――二月上旬。
 一時間目の授業後、次の授業の国語の準備をしている最中忘れ物に気づいた。
 机の中やカバンの中をあさってみたけど、昨晩に入れたはずの国語の教科書が入っていない。


「ないっ! ないっ!! やっばぁ〜っ!! どうしよう……」

「どうしたの?」

「国語の教科書をまた家に忘れちゃったよ。おかしいなぁ〜。ちゃんとカバンの中にしまったと思ったのに」

「あっちゃぁ〜……。まひろはいよいよ忘れ物の常習犯を通り越してしまったか」

「ううっ……。いまからA組の早紀の所に借りに行ってくる」

「いってらっしゃぁ〜い!」


 教室を飛び出してA組の友達の教室に向かっていると、教室の隣の西階段から女子が星河の噂話をしているところが耳に入った。
 内容が気になって壁からひょいと顔を覗かせると、そこにはぼたんとかなちゃんの姿があった。
 聞き耳を立てるつもりはなかったけど、ぼたんがブレザーのポケットから出したあるものに目が止まって、戻ろうとしていた足は一瞬にして根が張った。


「だからさ、かなちゃんにあげるよ」


 ぼたんが掴んでいるのは、透明のラッピング袋に入ったワッフル。
 しかも、封をしているマスキングテープに見覚えがある。何故なら、数ヶ月前まで定期的に見てきたものだったから。


「ワッフルじゃん。美味しそう! でも、どうして食べないの?」

「私、甘いものが好きじゃなくて……。それに、こんなにカロリーが高いものを食べ続けていたら太っちゃうし」

「でも、高崎の手作りなんでしょ」

「そうなんだけど……。無理して食べるくらいなら他の人にあげた方がいいかなと思って」


 ……それ、どーゆ意味?
 甘いものが好きじゃないのはわかるけど、無理して食べたくないって。

 私は彼女の口から吐き出されていく言葉にトゲを感じた。


「じゃあ、家族にあげればいいのに」

「家族は甘いものが嫌いなんだよね。だから、かなちゃんにと思って」

「いいの? 食べる人がいないならもらっちゃうよ。もったいないし」

「ぜぇーんぜんいいよ! 毎週のように渡されて困ってたところだったから」

「やったぁぁ! ……ねぇ、高崎ってこの前パティシエコンテストで優勝したんでしょ? だったら味にハズレがないんじゃないの?」

「まぁ、美味しいんだけどね。毎週持ってこられるとさすがにね……」

「……それ、酷くない?」


 私は二人の会話を聞いてるうちに居てもたっても居られなくなってしまい、気づいた時には階段下から見上げて言った。
 聞き耳を立てていたとか文句を言われても構わない。
 私が最も耐えられなかったのは、星河の気持ちを粗末にされたこと。


「……っ! まひろ……」

「えっ、何? 鶴田さん、私たちの話を盗み聞きしてたの?」

「盗み聞き? たまたま近くを通ったら二人が星河の噂話をしてたから耳に入っただけ。それより、彼氏が作ったお菓子をどうしてそんなに簡単に人にあげれるの? 星河がどんな思いで作っているか、どんな気持ちで渡しているか考えたことはあるの?」

「ちょっと待って、誤解してない? ワッフルはちゃんとありがたく受け取ったよ。そしたら、星河も喜んでくれたし。それに、普通は人にあげたものの行き先まで気にしないでしょ」

「他のものならわかるけど、手作りだよ? ぼたんに喜んでもらう為だけに作ってるものだよ?」


 星河がお菓子を作りを続けている理由を知っている。
 それは、一番最初にクッキーを焼いてくれたあの日から始まっていたから。
 それなのに、ひとくちも食べない状態で人にあげるなんて、星河の気持ちが踏みにじられたような気がしてならない。


「まひろったら考えすぎだって! 星河のお菓子なんてたーーくさん食べてきたし、一個や二個食べなかったくらいじゃ何も変わらないよ」

「そーゆー問題じゃない!! 甘いものが苦手ならちゃんと言えばいいし、カロリーが気になるなら素直に伝えればいい。そんな理由で人にあげるくらいなら受け取らないでよ。星河の気持ちを粗末にしないで!!」


 私は煮えたぎる感情を押し殺しながら体中に力を込めて怒鳴りつけると、地面を蹴りつけながら走り去った。
 ところが……。

 ドンッッッ!!
 三、四歩先にいた人と肩がぶつかった。
 謝ろうと思って横目を向けると、そこには渦中の人物の星河の姿が。
 私の目はハッとしてゴクリと息を飲んだ。


 もしかして、いまの話聞かれた……?

 一瞬そう思ったけど、いまは気が狂いそうなくらい感情が荒波に巻き込まれていて配慮する余裕がない。
 だから、そのまま無視して教室の中へ飛び込んだ。