永夜の都に住む『永夜の民』は、寿命のあるものを、例外なく『有夜の民』と呼ぶが、実際は少し違う。
『有夜の民』は、寿命を持つ『月の民』を指す言葉であって、もともとこの星に住んでいた人間を指す言葉ではない。
 ただ、いかんせん『永夜の民』が地上に降りてから、二千年以上たっている。その上、この地上世界は、よく流刑地として使われるため、はるか昔から、『月の民』もこの地に降りてくるので、誰に『月の民』の血が混じっているのかなど、もうだれにも分からない。なら、『有夜の民』を忌み嫌う彼らとしては、寿命ある者すべてを、『有夜の民』と、ひと括りにしてもよいのかもしれない。
 リョクは、呉羽の着替えを手伝いながら説明した。南天が施された、落ち着いた色合いの単衣は、植物の色が少なくなるこの時期によく合った華やかさを抑えた色合いだ。それに、紫色の袴を合わせた。そして、最近はやっているという編み上げのブーツをはかせてもらった。
「やっぱり、編み上げブーツはハイカラって感じがしてええなあ。着物も似合っとったけど、袴も似合うわ。素材がええけんかな」
 ソファに腰かけている呉羽に、リョクは言った。
「ハイカラ……?」
 聞いたことがない言葉である。というか、ここに来てから、聞いたことがない言葉ばかりである。
「西洋風でおしゃれってことや。最近はハイカラなもんがいっぱいやけん、明日セキと見に行ってき」
「うん! 楽しみにしておくね」
 そういえば、セキはどこに行ったんだろう。あの時別れてから、彼を一度も見ていない。そんな考えを察したのか、リョクは、
「あいつなら、呼び出しを受けて、帝に会いにいっとるで」
「帝って……」
 言わずもがな、この帝国を治めている人物だ。そんな大物に会いに行っているのか。
「セキはこの隊の隊長やけんな。それに」
 リョクは、呉羽の隣に座る。
「セキは長い間、それこそ、人間が何度生まれ変わっても足りひんぐらい、この国を守り続けてきとるけんな。帝にもずっと仕え続けとる」
 だから、必然的に頼られてまうんやな。どこか、皮肉交じりに、リョクは言った。
「……リョク?」
「そんなわけで、セキは遅くなると思うけん、うちがあんたをセキの家まで送る約束をしとるんや。行こっ!」
「う、うん」
 呉羽は、若干の引っ掛かりを感じつつ、立ち上がり、リョクについて行く。編み上げブーツのせいか、少し視線が高い。
 ——セキに会いたい。
 なぜか、無性にそう思って、呉羽の心は落ち着かないままだった。


 セキの住む屋敷は、華族たちの屋敷が並ぶ地域ではなく、自然の多い、竹林の中にあった。人生二度目の自動車に乗り、四半時(しはんとき)ほど走った場所で、閑静な農村地帯のすぐそばだった。
 運転をしていた青年は、帽子を深く被っており、顔はよく見えなかった。あまりにも深く被っているので、本当に前が見えているのか、いささか疑問に思った。
 目的地に着くと、辺りとは一線を画す雰囲気を醸し出す木造の屋敷に、呉羽は圧倒される。
 敷地に対して、屋敷は広くないが、どこか懐かしさを感じる、趣のある家屋だった。二階建てで、よく手入れが行き届いている。それでも、どこか物憂げに見えてしまうのは、広い庭に、池だけがぽつんとあるからか。それとも、屋敷の主人が、感情を失った『永夜の民』だからだろうか。
 その屋敷に圧倒されていると、竹林から一羽の烏が飛んでくる。他の個体よりも、小柄な烏。慈鳥だった。
「慈鳥」
 驚いた。呉羽の近くによく現れるとは思っていたが、まさか、俗世である帝都にまでついてくるとは。
「また会えて嬉しいよ。よくついて来れたね」
 呉羽は、慈鳥の頭を指で優しく撫でる。
「ほーう。烏に名前をつけとるんか」
 リョクが、物珍しそうにつぶやく。
「やっぱり、烏は苦手なの?」
 帝都で暮らしているとはいえ、リョクも『永夜の民』。もしかしたら、死の象徵である烏を、好いていないかもしれない。
 だが、「いや? そんなことはないで」とリョクは一蹴した。
「珍しいやん。鳥に名前付けてるの」
 飼ってるわけやないやろ。その問いに、呉羽はうなずいた。慈鳥は、あくまで友達だ。「慈鳥は、わたしの友達なの」
「友達か。ええやん、それ」
 リョクはからりと笑ってみせる。本当に、『永夜の民』とは思えないほど、彼女は表情が大げさだ。
「おい」
 そう話していると、急に声をかけられる。声をかけてきたのは、運転手の青年だ。粗暴そうな声だった。
「いつまで立ち話をしてんだ。するなら中に入れ。俺が叱られる」
「あんたなあ‥‥‥」リョクは呆れたようにつぶやき、青年を睨みつける。青年の表情は、帽子で隠れていてよく見えない。どうしようかと思っていると、
「あらら? 帰ってきたー?」
 柔らかな少女の声が、ふたりの間に割って入った。
 声の持ち主は、玄関から戸を少しだけ開け、こちらを覗き込んでいる。
「え?」
 呉羽は、ぽかんとした。声の持ち主は、声音からも想像できる通り、幼い少女だった。色素の薄い髪をおさげにして、無地の着物を着て、たすきと前掛けをしていた。おそらく、この屋敷の使用人だろう。だが、特筆すべき点は、そこではない。
 少女の頭には、(さじ)のようにぴんと伸びた白い耳が生えていた。兎の耳だった。
 ——もしかして、あれって‥‥‥。
「もー、また喧嘩してるの? いい加減にしてよねー。あたしたち玉兎(ぎょくと)が、『永夜の民』に勝てるわけないんだから」
 玉兎。月の都の民族の一派である彼らは、兎の耳と尾を持っている。数も多いため、よく『月の民』に仕えていたという。
 呉羽も、文献でその名を見聞きいてはいたが、実際に見たのは初めてだった。玉兎を好んで使役していた『有夜の民』と同じことをしたくないと、『永夜の民』が、彼らを目の敵にしていたからだ。
「あらら? ところでそちらのお嬢さんは?」
 ふたりに悪態をついていた少女は、呉羽の方を見て、とてとてと近づいてくる。その愛くるしい見た目に、思わず見とれてしまう。
「ああ、この子が今日から世話になるっちゅう子や。セキから聞いとるやろ?」
「まあ!」少女は大げさに口許を手で覆う。「噂には聞いていましたが、こんなに可愛らしい人だなんて」
 可愛らしい、と言われ、呉羽はまんざらでもなさそうに微笑む。
「ささ、中にお入りください。夕食の準備が整っていますよ」
 少女は、言葉遣いこそ丁寧だが、声色や声量から、感情がくみ取りやすい。子どもっぽい性格なのかもしれない。
「ほな、うちは宿舎に戻るわ。明日、昼前に迎えに来るけん、腹空かせときなね」
 リョクがからりと言うと、運転手の青年が、「歩いて帰れよ」と横槍を入れる。
「わかっとるわ。相変わらず性格悪いなあ」と言いながら、リョクは後ろ手に手を振りながら、来た道を戻っていった。
「帝都まで遠いけど、大丈夫かな……」
 呉羽がつぶやくと、青年は「大丈夫だろ。『永夜の民』だし」と吐き捨てる。
黒曜(こくよう)、そんなこと言わないの。性格が合わないだけでしょう」
 黒曜と呼ばれた青年は、むっつりと押し黙る。
 どうやら、青年は黒曜という名らしい。たしかに、彼は黒い装束を身にまとっている。
「あ、すみません。名乗っていませんでしたね」
 少女は、こちらを向き直す。「あたしは雲母(きらら)と申します。こちらは黒曜、あたしと同じ玉兎で、運転手をしてます」
「雲母ちゃん、それから、黒曜さん。これからよろしくね」
 雲母は嬉しそうに歯を見せて笑い、黒曜はふんっ、と鼻で笑うだけだった。
 ——春ちゃんと、博士みたい。
 意外な共通点を見出した呉羽は、これからの生活に、胸を膨らませるのだった。



 宮殿の奥にある、六畳ほどの畳敷きの部屋。そこは、対怪異小隊の隊長であるセキと帝が会うためだけの、封鎖された空間であった。窓は一つもなく、明かりも最低限。何か恐ろしい化け物がひっそりと暮らしているような雰囲気を醸し出す空間。壁には、月と、そこから降り立つツキモノと、髪の長いひとりの女性が描かれていた。
 刹那女王は、西洋のドレスではなく、十二単姿で、その絵を背にして腰かけた。女王の服装は、帝がセキに会う時の伝統のようなもので、暗黙の了解ではあったが、帝の一族は、粛々と守り続けていた。なんとも義理堅いことだと、セキはいつも感心していた。
「よく来てくれたな、セキ。急に呼び立ててすまなかった」
「本当ですよ。あなた、私がこの宮殿が嫌いなの知っていますよね」
 セキがためらいなく言うと、刹那女王は噴き出す。
「はは、お主は変わらぬのう。態度も、それから姿も」
 それをいうなら、彼女も変わらない。変わったのは、姿ぐらいのものだ。
「お主は、わらわが男児ではないからと、臣下たちから蔑まれても、わらわを見捨てなかった」
「男か女かで、蔑むなんておかしいですから」
「そして、わらわを唯一叱ってくれる、対等に話せる、兄のような存在じゃ」
 まあ、いずれわらわも、兄とは呼べない姿になってしまうだろうが。刹那女王は、寂しげに瞳を揺らす。
「……私は、慣れていますよ。共に過ごした者たちが、次々に年を取って死んでゆく。よくあることじゃあないですか」
 あっけらかんと言うと、刹那女王は、ため息交じりに、「それは、本来慣れてはいけないものだ」と言った。
「まあ、永遠を生きられるお前には、要らぬものなのかも知らぬが」
 しばらく黙り込んだ後、「話がそれてしまったな」と刹那女王は仕切り直す。
「先日、宮殿にもツキモノが侵入してきた」
 刹那女王の声色が、明らかに変わる。統治者としての、威厳ある声であった。
「それだけではない。報告によると、一般人らへの被害も増えていると聞く。被害にあった者の数は、これまでとは段違いだ」
 ツキモノは、街に現れては人を襲う。なぜそんなことをするのかは、よくわかっていない。生への執着か、『有夜の民』への敵愾心(てきがいしん)か。結局のところは分からない。ツキモノになったことがないからだ
「なにか、心当たりはないのか。このままでは、民の命が危うい」
 セキは沈黙を貫き、刹那女王をただ見つめる。
「わらわは、民を守る責務がある。彼らが幸せに暮らせる国を守らねばならぬ。だが、わらわには、ツキモノと戦う力はおろか、近づくことさえままならぬ」
「……」
「頼む。何かあるなら教えてくれ」
 刹那女王は、額を床にこすりつける。帝が、たかが軍の一部隊の隊長であるセキに、である。
 ——それほど、いまのこの国は、ツキモノの危険にさらされている。
 そして、この国を、民を、守りたいと思っているのだ。本当に、よくできた女王だ。
「……はあ、あなたは本当に馬鹿真面目ですねえ」
 セキが呆れたように言えば、「それがわらわの取り柄だろう?」と、優美に微笑む。
「……あるとすれば、巫女王でしょう」
 刹那女王は、訝しむようにセキの顔を覗き込む。「巫女王。たしか、永夜の都を支配し、『月の女神』信仰の最高権力者、だったか?」
「はい、そうです」
「なぜだ。なぜ、そう思うのだ」
「それは——」
 セキの言葉に、刹那女王は、目を大きく見開いた。


 帝への報告を終えたセキは、宮殿の庭園を横断していた。庭園の横断は、帝の許しがあれば可能だが、わざわざ実行する人間はいない。そんなことをすれば、他の貴族らの顰蹙(ひんしゅく)を買いかねないからだ。
 しかし、そんなものには微塵も興味がないセキは、気にすることなく、悠々自適に庭園を横断していた。
「おい、また来ていたのか。あの化け物」
 遠くから、そんな声が聞こえてきた。
「ああ。なんでも、陛下から呼び出しがあったそうだ」
「こう何度も来られると、気分が悪くてかなわないな」
「しかも、何をしても死なない化け物だなんて……! そんなものに媚びへつらわなければならない陛下の、なんと哀れなことか……」
「おい、誰かに聞かれたらまずいだろう」
 ——ばっちり聞こえてますけどねえ。
 セキは、いつも思う。いまの声は、おそらく貴族だろう。あんなに醜く『永夜の民』の悪口をいう人間など、貴族ぐらいだ。実際に手を汚していないからと、自身は何も悪いと思っていない、傲慢な人間。
 ——まあ、なんとも思いませんけどね。
 こんなの、呉羽が受けていた迫害に比べれば、無いも同然だ。
 そのまま庭園を抜け、屯所へと歩を進める。だいぶ日が傾いている。そろそろ日没だ。
 ——呉羽さんは、雲母や黒曜と仲良くやれているでしょうか。
 雲母は社交的だが、黒曜は、あまり人と打ち解ける性分ではない。だが、呉羽のことだ、すぐにふたりとも打ち解けるだろう。
 そんなことを考えていると、背後から何者かに殴られ、押し倒される。とっさのことに受け身が取れず、そのまま倒れこむ。見上げると、そこにはふたりの男が立っていた。細身の男と、ふくよかな男性だ。逆光のせいで顔はよく見えないが、明らかな殺意を感じた。
「……なんでしょうか」セキが尋ねると、男のひとりが、セキの腹を思い切り蹴り上げる。つぶれた蛙のような声を上げ、セキは壁にたたきつけられる。痛みはない。だが、苦しい。
「『なんでしょうか』じゃない! お前たちが仕事をしなかったせいで、母ちゃんは一生歩けない体になっちまったんだ! お前たちがもっと必死に戦ってたら、こんなことにはならなかったんだ!」
「おらの同僚だって、大怪我したんだぞ! お前のせいだ」
 セキへの暴力と迫害は、徐々に勢いを増してゆく。お門違いにもほどがある。セキはいつもそう思う。このふたりの知人を傷つけたのは、セキではない。ツキモノだ。だが、人間は弱い生き物だ。だからこそ、手が出せる『永夜の民』を、ツキモノによる被害を防げなかった『永夜の民』に、怒りを向けるのだ。『永夜の民』は、死ぬことはない。だからこそ、人々は気がすむまで痛めつけることをいとわないのだ。
 こういった経験は、初めてではない。過去千年以上、続いてきたことだった。痛みはない、だが、その代わりに、遠い昔の記憶が、溢れて止まらなくなる。
『有夜の民』からも、『永夜の民』からも嫌われ、差別され続けた、あの日常が。こうなってしまったら、セキはもう、嵐が過ぎ去るのを待つほかない。当然のもののように、受け入れるしかない。
 警察もあてにはならない。皆、相手が『永夜の民』だと分かれば、知らぬふりをするのだ。
 それからしばらくして、ようやく満足したのか、男たちは手を止めた。
「ふん、次は覚悟しておけよ、化け物!」
「そうだそうだ! お前なんて消えちまえ、呪われた化け物!」
 捨て台詞を吐き、彼らはその場を去る。セキは、動くことができず、その場で倒れこんだまま。かなり激しく殴られてたので、骨ぐらいは折れているかもしれない。
 ——これでは、今日は帰れそうにありませんね。
 ここまでひどいと、傷もなかなか治らない。少なくとも、一晩はかかるだろう。
 セキは気を奮い立たせ、なんとか立ち上がると、屯所まで、身体を引きずるようにして歩いた。
 傷は、もうすでに治りかけていた。