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陽翔母たちと病院で別れた後。バスで再び三ノ宮の方まで戻り、そこから歩いて北野方面へと向かう。異人館は山の斜面に点在しており、周辺の道は傾斜が急になっている所が多かった。
目的のエリアに到達すると、左右には洒落たカフェや教会が並び、異国情緒の漂う風景が続く。そんな中でも一際天満の目を引いたのは、赤レンガの外壁を持つ立派な洋館だった。
「うおおお。風見鶏の館! いつ見ても美しい!」
神戸北野異人館のシンボルともいえる『風見鶏の館』。その名の通り、尖塔のてっぺんには風見鶏が立っている。
「おい金ヅル、知ってるか!? ここはな、七十年代に放送されたドラマのロケ地になったんだよ。ほら、そこに説明の看板が」
「はいはい。わかったから、さっさと行くで。俺らが用事あるんは風見鶏の館やない。あの子どもらが社会科見学で訪れたんは『山手八番館』や」
興奮する天満の首根っこを掴み、引きずるようにして兼嗣は進む。急な坂をさらに登っていくと、やがて黒い柵に囲まれた洋館が見えてきた。山手八番館である。チューダー様式と呼ばれるその建物はイギリスで生まれた建築デザインで、大きな窓に高い煙突、玄関はアーチ状になっている。
「ほほう。これはこれでなかなか」
天満が満足げに眺めている隣で、兼嗣は敷地の入口付近に貼り付けられた案内の紙に目をやった。
「『サターンの椅子』か」
「ん、何だそれ」
天満も同じように紙を覗き込む。『サターンの椅子』という大きな見出しの付いたそれには、二脚の椅子の写真が印刷されていた。どうやらこの山手八番館の中にあるらしい。アンティーク調の赤い椅子で、座面の周りには細やかな彫刻が施されている。
「せやせや。これ見たことあるわ。一時期、話題にもなってん。サターンの椅子に座ったら願いが叶うってな」
「願いが、叶う?」
おうむ返しで言った天満の顔には明らかな疑念の色が浮かんでいる。
「そんな顔すんなや。俺かて、んなもん信じてへんわ。でも実際にこの椅子に座って願いが叶った言うてる奴が多かってん。テレビで特集されてた時もあったな」
「願いの叶う椅子、ねえ。そのわりには名前がサターンって。なんか不吉だなぁ」
「アホ。『サターン』は悪魔のサタンやなくて、ローマ神話の農耕の神様の名前や。綴りもちゃうから覚えとけ」
「ふうん……」
「とりあえず中に入ってみよか。実物を見れば、何か呪いの手がかりが見つかるかもしれん」
二人は入口でチケットを買い、美しく手入れされた庭へと足を踏み入れた。