窓の外が黒塗りな最中、制服に袖を通す。
眠くないといえば嘘になる。早起きは苦手だ。まだ朝の輪郭すら見えていない時間に起きるなんて、半年前の自分には考えられないことだった。
最近は目覚ましが無くても自然と目が覚める。まるで、本能が待ち望んでいるみたいだ。
スマホが小さな通知音と共にポケットの中で震える。ようやく彼女からのモーニングコールが来たけれど、僕はもう玄関に手をかけているところだった。
「もう出るの?」
不意に背中から声をかけられ、少しだけ驚いた。僕たちは双子だ。僕がそうであるように、奏弟もまた早起きが得意ではないはず。
「まあね。遅れると拗ねるからさ」
奏弟はややあって口元に柔らかな笑みを添えた。
「……そっか。いってらっしゃい」
「奏弟も学校遅れないようにね。いってきます」
相変わらず、主語のないやり取りだ。でも、これでいい。僕と奏弟はしっかり通じ合っている。
いつもの公園に行くと、そこに彼女の姿は見えなかった。
僕は軽く息をつき、来た道を引き返す。
じんわりと薄れていく暗闇の中、海沿いの灯台へと向かった。相変わらず、螺旋状の階段は登っているうちに平衡感覚が薄れていくからあまり好きになれない。夏は空気が籠って蒸し暑いからなおさらだ。
今年は暑くなるのが早い。もう夏日和だ。まだ陽が出ていないというのに歩いているだけで額に汗が滲む。
最後の鉄階段を登り切るのと、彼女が振り向くのは同時だった。
何の心配もしていなかったけれど、彼女の顔がぱっと明るくなって安堵する。
「おはよう、奏汰くん!」
「今日はどうしてここに?」
彼女は待ってましたと言わんばかりに、手に持った紙袋を掲げる。
「ここは私と奏汰くんにとって特別な場所だからね。特別な日を祝うにはちょうどいいんだよ」
彼女に言われて、ようやく今日が何の日か思いだした。
「そっか、すっかり忘れてたよ」
「もー、私の誕生日は覚えているくせに、自分の誕生日は忘れちゃってるの?」
彼女は内壁に置かれたベンチに腰を掛け、袋から紙箱を取り出す。
「じゃーん! 家でつくって来た!」
箱を開けると、大きなホールケーキが姿を見せた。白いクリームが所々歪なところが彼女らしい。
「朝からケーキ?」
「いいじゃん。気にしなーい、気にしなーい」
上機嫌にカトラリーを取り出す彼女を見て、自然と笑みが零れる。
最近、作り笑いが減った。外では未だに鎧を着たままだけど、もうそんな姿も紛れもない僕の一部になっている。自分を取り繕うのは悪いことじゃない。ただ、本当の自分を曝け出せる人の前でくらい、素直でありたいと思う。
「ありがとう。ちゃんと嬉しいよ」
そう伝えると、彼女はちょっと不思議そうにしていた。
「急にどうしたの?」
「すごく嬉しいから伝えただけだよ」
きっと、僕は成長している。だって、こんな風に素直に感謝を口にしているのに、緊張や不安が一切ない。彼女になら、僕はどんな言葉も臆することなくありのまま伝えられる。
彼女は嫣然とした笑みを浮かべ、ちょっと照れくさそうしていた。
「どういたしまして、と言いたいところだけど、ケーキをカットするナイフ忘れちゃったみたい」
鞄を漁る彼女の手からフォークを奪い取った。
「いいよ、このまま食べよ」
「……それもそうだね。どうせ、私と奏汰くんしかいないんだし」
二人でホールケーキを突いて食べた。彼女は甘くし過ぎたと言っていたけれど、僕にはちょうど良かった。
流石に二人で全部食べ切れるはずもなく、残った分は奏弟にあげて欲しいとのことだった。他の人だったら僕が意地でも食べていたけれど、奏弟ならいっかと素直に頷く。
気が付けば、東の山向こうがじんわりと橙色に燃えていた。手すりに身体を寄せると、僕と彼女の間を強い潮風が通り抜ける。
世界がぼんやりと色づいていく。白い膜がかかった景色はどこか不明瞭で、精彩に欠けるなと独り言ちる。
いつしか軽く感じる空気に一日の始まりを感じた。
「あのさ、」
「うん?」
「どうして僕が奏汰だって分かったの?」
「あー、それはね」
彼女が自分の鼻を指さす。そのジェスチャーを見ても特にピンとは来なかった。
「あんなにびちゃびちゃになるくらい香水付けてたら、次の日だってそりゃ匂い落ちないよ」
彼女には気づかれていたと思っていたけれど、まさかそんな前からだったなんて。早々に分かっていたのに、追及しないでくれたのは彼女なりの優しさなのだろう。
「もしかして、だから珍しく制服で来いって言ったの?」
「さあね、どうでしょう~」
彼女がスマホをかざし、まるであの日のように僕の頬をつまんで写真を撮る。
「どう? ちゃんと撮れてる?」
画面に写る僕は自分で言うのも何だけど、そんなに悪くないと思えた。
「あの日よりはマシかな」
「そりゃよかった。いつか見れる日が来るまで楽しみに保存しておこっと」
遠くで船が汽笛を鳴らす。呼応するように海鳥がぴゅーいと鳴きながら朝焼けの空を駆けていく。
彼女と見るこの景色が僕は好きだ。
「はい、プレゼントもちゃんとあるよ」
彼女がくれた誕生日プレゼントは小さな猫のピアスだった。
「前に栗原くんと教室でピアス穴開けてたでしょ?」
「よく見てるね」
彼女は「それに」と付け加え、ポケットからつげ櫛を取り出す。
「それ付けてくれてたら、一目で奏汰くんって分かるから。猫はお揃いだよ」
これはつい先日知ったことだけど、櫛をプレゼントするのは〝苦〟や〝死〟を連想させるから縁起が悪いという意味合いとは別に、プロポーズの贈り物としても用いられるらしい。
「この先、辛いことも苦しいことも多いけれど、生涯寄り添い合いながら一緒に生きていこう」
そんな意味らしい。
「えっ、急にプロポーズ?」
「まあ、そうかもしれないね」
彼女はゆっくりとほほ笑む。
「当たり前だよ。責任取ってくれるんでしょ?」
彼女がぎゅっと僕の手を握る。
「もちろんね」
もうすっかり夜明けだった。
白んでいた空はいつしか初夏を塗りたくったような鮮やかな青色だ。
「今日は何の日か分かる?」
彼女の質問に僕は首を傾げる。
「僕と奏弟の誕生日でしょ?」
「それもあるけどね。六月六日は一年で一番夜明けが早い日なんだってさ」
一筋の朝日が彼女の瞳に降り注いだ。
彼女が晴れやかに笑う。だから、僕もきっと良い顔をしているに違いない。
「なるほどね。それは良い日になりそうだ」
僕と彼女は手を握ったまま、ゆっくりと螺旋階段を降りていった。
(了)
眠くないといえば嘘になる。早起きは苦手だ。まだ朝の輪郭すら見えていない時間に起きるなんて、半年前の自分には考えられないことだった。
最近は目覚ましが無くても自然と目が覚める。まるで、本能が待ち望んでいるみたいだ。
スマホが小さな通知音と共にポケットの中で震える。ようやく彼女からのモーニングコールが来たけれど、僕はもう玄関に手をかけているところだった。
「もう出るの?」
不意に背中から声をかけられ、少しだけ驚いた。僕たちは双子だ。僕がそうであるように、奏弟もまた早起きが得意ではないはず。
「まあね。遅れると拗ねるからさ」
奏弟はややあって口元に柔らかな笑みを添えた。
「……そっか。いってらっしゃい」
「奏弟も学校遅れないようにね。いってきます」
相変わらず、主語のないやり取りだ。でも、これでいい。僕と奏弟はしっかり通じ合っている。
いつもの公園に行くと、そこに彼女の姿は見えなかった。
僕は軽く息をつき、来た道を引き返す。
じんわりと薄れていく暗闇の中、海沿いの灯台へと向かった。相変わらず、螺旋状の階段は登っているうちに平衡感覚が薄れていくからあまり好きになれない。夏は空気が籠って蒸し暑いからなおさらだ。
今年は暑くなるのが早い。もう夏日和だ。まだ陽が出ていないというのに歩いているだけで額に汗が滲む。
最後の鉄階段を登り切るのと、彼女が振り向くのは同時だった。
何の心配もしていなかったけれど、彼女の顔がぱっと明るくなって安堵する。
「おはよう、奏汰くん!」
「今日はどうしてここに?」
彼女は待ってましたと言わんばかりに、手に持った紙袋を掲げる。
「ここは私と奏汰くんにとって特別な場所だからね。特別な日を祝うにはちょうどいいんだよ」
彼女に言われて、ようやく今日が何の日か思いだした。
「そっか、すっかり忘れてたよ」
「もー、私の誕生日は覚えているくせに、自分の誕生日は忘れちゃってるの?」
彼女は内壁に置かれたベンチに腰を掛け、袋から紙箱を取り出す。
「じゃーん! 家でつくって来た!」
箱を開けると、大きなホールケーキが姿を見せた。白いクリームが所々歪なところが彼女らしい。
「朝からケーキ?」
「いいじゃん。気にしなーい、気にしなーい」
上機嫌にカトラリーを取り出す彼女を見て、自然と笑みが零れる。
最近、作り笑いが減った。外では未だに鎧を着たままだけど、もうそんな姿も紛れもない僕の一部になっている。自分を取り繕うのは悪いことじゃない。ただ、本当の自分を曝け出せる人の前でくらい、素直でありたいと思う。
「ありがとう。ちゃんと嬉しいよ」
そう伝えると、彼女はちょっと不思議そうにしていた。
「急にどうしたの?」
「すごく嬉しいから伝えただけだよ」
きっと、僕は成長している。だって、こんな風に素直に感謝を口にしているのに、緊張や不安が一切ない。彼女になら、僕はどんな言葉も臆することなくありのまま伝えられる。
彼女は嫣然とした笑みを浮かべ、ちょっと照れくさそうしていた。
「どういたしまして、と言いたいところだけど、ケーキをカットするナイフ忘れちゃったみたい」
鞄を漁る彼女の手からフォークを奪い取った。
「いいよ、このまま食べよ」
「……それもそうだね。どうせ、私と奏汰くんしかいないんだし」
二人でホールケーキを突いて食べた。彼女は甘くし過ぎたと言っていたけれど、僕にはちょうど良かった。
流石に二人で全部食べ切れるはずもなく、残った分は奏弟にあげて欲しいとのことだった。他の人だったら僕が意地でも食べていたけれど、奏弟ならいっかと素直に頷く。
気が付けば、東の山向こうがじんわりと橙色に燃えていた。手すりに身体を寄せると、僕と彼女の間を強い潮風が通り抜ける。
世界がぼんやりと色づいていく。白い膜がかかった景色はどこか不明瞭で、精彩に欠けるなと独り言ちる。
いつしか軽く感じる空気に一日の始まりを感じた。
「あのさ、」
「うん?」
「どうして僕が奏汰だって分かったの?」
「あー、それはね」
彼女が自分の鼻を指さす。そのジェスチャーを見ても特にピンとは来なかった。
「あんなにびちゃびちゃになるくらい香水付けてたら、次の日だってそりゃ匂い落ちないよ」
彼女には気づかれていたと思っていたけれど、まさかそんな前からだったなんて。早々に分かっていたのに、追及しないでくれたのは彼女なりの優しさなのだろう。
「もしかして、だから珍しく制服で来いって言ったの?」
「さあね、どうでしょう~」
彼女がスマホをかざし、まるであの日のように僕の頬をつまんで写真を撮る。
「どう? ちゃんと撮れてる?」
画面に写る僕は自分で言うのも何だけど、そんなに悪くないと思えた。
「あの日よりはマシかな」
「そりゃよかった。いつか見れる日が来るまで楽しみに保存しておこっと」
遠くで船が汽笛を鳴らす。呼応するように海鳥がぴゅーいと鳴きながら朝焼けの空を駆けていく。
彼女と見るこの景色が僕は好きだ。
「はい、プレゼントもちゃんとあるよ」
彼女がくれた誕生日プレゼントは小さな猫のピアスだった。
「前に栗原くんと教室でピアス穴開けてたでしょ?」
「よく見てるね」
彼女は「それに」と付け加え、ポケットからつげ櫛を取り出す。
「それ付けてくれてたら、一目で奏汰くんって分かるから。猫はお揃いだよ」
これはつい先日知ったことだけど、櫛をプレゼントするのは〝苦〟や〝死〟を連想させるから縁起が悪いという意味合いとは別に、プロポーズの贈り物としても用いられるらしい。
「この先、辛いことも苦しいことも多いけれど、生涯寄り添い合いながら一緒に生きていこう」
そんな意味らしい。
「えっ、急にプロポーズ?」
「まあ、そうかもしれないね」
彼女はゆっくりとほほ笑む。
「当たり前だよ。責任取ってくれるんでしょ?」
彼女がぎゅっと僕の手を握る。
「もちろんね」
もうすっかり夜明けだった。
白んでいた空はいつしか初夏を塗りたくったような鮮やかな青色だ。
「今日は何の日か分かる?」
彼女の質問に僕は首を傾げる。
「僕と奏弟の誕生日でしょ?」
「それもあるけどね。六月六日は一年で一番夜明けが早い日なんだってさ」
一筋の朝日が彼女の瞳に降り注いだ。
彼女が晴れやかに笑う。だから、僕もきっと良い顔をしているに違いない。
「なるほどね。それは良い日になりそうだ」
僕と彼女は手を握ったまま、ゆっくりと螺旋階段を降りていった。
(了)