横に振った。それが意味するところを理解した芹香は全身から血の気が引いていくのを感じて立ちすくむ。それでも、芹香は自身を奮い立たせて、その人だかりに突っ込んでいった。

『芹香だめだ! 見ない方がいい!』
『子どもがみるもんじゃねえ』

 そこにいた顔見知りの村人たちが芹香の体を抑え込む。泣きじゃくり暴れて抵抗するものだから、そのうち羽交い絞めにされてとうとう身動きが取れなくなってしまった。

『いやあっ! 離して! お父さま! お母さまぁぁ!』

 自分の目で確かめるまで、信じられるわけがなかった。信じたくなかった。
 両親が妖怪に襲われて死んだなど。

 だって、両親はほんの数刻前まで、自分と共にいたのだ。
 なのになぜ。

 その日の夕刻、いつの間にか居眠りをしていた芹香は、血相をかいた村人により揺すり起こされ、両親が村の外で遺体で見つかったと聞かされたのだった。

 駆け付けた集会所で両親の姿を見ることは叶わなかったが、その翌日火葬する前に対面が許された。おしろいを塗られて肌の色を整えられ、人形のように眠る二人に縋りついて芹香は泣き叫んだ。村人に引き剥がされて、両親との別れの儀式を終えた。

 唯一の家族だった。
 穏やかで、いつも笑顔の絶えない幸せな家族だった。

 愛する人を、愛してくれる人を失った芹香の胸にはぽっかりと穴が開き、目に映るすべてがどうでもよくなってしまった。
 両親の死も、単なる事故で運が悪かっただけ。
 悲しみは、時が癒してくれるだろうと、芹香は日々を淡々と過ごしていた。

 ──なのに、両親の死は、叔父によって謀られたものだった。

 腹の底で、黒い感情がとぐろを巻く。
 いつの間にか、芹香はあの鵺の洞窟にいた。
 そして、目の前には石の山があり、その下から人間の腕が見えた。その着物は、叔父のものと同じだった。そして、次第に赤黒い血の海がじわじわと広がっていく。

『いや……』
『──お前が殺したんだ』

 しゃがれた鵺の声が耳元で囁く。

『わ……わたしが……?』
『そうだ。これでお前も同じだ。お前の両親を殺したあいつ達と同じ、人殺しだ──』
『い……いやあぁぁぁぁぁぁ!』

「……──芹香、しっかりしろ、芹香!」

 ハッと目を開けた芹香は、とっさに辺りを見回した。
 さっきまでとは違う、明るい室内とすぐそばに紫苑の姿を認め、体から力が抜けていく。けれども、体中脂汗をかき、呼吸はひどく乱れて起き上がる気力はない。

「紫苑……」
「もう大丈夫だ」

 布団の中にいる芹香を紫苑が覗き込んで、額や頬についた玉のような汗を手拭いで優しく拭いてくれた。

「私……」

 瞼が焼けるように熱くなって、目尻から涙が零れていく。

「私、怖い……、人を……人を殺すところだったっ」

 紫苑が来てくれなかったら、自分は間違いなくあの岩の塊を亮二たちにぶつけていた。あの時込み上げてきた憎しみは、確かに殺意となって芹香を動かした。

「芹香は誰ひとり殺してなどいない」
「でもっ」

 恐ろしさに震える身体を、紫苑がかき抱いた。上半身を半ば強引に起こされて、芹香の身体は紫苑の腕の中に閉じ込められる。

「両親の仇なのだから、芹香があの者たちを殺したいほど憎むのは当然のこと。憎しみは、誰の心にもあるのだから、芹香が気に病む必要はない。問題は、心に生まれた憎しみに身をゆだねてしまうこと。だが、芹香は自分の意思で岩を止めた。──それが全てだ」

 あの時止めたのが、自分の意思なのかは芹香にもわからない。だけど、力強く放たれた紫苑の言葉は、不思議と説得力を伴って芹香の中に溶けていく。

「ううっ……うう……うあぁぁ」

 殺さずに済んでよかった。
 そう、心から思えた自分に安堵して、芹香は思い切り泣いた。