――十二月二十三日。
 アルバイト先は今日からクリスマスメニューが始まった。
 予約は二十五日まで満席に。幸先が良いスタートをきった。
 いまはバイト先の二畳ほどの狭いバックヤードにいる。勤務時間前だけど、俺は自宅から持って来たある物をテーブルに置いて、勤務後に使うケーキ材料を手さげから取り出していた。すると、同時刻からシフトに入っているまひろが到着。軽い挨拶をして、まひろが身支度を終えてタイムカードを押してから、俺は自作のケーキが入っている箱を渡した。


「まひろ。約束していたクリスマスケーキ持ってきたよ」

「ほんとに〜?! 去年の約束覚えててくれたんだ」

「もちろん」

「ありがとう。ねねっ、箱を開けてもいい?」

「どうぞ」


 彼女はケーキの箱を開けるとパアッと目を輝かせた。
 俺はこの瞬間がたまらなく好きだ。


「うわぁぁあ! 今年はコンテスト用ケーキのミニバージョンにしたんだね」

「うん。一人分にした。さすがにミニシューまでは作れなかったけど。さっきデコレーションしたから早めに食べてね」

「ありがとう。まさかコンテスト用のケーキを食べれるなんて夢にも思わなかった」

「練習も兼ねてだけどね」

「このケーキには星河の夢が詰まってるから特別に嬉しい。カウンター下の冷蔵庫に入れておくね。帰りに持って帰るから」

「忘れて帰るなよ。お前はそそっかしいから」

「星河の味の大ファンなのに忘れるわけないよ」

「だからお前はこんなにぽっちゃりしてるんだよ」


 俺はいつもの調子で彼女のほっぺをぷにっと突っつく。
 でも、こんなおふざけは明日で最後だ。そう思うだけで胸がキュウっと締め付けられる。
 まひろは俺がバイトを辞めることを知らない。
 年末までのLINEのシフト表には空欄のままだけど、何も言ってこないということは辞めることに気づいてない。


「女の子になんてことするのよー!」

「あはは、いいじゃん。痩せてたらお前じゃなくなるよ」

「それって、どういう意味?? 許せないんだけどーー!」


 二人がバックヤード内を賑やかせていると、厨房から叔父さんがやってきてひょいと部屋を覗き込んだ。


「……お二人さん。楽しそうにするのは構わないんだけど、そろそろパートさんと勤務交代時間だよ」

「あっ、ごめんなさい!! やばっっ、もう十七時過ぎてる〜〜っ! いま行きます!」


 まひろは焦っているせいか、手ぶらのままバックヤードを飛び出した。
 さっきそそっかしいと注意したばかりなのに、ケーキはしっかりとテーブルに置かれたまま。
 俺は呆れ顔で声をかけた。


「ちょっと待って。もうケーキ忘れてるし……」

「あっ、ホントだ! ごめんごめん」

「さっき渡したばかりなのに忘れるなんて酷いな」

「ホント申し訳ないっ!! いますぐ冷蔵庫にしまうね!!」


 ケーキを手渡した後、俺はもうこのやりとりが今日で最後になると思ったら自然と気分が落ちた。
 すると、叔父さんは無言のままポンッと肩を叩いて厨房へ戻って行った。


 フロアに出ると、予約客が続々と来店した。
 十七時上がりのパートさんとバトンタッチして、ドリンクのオーダーを取りに行ったり料理を提供したり。十七時半でフロアの座席が満席に。食事を終えた小さなお子様には事前に用意していた小さな赤いブーツに入ったお菓子を渡していく。一組帰ると、また次の一組。気の抜けない時間は二十一時半まで続き、時間を忘れるくらい一生懸命働いた。
 最後のお客様がお会計を終えると、俺とまひろは揃って頭を下げた。


「はぁ〜っ……。今日は目が回るくらい忙しかったな……」

「お疲れ。くたくただと思うけど、本当にこれからスポンジを焼くの?」

「うん。今日焼かないと明日デコレーションする時間がなくなるし」

「コンテストはいよいよ明後日だもんね。最後の追い込みだね。頑張ってね!」

「うん、絶対優勝するから」


 俺たちは一通り片付けをしてから二十二時にWEB勤怠を押した。
 俺は厨房へ、まひろは帰り支度をするためにバックヤードへ向かった。
 ところがその最中、まひろがポケットからスマホを取り出すと、誰かと通話を始めた。


「えっ、郁哉先輩……。はい……、えっ! そうなんですか? ……はい。こっちもいま上がりなのですぐに行きます! じゃあ、あとで」


 電話を切ったと同時にバックヤードに走っていく。ロッカーの開閉音を響かせて十五秒程度でフロアに戻ってきたと思ったら、上着に袖を通しつつ「お先です」と俺たちに伝えて、ドアベルを響かせながら暗闇の奥へ消えていった。
 俺は彼女の背中を見届けた後にバックヤードに用意していたケーキ材料を取りにいくと、ふとあることを思い出した。


「クリスマスケーキ!!」


 冷や汗を滲ませながらフロアへ移動してカウンター下冷蔵庫を開いて確認すると、そこにはケーキ箱が残されている。
 さっきは焦って外に飛び出したからクリスマスケーキの存在を忘れたんだな。忘れると思ったから先に言ったのに……。
 俺はケーキの箱を取り出して、エプロンをほどいてからカウンターに置くと、叔父さんに「まひろに届け物があるから、ちょっと外に出てくる」と言って、上着も持たないまままひろの背中を追った。

 しかし、暗闇の中、十メートルくらい走ってもまひろの姿は見当たらない。
 白い息を吐きながら目を左右させてまひろの姿を探した。もしかしたら駅方面に向かったのかなと思って足を向かわせると、三分後に駅構内で郁哉先輩と一緒にいるまひろを発見した。

 ――その瞬間、遠目から一人でケーキの箱を持って佇んでいる自分が虚しくなった。


「俺、何やってるんだろう……」


 幸せそうに微笑むまひろ。その隣には憧れの郁哉先輩。そして、その様子を遠目から見ている俺。
 いままひろに必要なのは俺のケーキじゃない。
 俺は何を思い上がっていたんだろう。 
 気持ちを切り離すように目を閉じて首を左右に振ると、来た道をUターンした。まひろの元へ向かうまでの足取りと、ケーキを持ったまま店へ戻る足取りは、全く別物と思うくらい進みが悪い。


 ドアベルを鳴らして薄暗い店内に戻り、カウンターにケーキの箱を置いた。その横のイスに座ってからカウンターテーブルにうつ伏せになる。


「俺、もう無理かもしれない……」


 何かを期待してた訳じゃないけど、無意識に本音を吐き出していた。
 まひろが郁哉先輩に笑顔を向ける度に心がいうことを聞いてくれない。
 幼なじみだからこそ素直に応援してやればいいものの、二人の姿を見るだけで胸がカーっと焼きつく。
 まひろから貰ったポケットの中のお守りは、俺の気持ちを知らない。

 すると、叔父さんがコートを着用してフロアへ戻ってきた。


「星河、申し訳ないけど先に上がるよ。作業が終わったら店の鍵を閉めといてね」


 俺は顔を上げて叔父さんに目を向ける。


「今日はシンの一歳の誕生日だから早く帰るって言ってたもんね」

「昼間にかまってやれなかったからね。家族サービスしないと奥さんに怒られちゃうし」

「うん、わかった。おめでとうって伝えておいて」

「わかった。じゃあ、火の元は注意してね。あと、施錠をよろしく」


 叔父さんから店の鍵を受け取ると、エプロンを装着してから厨房に向かった。
 手を洗ってから、バックヤードに置いていた材料を厨房に運んで冷蔵庫からクッキー生地と無塩バターと牛乳と卵を取り出した。


「そうだ。生地を焼いてる間にトッピング用のチョコも一緒に作っちゃおうかな。明日も店は忙しいだろうから作ってる時間がなさそうだし」


 俺は鍋に水を入れて火にかけてから、布巾で周りにこぼした水を拭いた。
 すると、反対側の作業台に置いていたスマホにぼたんから電話がかかってきたので振り返ったけど、その拍子で腰に何かが当たった
 それをあまり気にしないまま電話に出て、バックヤードに用意していたチョコレートを取りに向かう。


「こんな時間にどうしたの?」

『……やっぱり、明日か明後日会えないかな』

「ぼたん。それはもう約束し……」
『やっぱりクリスマスに会いたい。十分……ううん、五分でいいから』

「ぼたん」

『わがままを言ってるのはわかってる。でも、ほんの少しなら会えるんじゃない? 私がバイト先まで迎えに行くから』

「だから、それは……」


 そう言ってる最中、焦げ臭い香りが鼻に漂った。
 それと同時に背中から明るい光を感じる。振り返ると、厨房の景色は赤く染まっていた。コンロに火をかけたまま離れていた隙に、原因となる何かにコンロの火が引火したようだった。


「ぼたんっ!! ごめん、また後で電話する」

『えっ、急にどうしたの?』

「ごめん……」


 電話を切った後、スマホをポケットに突っ込みながら厨房に向かった。
 厨房の前に立つと、コンロの横に置いていたはずの布巾が燃えていて更にその隣のケーキのレシピが書いてあるノートに燃え移っていた。

 俺は想像以上の地獄絵図を目の当たりにした瞬間、ゴクリと息を呑んだ。