日本が大正に入ってからすぐの世。
 
 東京から遠く離れた山の麓の村に天本家(あまもとけ)の屋敷があった。華族である天本家の屋敷は立派なものだ。そこに住む天本家の面々は常に(きら)びやかな生活をしている。一人を除いては。

「いやだわ、お姉様、床に紙屑が散らばっているじゃない。さっきお掃除したばかりではないの? まったく、何をしているのかしら」

 義理の妹の天本(あまもと)陽菜(ひな)に指摘され、天本(あまもと)羽月(はづき)は庭に面している廊下を見た。陽菜の言う通り、床にはなぜか紙屑が散らばっている。ここの廊下はつい十分前に羽月が雑巾がけをしたばかりだ。

 羽月が顔を上げると陽菜がにやにやしているのが見える。ああ、いつもの陽菜のいやがらせか。羽月はそう悟ったが言い訳はせず、「陽菜さん、申し訳ございません、すぐにお掃除いたします」と(ほうき)塵取(ちりと)りを手に取り紙屑を片付け始めた。

 その時、春の生ぬるい突風が吹き、羽月の身窄(みすぼ)らしい着物と陽菜の高価そうな着物の裾を駆け抜けて行った。風は着物だけでなく、廊下に散らばっていた紙屑を四方八方へと吹き飛ばしていく。陽菜はわざとらしく「あーあ」と大きな声を上げた。

「いやだわ、お姉様がのろのろしているから、紙屑がどこかへ飛んで行ってしまったじゃない。ちゃんと一つ残らず拾い上げておいてね」

 陽菜の言葉に羽月は無表情のまま「承知しました」と紙屑を追いかけ始めた。陽菜は羽月が紙屑と格闘している姿を見ながら満足そうな笑みを浮かべる。

「拾おうと思った紙屑が風に飛ばされるなんて、本当、お姉様って運が悪いわよね。さすがは『薄命(はくめい)の娘』だわ」

 薄命の娘と呼ばれて、羽月は身体をびくりと震わす。そうだ、自分がこんなにもみじめな思いをしているのは、自分が薄命の娘だからなのだ。でもこんなみじめな生活もあと五年もすれば終わる。

 自分は二十歳で死ぬ運命なのだから。

 羽月がこの世に生まれた時、東京で有名な占い師に運命を見てもらった。その時、羽月は占い師に「この娘は呪われた運命にある」と言われたのだ。

「この娘には暗く重い未来がのしかかっている。この娘には天本家の跡を継がせてはいけない。いや、継ぐことはできないだろう。この娘は二十歳には死んでしまう呪われた運命だ」

 その後、産後の肥立ちが悪かった羽月の母親があっけなくなくなると、父親は占い師の言葉をあっさりと信じてしまった。羽月は天本家の離れで使用人の子どもたちと同じように育てられ、まるで最初から使用人だったかのように天本家の雑用をさせられた。

 使用人たちは羽月にひどいことはしなかったが、羽月を「薄命の娘」と噂し忌み嫌うように遠巻きに接していた。父親は羽月の母親の妹を妻として娶り、すぐに生まれた陽菜は「いずれは天本家の跡継ぎを迎え入れる娘」として丁重に育てられたのだった。

 陽菜は物心ついた頃から、なぜか羽月にちょっかいを出すようになった。陽菜は美しい娘だし羽月は常に身窄らしい着物服を着ている使用人同然の立場だと言うのに。陽菜は羽月に身の回りの世話をさせては、先ほどのような意地悪を繰り返していたのだった。

 羽月は今の境遇を辛いと思いつつ、どうせ自分は二十歳で亡くなる運命なのだからと諦めていた。いつか使用人同士が話しているのを聞いたことがある。「今辛い思いをしていても、現世で真面目に暮らしていれば、来世で幸せな生活が待っている」と。

 羽月は来世に期待していた。来世こそは二十歳以上長生きをして、できれば自分を愛してくれる優しい旦那様と一緒になって幸せに暮らしたい、そういう幻想を抱いて生きていた。