――場所は自宅。
俺は昼食を終えてからキッチンでケーキ作りを始めた。
右手は包帯が巻かれているから、使い捨ての手袋を装着した。
でも、慣れないせいか僅かな滑りがストレスに。
オーブンを180度に設定して予熱を始めた。ボウルに卵を割り入れ、ホイッパーで溶きほぐしてから砂糖を加えて混ぜ合わせた。利き手がケガをしてしまったから、ホイッパーの振動さえ痛みが増していく。それに加えてレシピがない状態に。各材料の分量は一通り把握してるから困ってるわけじゃないけど、本当に何もなくなったんだなと思うと不安な気持ちが膨らんでいく。
明日はいよいよパティシエコンテスト。
それなのに、昨日の一件が頭から離れない。
まひろは郁哉先輩とデートに行ったのに、俺が作ったケーキを思い出して戻ってきた。
たった一つのケーキで郁哉先輩との大切な時間を潰してしまうくらいなら放っておいてもよかったのに、身を犠牲にしてまで俺を助けに火の中へ飛び込んだ。
これが俺にとってどれだけ不安だったか、きっと彼女は知らない。
あの時店に戻って来なければ不安な思いをさせずに済んだし、俺もまひろへの気持ちを割り切れたはず。
『コンテストは明後日なのに私が余計なことをしたから……。でも、星河の命を守りたかったの。死んじゃやだって……。星河を助けるのは私しかいないって思ったの。……本当に本当に……ごめんな……さい…………』
正直、あんなことを言われたら誰だって心が揺らぐ。
あの時は気持ちが追い込まれていたからつい口にしてしまっただけで本意ではなかったと思うけど、やっぱり嬉しくて今にもどうにかなってしまいそうだ。
ひと通りの作業を終えて、スポンジケーキの生地を型に流し込んでテーブルにトントンと叩きつけて気泡を抜いてからオーブンへ入れた。
その間、ダイニングのイスに座って先月自宅で撮ったまひろがマフィンを口にほおばってる画像を開いた。
恋しくても今日中に整理しなきゃいけない想い。
そう思うだけで息が苦しくなる。昨日は『俺はお前が世界で一番大切な人なんだよ』って、どさくさに紛れて告ってるし。
どうせ、あいつは気づいてないだろうけど……。
ボーっとした目で画面を見つめていると、ぼたんから電話がかかってきた。
すかさず通話ボタンを押すと……。
『星河、いきなり電話をかけてごめん』
「うん、どうしたの?」
『いまから会えないかな』
「明日は本番だから、いまはケーキを焼いていて……」
『五分……でいいから。今日はクリスマスイブなんだよ。少しでもいいから彼氏と一緒に過ごしたいよ『』
何度言ってもクリスマスにこだわり続ける彼女。
時々断ってる方の自分が悪いのではないかと思うくらいに。
「じゃあ、ケーキを焼き終わってから少しなら。冷ます時間があるから」
『本当? じゃあ、これから星河の家の近くまで行くよ』
「えっ、こっちに来てくれるの?」
『うん。忙しいのはわかってるし、五分したら帰るから』
「……わかった。ありがとう」
俺は彼女の小さな成長に驚いた。
クリスマスに会いたいと言い続けてきたけど、そこに五分だけでもいいという概念はなかったから。
でも、会いに来てくれるその五分が、まさかまひろとのすれ違いを生み出す結果になるなんてこの時は思ってもいなかった。