☆本日の作業用BGMは、『倖・せ・な・女』(堺正章)でした。
タイトルに似ず、悲しい雰囲気のお歌です。
マチャアキの歌は殆ど知りません。多分カラオケで歌えるとしたらこれだけです。
カッ●ラキンで見たのかなあ……
ーーーーー
九月とは名ばかりの残暑が厳しい(これを残暑と言ってよいものか)。
ありがたいことに、教室内には緩い風が漂っている。
あちこちで扇子が揺れている不思議な光景。団扇なんてひとつも見受けられない。
趣向を凝らした色とりどりの扇子がはためく。お嬢様パネェ。
隣の美冬さんですら(セレブではないという意味で)渋い扇子を取り出し、
「夏の暑さは、岩手も東京も変わりないですね」
「そうですか?」
「ええ。なにも。変わりません」
溜め息混じりに言葉を切った。
相変わらず能面のような白いお顔で、それでも額はうっすら光沢が……。
「ああ、でも、夏休みがこのように長期に渡るのには驚きでした」
「岩手と違いますか?」
「向こうなら二週間前に新学期ですね」
「へえ……」
冷めた顔で早口に言い切る美冬さんを、まじまじと見詰めてしまった。
新学期早々、いち早く数学は脱落。ついていけなくなった。
思うに、その教科が楽しいかそうでないかは、担当教諭との相性もあるのではないだろうか。
多分、遡るとそれが真実のような気がする(ん? 違う? そう……)
数学は諦め、この時間はひたすらテキストを読み込むことに決めた。
「ビジネス文書検定3級」だ。
文字通りビジネス文書を始め、社交文書なども含まれる。
今の自分には全く必要ないが、美冬さんのルーツ(?)にも興味はあるのだ。
横書き書式はほぼテンプレで(縦書きはまた少し違う)、発信日・受信者名・発信者名ときて本文。頭語(と結語)、時候のあいさつ(省略もある。「時下」など)ときて、「さて」でやっと用件が始まる。締めに感謝やらの一文を挿入して終わり。
分かってしまうとさして難しくはない。
時候のあいさつは月ごとにバリエーションが多すぎて覚えられない(と思った)。
書式は問題ではないが、用語や仮名遣いは中々興味深い。
もやもやしていた尊敬語と謙譲語が腑に落ちたのは収穫だった。
いまいち区別がついていなかったが、相手を上に見るか自ら下になるか、それだけだったんだな。
仮名遣いは目から鱗が多かった。
近頃は休み時間のたびに、美冬さんに質問することが増えた。
「『この度』は、『このたび』と平仮名が正しいんですね」
「度数ではなく、とき・おりを表しますからね」
「感謝の意味で『有り難い』を使うのは間違いか……」
「意味としては『アリエナイ』『アリニクイ』ですから。そこも平仮名ですね」
美冬さんと共通の話題がひとつできたという事が嬉しくて、多少悪いなあとは思いつつ、声を掛けることが止まらない。
周囲が絡んでこない話題というのがまたよい。
「しかし貴殿はともかく、『貴下』『貴台』なんて普段使わないっすよ? 『貴様』は使うけど。『てめえ』という意味で」
「『貴様』は昔、尊敬語だったようです。『貴殿』とおなしような感じで」
「えっ、そうなんすか?」
「昔こうだったといって、今普通に使うのは危険です。ご利用は計画的に」
「へー……『貴様』と『兄様』って似てますよね」
「様を付ければということでは……」
「母音は似てるでしょ?」
「似ていますけど、それじゃキリがないです」
ちらと顔を向けた美冬さんの唇が軽く尖っている。
ええーめちゃ可愛いじゃん。
共学じゃなくてよかった。悪い虫が彼女の周囲を飛び回るの、容易に想像できるよ。
これは……非常時に私が壁役にならないとアカンのかな?
日ごろの恩に報いるため……まるで自信ないけど。
☆☆☆
夕めしを元気の無い胃袋におさめるべく、とぼとぼ食卓へ向かうと。
レトロな扇風機が一台だるそうに首を振っているなか、珍しく家族全員揃っていた。
この時間は大概飲み歩いていて姿を見ない親父が座っている。
こちらを見て、何も言わずニッコリ笑いやがった。
「この暑いのに、すき焼き……」
卓の中央で、鍋がぐつぐつ煮えたぎっている。
「牛鍋です。ご住職のリクエストで」
賄いの雅子さんが給仕をしながら声を寄越す。
このハゲ……たまにいるかと思えば余計なことを。
睨み付けたが、ヤツはにこにこするだけ。
卓に着いて、テキストを開く。
正面に座る綾女がささっと牛鍋をよそい、目の前に置いてくれた。
「おい、めしは真剣に喰え」
「そーよー神幸ちゃん、行儀悪いよー」
綾女の横に座る光生が苦々し気に吐き捨て、給仕を手伝う母が同調。
ふと漏れた。
「めし食うことだけは誠実だよな、貴様」
「あんだと? 神幸、めし終わったら道場に来やがれ! しばき倒してくれる」
青い頭で光生が恫喝する。
そういえば、美冬さんが「ご利用は計画的に」って言ってた。早速やらかしたよ。
「いや、『貴様』ちゅうのはさ――」
「大昔は相手を持ち上げる言葉だったんだよね。神幸の言は、そういうことだよ、光生」
お? 親父がフォローしとる。にこ顔で。酒の所為か少し顔が赤い。
「そ、そうなのか?」
光生は釈然としない顔でモゴモゴ押し黙った。文系コンプレックスが見え隠れする兄。
彼は仏教系の大学を終え(よく卒業れたな)、なぜか工業系の大学院に入り直した。
元々それ系が好きなのだろうが、本格的な僧侶デビューを遅らせたいという意思が働いたと、私はみている。
実は親父も、息子に寺を継がせる意思がさほど濃くないと薄々感じている。
わりと息子に甘い。大学院の話も二つ返事で、金も惜しまなかったらしい。
こいつが継がないとなったら、この寺はどうなるんだろうな……。
不動産収入でやっていけるのだろうか。
「神幸ちゃん、お勉強してるの?」
向かいの綾女が、キラキラした目で問い掛ける。
「勉強……そう、かな?」
「お勉強は昔から好きよね、神幸ちゃんは」
母が当たり前のように呟く。
仕方なく好きになった、というか、それしかやる事が無かったんですよ、お母さん。
まあ、数学が壊滅決定なのは内緒ですが。
ポツリポツリ食むすき焼き――もとい「牛鍋」はめちゃ熱かったけど、結構うまかった。
☆☆☆
夕食を終え、母屋奥へと歩む光生の背中へ、
「みつお、ちょっと」
ひと声投げた。
力無い蝉の声――気の所為か、何某かの虫の音が混じって耳をくすぐる。
だるそうに振り向いたハゲは、
「なんだ魔王」
「魔王はやめろ」
小さい頃、コイツは暴君の私を称して「魔王」と呼んでいた。
今でも、周囲に人が居ない時は時折零れる。
そういえば近所の晋三は、コイツの真似っこして「みゅーちゃん大魔王」と独特の呼び方をしていた。字面は少しかわいいが。
「……少し、稽古をつけてほしい」
先般、ナンパ擬きに絡まれた話を語ってみた。
昔の自分が信じられないほど、何も出来なかった。
「だからといって、暴力に利かすなら付き合えねーな」
「護身術と思えば……」
「最強の護身術は『一目散に逃げる』だ」
だから、「逃げる」ことも出来なかったんだって。私の頭も体も。
「まあ日々柔軟して……体捌きくらいだな」
「それでいいよ」
薄暗い廊下の先に消えるヤツを見送っていると、
「神幸ちゃんも稽古するの?」
綾女が背後からひっそり声を掛けた。
さっきからなんかこそこそしてると思ったら……。
「わたしもやろうかな」
「なんで?」
「? 神幸ちゃんがやるなら」
振り返ると、綾女は満面の笑みで応えた。
私は視線を落とし、吐息ひとつ。
「あんまりくっつかない方がいいよ」
「どうして?」
キョトン顔の綾女に、なんとなく言葉が出ない。
そのヴィジュアルと性格、あんたは間違いなく幸せな人生を送れる。
私みたいな「ツイてない女」にひっついてると、幸を吸い取られるかもしれないだろう?
タイトルに似ず、悲しい雰囲気のお歌です。
マチャアキの歌は殆ど知りません。多分カラオケで歌えるとしたらこれだけです。
カッ●ラキンで見たのかなあ……
ーーーーー
九月とは名ばかりの残暑が厳しい(これを残暑と言ってよいものか)。
ありがたいことに、教室内には緩い風が漂っている。
あちこちで扇子が揺れている不思議な光景。団扇なんてひとつも見受けられない。
趣向を凝らした色とりどりの扇子がはためく。お嬢様パネェ。
隣の美冬さんですら(セレブではないという意味で)渋い扇子を取り出し、
「夏の暑さは、岩手も東京も変わりないですね」
「そうですか?」
「ええ。なにも。変わりません」
溜め息混じりに言葉を切った。
相変わらず能面のような白いお顔で、それでも額はうっすら光沢が……。
「ああ、でも、夏休みがこのように長期に渡るのには驚きでした」
「岩手と違いますか?」
「向こうなら二週間前に新学期ですね」
「へえ……」
冷めた顔で早口に言い切る美冬さんを、まじまじと見詰めてしまった。
新学期早々、いち早く数学は脱落。ついていけなくなった。
思うに、その教科が楽しいかそうでないかは、担当教諭との相性もあるのではないだろうか。
多分、遡るとそれが真実のような気がする(ん? 違う? そう……)
数学は諦め、この時間はひたすらテキストを読み込むことに決めた。
「ビジネス文書検定3級」だ。
文字通りビジネス文書を始め、社交文書なども含まれる。
今の自分には全く必要ないが、美冬さんのルーツ(?)にも興味はあるのだ。
横書き書式はほぼテンプレで(縦書きはまた少し違う)、発信日・受信者名・発信者名ときて本文。頭語(と結語)、時候のあいさつ(省略もある。「時下」など)ときて、「さて」でやっと用件が始まる。締めに感謝やらの一文を挿入して終わり。
分かってしまうとさして難しくはない。
時候のあいさつは月ごとにバリエーションが多すぎて覚えられない(と思った)。
書式は問題ではないが、用語や仮名遣いは中々興味深い。
もやもやしていた尊敬語と謙譲語が腑に落ちたのは収穫だった。
いまいち区別がついていなかったが、相手を上に見るか自ら下になるか、それだけだったんだな。
仮名遣いは目から鱗が多かった。
近頃は休み時間のたびに、美冬さんに質問することが増えた。
「『この度』は、『このたび』と平仮名が正しいんですね」
「度数ではなく、とき・おりを表しますからね」
「感謝の意味で『有り難い』を使うのは間違いか……」
「意味としては『アリエナイ』『アリニクイ』ですから。そこも平仮名ですね」
美冬さんと共通の話題がひとつできたという事が嬉しくて、多少悪いなあとは思いつつ、声を掛けることが止まらない。
周囲が絡んでこない話題というのがまたよい。
「しかし貴殿はともかく、『貴下』『貴台』なんて普段使わないっすよ? 『貴様』は使うけど。『てめえ』という意味で」
「『貴様』は昔、尊敬語だったようです。『貴殿』とおなしような感じで」
「えっ、そうなんすか?」
「昔こうだったといって、今普通に使うのは危険です。ご利用は計画的に」
「へー……『貴様』と『兄様』って似てますよね」
「様を付ければということでは……」
「母音は似てるでしょ?」
「似ていますけど、それじゃキリがないです」
ちらと顔を向けた美冬さんの唇が軽く尖っている。
ええーめちゃ可愛いじゃん。
共学じゃなくてよかった。悪い虫が彼女の周囲を飛び回るの、容易に想像できるよ。
これは……非常時に私が壁役にならないとアカンのかな?
日ごろの恩に報いるため……まるで自信ないけど。
☆☆☆
夕めしを元気の無い胃袋におさめるべく、とぼとぼ食卓へ向かうと。
レトロな扇風機が一台だるそうに首を振っているなか、珍しく家族全員揃っていた。
この時間は大概飲み歩いていて姿を見ない親父が座っている。
こちらを見て、何も言わずニッコリ笑いやがった。
「この暑いのに、すき焼き……」
卓の中央で、鍋がぐつぐつ煮えたぎっている。
「牛鍋です。ご住職のリクエストで」
賄いの雅子さんが給仕をしながら声を寄越す。
このハゲ……たまにいるかと思えば余計なことを。
睨み付けたが、ヤツはにこにこするだけ。
卓に着いて、テキストを開く。
正面に座る綾女がささっと牛鍋をよそい、目の前に置いてくれた。
「おい、めしは真剣に喰え」
「そーよー神幸ちゃん、行儀悪いよー」
綾女の横に座る光生が苦々し気に吐き捨て、給仕を手伝う母が同調。
ふと漏れた。
「めし食うことだけは誠実だよな、貴様」
「あんだと? 神幸、めし終わったら道場に来やがれ! しばき倒してくれる」
青い頭で光生が恫喝する。
そういえば、美冬さんが「ご利用は計画的に」って言ってた。早速やらかしたよ。
「いや、『貴様』ちゅうのはさ――」
「大昔は相手を持ち上げる言葉だったんだよね。神幸の言は、そういうことだよ、光生」
お? 親父がフォローしとる。にこ顔で。酒の所為か少し顔が赤い。
「そ、そうなのか?」
光生は釈然としない顔でモゴモゴ押し黙った。文系コンプレックスが見え隠れする兄。
彼は仏教系の大学を終え(よく卒業れたな)、なぜか工業系の大学院に入り直した。
元々それ系が好きなのだろうが、本格的な僧侶デビューを遅らせたいという意思が働いたと、私はみている。
実は親父も、息子に寺を継がせる意思がさほど濃くないと薄々感じている。
わりと息子に甘い。大学院の話も二つ返事で、金も惜しまなかったらしい。
こいつが継がないとなったら、この寺はどうなるんだろうな……。
不動産収入でやっていけるのだろうか。
「神幸ちゃん、お勉強してるの?」
向かいの綾女が、キラキラした目で問い掛ける。
「勉強……そう、かな?」
「お勉強は昔から好きよね、神幸ちゃんは」
母が当たり前のように呟く。
仕方なく好きになった、というか、それしかやる事が無かったんですよ、お母さん。
まあ、数学が壊滅決定なのは内緒ですが。
ポツリポツリ食むすき焼き――もとい「牛鍋」はめちゃ熱かったけど、結構うまかった。
☆☆☆
夕食を終え、母屋奥へと歩む光生の背中へ、
「みつお、ちょっと」
ひと声投げた。
力無い蝉の声――気の所為か、何某かの虫の音が混じって耳をくすぐる。
だるそうに振り向いたハゲは、
「なんだ魔王」
「魔王はやめろ」
小さい頃、コイツは暴君の私を称して「魔王」と呼んでいた。
今でも、周囲に人が居ない時は時折零れる。
そういえば近所の晋三は、コイツの真似っこして「みゅーちゃん大魔王」と独特の呼び方をしていた。字面は少しかわいいが。
「……少し、稽古をつけてほしい」
先般、ナンパ擬きに絡まれた話を語ってみた。
昔の自分が信じられないほど、何も出来なかった。
「だからといって、暴力に利かすなら付き合えねーな」
「護身術と思えば……」
「最強の護身術は『一目散に逃げる』だ」
だから、「逃げる」ことも出来なかったんだって。私の頭も体も。
「まあ日々柔軟して……体捌きくらいだな」
「それでいいよ」
薄暗い廊下の先に消えるヤツを見送っていると、
「神幸ちゃんも稽古するの?」
綾女が背後からひっそり声を掛けた。
さっきからなんかこそこそしてると思ったら……。
「わたしもやろうかな」
「なんで?」
「? 神幸ちゃんがやるなら」
振り返ると、綾女は満面の笑みで応えた。
私は視線を落とし、吐息ひとつ。
「あんまりくっつかない方がいいよ」
「どうして?」
キョトン顔の綾女に、なんとなく言葉が出ない。
そのヴィジュアルと性格、あんたは間違いなく幸せな人生を送れる。
私みたいな「ツイてない女」にひっついてると、幸を吸い取られるかもしれないだろう?