大巫女様の詫宣により、琴禰は結界の張られた地下の折檻部屋に拘禁された。
 広さは四畳ほどの狭く小さな牢屋のような場所だ。
 無能で虐げられていたので、結界を張られるのは初めてだ。扉の格子には厄除けの護符が何十枚も張られ、触れると火傷してしまうほど強固な祓魔の術が施されている。
 無能でも虐げられ、力を開花させても畏怖され。自分はつくづく嫌われ者だなとため息を吐いた。

(それにしても、私が一族を滅亡に導くなんてありえない。大巫女様の予言は絶対だけれど、今回ばかりは外れに決まっているわ)

 自動車を持ち上げてしまったのは、火事場の馬鹿力というやつで、たまたまだ。一族を滅亡するほどの力があるとは思えないし、そもそもそんな恐ろしいことをする理由がない。
 長年虐げられてきたとはいえ、どんなことがあっても人を傷つけるようなことはしたくない。

(私に力が芽生えるなんて……)

 琴禰は手の平を見つめる。ずっと欲しかった祓魔の力。体の奥の方が熱く、漲る精気が炎のように揺らめいている。手に力を込めると何かが溢れるような不思議な感覚がした。
 嬉しいけれど怖い。この力は誰にも祝福されていないのだ。
 なにやら外が騒がしかった。屋敷の外には多くの村民が集まり、力の強い祓魔師が屋敷に入ってくるのが感じられた。

 目を閉じて集中させると、外の様子や屋敷の中で会議が行われている様子もはっきりと見ることができる。さらに、会話まで聞こえてしまうのだから開花した自分の力が恐ろしい。こんなことが祓魔の力でできるなんて聞いたことがない。
 大巫女様が怖れるのも無理はないと思ってしまうほど、琴禰の力は際立って異様だった。

『あの者を野放しにしておくのは危険じゃ。力が強すぎる。完全に力が開花する前に抹殺すべきじゃ』

 客間に集った祓魔師一同を前に、大巫女様が命を下した。
 皆が青ざめ、言葉を失っている。琴禰の両親は頭を下げ、小さく震えている。我が子を殺さないといけないことよりも、家族から一族を滅亡させる異能の娘を生み出してしまったことに対する自責の念に駆られているようだった。

(待って、私は殺されるの⁉)

 想像もしていなかった展開に、心の臓がきゅっと縮み、恐怖で震え上がった。
 大巫女様の言葉は絶対だ。否定などありえない。しんと静まり返る中、すっと手を挙げた人物がいた。

『なんじゃ澄八。言いたいことがあるのなら言ってみよ』

 大巫女様から発言を許可された澄八は、立ち上がって一礼をし、そして厳粛に口を開いた。

『大巫女様のおっしゃる通り、琴禰の力は異質で強大です。結界を張るのを僕も手伝いましたが、正直言って、彼女が本気を出せばすぐに逃げ出すことも可能でしょう。そもそもここにいる祓魔師が束になっても勝てるかどうか』

『なにを言っている。小娘一人、我々が負けるわけはないだろう』

 澄八の隣に座っていた屈強な男性が口を挟んだ。

『琴禰の内に秘めた力は未知数なのです。もしも暴発したらこの祓魔の村が吹き飛ぶかもしれません』

『そんな馬鹿な』

 客間に嘲笑が沸き起こる。澄八の言葉を信じる者はいなかった。たった一人、大巫女様を除いては。

『澄八はここにいる誰よりも力の強さを測ることができるようじゃな。皆の者、良く聞け、小娘だと思って侮ってはならんぞ。あやつは祓魔を滅亡させる厄災じゃ。だが、力の使い方をよう分かっておらん今なら倒せる。今なら……』

 大巫女様の言葉に、澄八は黙って頷き腰を下ろした。皆が戸惑うように出方を窺っている。大巫女様は真実しか言わないと分かっているが、小娘にそんな強大な力が宿っているとは信じがたいようだ。

(どうしよう、このままでは殺される!)

 琴禰は改めて結界の張られた格子を見つめた。触れると火傷するほどの強力な結界が張られているが、ここを突破しないことには逃げられない。

(澄八さんは、私が本気を出せば逃げ出すことができると言っていたわ。どうすれば力を放出できるのかわからないけれど、やるしかない)

『聞いておるのだろう、琴禰。逃げようとしたとて無駄じゃ。大人しく死ぬがよい。それが、祓魔一族に生まれたお主にできる最後の奉公じゃ』

 突然大巫女様が琴禰に話しかけたので、その場にいる者たちは仰天し周囲をキョロキョロと見渡した。
 驚いたのは琴禰も同じだった。まさか気付かれているとは。大巫女様の底の見えない力の強さに驚愕し、喉元に恐怖のかたまりをつかえさせ縮こまった。

(大巫女様は本気だ。本気で私を殺すおつもりなのだ)

 身の凍る思いがした。迷っている暇はない、ここから逃げなければ。
 両手を格子にかざし、内なる力を放出させる。すると大きな爆発が起こり、琴禰は吹き飛ばされ壁に激突した。
 初めてなので力の加減がわからない。思いっきり背中を壁にぶつけたので、一瞬息が止まる。肩を打撲してしまったようでとても痛い。
しかし、強固な結界と共に格子も吹き飛んだ。痛みに悶えている時間はない、とにかく逃げなければ。
先ほどの爆発で吹き飛んだ時に、眼鏡を落としてレンズにひびが入ってしまった。割れた眼鏡をかけても意味がないので捨てていこうと思ったとき、あることに気が付いた。

(私、見えている)

 むしろ、眼鏡がない今の方がよりはっきり見える。度が合っていない眼鏡だったので、力の開花と共に目が見えるようになっていることに気が付かなかった。

(ああ、今はそんな場合じゃない!)

 驚いて放心していた自分を叱咤する。壁にぶつかった衝撃で全身が痛かったが、なんとか気力で走り出す。
 地下から地上に出ると、そこには両親含め客間にいた祓魔師たちが待ち構えていた。

(そりゃあれだけ大きな爆発音だったのだもの。喧嘩を売ってしまったようなものだわ)

 生き延びるためには祓魔師との全面闘争に勝たなければいけない。
 そして最初に祓魔の術を仕掛けてきたのは、一族の中でも特に優れた力を持つ祓魔五人衆だった。
 琴禰を囲むように五人が星形に位置取り、指に(いん)を結んで、強大な結界を張る。すると、琴禰の体はまるで縄で羽交い絞めにされたかのように動けなくなった。

 その拘束の力は強く、体がみしみしと締め付けるような痛みに悲鳴が上がる。
 まるで容赦がなかった。本気で琴禰を殺そうとしているのがわかる。
 五人衆の中には澄八もいた。桃子が両親の隣で澄八を心配そうに見守っている。誰も琴禰を心配して、止めようとする者はいなかった。
 両親や桃子は仕方がないにしても、澄八も琴禰を殺そうとしていることが悲しかった。彼だけは最後まで味方でいてくれるかもしれない淡い期待があった。
 けれど、琴禰を殺そうと術を発動させている澄八の目に戸惑いの色は微塵もなかった。
 祓魔師として、一族を守るため、それを害する者を葬り去る。そんな使命感に燃えるような目だった。

(私は……死ぬの? 誰からも愛されず、必要とされず、何もしていないのに疎まれて死ぬ。こんな死に方嫌だ)

 体中を締め付ける激烈な痛みに顔を歪めながら、涙が頬を伝う。
 琴禰が泣いても誰も同情してくれなかった。むしろ、『もうすぐだ、祓魔五人衆頑張れ!』と応援する声が湧き上がる。

(酷い、あんまりよ……)

 琴禰の胸の奥から強烈な憎悪が湧き上がってきた。その思いに連動して、琴禰の中で眠っていた祓魔の力がどんどん増幅していく。
 締め付けられる痛みは緩んでいき、力をどんどん跳ね除ける。すると、祓魔五人衆の顔から大粒の汗が滲み出てきた。
 琴禰の力はどんどん強くなっていく。体は動けるようになり、結界を壊そうと意識を集中させると、祓魔五人衆は更に術を仕掛けてきた。

 無数の形代が刃のように琴禰に向かって飛んでくる。ただの紙とはいえ、鋭さは凶器だ。顔や体に触れると切れて薄く血が滲み出る。服も切り裂かれ、三つ編みを結んでいた紐も切れて、長く豊かでほのかに臙脂色を帯びた黒髪が風に舞った。
 すると、琴禰の力が一気に解放された。髪は古来より力が宿るものといわれている。髪を結ぶことによって力を抑える役目がある。それが解かれたことによって、琴禰の力は最大値を発揮できるようになった。
 こうなるともう、祓魔五人衆など敵ではない。

 長い髪が揺らめき、結界の中心に佇む琴禰の姿は神々しく美しかった。
 白磁の肌に、伏し目になると際立つ長い睫毛。
 この世のものとは思えないほど婉然(えんぜん)とした優美な姿は、まるで雲中白鶴(うんちゅうはっかく)の趣を感じさせる。
 皆が息を飲んで琴禰を見つめた。そこには冴えないぼんくらな少女はどこにもいない。圧倒的な美しさと強さを持つ、絶対的な強者だ。

「終わった。今日、祓魔は滅亡する」

 大巫女様が、呆けるように琴禰を見つめながら呟いた。

「お願い、もうやめて。皆を殺したくないの。このままでは力が暴発してしまう」

 琴禰は一筋の涙を零しながら、玉唇を小さく開き、言葉を洩らした。
 その言葉に恐れ戦いた祓魔師たちは更に力を強める。しかしながら、渾身の力を用いた術は、琴禰の前で風に巻かれるように消えた。

「くそ! 妖女め!」

 祓魔師たちがその矜持にかけて一人の少女を葬り去ろうと力を振り絞った時、結界が解かれた。祓魔師たちは最初、結界を解いたのは琴禰だと思ったのだが、その実は五人衆のうちの一人、澄八だった。
 星型の強力な結界なので、一人でも術を解けばその力は無になる。

「何をしている澄八! 再び結界を敷け!」

 五人衆の最年長者に怒鳴られた澄八だったが、飄々とした物言いで返す。

「無駄ですよ。我々の命は彼女に握られている」

そして澄八は一歩を踏み出し、琴禰の側に寄った。

「君に選択を委ねよう。我々を殺すか、あやかしの王を殺すか。君が決めるのだ」

 周りの者達が澄八の身を案じ、緊迫の眼差しで見守っているにも関わらず、澄八は底の知れない冷たい目で琴禰を見つめていた。

「私は誰も殺したくはないです」

 琴禰はすがるような上目遣いで澄八に言った。

「それは無理な選択だ。君には強大な力がある。君が望むと望まざるに拘わらず、力のある者は弱者を助ける責務がある。それは使命だ。さあ、選べ。祓魔一族を滅亡させるのか、祓魔一族のために我々の念願であるあやかし王を討つのか」

「……私の使命」

 澄八の言葉は琴禰の胸に響いた。
 力のある者は弱者を助ける責務がある。それはまるで、琴禰は皆にとって必要な人材だと言われているかのようだった。
 これまで祓魔の人達からは酷い扱いを受けてきた。琴禰を殺そうともした。
 けれど殺したいとは思えなかった。一族を滅亡させる厄災になどなりたくない。
 であれば、一族の宿願である、あやかし王を葬り、平和で安穏な世の中を作りたい。

「あやかし王を討つなど、私にできるのでしょうか?」

「できる、できないではない。やるか、やらないかだ」

 澄八は冷淡な目で琴禰を見据えた。この期に及んで、優しい言葉一つかけてくれない。
 でもそれは仕方のないことなのだ。琴禰は忌み嫌われた、生まれてはいけない存在だったのだから。
 皆に認めてもらうためには、厄災の元凶である、あやかし王を滅ぼさないといけない。それだけが、琴禰が祓魔で生き延びる方法なのだ。

「……わかりました。私が、あやかし王を殺します」

 琴禰の決断に、澄八は唇の端を上げ、陰りのある笑みを薄く浮かばせた。

「それでは、血の契約を結ぼう。心変わりして逃げ出すことがないように」

 澄八は完全に琴禰の退路を奪う気だ。一瞬躊躇したが、断ることなんてできない。
 澄八は歯で親指を噛んで血を滲ませて琴禰の眼前に突き出した。覚悟を決めて、同じように親指を噛んで血を出させる。
 そして血の滲んだ親指を突き合わせ術を発動させた。
 血の契約。それは、命を懸けて契約を守ることを約束させる術だ。
 もしも契約を違反するようなことがあれば、その者の意思に関係なく契約は発動される。

 血の契約は交わされた。大巫女様含め、祓魔の人達はほっと安堵した。
 琴禰はとんでもないことをやってしまったのではないかと、終わってから急に怖くなってきた。そんな琴禰に、澄八は勝ち誇ったかのような笑みで命じる。
「さあ、琴禰。あやかし王を殺して来い」

 ◆

 淡い虹色で彩られた霧のような雲の上に琴禰はいた。
 これまであやかしの国に辿り着けた人間はいない。全ての力を使ってあやかしの国に飛んだので、琴禰は意識を保つだけで精一杯の状態だった。
 飛んだとはいっても、物理的に空を飛行したのではない。力を集中させてあやかしの国へ飛ばし、まるで糸を辿るように登っていったという方が表現としてはしっくりくる。

(ここが、あやかしの国。なんて美しい所なの)

 まるで、まほろばの常世(とこよ)に迷い込んだかのようだ。
 一歩一歩、足を踏み出すたびに、足首まで雲に沈む。でも決して落ちることはないので不思議な感覚だ。
 魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい場所だと思っていたので、こんなに美しい光景が広がっているとは驚きだった。

(まるで天国のようね……)

 朦朧とする意識の中で、琴禰は図らずも笑みが零れていた。
 もう立っているのも難しいくらい、体はボロボロだった。

(あやかし王に会う前に、私は死ぬのかもしれないわ。でも、それでいいのかもしれない。私は自分の意思でここへ来て、そして力尽きた。殺されたわけじゃない)

 ついに琴禰は膝をつき、倒れ込んだ。体が雲の上に横たわり、ふわふわとして気持ちがいい。

(今度生まれ変わったら、誰かに愛される人生を送りたい)

 誰も琴禰を愛してはくれなかった。両親でさえも。
 誰かに必要とされ、存在を認めてもらえ、笑いかけてもらいたかった。
 優しくされたいと願うことは欲深いことなのだろうか。
 誰にも愛されない人生というのは、どうしてこんなにも虚しいのだろう。

(さようなら……)

 誰に向けての別れの言葉なのかわからない。さようならと告げても、別れを惜しんでくれる人などいない。
 そっと目を瞑ると、涙が横に流れた。

「おい、大丈夫か?」

 薄れゆく意識の中、琴禰を心配し気遣う言葉が上から注がれた。
 意識を手放そうとしていた琴禰は、ない力を振り絞って瞼を開けた。するとそこには、人間の足が見えた。声のかんじからして男性だろう。
 顔を上げたいけれど、目を開くので精一杯だった。すると、その男性は琴禰をひょいと横抱きに持ち上げた。
 男の顔を見ると、息を飲むほど美麗な面立ちをしていた。まるで月の雫のように滑らかな銀髪が腰まで豊かに流れている。
 ただ立っているだけで威厳があり、醸し出す色気には品がある。精悍な眼差しに見つめられると、なぜか胸が高揚してきた。
 歳は二十代前半くらいだろうか。若いように見えるが、落ち着いた雄々しい雰囲気を放っているので、もっと年齢は上なのかもしれない。

(こんなに綺麗な人、初めて見た)

 澄八も整った顔立ちをしていたが、彼はその比ではない。人間を超越した美しさを放っていた。
 背はたいそう高く、優美な雰囲気ながら、空恐ろしいほどの力の気配がある。
 薄い紫を帯びた白地の豪奢な上衣に袴を纏った彼は、琴禰を軽々と持ち上げていた。
 琴禰をまじまじと見つめ、切れ長の凛々しい目を大きく見開いている。

「人間……?」

 男らしい喉仏から発せられた声は重低音の色気を含んでいる。
 彼は、自分が拾った生き物が人間であることに驚いているらしい。
 琴禰も、あやかしの国でまさか人間と出会うとは思っていなかったので驚いた。

「あなたは、誰?」

 なくなった気力を振り絞り、掠れた声を必死で出した。
 すると、男は慈しむような優しい眼差しで、衝撃の事実を告げた。

「俺は、あやかし王だ」