☆本話の作業用BGMは、『今夜はブギー・バック』(小沢健二featuringスチャダラパー)でした。
 注意しないと眠くなります。そんな曲です。多分……

ーーーーー

 家を出る間際、兄様に呼び止められ、

「神幸はカッパを見たことあるか?」

 なんか唐突に問われました。

「兄様のカッパコスプレは見たことありません」
「俺もそんなコスプレしたことない」
「じゃいつやるの?」

 いまでしょ? とは返されませんでした。フッ。

「じゃ、地蔵菩薩を見たことは?」
「お地蔵さんではなく、菩薩そのもの?」
「うん♥」
「ありません。見ないとマズイんですか?」

 ――時間を割いて答えてやったのに。
 ハゲは口笛を吹きながら、「運動神経悪い芸人」の如きスキップで母屋へと姿を消したのでした。投げっ放し(ジャーマン)かよ。

 この遣り取りに何の意味があるというのか……お母さまはご存知で?


 ☆☆☆


 浅草寺の鐘が微かに聞こえ始めた暮れ六つ(午後六時)

 いつのまにかフロアに立っていたのは、照明に映える銀髪をお団子にした、訪問着姿の小さなご老体でした。
 ヴィジュアルからすると多分――お婆ちゃんでしょうね。
 人間、ある程度年齢がいくと性別不詳に感じられますが、この方は女性だと思います。

 椅子に腰掛け眼鏡を外すと卓上の説明書きに目をやり、何やら金属音のする灰色の巾着をテーブルに置きます。

 やがて巾着を手で押しのけて読み終えると、『ハ●ターチャンス!』というボタンをポンと押しました。

【こんばんにゃ】

 聞き間違いではないと思います。

「ようこそツイてない御苑へ。本日はどうされましたか」
【ほー、本当にあの方の声ですじゃ】
「ええ。ひょっとしてファンでした?」
【まあ、あの穏やかな話し方が心地良いとは思うておりましたな】

 口をもぐもぐさせながら、しみじみ仰いました。

 背筋をピンと伸ばして正面へ向き直ると、

【わしもまあ歳だで、多少ボケとるやもしれん。一応そんな塩梅でしっかりと聞いてもらいたい】

 なんとなく苦々し気に言い放つと、眼鏡がきらと光り、梅干しを含んだようにきゅっと口元をすぼめます。
 私は、今は亡き祖父母(母方)の姿を脳裏に浮かべ、姿勢を正して彼女を見詰めました。


 ☆☆☆


【この間、「三回目接種のお知らせ」いう封書が届きました。ああ、なんぞテレビで言うとったな、ヤレヤレじゃと思いながら、昼餉(ひるげ)の支度にとりかかったわけですわ】

 お婆ちゃんは巾着から小さな缶を取り出し、カシュッ! と勢いよくプルタブを引っ掛けました。「ウ●ッシュ(多分ノンアル)」と書いてあります。
 ごくっ、ごくっとふた口、缶を置いて「げふっ」とやると、

【昼餉をいただいて暫くののち……さっきの封書が無い事に気付いたです。確かにテーブルへ置いたつもりでしたが。跡形も無し。はて? まいっか、無きゃ無いでまた送ってもらえばよい】
「切り替えが早いですね」
【くよくよしてたら長生きはできぬ。まあ、ちよとツイとらんなとは思うたが】

 目を瞑り、一拍置いて、

【ひとつ昼寝して、さあ、ぼちぼち夕餉の支度を……冷蔵庫を開けて、昼餉の残りを入れた小さな鍋を取り出してテーブルに置きました。冷蔵庫に戻って食材を取り出そうとしたら……そこにあったですわ】
「え、何がありました?」
【昼間失くしたと思った「封書」が】
「……冷蔵庫に」
【続いて第二問】
「え? クイズ? あ、これ第一問?」
【ある日、家の鍵が無くなりましてな】
「(よく失くす婆ちゃんだ)」
【こりゃいかん、見つかるまで外に出られん、どうしたものかと……】
「それは難儀ですね」
【まあ、スペアキーはあったがの】
「あったかー」

 数日後、珍しく(婆ちゃん曰く)洋装で外出することになり、内ポケットに煙草とライターを入れたところ、

【チン、と音がしてな】
「チン? 金属音でしょうか」
【ジッポーとなんぞぶつかったです】
「ジッポー! しゃれおつでんがな」
【ちなみに煙草はず~っと昔からシ●ートピース】

 婆ちゃんドヤ顔。

【音の正体は――】
「――まさかの『失くした鍵』」
【これ、先に言うたらあかん】
 
 可愛らしくぷくっと膨れます。
 思わず笑ってしまいました。

「失礼いたしました。で?」
【そのとおり、鍵じゃったです――はい~第二問終了ぉ!】

 唐突にクイズ終了です。あ、ハンターチャンスは?

 お婆ちゃんはぐいっと顔を寄せると、

【さっきのとこれ、一体どういうことじゃと思うかの?】

 ああ……不思議探偵をやれと。マジか、苦手な分野ですがな。
 表情を窺うに、試されているような感じはないのですが……。

「ご老体、お一人で暮らしていなさる?」
【左様。ひとり。奥山(浅草観音裏とも呼ばれる)で三十年ほどになるか】
「お身内は」
【都下に息子夫婦がおる。最近は「ボケが心配だからこっちで一緒に暮らそう」とうるさい】
「おひとり様を満喫していらっしゃるのですね」
【ん? そんな偉そうなものでもないが】

 ああ、おひとり「様」に反応しちゃったか。

 ここまでお話を伺ったかぎり、ボケている感じはありませんね。素人考えですが。
 ふーむ……。

「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
【よいとも。ならわしはちよと寝る】

 言うと、カクンと項垂れました。早。


 ミステリは大の苦手ではありますが――この二問は説明がつく気がいたします。

 一問目。
 恐らく――無意識に封書を「鍋敷き」がわりに昼餉の小鍋を置いたので、残って仕舞う際に鍋底へくっついたまま冷蔵庫へ⇒ 後で鍋を取り出した際に、乾いた封書が落ちた――というところではないでしょうか。
 
 二問目。
 前回洋装で外出して帰り着いた際、家に入って鍵を内ポケットに仕舞い、煙草とジッポーだけ後で取り出したので鍵がポケット内に取り残された、そんな塩梅ではないかと。

 
 項垂(うなだ)れて軽い寝息をたてるご老体を見詰めながら、私は暫く思案いたしました。
 ボケてはいないかもですが、忘れっぽくなってはいるのかもしれません。
 勿論、推論をそのまま告げても、とは思うのですが……。

 ふいに、兄様の問い掛けが思い起こされました。

 ――これは、罪なのかもしれない――。
 お婆ちゃんはどう受け止めるでしょう……。

 
「ご老体っ!」

 飛び起きるお婆ちゃん。

【普通に起こしておくれ。心臓止まったらシャレにならんっ!】

 ぷりぷりのお婆ちゃんにまた吹いてしまいます。

「失礼いたしました。……ご老体、私も無いアタマを必死に鼓舞して考えました」

 すっかり(ぬる)くなった(であろう)ウメ●シュでコクコク喉を鳴らし、またも「ゲフン」とひとつ吐いて、

【すまんのう。して、どうなったかの?】
「はい……わたくし思うに、(いず)れも『妖精』、或いは『観音様』の悪戯(イタズラ)ではないかと」
【…………妖精……観音様の手によると?】
「御意」
【……わしがボケたわけではない?】
「御意」
【…………】

 ご老体は少しの間、中空をぼんやり眺めていらっしゃいました。


 我に返ると、巾着からなにやら取り出し、卓上へ。
 ――コンビーフの缶詰です。

【些少じゃが、納めてくれろ。世話になった】
「マジすか?」
【マジじゃ】

 こんないい加減な回答に……何故(なにゆえ)コンビーフ?

「夕餉用で?」
【いんにゃ。朝餉用。「傷だ●けの天使」ごっこをな――】
「オープニング!……いや泣けたッス」
【なんじゃと?】
「フリ●スタイル具合にマジ泣けたっす」
【ルカーッ!】
「ご存知ですかこの曲! ごいすー」

 呼吸(イキ)があって笑いあう二人の声が、御苑に響きました。



「……こんなこと言うのはアレですが、是非またいらしてください」

 ご老体、童女のように笑いました。


「ゴッド・ブレス・ユー」

 お婆ちゃんの日常はファンタジー……と願望を込めて。