「高天原に神留(かむづま)()す、皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ)神漏美(かむろみ)(みこと)()ちて、八百萬神等(やほろずのかみたち)を、神集(かむつど)へに集え賜ひ、神議(かむはか)りに議り賜ひて…」
 俺が祝詞を唱え、町の人々が一斉に跪いた。かくいう俺も、唱えつつ同じように頭を下げる。
 今日は、大祓の日。であると同時に、この町に御座す神様に、この地域に人が住むことを神に許してもらう日だ。
「…祓へ給ひ清め給ふ事を (あま)つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし()せと(まを)す」
 祝詞を唱え終え、禰宜や権禰宜と共に宮司代理である俺は御神前から退いた。

 俺の一族は、代々この神社の宮司である。幼い頃に、まだ父が現役であった時に、いわれを教えてもらった。
 この町—と言っても村—には昔から、百年に一度生贄を神に捧げる儀式がある。この町には産土神の他に炎を司るという神—白菊様と言うらしい—が宿られた。その後に、産土神の地位にその白菊様が正式に着任なされた。その日に、白菊様が父の夢枕に立ち、
「もう、生贄はいらない。ただ、最後に犠牲となった彼女を忘れなければ、未来永劫、加護を与えよう」
 と仰ったらしい。
 俺は、その最後の生贄と言うのが何を指すのかが分からなかった。でも、父は俺に衝撃の言葉を発したんだ。
白羽(しらは)お前、和泉さん家の美輝(みき)ちゃんの事、覚えてるか?」
「みきり?覚えてるけど?」
 みきりこと美輝は、俺の幼馴染だ。珍しい、日本人離れした白髪をしていて、村人からも実の両親からも嫌われていたのを、よく覚えている。俺も少し気味悪がっていたが、俺が年上の子にいじめられていたのを庇ってくれた事を期に、友達になった。よく何でもかんでも見切り発車で物事を進める性格の為、美輝と見切り発車をかけて「みきり」と呼んでいた。
 でも、その美輝は十二歳の時に行方不明になってしまった。その時俺は小学校のクラブ活動で美輝に先に帰って貰ったその日に、下校中にいなくなったという。
「その、美輝ちゃんが、最後の生贄だったらしい」
「…は?」
「いや、俺も知らなかったんだ。新しく着任なされた白菊様から、「砌」と名乗る女の子が生贄に捧げられ、あちら(幽世)で亡くなった、と」
「みぎり…?」
 みきりとほぼ同じ音に、酷く動揺する。
「お前、美輝ちゃんの事、みきりって呼んでたよな?」
「呼ん、でた」
「父さんもそう思ってさ、村長に問いただしたんだよ。そしたら、ビンゴ。美輝ちゃんを誘拐して池に突き落として殺したの、あいつらだ」
「は、んで、」
 父曰く、あの日はちょうど生贄の儀の時期と被っていたらしい。いつもなら生贄と言えど動物やら農作物やらを使うのだが、今回は違う。ただ容姿が他より異なるだけの美輝を消すために、この時期を利用したのだと、村長は言ったらしい。
「俺も、信じられんかったよ。でも、村長だけじゃない。あの議員共もみんな、そう言ってた」
「クッソが…!」
「…父さん、警察行くわ。もう、耐えられん」
 そう言って、父さんは家を出た。その次の日には村長の家に警察が来て、しばらくしてやつらがテレビに出て、村のヒエラルキーが大きく変わった。

「白羽ぁ?どこいくの?」
 玄関で靴を履いてたら、キッチンから母さんが声をかけてきた。
「みきりの墓参り行ってくる」
「そ!ならおはぎあるから持ってき。美輝ちゃん好きやったろ」
「おーけー」
 おはぎの入ったタッパーを抱えて歩く。みきりは昔っから和菓子が好きで、ポテチとかよりも和菓子ばっかり食べていた。何なら遠足にも和菓子だった。その中でもイチオシがおはぎで、優しい甘さが好きだと言っていた。
 十数分程歩いて、神社の下へやってきた。俺達の一家が神職として就く、三年ほど前にできた神社だ。この神社は不思議な形状をしていて、まさかの御神体が池なのだ。その池の傍に、みきりの墓はある。墓はこちらで建てた物だが、どうやらそれも神様のお告げによるものらしい。
『父さん、御神体が池ってどういう事?』
『なんでも、白菊様が恋をしてしまった巫女が、想いが通じないまま亡くなたんだと』
『…巫女ぉ?』
『で、その巫女が、この池と深い関りがあるんだと……多分、十中八九、美輝ちゃんの事だろうな』
 この社を建てた日に、父さんはそう言った。その事実に、神様に嫉妬したのを覚えている。

 俺は、みきりが好きだった。いつもそばにいてくれて、いじめから守ってくれて、いつも真っ直ぐで。そんな彼女が好きだった。行方不明になってから十五年経った今でも、その想いは変わらなかった。だから、女性から告白されても全て切って、みきりだけを想って生きる事を決意した。
 この十五年で、多くの出来事があった。大地震が起きて各地で火災が起きたり、交通事故が多発したり、何なら放火魔とかもいた。でも、この村だけが全ての被害から回避されてきた。それも全部、白菊様のおかげなのだろう。認めたくはないけど。
 本殿について、扉を開け階段を下ると、池が見えた。そしてそのすぐそばに、墓が建っている。
「みきり、今日も来たぞ」
 そう言って、墓の前におはぎを置く。そのまま、今日あった出来事を話す。
「…そういやさ、お前、白菊様のどこを好きになったんだよ」
 何度目かもわからない質問を投げる。答えは返ってこない。
「駄目だって、叶わねぇってわかんねぇ?ちょっと考えれば分かんのに、冷静になれよなー」
 何度目かもわからない、持論を展開する。反論は返ってこない。
「見切り発車の美輝。神様の御膝元でも美輝節を出したのかよ…メンタル鋼とかのレベルじゃねえって」
 何度目かもわからない、煽りを言う。煽り返しはされない。
「……は~。ぜってぇ俺の方がみきりの事知ってるし、過ごした時間もなげぇし。ぜってぇ俺の方が好きなのになぁ」
 よっこらしょと立ち上がり、池を覗き込む。鏡みたいなその池は、頭上の空を反射して、池の中の俺が俺を睨んできた。今日は、奇しくも十五年前、みきりが失踪した日。
「おいカミサマよぉ!みきりはな、どうっしようもねぇ奴でさぁ!アンタはな、みきりに、美輝に幻想抱きすぎなッ!?」
 どうしてか、水面に波紋が広がった。今日の天気予報は快晴のはずだったんだけど、雨でも降ってきたのかな。
「初めて優しくしてくれた女を清廉な淑女だと思うのも分かるけどさぁ!?でもな!あいつは筋金入りの悪戯好きだし、授業態度わりぃし和菓子しか食わねぇ偏食だし、何なら村中の神社に落とし穴掘るような罰当たりなんだよッ!」
 波紋が二つ、交互に現れては消えてを繰り返す。局地的な雨だ。さっきから、俺がちょうど覗き込んでる場所にしか降ってない。
「夏にセミの幼虫刈り取りまくって、全部学校のクラスに隠して一気にふ化させたり!しかも当の本人はその日仮病でずる休みするし!?お前それ、あいつの事なんも知らねぇくせに、」
 は、と息を吐く。上がる心拍数に、呼吸が荒い。
「なんも、知らねぇのに、んで、好きになったよ……」
 波紋が続々と浮かんでは消える。水面に映る俺の顔が歪んでいるのは、きっとこの波紋のせいだ。
「好きになったならさぁ…責任もって最後まで愛し抜けよ…できねぇなら、好きになるんじゃねぇよ……」
 ごしごしと涙をぬぐって、その場を立ち上がる。服に付いた汚れを手で払って、みきりの墓に向き直した。
「…俺、お前を幸せにできる奴なら、認めたんだけどなぁ」
 また明日、と声をかけ、その場を離れた。

 ちりん

 もと来た参道を歩く。来た時よりも足取りは重く、ゆっくりと歩いている時、鈴の音が聞こえた気がした。ふとお社に目をやれば、本殿の周りの玉砂利—昔は、水限と呼んだらしい—に白い菊が一輪、咲いていた。
(あんなところ、さっきまで菊咲いてたかな)
 憎き恋敵の名と同じその花に嫌悪感を抱いていれば、はっと気が付いた。その菊は、ちょうど御神体である池に繋がる、ついさっき潜ったばかりの門の前で咲いている。
「白菊、様…?」
 ふと、このお社の神様の御名を口にする——きっと、会いに来たのだろう。神様は、気まぐれの自由神だから。神の訪れ、いや、鈴と共に降りたのだから、神の音連れと言ったところだろうか。
「そこまで好きなら、なんで言わなかった?なんで、余計な希望を持たせたんだよ?」
 神に対する口の利き方ではないが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「…いんだろ、そこ。みきりを殺したお前を、俺が分からねぇわけないだろ」
 ゆら、と菊が揺れる。風は、吹いていなかった。
 ぶわぁっと桜が舞い散る。やっぱり、風は吹いていない。視界いっぱいに桜吹雪が映る。あまりの美しさに、声が出ない。
「…っは……」
『…すまない』
 吹雪の中、凛とした男の声が聞こえた——多分、白菊様の声だ。
「人、一人殺しておいて、すまないってぇ?どの口が、どの口が言ってんだよッ!?」
『……』
「何とか言えよカミサマよぉ!?そこにいんだろ、分かってんだよッッ」
 視界が歪む。ほっぺたに生暖かい液体が伝う。相手が神だとしても、畏怖の念は抱かなかった。
「どーせ、どうせさっきの俺の怒号も聞いてたんだろ!?なぁ、美輝を殺した時の事、教えてもらいたいくらいだわ!」
『…すまない』
「謝って済む話じゃねぇだろ。それで済むのか、カミサマってのはずいぶんとお優しいお人が多いんだなぁ!?」
 桜吹雪が止む。歪んだ視界に映るのは、黒い着物を着た、顔を隠した男。
 表情は見えないけれど、布越しの感情は、酷く苦しいものであると感じた。
『……懺悔には、成らないだろう』
「なんの、事だよ……あんた、なんつー顔して、」
『懺悔には、成らないが、この村は、貴殿の事は、末代まで守り抜く』
「今更、何を言って、」
『愛していたんだ。今も、その想いは変わらない』
 食い気味に、相手は言葉を放つ。その声は、酷く震えてか細かった。神の御声とは思えぬほど、弱々しい。
『駄目だと、理解していた。でも、彼女の笑顔を見る度、想いは募るばかりだった』
「……」
『恨んでくれていい。呪ってくれていい。貴殿には、その権利がある』
「…そういう問題じゃ、ねぇだろ。そういう問題じゃ、ねぇんだよ」
 そういうと、神は酷く動揺したようだった。空気が明らかに変わって、相手の方が少し震えている。
「……もう、いいよ。いやよくねぇけど、神様が泣く程愛されてたんなら、みきりも本望ってもんじゃね?」
『みきり、とは』
「アンタが言う砌の事。許すって言う言い方もどうかとは思うけどさ、一個だけ、誓って欲しい事がある。約束じゃねぇ、誓いだ」
『…受け入れよう』
 俺は、一呼吸おいて言った。コイツに会ったら、絶対に言ってやろうと思っていた言葉だ。神様じゃきっと、この気持ちは理解できないだろうから。
「今後、他の女と付き合うな。一生みきり…砌の事だけを想って生きろ。それを誓うなら、俺も引くよ」
『…それだけで、良いのか』
「神様からすりゃ、それだけなんだろうけどさ。命かけて愛した人が、人生賭けて愛し返してくれる。それだけで、きっとアイツは報われる」
『そう、か』
「……帰れよ。アンタも、白菊様も忙しいだろ」
 また、桜吹雪が起こる。今度は、白い菊の花弁が混じっていた。

 ちりん、ちりん——………

『……ありがとう』
 鈴の音が聞こえて、気が付いたら目前には誰も居なかった。突っ立ったまま、池に向かって、遥拝をする。潤んだ涙を乱雑に拭って、帰路に就く。

 あの池は、証だ。時代遅れな生贄に選ばれてしまったみきりと、白菊様がこの世(現世)から忘れ去られた後も残る、証。神と人の、決して叶うはずもない恋に、きっと幾度となく苦しめられただろう。
 しかし彼らは幸福だったと、俺は思う。それは永遠に真実で、彼らを知る人がいなくなっても、彼らの四季は永遠に巡り続けるのだろう。人間の、俺たちの知りえないところで。
 何も知らない俺が言えるのは、それだけだ。

 俺は今日も、白菊様と美輝の、砌様の為に、菊の狂い咲くこのお社で、祈りを捧げる。


「十五年越しに、失恋、か」
 一人呟いた声は、きっと誰にも届かなかった。