☆本話の作業用BGMは、『君は1000%』(1986オメガトライブ)でした。
当時身内に、ヴォーカルを務めていたカルロスさんの追っ掛けがおりまして。
彼がソロになったあと、ディナーショーに連行されたこともありました。ファンでもないのに。
それまで「料理●国」でしか目にした事がなかったフォアグラというものを、生まれて初めて食みました……
ーーーーー
十二月の検定まで半月を切った。ビジネス文書検定、三級と一級を受検する予定だ。
二級は時間的に受検が不可能なので諦めた。三級は保険、本命は勿論一級。
そっくり美冬さんをなぞる形だ。
基本「読み」で覚える人だが、今回は記述式も何問かある(実際にビジネス文書を書かせる)ので、朝から晩まで――というと大袈裟だが――書式も鬼のように書きなぐっている。
もう今となっては、なんでこんな必死になっているのかも思い出せない。
理数系の授業中は集中して書きまくる。授業は捨てている。
ブツブツお経のように独り言を呟いているらしく、時折、隣席の美冬さんから各種警告信号が発せられる。
短い休み時間は、美冬さんと禅問答のように奇妙な会話を交わしているので、周囲のクラスメイト(形式上は)たちも怪訝な顔をして、殆ど絡んでくることもない。
付き合ってくださる美冬さんには感謝しかない。
彼女にしてみると、自分が誘導してしまった責任のようなものを感じているらしく、指導は意外と厳しい(若干)。
☆☆☆
今日も頭へろへろのまま、美冬さんと共に銀杏岡の八幡様へと寄り道した。
いつものようにオグラ名誉会長(でかい黒猫)の前に膝を折り、
「時下ますますご健勝のことと――」
「省略は駄目です。十一月の時候の挨拶は――」
「えー、霜秋の候……ってありましたっけ?」
おおよそ猫さんへの挨拶とも思えぬ慇懃さ。
猫相手でも、今の美冬さんは容赦しないのだ。
つつがなく挨拶を終えると、美冬さんの鋭い目が若干垂れて、
「大分、よくなりました。このぶんなら大丈夫かと」
「いあや、どうすかね。いまいち自信が無いっすよ……」
美冬さんが指で自身の口許を差し、
「ルックルックルック」
「え?」
「『――自信がございません』」
「ああ……『自信がございません』……厳しいですね。そんな厳しいウイ●キーさんは見た事ないっす」
「ルックルック――」
「見た事がございません!」
普段の言動から気を付けていないと駄目なんですと。トホホ……。
美冬さんは銀杏をひとつ、スッコーンと蹴飛ばして立ち上がると、
「満点を取る必要はないのです。多少間違えても、ギリ7割を越えられればよいのですから!」
両手でガッツポーズを決め、ふんすと鼻息をひとつ。
「ご自宅でも『やって』らっしゃいますか」
「ええ、なんとか……周囲の反応が、ちよと変な感じで……」
ぼそっと零すと。
美冬さんは白い息を淡く吐きながら、なんとなくイヤらしい笑みを浮かべた――ように見えた。
☆☆☆
とある夕食時。
酔いどれの親父殿も、最近は家~でぇ夕餉を一緒にすることが多い。
家族全員と給仕の雅子さん、住み込みの光旭さんを含めた七人という事も多いので、食卓は長机を二つくっつけた格好だ。
特に会話もない広い食卓で、
「お醤油を取ってくださいますか、お兄様」
一日中酷使して疲弊しきったアタマで無意識に発すると、なぜかその場に緊張が走ったような気がした。
違和感に顔を上げると、光生が唇を微かに震わせている。
「……神幸。今……なんて?」
光生が空気の抜けるような声でヒューっと呟いた。
「ん……? お醤油を・取って・くださいますか・兄様(おっと、おが抜けちまったぜ)」
耳腐ってんのか? と思いながら、噛んで含めるように言ってやった。
光生が――唇を噛みしめ、さめざめと泣きだした。
一拍遅れて、女性陣がわっ! と声を上げ、親父殿は眼鏡を外して袖で両目を擦る。
光旭さんひとり、青白い顔でキョロキョロしている。
なにナニ、どうした皆の衆?
「……お嬢様……」
「神幸お嬢さん……」
「明日朝イチで、お赤飯買って来るからね!」
「お母さん塩大福もお願い!」
なんとなく祝福の(?)空気が流れ――。
ふと、脳裏に――「お兄様」こと春主水氏のいたって凡庸な顔が――ぼや~っと浮かんだのだ。
◇◇◇
最近、家での言動が奇天烈だった神幸ちゃんは、来月ナントカいう検定を受けるらしい。
ロボットメイドみたいな話し方はすごく面白かったけど、試験絡みだったみたい。
ラノベとかちょっとエッチな漫画(絶対に貸してくれない。んもうっ!)とは入れ込み方が違う。
テキストは見せてもらった事があるけど、夢中になる要素がさっぱり分からなかった。
十二月の試験は、●●区のとある専門学校が会場らしい。
「場所知ってるの? 神幸ちゃん」
「さあ? 東京なら行けばわかるんじゃん? ――と存じます」
東京でしょ? で分かるなら、地図とかグ●グルマ●プは要らないんだよ、お姉ちゃん。
神幸ちゃんの言う「東京」は、台東区と文京区くらいでしょ?
多分、下見とか行かないだろうな……。
なんて思ったら、あたしが確認した方がいいのでは? と心配になっちゃったよ。
――気が付いたら学校帰り山手線に揺られ、田端で下車していた。
立ち止まって、鞄から23区の文庫地図を取り出す。
スマホもあるけど、時間に余裕があれば地図を眺める方が好きだ。
「女は地図を見るのが苦手」って聞いたことあるけど、偏見だと思うなあ。
地図は色分けされていて、開けば大概、ピンク色の商店街に目が吸い寄せられる。
夕暮れ時の商店街(できればアーケード)を、神幸ちゃんと手を繋いで歩いてみたいんだけど……難しいかな、外に出たがらないし。
JRの線路沿いを暫く下る。
小さなスーパーに自転車がめちゃ停まっている。
慎重に脇を通り抜け、すっと左に入ると、件の専門学校の看板が見えた。
一応、正面玄関の前に立ち、何枚か写真を撮ってみる。怒られないよね?
ぐるっと一周するように駅前に戻った。
ソフトクリームを売る小さなお店がある。……ちょっと、お腹減ったな、そういえば。
でも買い食いはなあ。ウチの中学、割りとその辺うるさいし……と逡巡していると、隣接するゲームセンター前のベンチに、小さな女の子がひとり、座っているのが見えた。
猫耳付きのピンクの帽子、上下ピンクの短パン・Tシャツ姿。
お地蔵さんのような顔で、小さく船を漕いでいるみたい。
……保護者の姿が見えないような。ゲーセンの中にいるのかな?
なんとなくベンチの前に立つ。
ふいに、女の子が顔を上げた。目が合っちゃった。
丁度、周囲の喧騒が止んだみたいだ。
「……君、一人? お父さんかお母さんは?」
なんでか声を掛けてしまった。
女の子は寝惚け眼でゆっくり視線を巡らすと、
「……おお、うたた寝したようじゃ。んん……付き添いが一人おるが、その辺で買い物でもしとるじゃろ」
短い両手をぐっと上げ、気持ち良さそうに欠伸をひとつ。
見た目にそぐわない、妙に枯れた物言い。お婆ちゃんみたい。
「ねえ、そんな恰好で寒くないの? 大丈夫?」
「お気遣い痛み入る。寒くはないが……ちよと小腹が空いたのう」
意味ありげにこちらへ向けた目が、いやらしい光を放った気がした。
普通、知らない人から云々……って親御さんに言われてるよね?
ほんの間考えたものの、背中を押されたような気分になって、
「ちょっと待ってて!」
隣でソフトクリームを二つ購入し、
「はい。どうぞ」
「おお?! こりゃかっちけない。ごちになろう」
「君、江戸っ娘なの?」
「江戸っ子ではないが、江戸は長いな……お主、面白いのう」
「ん? なにが?」
「『寒くないの?』とか聞いといて、ソフトクリームかえ」
「ええー、だって、大丈夫だっていうから――」
女の子は躊躇いなくガブッとかぶりつき、暫く瞑目すると。
「――うむ。美味じゃな!」
嬉しそうに笑ってみせた。
ニット帽から覗いた前髪が夕陽を浴び――山吹色に輝いて綺麗だった。
当時身内に、ヴォーカルを務めていたカルロスさんの追っ掛けがおりまして。
彼がソロになったあと、ディナーショーに連行されたこともありました。ファンでもないのに。
それまで「料理●国」でしか目にした事がなかったフォアグラというものを、生まれて初めて食みました……
ーーーーー
十二月の検定まで半月を切った。ビジネス文書検定、三級と一級を受検する予定だ。
二級は時間的に受検が不可能なので諦めた。三級は保険、本命は勿論一級。
そっくり美冬さんをなぞる形だ。
基本「読み」で覚える人だが、今回は記述式も何問かある(実際にビジネス文書を書かせる)ので、朝から晩まで――というと大袈裟だが――書式も鬼のように書きなぐっている。
もう今となっては、なんでこんな必死になっているのかも思い出せない。
理数系の授業中は集中して書きまくる。授業は捨てている。
ブツブツお経のように独り言を呟いているらしく、時折、隣席の美冬さんから各種警告信号が発せられる。
短い休み時間は、美冬さんと禅問答のように奇妙な会話を交わしているので、周囲のクラスメイト(形式上は)たちも怪訝な顔をして、殆ど絡んでくることもない。
付き合ってくださる美冬さんには感謝しかない。
彼女にしてみると、自分が誘導してしまった責任のようなものを感じているらしく、指導は意外と厳しい(若干)。
☆☆☆
今日も頭へろへろのまま、美冬さんと共に銀杏岡の八幡様へと寄り道した。
いつものようにオグラ名誉会長(でかい黒猫)の前に膝を折り、
「時下ますますご健勝のことと――」
「省略は駄目です。十一月の時候の挨拶は――」
「えー、霜秋の候……ってありましたっけ?」
おおよそ猫さんへの挨拶とも思えぬ慇懃さ。
猫相手でも、今の美冬さんは容赦しないのだ。
つつがなく挨拶を終えると、美冬さんの鋭い目が若干垂れて、
「大分、よくなりました。このぶんなら大丈夫かと」
「いあや、どうすかね。いまいち自信が無いっすよ……」
美冬さんが指で自身の口許を差し、
「ルックルックルック」
「え?」
「『――自信がございません』」
「ああ……『自信がございません』……厳しいですね。そんな厳しいウイ●キーさんは見た事ないっす」
「ルックルック――」
「見た事がございません!」
普段の言動から気を付けていないと駄目なんですと。トホホ……。
美冬さんは銀杏をひとつ、スッコーンと蹴飛ばして立ち上がると、
「満点を取る必要はないのです。多少間違えても、ギリ7割を越えられればよいのですから!」
両手でガッツポーズを決め、ふんすと鼻息をひとつ。
「ご自宅でも『やって』らっしゃいますか」
「ええ、なんとか……周囲の反応が、ちよと変な感じで……」
ぼそっと零すと。
美冬さんは白い息を淡く吐きながら、なんとなくイヤらしい笑みを浮かべた――ように見えた。
☆☆☆
とある夕食時。
酔いどれの親父殿も、最近は家~でぇ夕餉を一緒にすることが多い。
家族全員と給仕の雅子さん、住み込みの光旭さんを含めた七人という事も多いので、食卓は長机を二つくっつけた格好だ。
特に会話もない広い食卓で、
「お醤油を取ってくださいますか、お兄様」
一日中酷使して疲弊しきったアタマで無意識に発すると、なぜかその場に緊張が走ったような気がした。
違和感に顔を上げると、光生が唇を微かに震わせている。
「……神幸。今……なんて?」
光生が空気の抜けるような声でヒューっと呟いた。
「ん……? お醤油を・取って・くださいますか・兄様(おっと、おが抜けちまったぜ)」
耳腐ってんのか? と思いながら、噛んで含めるように言ってやった。
光生が――唇を噛みしめ、さめざめと泣きだした。
一拍遅れて、女性陣がわっ! と声を上げ、親父殿は眼鏡を外して袖で両目を擦る。
光旭さんひとり、青白い顔でキョロキョロしている。
なにナニ、どうした皆の衆?
「……お嬢様……」
「神幸お嬢さん……」
「明日朝イチで、お赤飯買って来るからね!」
「お母さん塩大福もお願い!」
なんとなく祝福の(?)空気が流れ――。
ふと、脳裏に――「お兄様」こと春主水氏のいたって凡庸な顔が――ぼや~っと浮かんだのだ。
◇◇◇
最近、家での言動が奇天烈だった神幸ちゃんは、来月ナントカいう検定を受けるらしい。
ロボットメイドみたいな話し方はすごく面白かったけど、試験絡みだったみたい。
ラノベとかちょっとエッチな漫画(絶対に貸してくれない。んもうっ!)とは入れ込み方が違う。
テキストは見せてもらった事があるけど、夢中になる要素がさっぱり分からなかった。
十二月の試験は、●●区のとある専門学校が会場らしい。
「場所知ってるの? 神幸ちゃん」
「さあ? 東京なら行けばわかるんじゃん? ――と存じます」
東京でしょ? で分かるなら、地図とかグ●グルマ●プは要らないんだよ、お姉ちゃん。
神幸ちゃんの言う「東京」は、台東区と文京区くらいでしょ?
多分、下見とか行かないだろうな……。
なんて思ったら、あたしが確認した方がいいのでは? と心配になっちゃったよ。
――気が付いたら学校帰り山手線に揺られ、田端で下車していた。
立ち止まって、鞄から23区の文庫地図を取り出す。
スマホもあるけど、時間に余裕があれば地図を眺める方が好きだ。
「女は地図を見るのが苦手」って聞いたことあるけど、偏見だと思うなあ。
地図は色分けされていて、開けば大概、ピンク色の商店街に目が吸い寄せられる。
夕暮れ時の商店街(できればアーケード)を、神幸ちゃんと手を繋いで歩いてみたいんだけど……難しいかな、外に出たがらないし。
JRの線路沿いを暫く下る。
小さなスーパーに自転車がめちゃ停まっている。
慎重に脇を通り抜け、すっと左に入ると、件の専門学校の看板が見えた。
一応、正面玄関の前に立ち、何枚か写真を撮ってみる。怒られないよね?
ぐるっと一周するように駅前に戻った。
ソフトクリームを売る小さなお店がある。……ちょっと、お腹減ったな、そういえば。
でも買い食いはなあ。ウチの中学、割りとその辺うるさいし……と逡巡していると、隣接するゲームセンター前のベンチに、小さな女の子がひとり、座っているのが見えた。
猫耳付きのピンクの帽子、上下ピンクの短パン・Tシャツ姿。
お地蔵さんのような顔で、小さく船を漕いでいるみたい。
……保護者の姿が見えないような。ゲーセンの中にいるのかな?
なんとなくベンチの前に立つ。
ふいに、女の子が顔を上げた。目が合っちゃった。
丁度、周囲の喧騒が止んだみたいだ。
「……君、一人? お父さんかお母さんは?」
なんでか声を掛けてしまった。
女の子は寝惚け眼でゆっくり視線を巡らすと、
「……おお、うたた寝したようじゃ。んん……付き添いが一人おるが、その辺で買い物でもしとるじゃろ」
短い両手をぐっと上げ、気持ち良さそうに欠伸をひとつ。
見た目にそぐわない、妙に枯れた物言い。お婆ちゃんみたい。
「ねえ、そんな恰好で寒くないの? 大丈夫?」
「お気遣い痛み入る。寒くはないが……ちよと小腹が空いたのう」
意味ありげにこちらへ向けた目が、いやらしい光を放った気がした。
普通、知らない人から云々……って親御さんに言われてるよね?
ほんの間考えたものの、背中を押されたような気分になって、
「ちょっと待ってて!」
隣でソフトクリームを二つ購入し、
「はい。どうぞ」
「おお?! こりゃかっちけない。ごちになろう」
「君、江戸っ娘なの?」
「江戸っ子ではないが、江戸は長いな……お主、面白いのう」
「ん? なにが?」
「『寒くないの?』とか聞いといて、ソフトクリームかえ」
「ええー、だって、大丈夫だっていうから――」
女の子は躊躇いなくガブッとかぶりつき、暫く瞑目すると。
「――うむ。美味じゃな!」
嬉しそうに笑ってみせた。
ニット帽から覗いた前髪が夕陽を浴び――山吹色に輝いて綺麗だった。